無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
──二週間前
皐月日夜宵は“喫茶はるかぜ”で遅い昼食を取っていた。
ここのところ、体調を崩して寝たきりになっていたが、それも随分とよくなってきた。外を出歩くのは久しぶりで、少しばかり疲れはあったものの、それすら悪くないと思えた。
季節は秋。風読決戦から一ヶ月ほど経過しており、暑い夏はとうに過ぎ去っていた。
喫茶店は混雑しており、店員が忙しく駆け回っている。何の変哲もない、午後の光景である。
しかしそんな平穏は、ひとりの来客により破壊されることとなる。
ドアベルの音が来客を知らせ、そばにいた木野葉月が「いらっしゃいませ」と出迎えようとする。
しかし、その声は途中で切れ、代わりに空気を鋭く吸い込む、喘鳴のような音がきこえた。
「……よぉ、邪魔するぜ」
その声に、喫茶店中が静まり返る。
ただならぬ気配を感じた夜宵は振り向き、来客の姿を視界に捉えた。
青いマントに青い髪。目に爛々としたひかりを湛えた男──神知戦は店内をぐるりと見回し、「平和ボケしてんな」と鼻を鳴らす。
「あなたは……なんで、ここに……」
震える声で問うた葉月を愉快そうな目で見た神知は「俺がどこにいようと自由だろ」と軽い調子で返す。
「それともなんだ、せっかく来たお客様を出禁にしようってのか?」
「……ええ、そのつもりでいます」
神知の声に答えたのは、レジからゆっくりと歩いてきた女──越月夢羽だった。
普段は人当たりも良く、温厚な彼女がハッキリとした怒りを顔に出し、神知を睨みつける。
「私は貴方を赦さない。もう、二度と現れないでください」
「俺なんかしたかぁ〜? あ、そうか春風つばめの事か。でもアレは俺じゃねえぞ。逆浪光がやった事だ」
「唆したのは貴方でしょう。貴方のせいで、つばめちゃんは……!」
夢羽の声がうわずり、拳が震える。
明確な敵意を向けられた神知は、しかしそれを軽く受け流し、夢羽に近づくと、その頤に手をかけ、顔を上げさせた。
「いつまでも死人に拘ってんじゃねぇよ。んな事より、テメェんとこの店員を呼べ。紅い髪の男だ。いるんだろ?」
おそらく、幹ヶ谷柘榴の事を言っているのだろう。しかし、彼は休みでここにはいない。
「柘榴さんをどうするつもりですか」
「アイツが何者か知りたいだけだ。そこらの人間とは根本的に異なっているようだが」
「柘榴さんが……?」
夢羽が驚いたように声をあげる。その反応を見た神知は「……んだよ、テメェも知らねえのか」と呟いて、頤にかけていた手を首に移動し、夢羽の躰を持ち上げた。
「とっとと呼べ。それとも、ここで首をへし折られてぇか?」
首を絞められた夢羽の顔が苦悶の色に染まっていく。
店にいた客は我先にと逃げ出したり、壁に背をくっつけて震えながら成り行きを見守ったりと、千差万別であった。
その中で、夜宵は腰にあるはずの銃に手を伸ばし──それがない事に気づいて唇を噛み締めた。風読決戦で小鳥に貸したあと、そのままにしていた事を忘れていた。
葉月は拳銃を構えていたが、夢羽を盾にされているため、行動を封じられていた。調理場にいた朝倉亜美も様子を伺っていたが、やはり行動は起こせていないようだった。
膠着状態のなか、ただ夢羽だけが着実に死へと向かっている。神知は葉月に顔を向け、「ほらほら、早く呼ばねえとコイツ死んじまうぞ?」と楽しそうに言った。
「待ってください! そもそも、柘榴さんはここにはいません!」
「……あ?」
神知の目が不快そうに細まり、「嘘で乗り切ろうと思ってんじゃねぇだろうな」と低い声で問う。
「本当です! だから、夢羽さんを離してください!」
「それじゃ、コイツを殺せばすっ飛んで来るって訳だな?」
神知が口の端を吊り上げ、夢羽の首を折ろうとする。
それを見た夜宵は──
「やめてぇっ!!!!」
喉が裂けるほどの絶叫を上げた。
瞬間、彼女を起点として黒い闇が拡がった。
床を覆うその中から黒い影が現れ、神知に襲いかかろうとする。
しかし、彼の躰に触れようとした瞬間、影は消滅し、床も元に戻った。
「……テメェは」
神知は夜宵を驚いたように見たあと、舌打ちをして夢羽の躰を投げつけた。
葉月が咄嗟に受け止め、夢羽は咳き込みながら酸素を求めて喘ぐ。
神知はそのまま歩いていき、ドアを蹴破って去っていく。
それを追いかけた時には、既に彼の姿は消えていた。
「夢羽さん! 大丈夫ですか!?」
「う、うん。ありがとう……」
夢羽が起き上がり、騒動で散らかった店内を片付け始める。
店員や客もそれに協力し、店内には秩序が戻った。
ただひとり、夜宵だけは釈然としない様子で、自身が起こした現象について考えていた。
(あの力は、いったい……)
* * *
一時間後、“探偵事務所 鴉の爪”での事。
茨羽和樹は「小鳥、いるか?」と言いながら事務所のドアを開けた。
「いらっしゃい。小鳥ならまだ帰ってないぞ」
机で事務作業をしていた無銘が顔を上げてそう言ったので、和樹は「おかしいなぁ。今日は会議があるのに、学校にもいないんですよ」と呆れと困りがミックスした表情で首を傾げた。
「和樹、赤坂はいたか?」
そこへ鮮真翔一と茨羽帆紫、そして東爽介がやってきた。
和樹は「いなかった。電話しても出ねぇし、どこいったんだアイツは」とため息をつく。
と、居住スペースの方から足音がして、茶色い毛玉のようなものが飛び出してきた。それを見た無銘が「あ、コラ菫! おまえまたケージから脱走したな!」と慌てて立ち上がる。
「小鳥がいないとすぐこうだ……ほら、早く戻れ!」
無銘が捕まえようとするが、菫はそれを躱し、和樹たちの元へと辿り着いた。
「菫ちゃんも会議に出る? あそこならおやつもあるよ」
帆紫が優しい声で言うと、菫はしっぽをブンブンと振った。おやつという単語に反応したのだろう。
「行きたいみたいだな。無銘さん、菫を連れて行っても大丈夫ですか?」
「まったく……よければ連れて行ってやってくれ。そいつ、オレの言う事はきかないし、小鳥と合流させた方がいいかもしれないし」
頭をガリガリと掻きながら無銘がそう言ったので、四人は菫を連れて外に出た。
「そういえば、おまえアリナ……じゃなくて桜庭に飼われていたんだよな。アイツの事、なにか知っているのか?」
翔一がそうきくと、菫は彼をじっと見つめた。
しっぽの揺れが収まり、菫は元きた道を引き返し、どこかへと歩き始めた。
「あ、おい! そっちじゃないぞ!」
四人は慌てて追いかけるが、途中で狼に変化した菫の足は早く、翔一や爽介の異能力を使ってやっと追いつけるという有様だった。
「どこに行くつもりなんだ……!」
「わかりません。でも……足取りに迷いがない。まるで、どこかに連れていこうとしているような……」
そのまま追いかけていくと、やがて細い路地に入り込んだ。
菫は奥深くに向かっていく。それを追うにつれ周りの景色は暗く殺風景な、しかしどこか異様な雰囲気を纏うものへと変化していく。
「不思議の国のアリスみたいだよね……」
「こんなアリス嫌だろ……ってか、どこまで行くつもりだ……」
前を走る翔一と爽介に追いつこうと息を切らしながらも、茨羽姉弟がそんな会話をしていると、やがて菫が足を止めた。
路地の突き当たりに、古ぼけた小屋がある。風化が激しく、錆が浮いた、みすぼらしい小屋だ。
鍵はかかっていないようで、菫は動物用に設えられた小さなドアを開け、その中に入っていく。四人もそれを追いかけて中に入った。
外見に違わず、中はがらんとしていた。家具といえば中央に置かれた簡素なテーブルくらいのもので、あとはなにもない。
「ここ……多分、人が住んでたんだよ。家具はないけど掃除が行き届いてる」
帆紫が周りを見ながら呟くと、爽介もそれに同意する。
和樹も何の気なしに部屋を見回して、テーブルの上になにかが置いてあるのを見つけた。
「これは……手帳?」
黒革の手帳はボロボロで、一目で使い込まれたと分かる。
ページを捲ると、所々が変色していた。和樹の肩越しに覗き込んだ爽介が、「これ……血で変色してます」と声を上げる。
「なんでこんなものが……」
菫はこれを見せたかったのだろうか、と思いながらページを捲っていき、そこに書かれた内容を認識した途端、和樹は「翔一!」と声を上げていた。
「どうした?」
「これ……おまえの親父さんの手帳だ」
「……え」
翔一が手帳を奪い取り、そこに書かれた内容を見る。
「親父の手帳……でも、なんで、ここに」
翔一は貪るように内容を読んでいたが、やがてとある記述を見つけると、「もしかして、これのせいか」とみんなに手帳を見せた。
全員が躰をくっつけ、手帳の内容を読む。
そこには、鮮真翔一の父親──鮮真練血の、
* * *
同時刻、津奈木第三ビル前。
夜宵は小鳥たちと合流し、外で立ち話をしていた。
「でも、よかったよ。よいちゃんが元気になって」
小鳥が言うと、その隣にいた朝倉紗由と神永楓も頷く。
「なかなか治らないからどうなるかと思ったけどね」
「でも、夢はまだ見るんでしょ?」
楓の問いに、「うん……」と不安を滲ませて答える。
「あれがなければ、もう大丈夫なんだけど……自分でもなんで見ているのか分からないから、少し怖いかな」
「まあそうだよね……紗由、夢を晴らす装置とか作れないの?」
「楓、過大評価しすぎ。私、ただの鍛冶屋なんだけど……」
そんな会話を繰り広げているうちに、小鳥が「そういえば、和樹たち遅いね」と言って携帯端末を見た。
「ありゃ、充電が切れてる」
「全く……でも、確かに遅いね。いつもなら先に来ているのに」
「電話でもしてみる?」
まさか和樹たちが自分を探しているとは夢にも思わず、楓が携帯端末を取り出した、その時──
「……小鳥?」
「えっ?」
急に名前を呼ばれ、小鳥が顔を上げる。
ビルの前の横断歩道を渡ってやってきた少女──香恋ほまれが、彼女を見上げていた。
「ほまれ!? どうしてここに?」
「ちょっと用事があって。紗由も久しぶりね」
「久しぶりってほどでもないけどね。元気そうでよかった」
村はどうなってるの? と紗由がきくと、ほまれは表情を曇らせ、「……そういえば、そのふたりは?」とはぐらかすようにきいた。
「あたしは神永楓! よろしくね!」
「わたしは皐月日夜宵です」
ふたりが名乗ると、ほまれは夜宵の方をじっと見つめ、
「……どこかで会った?」
そう呟いた。
「えっ?」
「私、香恋ほまれというのだけれど」
「香恋……ほまれ」
その名前を、目の前の少女が言った瞬間、
夜宵の中で、記憶の扉が軋み、ゆっくりと開いた。
「そうだ、わたし、あなたの事、知って……っ」
夜宵はふらふらと後ずさり、頭を抱えてしゃがみこむ。
「よいちゃん!? どうしたの!?」
「ちょっと、大丈夫!?」
小鳥たちが夜宵を支える。夜宵は虚ろな表情でなにかを呟いていたが、やがてその目にひかりが戻り、ほまれをじっと見た。
「……ほっちゃん?」
「え」
ほまれは呆けたような声を上げ、目を見開く。
「その呼び方……なんで、それを」
「……? だって、ほっちゃんはほっちゃんだよ」
「嘘、まさか、そんな……」
本当に、生きていた。
ほまれはそう呟いて、目の前の光景がまだ信じられない様子で夜宵を見た。
「ほまれ、どうしたの?」
小鳥の声に答える事なく、ほまれは夜宵から視線を離さぬまま、その目に涙を溜めて、彼女の名前を呼んだ。
「会いたかったわ……