無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#86「再会」

 ──二週間前

 

 皐月日夜宵は“喫茶はるかぜ”で遅い昼食を取っていた。

 ここのところ、体調を崩して寝たきりになっていたが、それも随分とよくなってきた。外を出歩くのは久しぶりで、少しばかり疲れはあったものの、それすら悪くないと思えた。

 季節は秋。風読決戦から一ヶ月ほど経過しており、暑い夏はとうに過ぎ去っていた。

 喫茶店は混雑しており、店員が忙しく駆け回っている。何の変哲もない、午後の光景である。

 しかしそんな平穏は、ひとりの来客により破壊されることとなる。

 

 

 ドアベルの音が来客を知らせ、そばにいた木野葉月が「いらっしゃいませ」と出迎えようとする。

 しかし、その声は途中で切れ、代わりに空気を鋭く吸い込む、喘鳴のような音がきこえた。

 

「……よぉ、邪魔するぜ」

 

 その声に、喫茶店中が静まり返る。

 ただならぬ気配を感じた夜宵は振り向き、来客の姿を視界に捉えた。

 青いマントに青い髪。目に爛々としたひかりを湛えた男──神知戦は店内をぐるりと見回し、「平和ボケしてんな」と鼻を鳴らす。

 

「あなたは……なんで、ここに……」

 

 震える声で問うた葉月を愉快そうな目で見た神知は「俺がどこにいようと自由だろ」と軽い調子で返す。

 

「それともなんだ、せっかく来たお客様を出禁にしようってのか?」

「……ええ、そのつもりでいます」

 

 神知の声に答えたのは、レジからゆっくりと歩いてきた女──越月夢羽だった。

 普段は人当たりも良く、温厚な彼女がハッキリとした怒りを顔に出し、神知を睨みつける。

 

「私は貴方を赦さない。もう、二度と現れないでください」

「俺なんかしたかぁ〜? あ、そうか春風つばめの事か。でもアレは俺じゃねえぞ。逆浪光がやった事だ」

「唆したのは貴方でしょう。貴方のせいで、つばめちゃんは……!」

 

 夢羽の声がうわずり、拳が震える。

 明確な敵意を向けられた神知は、しかしそれを軽く受け流し、夢羽に近づくと、その頤に手をかけ、顔を上げさせた。

 

「いつまでも死人に拘ってんじゃねぇよ。んな事より、テメェんとこの店員を呼べ。紅い髪の男だ。いるんだろ?」

 

 おそらく、幹ヶ谷柘榴の事を言っているのだろう。しかし、彼は休みでここにはいない。

 

「柘榴さんをどうするつもりですか」

「アイツが何者か知りたいだけだ。そこらの人間とは根本的に異なっているようだが」

「柘榴さんが……?」

 

 夢羽が驚いたように声をあげる。その反応を見た神知は「……んだよ、テメェも知らねえのか」と呟いて、頤にかけていた手を首に移動し、夢羽の躰を持ち上げた。

 

「とっとと呼べ。それとも、ここで首をへし折られてぇか?」

 

 首を絞められた夢羽の顔が苦悶の色に染まっていく。

 店にいた客は我先にと逃げ出したり、壁に背をくっつけて震えながら成り行きを見守ったりと、千差万別であった。

 その中で、夜宵は腰にあるはずの銃に手を伸ばし──それがない事に気づいて唇を噛み締めた。風読決戦で小鳥に貸したあと、そのままにしていた事を忘れていた。

 葉月は拳銃を構えていたが、夢羽を盾にされているため、行動を封じられていた。調理場にいた朝倉亜美も様子を伺っていたが、やはり行動は起こせていないようだった。

 膠着状態のなか、ただ夢羽だけが着実に死へと向かっている。神知は葉月に顔を向け、「ほらほら、早く呼ばねえとコイツ死んじまうぞ?」と楽しそうに言った。

 

「待ってください! そもそも、柘榴さんはここにはいません!」

「……あ?」

 

 神知の目が不快そうに細まり、「嘘で乗り切ろうと思ってんじゃねぇだろうな」と低い声で問う。

 

「本当です! だから、夢羽さんを離してください!」

「それじゃ、コイツを殺せばすっ飛んで来るって訳だな?」

 

 神知が口の端を吊り上げ、夢羽の首を折ろうとする。

 それを見た夜宵は──

 

「やめてぇっ!!!!」

 

 喉が裂けるほどの絶叫を上げた。

 瞬間、彼女を起点として黒い闇が拡がった。

 床を覆うその中から黒い影が現れ、神知に襲いかかろうとする。

 しかし、彼の躰に触れようとした瞬間、影は消滅し、床も元に戻った。

 

「……テメェは」

 

 神知は夜宵を驚いたように見たあと、舌打ちをして夢羽の躰を投げつけた。

 葉月が咄嗟に受け止め、夢羽は咳き込みながら酸素を求めて喘ぐ。

 神知はそのまま歩いていき、ドアを蹴破って去っていく。

 それを追いかけた時には、既に彼の姿は消えていた。

 

「夢羽さん! 大丈夫ですか!?」

「う、うん。ありがとう……」

 

 夢羽が起き上がり、騒動で散らかった店内を片付け始める。

 店員や客もそれに協力し、店内には秩序が戻った。

 ただひとり、夜宵だけは釈然としない様子で、自身が起こした現象について考えていた。

 

(あの力は、いったい……)

 

   *   *   *

 

 一時間後、“探偵事務所 鴉の爪”での事。

 茨羽和樹は「小鳥、いるか?」と言いながら事務所のドアを開けた。

 

「いらっしゃい。小鳥ならまだ帰ってないぞ」

 

 机で事務作業をしていた無銘が顔を上げてそう言ったので、和樹は「おかしいなぁ。今日は会議があるのに、学校にもいないんですよ」と呆れと困りがミックスした表情で首を傾げた。

 

「和樹、赤坂はいたか?」

 

 そこへ鮮真翔一と茨羽帆紫、そして東爽介がやってきた。

 和樹は「いなかった。電話しても出ねぇし、どこいったんだアイツは」とため息をつく。

 と、居住スペースの方から足音がして、茶色い毛玉のようなものが飛び出してきた。それを見た無銘が「あ、コラ菫! おまえまたケージから脱走したな!」と慌てて立ち上がる。

 

「小鳥がいないとすぐこうだ……ほら、早く戻れ!」

 

 無銘が捕まえようとするが、菫はそれを躱し、和樹たちの元へと辿り着いた。

 

「菫ちゃんも会議に出る? あそこならおやつもあるよ」

 

 帆紫が優しい声で言うと、菫はしっぽをブンブンと振った。おやつという単語に反応したのだろう。

 

「行きたいみたいだな。無銘さん、菫を連れて行っても大丈夫ですか?」

「まったく……よければ連れて行ってやってくれ。そいつ、オレの言う事はきかないし、小鳥と合流させた方がいいかもしれないし」

 

 頭をガリガリと掻きながら無銘がそう言ったので、四人は菫を連れて外に出た。

 

「そういえば、おまえアリナ……じゃなくて桜庭に飼われていたんだよな。アイツの事、なにか知っているのか?」

 

 翔一がそうきくと、菫は彼をじっと見つめた。

 しっぽの揺れが収まり、菫は元きた道を引き返し、どこかへと歩き始めた。

 

「あ、おい! そっちじゃないぞ!」

 

 四人は慌てて追いかけるが、途中で狼に変化した菫の足は早く、翔一や爽介の異能力を使ってやっと追いつけるという有様だった。

 

「どこに行くつもりなんだ……!」

「わかりません。でも……足取りに迷いがない。まるで、どこかに連れていこうとしているような……」

 

 そのまま追いかけていくと、やがて細い路地に入り込んだ。

 菫は奥深くに向かっていく。それを追うにつれ周りの景色は暗く殺風景な、しかしどこか異様な雰囲気を纏うものへと変化していく。

 

「不思議の国のアリスみたいだよね……」

「こんなアリス嫌だろ……ってか、どこまで行くつもりだ……」

 

 前を走る翔一と爽介に追いつこうと息を切らしながらも、茨羽姉弟がそんな会話をしていると、やがて菫が足を止めた。

 路地の突き当たりに、古ぼけた小屋がある。風化が激しく、錆が浮いた、みすぼらしい小屋だ。

 鍵はかかっていないようで、菫は動物用に設えられた小さなドアを開け、その中に入っていく。四人もそれを追いかけて中に入った。

 外見に違わず、中はがらんとしていた。家具といえば中央に置かれた簡素なテーブルくらいのもので、あとはなにもない。

 

「ここ……多分、人が住んでたんだよ。家具はないけど掃除が行き届いてる」

 

 帆紫が周りを見ながら呟くと、爽介もそれに同意する。

 和樹も何の気なしに部屋を見回して、テーブルの上になにかが置いてあるのを見つけた。

 

「これは……手帳?」

 

 黒革の手帳はボロボロで、一目で使い込まれたと分かる。

 ページを捲ると、所々が変色していた。和樹の肩越しに覗き込んだ爽介が、「これ……血で変色してます」と声を上げる。

 

「なんでこんなものが……」

 

 菫はこれを見せたかったのだろうか、と思いながらページを捲っていき、そこに書かれた内容を認識した途端、和樹は「翔一!」と声を上げていた。

 

「どうした?」

「これ……おまえの親父さんの手帳だ」

「……え」

 

 翔一が手帳を奪い取り、そこに書かれた内容を見る。

 

「親父の手帳……でも、なんで、ここに」

 

 翔一は貪るように内容を読んでいたが、やがてとある記述を見つけると、「もしかして、これのせいか」とみんなに手帳を見せた。

 全員が躰をくっつけ、手帳の内容を読む。

 

 そこには、鮮真翔一の父親──鮮真練血の、()()()()()が記されていた。

 

   *   *   *

 

 同時刻、津奈木第三ビル前。

 夜宵は小鳥たちと合流し、外で立ち話をしていた。

 

「でも、よかったよ。よいちゃんが元気になって」

 

 小鳥が言うと、その隣にいた朝倉紗由と神永楓も頷く。

 

「なかなか治らないからどうなるかと思ったけどね」

「でも、夢はまだ見るんでしょ?」

 

 楓の問いに、「うん……」と不安を滲ませて答える。

 

「あれがなければ、もう大丈夫なんだけど……自分でもなんで見ているのか分からないから、少し怖いかな」

「まあそうだよね……紗由、夢を晴らす装置とか作れないの?」

「楓、過大評価しすぎ。私、ただの鍛冶屋なんだけど……」

 

 そんな会話を繰り広げているうちに、小鳥が「そういえば、和樹たち遅いね」と言って携帯端末を見た。

 

「ありゃ、充電が切れてる」

「全く……でも、確かに遅いね。いつもなら先に来ているのに」

「電話でもしてみる?」

 

 まさか和樹たちが自分を探しているとは夢にも思わず、楓が携帯端末を取り出した、その時──

 

「……小鳥?」

「えっ?」

 

 急に名前を呼ばれ、小鳥が顔を上げる。

 ビルの前の横断歩道を渡ってやってきた少女──香恋ほまれが、彼女を見上げていた。

 

「ほまれ!? どうしてここに?」

「ちょっと用事があって。紗由も久しぶりね」

「久しぶりってほどでもないけどね。元気そうでよかった」

 

 村はどうなってるの? と紗由がきくと、ほまれは表情を曇らせ、「……そういえば、そのふたりは?」とはぐらかすようにきいた。

 

「あたしは神永楓! よろしくね!」

「わたしは皐月日夜宵です」

 

 ふたりが名乗ると、ほまれは夜宵の方をじっと見つめ、

 

「……どこかで会った?」

 

 そう呟いた。

 

「えっ?」

「私、香恋ほまれというのだけれど」

「香恋……ほまれ」

 

 その名前を、目の前の少女が言った瞬間、

 夜宵の中で、記憶の扉が軋み、ゆっくりと開いた。

 

「そうだ、わたし、あなたの事、知って……っ」

 

 夜宵はふらふらと後ずさり、頭を抱えてしゃがみこむ。

 

「よいちゃん!? どうしたの!?」

「ちょっと、大丈夫!?」

 

 小鳥たちが夜宵を支える。夜宵は虚ろな表情でなにかを呟いていたが、やがてその目にひかりが戻り、ほまれをじっと見た。

 

「……ほっちゃん?」

「え」

 

 ほまれは呆けたような声を上げ、目を見開く。

 

「その呼び方……なんで、それを」

「……? だって、ほっちゃんはほっちゃんだよ」

「嘘、まさか、そんな……」

 

 本当に、生きていた。

 ほまれはそう呟いて、目の前の光景がまだ信じられない様子で夜宵を見た。

 

「ほまれ、どうしたの?」

 

 小鳥の声に答える事なく、ほまれは夜宵から視線を離さぬまま、その目に涙を溜めて、彼女の名前を呼んだ。

 

 

「会いたかったわ……()()()

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