無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
鮮真練血が愛知県を訪れたのは、仕事のためだった。
練血は吾河県冬天市にある異能研究所の職員である。異能研究所の上部組織である異能省は東京都にあり、異能研の関西分所は大阪府にあるため、プライベート以外で愛知県を訪れる事などそうそうない。
それにも関わらず練血がこの県を訪れたのは、異能研(正確にはその下部組織である異能対策室)が追っていた犯罪者が県外に逃げ出したからだ。
その犯罪者──
全国に指名手配をし、微かな目撃情報から居場所を探り続け、ついに辿り着いたのが愛知県だったというわけである。ここまで来るのに二年近く経過しており、なんとしてもここで捕まえる必要があった。
異能対は多忙な事もあり、メンバーのなかで現地に向かえたのは練血のみだったが、たまたまスケジュールが空いていた茨羽巧未が同行を申し出てくれたため、ふたりで向かう事になった。
加えて、関西分所からも人員を派遣してくれる事になっていた。冬天市ほどではないものの、大阪府でも異能絡みの事件は起きているため、茨羽のような外部協力者を派遣してくれるとの事だった。無論、面識はない。
「相手は変身能力を持ってるけど、たしか符丁を用意してるんだよな?」
名古屋駅からレンタカーを利用し、小暮の目撃情報があった地点へと向かう途中、茨羽が運転しながらきいた。
「ああ。バレるのを防ぐため、今まで黙っていたけど……こんな感じで進めるつもりだ」
練血が符丁とそれを用いた作戦を教えると、茨羽は「変な符丁だな……」と呆れた様子で言った。
「協力者ってのは相当な物好きらしくてな。これがいいって言ってきたんだ」
「ま、ここまで変な符丁ならバレる心配もないな。とっとと捕まえて、土産でも買って帰るか」
「そうだな。陽香さんが預かってくれているとはいえ、翔一のためにも早く戻りたいよ」
息子の顔を思い浮かべながら、練血は呟く。
翔一は陽香が預かってくれているため、今は茨羽家にいる。職業柄、家を空ける事は少なくないため、翔一も慣れているだろうが、県外への出張などそうそうある機会ではないため、できれば早く戻りたいところではあった。
「アイツはいい子に育ってくれたよ。ただ聞き分けが良すぎるというか……内心では寂しがっているはずなのに、それを表に出さねぇんだ。それが少し心配でな」
「翔一くんも、おまえの事を心配してるんだと思う。男手ひとつで育ててくれた親父に迷惑かけないようにしてるのかもしれないしな。だからこそ、早く片付けて元気な姿を見せてやらないとな」
「……ああ、そうだな」
練血が頷いた時、彼の携帯端末が振動した。
どうやら、目的地に着いたようだ。
「目撃情報があったのはここか。いかにもなにか潜んでそうな場所だな」
練血は心中に浮かんだ感想をそのまま口に出す。
そこは郊外にひっそりと建つ廃工場だった。数年前に経営難で潰れた工場で、立地が悪く再利用の目処も立っていないために放置されている。
普段はあまり人も来ないような場所だが、たまたまこの付近を通りがかった人が工場に入っていく人影を目撃。不審に思い警察に通報したところ、小暮の可能性が高いという事になり、異能対策室に情報が回ってきたという訳である。
正門の前で車を止め、音を立てぬようにゆっくりと降りる。茨羽と顔を見合わせ、正門から突入しようとした、その時──
「アンタらが異能対の人かい?」
背後から肩を叩かれる。
反射的に振り向き放った裏拳は、側頭部に直撃する直前で止められていた。
「そう警戒すんな。おれさまはおまえらの味方だよ」
そこで初めて、練血は相手の顔を見た。
アロハシャツを着た軽薄そうな男で、髪には白いものが混じり始めているが、皺は少ないため、年齢を推し量ることは難しい。
男は練血の拳を離すと、「ところで……」とふたりの顔をじっと見つめた。
「アンタら、ペット飼ってるか?」
「ああ」
ふたりが答えると、男は「そうか」と呟き、ふたりの顔をじっと見た。
「というか、おまえの名前は?」
「なんだ、きいてないのか? おれさまは
男──獅子尾せいじはそう名乗ると、「で、ここが小暮ってヤツの隠れ家か?」と工場を見上げた。
「ああ」
「んじゃ、とっとと済ましちまおうぜ」
獅子尾の声を契機として、三人は工場の中へと足を踏み入れた。
あちこちに鉄くずが散らばっており、遮蔽物になるような重機も置かれている。隠れる場所には事欠かないだろう。
「広いし、分かれて探した方がいいと思うぜ」
獅子尾がそう提案する。
ふたりはそれに同意し、3人で分かれて探す事にした。
練血は食堂や事務室など、工場の内部を探る事になった。襲撃に備えて警戒しつつ、人が隠れられそうな場所を片っ端から探っていく。
それを十分ほど続けた、その時、
「……ッ!」
背後に気配を感じ、咄嗟に身を捩る。
一瞬の後、練血の肩にナイフが突き刺さっていた。
鮮血が飛び散る。それを浴びた襲撃者は、忌々しげに舌打ちをして、「……殺すつもりだったんだがな」とその姿を現した。
「参考までに。どうして分かった?」
「……アンタが符丁を言わなかったからだよ。獅子尾せいじさん……いや、小暮泰博」
その言葉に、獅子尾せいじの姿をした男は肩を竦め、変身を解いた。
現れたのは、髭を生やしたボサボサ髪の男。逃亡生活のせいか、手配書より窶れ、人相が変わっていたが、紛れもなく小暮泰博の姿であった。
「おかしいなぁ……おれが掴んだ情報だと、アレで合ってたはずなんだが」
「その情報は意図的に流したものだ。おまえみたいなマヌケをおびき出すためにな」
「そうかぁ。でも残念だよ、鮮真のダンナ」
小暮はくっくっと掠れた笑い声を上げ、中腰になりナイフを構える。
「お仲間が来るのには時間がかかるだろ。それまでにおまえを
「言うじゃねえか臆病者。そこまで言うならかかってこい」
その声を契機として、小暮はナイフを構えて突進する。その姿はいつの間にか茨羽のものへと変わっており、ナイフの刃先は焔を纏っていた。
「お仲間の異能で焼け死にな!」
「トーシロの刃なんざ、眠ってても避けられるよ!」
練血は首を狙った刃を軽々と回避し、小暮の首筋に手刀を叩き込む。
しかし、それが首に触れた途端、焼けるような痛みが走った。結果として痛み分けに終わり、小暮は激痛に汗を流しながらもニヤリと笑う。
「おれを舐めてもらっては困るなダンナ。異能対と協力者の異能なんざ、とっくに解析済みよ!」
「となると、俺の異能もバレてるか。躰に付いた血、拭っておく事をおすすめするぜ」
「ハッタリだな、ダンナの異能はそこまで便利なもんじゃねぇだろ。そもそも筋肉バカにそんな細かい芸当ができるのか?」
「全世界のマッチョを敵に回したな。今に後悔する事になるぜ」
そんな会話を交わしつつも、互いに次の出方を伺っている。
先に動いたのは小暮だった。茨羽の黒焔を操り、槍状にして練血に突進してくる。
「……そろそろかな」
そう呟き、練血はその場でしゃがんだ。
「諦めたなダンナ! あの世で筋トレでもしてな!」
喜色を浮かべ、小暮は練血に向かって槍を突き出す。
しかし、先に血を噴いたのは小暮の躰だった。
「な……」
槍は練血に届く寸前で止まり、槍を握っていた手が砕けていた。
小暮は震える目で視線を上げる。入口の近く、先程までは誰もいなかったはずのそこに、ひとりの男が立っていた。
「し、獅子尾せいじ……!」
「悪いな。ちょいとミルクちゃん……ウチの愛猫が体調悪そうだったんで、バタバタしてたら遅れちまった」
アロハシャツを着た年齢不詳の男──獅子尾せいじは、そう言って拳銃を下げた。
「安心しろ、ゴム弾だ。死ぬほど痛いが死にやしねえよ」
「テメェ、この野郎……!」
小暮は歯軋りして、汗を流しながらふらふらと立ち上がる。
「大人しくお縄につけ」
「こんな所まで来たんだ。テメェら全員ぶっ殺して、逃げ続けてやる!」
携帯型異能力を掲げた小暮は獅子尾の姿に変化し、拳銃を構えた。
「くたばれ!」
銃弾が飛来し、練血へと向かっていく。
ゴム弾とはいえ、大人を打ち倒すには十分な殺傷力を備えている。
しかし、練血はフッと笑みを浮かべて、
「助かったよ、茨羽」
そう言った。
銃弾は室内に飛び込んできた茨羽によって阻止されていた。正確には、茨羽の黒焔が銃弾を掴み、宙に固定していた。
小暮は状況を把握できない様子でぽかんとしている。その隙に練血が腕をねじりあげ、彼を制圧した。
「一件落着だな」
携帯型異能力を確保し、暴れる小暮を指錠で拘束していると、獅子尾が練血の方へと近づいていき、旧い友人に接するかのようにその肩を叩いた。
「助かったよ。本物の獅子尾せいじさん……で、いいんだよな?」
「ああ。ところでアンタ、ペット飼ってるか?」
「え? あ、ああ」
「なら今度、その子のお尻をさわさわさせてくれ。そうすりゃ、関西分所に請求する額が半額になる。そういう契約なんだ」
この一連の会話が、獅子尾から指定されていた符丁であった。
しかし、小暮は制圧しているため、符丁を言う意味はない。となると、これは本心からきいているのだろうか。
「で、どんな子を飼っているんだ? 犬か? それとも猫か? ああいや、鳥か魚って線もあるか。いずれにせよオールオッケーだぜ!」
「えーと……」
助けを求めて茨羽の方を見たが、諦めたような視線で返される。
クセが強い奴だなと思いながら、練血は獅子尾の質問にどう答えるかを考えたのだった。
* * *
小暮を引き渡し、獅子尾と別れた頃には日がとっぷりと暮れた後だった。
今から帰るには遅すぎるので、この町で一泊する事に決め、適当な宿を取り酒を酌み交わした。
温泉に浸かって疲れを癒したのち、日付が変わる前には床に着いた。
昼間の捕物でそれなりに疲れていたらしく、眠気はすぐにやってきた。
夢を見た。
俺の息子が……翔一が、寂しそうな顔でこちらを見ている。
どうしたんだ、と声をかけようとしても声が出ない。それどころか、躰が存在していないようで、意識だけがそこにあった。
翔一が寂しそうな顔を見せるのは、これが初めてだ。俺がずっと、我慢をさせてしまったから。
心配するな、と伝えたかった。おまえには俺がついている。だから大丈夫だと。
でも、それはできなかった。
なぜなら、俺は……
──枕元で電話が鳴っていた。
その音に揺り動かされ、意識が鮮明になっていく。
辺りは闇に支配されていて、時間すらも分からない。寝ぼけ眼のまま携帯端末を探り当て、通話ボタンをタップした。
「……はい、鮮真です」
『あっ鮮真さんですか!? ワタクシ異能研関西分所の
「傘鷺……あ、小暮を連行した時に会った方でしたよね」
確かにそんな名前の男と会った覚えがある。
しかしこんな夜中になんの用だろうか。
ぼんやりした頭を回そうとする練血とは対照的に、傘鷺は慌てた様子でその事実を伝えた。
『じっ実は、小暮泰博が何者かに殺されて……それで、携帯型異能力が持ち去られてしまったんです!』
「……なんだと? 一体誰がそんな事……」
『とっとにかく、今すぐこちらに来ていただけますか! せいじさんにも伝えておきますので!』
「分かりました。すぐ伺います」
練血はすぐさま着替えを済ませ、隣の部屋にいた茨羽を叩き起こす。
そうしてふたりは、夜の闇の中へと飛び出していった。