無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
鮮真練血と茨羽巧未が異能研からの連絡を受けて現場に向かおうとしていた、ちょうどその頃。
獅子尾せいじも同様の連絡を受け、現場に向かっていたところだった。彼の
(しっかし、ツイてねぇよなぁ)
歩みを止めぬまま、心中でそうひとりごちる。気持ちよく眠っていたところを叩き起こされ、しかも電話の音で愛猫が目を覚ましてしまったため、宥めるのにかなりの時間を要した。仕事なので文句を言える立場ではないのだが、ため息のひとつもつきたくはなる。
(ま、これも仕事だ。さっさと済ませてミルクちゃんのお尻でもナデナデしますかね)
獅子尾せいじは三度の飯より動物のお尻が好きという、極めて特殊な性癖を有していた。彼の躰はあちこちに生々しい傷跡が残っているが、これは戦闘でついたものではなく、動物のお尻を触ろうとして反撃に遭ったためについたものである。
なかでも愛猫のミルクのお尻がいちばんのお気に入りで、先程ひと仕事終えたあとも触り倒していた。無論、この仕事が片付いたあとにも触り倒すつもりである。
それを楽しみにしながら、歩を進める。そして異能研究所の関西分所が見えてきたところで、視界に映った光景を見て足を止めた。
「アンタは……」
五メートルほど前に、ひとりの男が立っている。細身で長身、深緑色の長髪と紫色の瞳を持つ男で、薄暗い町のなかに溶け込んだ幽霊のような印象を抱かせる男だった。
獅子尾は男にはさほど関心を抱かなかった。彼の目線は男が抱えるもの──ぐったりと目を瞑る、一匹の白猫に向けられていた。
「ミルクちゃん」
それだけしか絞り出せない。
あとの感情は、男への敵意となって獅子尾の足を動かした。
獅子尾は自らの異能力──「気配遮断」の異能力を用いて姿を隠し、死角から男に近付いてミルクを奪還しようと試みた。
しかし男は獅子尾の気配を感じ取ったかのようにひらりと身を翻し、彼の手から逃れる。
「おっと危ない。でも残念、キミの能力は知ってるからね。そう易々と捕まらないよ」
獅子尾は異能を解除し、男に銃を向ける。
「ミルクちゃんを離しな。さもないと痛い目に遭う事になるぜ」
「おお、こわいこわい。でもこの子を抱えている限り、キミは撃てないだろう?」
図星だった。
僅かに顔を顰める獅子尾を見て男はニヤニヤと笑い、「そう怖い顔をしないでよ。別にこの子をどうこうしようって気はないんだ」とひょこひょこと躰を揺らしながら言った。
「ボクはキミに用事があるんだ。キミが従ってくれるなら、この子は無事に返すと約束しよう」
ただし、従わなかった時には……分かるよねぇ?
男は喜色を浮かべて舌なめずりをし、ミルクの腹をそっと撫でた。
「昔の話だけど、ボクが住んでいる街で猫が殺される事件が起きた事があるんだ。なんでそんな事をしたのかは分からないけれど……この子もそうなっちゃうかもねぇ?」
「……分かった。従うからミルクちゃんには手を出すな」
「どうもぉ〜」
いつの間にか、男は獅子尾の背後に立っていた。旧い友人にするように肩を抱き、耳元で囁く。
「大丈夫、そんなに難しい事じゃあない。キミは機械のようにそれを遂行すればいいだけだ。なにも考えなくていい。簡単だろう?」
その声をきいているうちに、躰が重くなり、瞼が下がっていく。
抗う気力も、男の声に奪い去られている。獅子尾はそのまま目を閉じて、意識のスイッチを切った。
* * *
練血と茨羽が関西分所に到着したのは、連絡を受けてから十分後の事だった。
連絡をくれた傘鷺は三十代半ばの男で、ひょろりと背の高い、落ち着いた雰囲気の男である。しかしいまは取り乱し、丸眼鏡の向こうにある目を白黒させていた。
「深夜の一時頃、留置所のほうで物音がしたので向かってみたら、小暮の首がなくなっていたんです。携帯型を保管していた保管庫も荒らされていて、見回りをしていた職員が殺されていました」
「監視カメラにはなにか映っていましたか?」
茨羽がきくと、傘鷺はふたりを監視室へと案内し、監視カメラの映像を再生した。カメラは二十四時間回してあるが、犯人はそれを意に介さず、堂々と殺人を行ったのだと傘鷺は説明した。
当外部分を見てみると、職員に成りすましたひとりの少女が関西分所に侵入し、小暮の首を刎ね飛ばす姿が鮮明に写っていた。途中で姿が変化していることから、変身系の異能力を所持していると考えられたが、そうなると新たな疑問が生じる。
「変身の異能力を持っているのに、小暮の携帯型を狙ったのはなんでだ?」
「わざわざ異能研に出向いて奪うくらいなんだから、なにかしらの理由があるんだろうよ。小暮の足取りと人間関係を洗い直した方がいいかもしれないな」
茨羽の言葉に頷いた練血は、「ああ。だがとりあえずは犯人をとっ捕まえるのが先だ」と言って、傘鷺に犯人の行方を尋ねた。
「山の方へと向かったようです……。あの山には狭霧村という村があります。もしかしたら、村になにかあるのかも……」
「分かりました。とりあえず、山の方へと向かいます」
練血と茨羽は傘鷺から車を借りて、遠くに黒々とそびえ立つ山に向かってアクセルを踏み込んだ。
* * *
車を走らせる道中、茨羽が「変身能力持ちだが、どうやって見つける?」ときいた。
「山で不審な人間を見つけたら、話しかけてみるしかないな。こちらの身分を明かした上で話せば、もしかしたら殺しにくるかもしれないだろ」
「……そこを捉えると? 力技すぎないか?」
「っていっても、ほかに方法がない。山に続く道はここだけみたいだし、遅すぎなきゃ鉢合わせるだろ」
「……まぁ、地道に探すしかないか。最悪、応援を呼んで広範囲で捜索するしかないな」
そんな会話をしつつ車を走らせていると、ヘットライトに人影が照らされた。
ふたりが見知った男で、その手に握られていたのは──
「……! 止まれ茨羽!」
練血が叫ぶのと同時に、フロントガラスが割れる。
男が放った銃弾は運転していた茨羽を掠め、茨羽が咄嗟に踏んだブレーキでタイヤが悲鳴をあげた。
車から降りると、練血は男の方を向いて、「アンタ、本物の獅子尾さんか?」ときいた。
「ああ。本物だ。ペットを飼っていて、名前はミルクちゃん。彼女のケツを撫でる事に至福の快楽を覚える……と、ここまで言えば本人だとわかるか?」
「どうだかな。小暮を殺した変身野郎かもしれないし、そもそも獅子尾さんが俺たちに銃を向ける理由がないだろ」
「……俺様にはあるんだ。茨羽さん、鮮真さん……申し訳ねぇが、ここでくたばってくれ」
獅子尾の声には抑揚がなく、言わされているようにも思える。
隣の茨羽もそう思ったらしい。「ここは俺に任せて、先に行け」と小声で伝えてきた。
「だが、お前……」
「大丈夫だ。獅子尾さんを無力化したら、すぐに追いかける。だから頼むぞ……練血」
「……ああ。任せろ」
練血は車に乗り込み、車体を軋ませて発進させる。
獅子尾はそれを見送り、茨羽に銃を向けた。
「妨害してくるもんだと思っていたが」
「ひとりでも足止めできりゃいいみたいなんでな。……俺様だって、本当はこんな事したくない。だけど、こうしないとミルクちゃんが危ねぇし、
「そこも含めて、事情をきかせてほしいんだがな。そっちがその気なら、まずは無力化するまでだ!」
獅子尾の銃が火を噴き、茨羽の焔がそれを迎え撃つ。
しかし茨羽は、後になってこの決断を後悔する事となる。
練血と共に獅子尾を無力化していれば、この後に起こる悲劇は防げたかもしれないからだ。
しかし起こってしまった事に対して、人はあまりにも無力である。故に物語は悲劇へと進んでいくのであるが、この時の茨羽巧未に、それを知る術はない。
* * *
山の入口で車を降り、体力に物を言わせて登山コースを登っていく。
整備されたコースを進んでいくと、道が二手に分かれた。設置された看板には「↑頂上 →狭霧村」とくっきりした字で書かれている。
練血は一瞬考え込んだあと、狭霧村の方へと歩を進める。しかしその歩みはすぐに中断される事となった。
真っ暗な山道に、ひとりの少女が佇んでいる。その手には、小柄な体躯に似つかわしくない大鎌を携えていた。
「……異能研の人?」
「その見た目で、俺を見てそう聞くって事は、アンタが小暮殺しの犯人か?」
練血の質問に、少女は淡々と答える。
「……そうだと言ったら?」
「話をきかせてもらう。なんのためにあんな事をした?」
「仕事。そう依頼された。そしてここで貴方を止めるのも、私の役目」
「そうかい。なら、やる事はひとつだな」
練血は腕に傷をつけ、流れ出た血を刃に変える。
少女は緩慢な動作で大鎌を構え、紅い瞳を妖しく輝かせた。
「私は意志アリナ……楽しませてね、異能研の人」
「鮮真練血だ。生憎だが、すぐ終わらせる!」
闇の中、紅い刃と銀の刃が交差し、戦闘が始まった。
──そしてこの戦闘が、小桜みなもという少女の運命を、大きく左右する事となる。