無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#34「Believe yourself」

 ぼんやりとした夢を見ていた。

 あれは、いつの事だったか…自分がヒーローになろうと決意した時の夢だった。

 両親が死んで、恩人と出会って、その恩人も死んで―その時、決意したんだ。

 恩人の赤いマフラーと共に、ヒーローになるという決意も継いだんだ。

 そこから、俺が…茨羽巧未が始まった。

 理想に至る道は果てしなく。

 長い、永い道程を進む事になっても。

 俺は、ヒーローになりたかった。

 

 全てを救う事は出来ないかもしれない。

 だけど、目の前にあるものは救う…それがヒーローってもんじゃないのか?

 …なら、俺は此処で立ち止まっていられないだろう。

 大切な存在を、陽香を護る為に戻らなければ。

 それが、死んでしまった霧風との約束でもあるのだから。

 

   *   *   *

 

 目を開ける。

 視界に映るは白い天井。そんな常套句じみた光景を見て、自分がまだ死んでいないと実感した。

 自分は神知と戦って、そして…そこまで思い出した所で、自分が護るべき存在の事が頭に浮かぶ。

 

「陽香!」

 

 がばりと身を起こして、辺りを見渡す。何処かの病室の様だった。そして―そこには自分以外に、もうひとつの人影があった。

 陽香では無い。長い黒髪に眠そうな表情の男―逆浪光は茨羽が起きたのを見ると読んでいた本から視線を離し、茨羽の方を見た。

 

「陽香さんなら無事ですよ、あとおはようございます、生きていて何よりです」

「…光」

 

 なんでコイツがこんな所にいるのか…茨羽が困惑していると、逆浪が「とりあえず状況説明するんで横になって下さい。まだ全快とは言えないんですから」と本をパタリと閉じながら言った。

 言われた通りにすると、逆浪は教科書を朗読するかの様に淡々と説明を始めた。

 

「まず、ここは冬天市内の病院で、先輩が澪標の路地裏で発見されてから三日が経ってます。三日間で回復したのには驚きましたが…というか生きていた事自体奇跡みたいなものなんですが、とりあえずここは死後の世界とかじゃないんで安心してください」

 

 茨羽は頷く。逆浪は話を続けた。

 

「先輩を刺した男についてですが、警察に捕まりました。ただその後直ぐに釈放されて、昨日死んだそうです」

「…は?」

 

 死んだ?小暮が?

 混乱する茨羽をよそに、逆浪は淡々と話を続ける。

 

「まあ、多分螺鈿會の仕業でしょうね…消されたって事でしょう。で、その螺鈿會ですが、澪標から撤退しました」

「じゃあ、本部は…」

「二日前…だったかな、俺が本部に行った時は(もぬけ)の殻でした。行方は分かりません。あ、今更だけど事情は全部把握してます…亮一達が、彼処にいた事も」

 

 一瞬、逆浪の表情が曇った。だが直ぐに元の無表情に戻り、説明を続ける。

 

「次に陽香さんの事ですが…風読家に連れ戻されました。かなり抵抗したみたいでしたけどね…裏の世界の連中は元の場所に戻ったそうです」

 

 逆浪は茨羽の顔を見る。何をすべきかは分かっているだろう―その目がそう言っていた。

 

「あと最後に…これが一番重要なんですが…」

 

 そこで逆浪は口ごもった。茨羽が続ける様に言うと、少ししてから(ようや)く口を開いた。

 

「…神知の遺体は見つかりませんでした」

「…つまり?」

「十中八九、生きてるでしょうね」

 

 茨羽は溜息をつく。神知があのくらいでくたばるとは思っていなかったが、それでも気が重くなる。

 

「ま、大事な事はそんなところですかね。とりあえず大丈夫そうなんで俺は帰ります」

「…分かった、色々迷惑かけたな」

「気にしないでください」

 

 逆浪はニッと笑い、病室を出ようとする。その背中に質問をぶつけた。

 

「…そういえば、誰が俺達を見つけてくれたんだ?」

「…さあ、誰でしょうね」

 

 答えは分かっていたが、逆浪の返答で確信に変わった。

 変な所で素直じゃないヤツだと思いながら、茨羽は逆浪を見送った。

 

 さて、と茨羽は思う。

 考えたい事は色々とあったが、とりあえず後回し。

 今は、自分がやるべき事をやらなくては。

 

   *   *   *

 

 欠けた月が窓から見えた。

 夜の闇の中で、風読陽香はひっそりと泣いていた。

 小暮が茨羽を刺した後の事は良く覚えていない。気付いたら風読家の自室に居て、目の前には父親が立っていた。

 陽香は抵抗したが、彼は何も言わずに、陽香をこの場所に監禁した。

 あれから三日。茨羽は、裏の世界の人達はどうなったのだろう。

 最後に見た茨羽の姿がフラッシュバックし、また涙が零れる。

 

「…巧未くん」

 

 彼は生きていると、そう信じたい。

 だが、どうしても(いや)な想像が頭を過ぎる。

 散々泣いて、惨めな程床を掻きむしって、それでも厭な想像は消えない。

 いつしか泣き疲れ、陽香は床で眠っていた。

 

   *   *   *

 

「陽香ちゃん」

 

 夢の中で、霧風が自分に笑いかける。

 

「心配する事はねぇよ、双焔はそう簡単にくたばらねぇ。それに、オレはアイツに陽香ちゃんの事を託したんだ。それを裏切ってこっちに来ようものなら、オレが元いた世界に送り返してやるよ」

 

 霧風は楽しそうに笑い、それから真剣な表情になる。

 

「…自分を信じて明日へ向かうんだ。今の陽香ちゃんに必要なのはその気概だぜ。一時の絶望に吹き飛ばされそうになってないで、希望を抱いて前に進むんだ。そうすりゃ、そんなに悪い結果にはならねぇよ」

 

 それからニヤリと笑い、楽しそうに言う。

 

「―そら、英雄のお出ましだ」

 

   *   *   *

 

 陽香は短い夢から覚めた。

 何処からか風が吹き込んできて、陽香の髪を揺らす。その出処を探そうとして…陽香は固まった。

 開け放たれた窓の向こうに、茨羽巧未の姿があった。

 

「…巧未くん」

「迎えに来たよ、陽香」

 

 茨羽は優しい表情で言う。

 ああ…間違いない。

 本物の、彼だ。

 言葉が上手く出ないまま、陽香は震える手を伸ばす。

 その手を茨羽が掴み、そして…。

 

「…一緒に行こう」

「…うん!」

 

 窓を抜けて、外の世界へ。

 建物の屋根を渡り、進んでいく。

 茨羽にお姫様抱っこされた陽香は彼の首に手を回し、ギュッとしがみつく。

 安心したのか、涙が零れた。

 でもそれは、悲しい涙ではなく安堵の涙だった。

 目を瞑ると、脳裏で霧風が「よかったじゃねぇか」と笑っている気がした。

 ありがとうと、陽香も笑顔で言った。

 偽りでは無い、本当の笑顔だった。

 それに気付いた陽香は、もうひとり、自分を見守ってくれている少年にそっと呟いた。

 

 ―私、本当に笑えているよ…ハルくん。

 

 …ふたつの影は、夜の中を静かに進んで行った。

 

 

 ヒーローを目指す青年。

 本当の笑顔を取り戻した少女。

 ふたりの物語は、新たにここから始まる。

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