無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
ぼんやりとした夢を見ていた。
あれは、いつの事だったか…自分がヒーローになろうと決意した時の夢だった。
両親が死んで、恩人と出会って、その恩人も死んで―その時、決意したんだ。
恩人の赤いマフラーと共に、ヒーローになるという決意も継いだんだ。
そこから、俺が…茨羽巧未が始まった。
理想に至る道は果てしなく。
長い、永い道程を進む事になっても。
俺は、ヒーローになりたかった。
全てを救う事は出来ないかもしれない。
だけど、目の前にあるものは救う…それがヒーローってもんじゃないのか?
…なら、俺は此処で立ち止まっていられないだろう。
大切な存在を、陽香を護る為に戻らなければ。
それが、死んでしまった霧風との約束でもあるのだから。
* * *
目を開ける。
視界に映るは白い天井。そんな常套句じみた光景を見て、自分がまだ死んでいないと実感した。
自分は神知と戦って、そして…そこまで思い出した所で、自分が護るべき存在の事が頭に浮かぶ。
「陽香!」
がばりと身を起こして、辺りを見渡す。何処かの病室の様だった。そして―そこには自分以外に、もうひとつの人影があった。
陽香では無い。長い黒髪に眠そうな表情の男―逆浪光は茨羽が起きたのを見ると読んでいた本から視線を離し、茨羽の方を見た。
「陽香さんなら無事ですよ、あとおはようございます、生きていて何よりです」
「…光」
なんでコイツがこんな所にいるのか…茨羽が困惑していると、逆浪が「とりあえず状況説明するんで横になって下さい。まだ全快とは言えないんですから」と本をパタリと閉じながら言った。
言われた通りにすると、逆浪は教科書を朗読するかの様に淡々と説明を始めた。
「まず、ここは冬天市内の病院で、先輩が澪標の路地裏で発見されてから三日が経ってます。三日間で回復したのには驚きましたが…というか生きていた事自体奇跡みたいなものなんですが、とりあえずここは死後の世界とかじゃないんで安心してください」
茨羽は頷く。逆浪は話を続けた。
「先輩を刺した男についてですが、警察に捕まりました。ただその後直ぐに釈放されて、昨日死んだそうです」
「…は?」
死んだ?小暮が?
混乱する茨羽をよそに、逆浪は淡々と話を続ける。
「まあ、多分螺鈿會の仕業でしょうね…消されたって事でしょう。で、その螺鈿會ですが、澪標から撤退しました」
「じゃあ、本部は…」
「二日前…だったかな、俺が本部に行った時は
一瞬、逆浪の表情が曇った。だが直ぐに元の無表情に戻り、説明を続ける。
「次に陽香さんの事ですが…風読家に連れ戻されました。かなり抵抗したみたいでしたけどね…裏の世界の連中は元の場所に戻ったそうです」
逆浪は茨羽の顔を見る。何をすべきかは分かっているだろう―その目がそう言っていた。
「あと最後に…これが一番重要なんですが…」
そこで逆浪は口ごもった。茨羽が続ける様に言うと、少ししてから
「…神知の遺体は見つかりませんでした」
「…つまり?」
「十中八九、生きてるでしょうね」
茨羽は溜息をつく。神知があのくらいでくたばるとは思っていなかったが、それでも気が重くなる。
「ま、大事な事はそんなところですかね。とりあえず大丈夫そうなんで俺は帰ります」
「…分かった、色々迷惑かけたな」
「気にしないでください」
逆浪はニッと笑い、病室を出ようとする。その背中に質問をぶつけた。
「…そういえば、誰が俺達を見つけてくれたんだ?」
「…さあ、誰でしょうね」
答えは分かっていたが、逆浪の返答で確信に変わった。
変な所で素直じゃないヤツだと思いながら、茨羽は逆浪を見送った。
さて、と茨羽は思う。
考えたい事は色々とあったが、とりあえず後回し。
今は、自分がやるべき事をやらなくては。
* * *
欠けた月が窓から見えた。
夜の闇の中で、風読陽香はひっそりと泣いていた。
小暮が茨羽を刺した後の事は良く覚えていない。気付いたら風読家の自室に居て、目の前には父親が立っていた。
陽香は抵抗したが、彼は何も言わずに、陽香をこの場所に監禁した。
あれから三日。茨羽は、裏の世界の人達はどうなったのだろう。
最後に見た茨羽の姿がフラッシュバックし、また涙が零れる。
「…巧未くん」
彼は生きていると、そう信じたい。
だが、どうしても
散々泣いて、惨めな程床を掻きむしって、それでも厭な想像は消えない。
いつしか泣き疲れ、陽香は床で眠っていた。
* * *
「陽香ちゃん」
夢の中で、霧風が自分に笑いかける。
「心配する事はねぇよ、双焔はそう簡単にくたばらねぇ。それに、オレはアイツに陽香ちゃんの事を託したんだ。それを裏切ってこっちに来ようものなら、オレが元いた世界に送り返してやるよ」
霧風は楽しそうに笑い、それから真剣な表情になる。
「…自分を信じて明日へ向かうんだ。今の陽香ちゃんに必要なのはその気概だぜ。一時の絶望に吹き飛ばされそうになってないで、希望を抱いて前に進むんだ。そうすりゃ、そんなに悪い結果にはならねぇよ」
それからニヤリと笑い、楽しそうに言う。
「―そら、英雄のお出ましだ」
* * *
陽香は短い夢から覚めた。
何処からか風が吹き込んできて、陽香の髪を揺らす。その出処を探そうとして…陽香は固まった。
開け放たれた窓の向こうに、茨羽巧未の姿があった。
「…巧未くん」
「迎えに来たよ、陽香」
茨羽は優しい表情で言う。
ああ…間違いない。
本物の、彼だ。
言葉が上手く出ないまま、陽香は震える手を伸ばす。
その手を茨羽が掴み、そして…。
「…一緒に行こう」
「…うん!」
窓を抜けて、外の世界へ。
建物の屋根を渡り、進んでいく。
茨羽にお姫様抱っこされた陽香は彼の首に手を回し、ギュッとしがみつく。
安心したのか、涙が零れた。
でもそれは、悲しい涙ではなく安堵の涙だった。
目を瞑ると、脳裏で霧風が「よかったじゃねぇか」と笑っている気がした。
ありがとうと、陽香も笑顔で言った。
偽りでは無い、本当の笑顔だった。
それに気付いた陽香は、もうひとり、自分を見守ってくれている少年にそっと呟いた。
―私、本当に笑えているよ…ハルくん。
…ふたつの影は、夜の中を静かに進んで行った。
ヒーローを目指す青年。
本当の笑顔を取り戻した少女。
ふたりの物語は、新たにここから始まる。