無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
時系列は時系列は陽香編と亜美編の間となっています。
春風つばめの数少ない習慣として、日記を付けるというものがある。
日記と言っても大層なものではなく、身の回りで起こった事をまとめているだけの簡素なものだ。それでも、つばめは生きた証を残すかの様に毎日欠かさず日記を付けている。螺鈿會直属の孤児院にいた頃は日記なんて書いていなかったし、孤児院で得た僅かばかりの楽しい出来事も思い出として記憶しているだけだ。
だが、思い出はいつか忘れてしまう。だからつばめは自分の記憶を日記として保存しているのだ。最初は過去の思い出から始まり、徐々に現在へと近付けていったので、日記というよりは回顧録のようなものだといえる。
自らの過去に起因した内容を除けば、日記の内容は殆どが夢羽の喫茶店を手伝った話や住んでいるアパート―無題荘を掃除した話、知り合いである無銘らが行っている何でも屋もどきを手伝った話などである。つばめは学校に行っていない為、それくらいしか記す事がないのだ。といっても独学で勉強していたりもするので高校生程度の知識は持ち合わせているし、何なら逆浪より頭が良いと言われている程なのだが。
つばめは本当に見たままを記録する。過去を視る眼を持っているからなのか記憶力が良いからなのかは定かではないが、彼女の記述は過去をそのまま凝縮した様に正確なのだ。その下に書いてある感想は子供っぽいものなので余計にその正確さが際立つ。以前、無題荘の管理人である霧ヶ峰勘助に日記を読ませてみた所、逆浪と勘助が煎餅を醜く奪い合っている所を読まれ、その正確さに渋い顔をされた事がある程だった。
正確に記述された事象の下に、子供っぽくも幸せに溢れた感想…そんな何処か歪な記録でも、つばめにとっては毎日の楽しみなのだ。
つばめは基本、日記に未来の予定等は書かないようにしている。
だがその日だけは違った。その日の日記にはいつも通りの記述と感想の下に小さな文字でこう書いてあった。
―明日は無銘さんと出かける日。今から楽しみで、すこしどきどきする。いい日になるといいなぁ。
日記は開かれたままで机に置かれており、その近くに敷かれている布団にはつばめが横たわり、寝息を立てていた。
その顔は幸せそうで、日記に書かれている未来を夢で見ているのかもしれない。
次に日記を書く時、つばめがどんな事を書くのか…それはまだ不確定な未来であり、つばめには分からない事だ…きっと、幸せに満ち溢れた内容になるのだろうけれど。
だってこれは、幸せの日記。
少女が掴んだ、幸せな日常の記録なのだから。