無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
その廃工場は、町の外れに所在していた。
取り壊される最中だったのか、重機が放置されていたり、鉄クズの山が至る所にあったりと、お世辞にも環境が良いとは言い難い場所だ。
そんな廃工場に、逆浪の姿はあった。ここに猫殺しが潜んでいると勘助にきいたのだ。…恐らく、ちとせ失踪に関する何かしらの手掛かりも、ここにあると思われた。
逆浪は緊張感を纏いながら薄暗い工場内へと足を踏み入れた。内部も、鉄クズの山が目に付く。隠れる場所には困らないだろう。
注意深く進んで行き、奥の方に辿り着いた時、何かが足にぶつかった。何気無くそれを見て、逆浪は吐き気を覚えた。
それは…腹を割かれて内蔵を取り出された猫の死骸だった。顔を顰めながら前を向くと、前方に青年が立っているのが見えた。
「…来たね」
青年はそう呟き、一歩だけ逆浪の方へと近付いた。女と見間違える程の美青年だが、逆浪は彼を見た瞬間に硬直した。何となく、厭な雰囲気を纏った青年だと感じたからだ。
「…アンタが猫殺しか?」
逆浪がきくと、青年は頷いて、
「名前はジョニー・ウォーカーとでもしておこうか」
「笛でも作るつもりか?」
青年は冗談が通じた事に微笑みを浮かべ、「冗談だよ」と言った。
「ボクはアズラ。裏の世界の人間さ」
「…裏の世界?」
逆浪は勘助から教えられていたので裏の世界の事は知っていた。故に、自分が住む世界と相容れない世界の住人がこの場所に居る事に、違和感を覚えた。
「なんで裏の世界のヤツがこんな所に」
「別にいいだろう?ちょっとばかり…泊亮一くんに会いたかっただけさ」
「泊に?」
何故そこで亮一の名が出てくるのだと逆浪は訝しんだ。アズラはその様子を楽しそうに見て…それから、驚くべき事を口にした。
「亮一くんの眼、アレやったのボクだから」
「…あ?」
逆浪は目を見開いた。
「あの眼をお前がやったって事は…泊は、後天的な異能力者なのか?」
「そうだよ。あの眼…ボク達はパープルアイと呼んでいたけれど、とにかくあの眼はボクが居たグループが開発して、亮一くんにくっつけたんだ」
「……」
逆浪は暫く絶句していたが、やがて表情を歪め、震える声で言った。
「…お前、泊があの眼の所為でどれだけ傷付いてるのか、分かってるのか?」
「分からないね。彼とはさっき会ったばかりだから」
アズラは平然と言って、危害は加えてないよと付け加えた。
「あの眼の所為で、アイツはずっと孤独だったんだぞ…お前はアイツの人生を破壊したんだよ」
それだけで、逆浪が戦う理由は十分だった。目を閉じ意識を集中させ、脳裏に亮一の能力を思い浮かべる。
次に目を開いた時、彼の右目は紫に染まっていた。
「それは…そうか、キミが螺鈿會から逃げ出した模倣遣いか」
「知ってんのか」
「もちろん。裏の世界では有名人だからね」
嬉しくねぇなあと逆浪は呟き、身構えた。右目で見る世界は普段とは異なり、やけに鮮明に見えた。様々な情報が頭の中に雪崩込み、パンクしそうになる。
その情報の中に、ちとせがこの場所に居るという証拠がいくつか紛れ込んでいた。とりあえず目の前の男をぶん殴ればいいかという結論に達し、逆浪はアズラに飛びかかった。
アズラはそれを楽しそうに見て、そして―
* * *
翌日、亮一が学校に行くと、既にその噂が流れていた。
「逆浪ってあのロン毛?アイツも行方不明なの?」
「みんな疲れてるんだよ笑」
「まあアイツは髪伸ばしてるし、なんか変なヤツだからそういう事しても珍しくないだろうけどさ…」
「あたしたちもやってみる?面白いかもよ笑」
亮一は逆浪という生徒が昨日出会った男である事を思い出し、少しばかり憂鬱になった。
(結局、俺に関わるとみんな不幸な目に遭うんだ…)
呪詛の様に自分の内側で響く言葉。
それに身を委ねながら、亮一は目を閉じた。
もう、どうでもいいんだ。
* * *
その日の放課後、帰ろうと思い廊下に出ると、後ろから声を掛けられた。
「泊くん!」
振り返ると、そこに立っていたのは逆浪と一緒に居た女生徒…確か、日向美雪という名前だった気がした。
美雪は青冷めた顔で亮一を見て、泣きそうな声で言った。
「光くんが…」
「…逆浪がどうした」
「行方不明になって…猫殺しが…」
美雪の言葉は全く要領を得なかったが、猫殺しという言葉でピンと来た。
恐らく、アズラが関わっているのだろう。彼が猫殺しだとすればの話だが、然し亮一は確信を持っていた。
それでも尚、亮一は首を横に振った。
「俺には関係が無い話だ」
「そんな…もう頼れるのは泊くんしか…」
「放っておいてくれないか?アイツがどうなろうと、俺には…」
「―お前の人生を狂わせたのが、猫殺しだったとしてもか?」
その声は亮一の後ろから聞こえた。
振り返ると、杖をついた男がゆっくりとこちらに向かってくる所だった。片目は眼帯に覆われており、鋭い隻眼が亮一を睨みつけている。
「泊亮一だな。お前のその眼―誰がやったのか知っているか?」
「…誰だ、アンタ」
「霧ヶ峰さん…どうしてここに?」
美雪が目を丸くして男を見た。どうやら知り合いの様だ。
「光の事で呼ばれたんだ。全く…あの阿呆が…」
男は物憂げに呟いて、それから「霧ヶ峰勘助だ」と名乗った。
「お前の事はよく知っている…小学生の時に拉致され、異能を埋め込まれたんだろう」
「…どうしてそれを」
「お前を助けた
少しばかり、独り言をしてみようか―そう言うと、勘助は呟き始めた。
* * *
数年前の事だ。
裏の世界の無法者で構成された犯罪グループ「ヘルタースケルター」がひとつの実験を開始した。
自分たちが創り上げた全知全能の眼…「パープルアイ」を誘拐してきた子供に移植し、適合するかを確かめたのだ。
適合しなかった子供は全員死亡し、遂にあとひとり、表の世界から攫ってきた少年だけとなった。
その少年は奇跡的に適合し、生き延びた。耐え難い衝撃によって、実験の事や組織の事は記憶の奥底に封印されている様だったが…それでも、運が良かったと言えるだろう。
その後、表の世界のある刑事の活躍により、ヘルタースケルターは崩壊。少年は助け出された。
少年の心に深い傷を負わせ、人生を狂わせた事件はこうして終わりを迎えた。だが…少年が味わう地獄は、ここからが本番だった。
異能の制御は不可能だった。様々な人の秘密を暴いてしまった少年はこれをきっかけにクラスの人気者からいじめられっ子に転落、両親にも恐れを抱かれ父親は離婚した。
こうして、その少年は…泊亮一は孤独の殻に籠ることになった。
* * *
「猫殺しはヘルタースケルターの一員だった男で、パープルアイの実験にも関わっている。これなら事情が違ってくるだろう」
亮一は勘助の言葉に目を見開き、震える声で呟いた。
「俺、は…」
「泊亮一、お前が何を成すべきかは…」
勘助は鋭い瞳で亮一を見て、はっきりと言った。
「お前が決めるんだ」