無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
「ゲームセットだ。警察に引き渡すから大人しくしてろ」
逆浪は額に脂汗を浮かべており、顔色も優れない。それでもアズラに向ける視線は鋭いものだった。
「ゲームセット?莫迦だねキミは…ボクはまだ終わってないよ」
完全に追い詰められている筈だ。なのに余裕の表情を崩さないアズラに、亮一は薄ら寒いものを覚えた。
「何を言って…ッ!」
瞬間、アズラの姿が消えた。自分の姿を亮一達の視界から遮断したのだ。
だが、
「俺の眼なら…!」
亮一は眼帯を外し、アズラの痕跡を追跡する。
矢張りこの眼は規格外だ。一瞬で彼の居場所を把握した。
然し、
「…!おい逆浪、逃げろ!」
「え」
逆浪が驚いた声をあげた…瞬間、彼の胸から銀色の煌めきが飛び出る。
いつの間にか、アズラが逆浪の心臓にナイフを突き刺していた。
「…あ」
「ゲームセットだ。逆浪光くん」
アズラがナイフを奥までねじ込み、
いくつかの血管が切断された。
驚いた表情のまま、逆浪は血を吐き、
顔が苦痛に歪み、
それから、捻れる様に、
躰が崩れ落ち、
命が零れ落ち、
引き抜いたナイフに、赤が残り、
それを、亮一の眼は、
ただ、観察していた。
「…逆浪」
亮一は呆然と呟く。
彼の眼は、逆浪が死に近付き、助からない事を映し出していた。
横から、ドサリという音。見るとちとせが真っ青な顔をしてへたりこんでいる。
「莫迦ばかりだ、本当に…抵抗しなければもうちょっと楽に死ねたのに」
アズラは冷たい口調で言うと、逆浪を蹴り飛ばした。
それを見て、亮一の中に何かドロドロしたものが生産される。
今まで幾度と無く浮かび上がってきた感情。然し今生産されているものは、それより遥かに熱く、恐いものだった。
「…ソイツは」
亮一は震え声で呟く。
「ソイツは、死ぬべきじゃ無かった!」
叫んで、亮一はアズラに飛びかかった。
力任せに拳を振るう。眼を解放しているからか、脳のリミッターが外され、全能感が亮一を支配した。
然しその拳はアズラに届かない。遮断された拳はアズラの鼻先で止まってしまう。アズラは亮一を見て、嘲る様に嗤った。
亮一は何度も何度も殴り付けた。不可視の壁が壊れないと分かっていても、八つ当たりをする子供の様に何度も殴り付けた。
既に亮一の腕は壊れ始めていた。脳のリミッターを外すという事は普段とは段違いの力が出せるという事だ。そして同時に、その力は自分を壊す事にも繋がる。
「届け、届けよぉっ!」
「無駄だよ亮一くん、ボクの力の前には、キミなんて虫けらと同じ様なものだ…こんな風にね!」
アズラは壁を解除し、突き出された亮一の拳を避ける。それから素早く亮一に接近し、その勢いで膝蹴りを放った。
腹部にヒットした膝蹴りに亮一の息が止まる。すかさずアズラはメスを取り出し、亮一の首と胸部に突き刺した。
「…ッ、ああああああああぁぁぁあっ!」
殆ど初めて感じる痛みに、亮一は絶叫する。
「泊くん!」
その叫びで思考が正常に戻ったちとせは、すかさず能力を発動。熊に変身し、アズラに襲いかかった。
普通の人間なら一撃で殺せるであろう熊の爪は、然し不可視の壁に阻まれる。
これじゃキリが無い…ちとせは内心で焦った。
異能を使った戦闘自体初めての事なのだ。焦りで攻撃が杜撰になり、そこをアズラに突かれる。
痛みを堪えて起き上がった亮一が見たものは…熊の剛腕を躱してカウンターとばかりに五本のメスをその躰に突き立てたアズラと、崩れ落ちる熊の姿だった。
「高凪!クソっ…」
ちとせの変身が解け、元の姿に戻る。その髪を掴み、アズラは妖しい笑みを浮かべた。
「駄目じゃないか…キミは猫で居なきゃ…」
ちとせはぐったりして動かない。
亮一は藻掻くが動けない。
(このまま終わるのか。俺は、何も出来ずに…)
その時、ある違和感を感じた。
(…なんでアイツは、攻撃する前に俺たちの攻撃を避けたんだ?)
壁で防ぎながら攻撃すればいいのに、アズラはそれをしなかった。
(…まさか、壁と攻撃は両立出来ない?)
それなら、勝機はあるのではないか?
亮一はそう思い、動かない躰に力を入れた。
まだ眼は解除していない。
なら、まだ動く筈。
(…頼むよ、俺の眼…)
たとえ躰が壊れたとしても、
(俺に、お前を受け入れさせてくれ…!)
この眼で誰かを救えるのなら…!
「…おああああああああぁぁぁっ!」
みっともない叫び。
だが、躰は動いた。
「まだ起き上がるのか…
アズラはうんざりした様に言ってちとせから離れ、メスを構える。
亮一は拳を握り締め、アズラに突進した。
「突貫かい?そんな捨て身の攻撃がボクに効くわけないだろう」
亮一の拳をアズラは壁で防ぎ、再びカウンターを入れる。
銀色のメスが亮一の首筋に迫り…
「…なっ!」
アズラは驚きの声を上げた。
亮一が素早く屈み、メスを回避したのだ。
瞬間、足元を掬われる感覚。
何がどうなったのか分からないままアズラは地面に倒れ…亮一にマウントポジションをとられていた。
「まずは逆浪の分だ」
そんな声と共に、左頬に衝撃。
拳の勢いに首がちぎれそうになるかと思いながら、アズラは亮一にきく。
「驚いたな。何処で分かったんだい?」
「アンタは攻撃をする時壁を解除しないとなんだろ…見ていて分かったよ」
亮一は冷たい声で言って、
「次は高凪の分」
今度は顔面。歯が何本か折れ、鼻血を撒き散らしながらアズラは亮一に助けを乞うた。
「た、頼むよ…助けてくれよ…ボク、何もしてないし…」
「…何もしてない?馬鹿を言うなよ。逆浪を、高凪を、俺を…沢山の人を傷付けておいてよく言えるな」
亮一の眼がすっと細まり、近くにあった鉄クズの山から鉄パイプを引っ張り出す。
「そ、それをどうするんだい?やめ…グギャッ!」
アズラの言葉が終わらないうちに、亮一は鉄パイプを彼の顔面に叩き付けた。その顔は無表情で…アズラは自分が失禁している事にも気付かないまま、顔をぐちゃぐちゃに歪めて悲鳴を上げた。
「…くたばれ、クソ野郎ッ!」
亮一がもう一度鉄パイプを振り上げ、それをアズラに叩きつけようとした瞬間、
「ダメだよ、泊くん…」
弱々しい声に、亮一の手が止まる。
ちとせが薄目を開け、こちらを見ていた。
「…高凪」
「それ以上やったら戻れなくなるよ…それに、もう終わったんだよ」
アズラは完全に伸びている。
それを知覚して、亮一は鉄パイプを床に投げ捨て、アズラから離れた。
「…逆浪くんを、病院に連れていかなくちゃね」
「…ああ、そうだな…」
「…ねえ、泊くん」
ちとせが弱々しく微笑む。
「君はもう、ひとりじゃないよ。だから…」
その後の言葉は聞き取れなかった。
言い終わる前にちとせは意識を失い、亮一もまた、強い眠気を感じて床に倒れ込んだからだ。
(…病院に、電話しねぇと)
ポケットの中に入っているはずの携帯端末に手を伸ばそうとしたが…また、躰が動かない。
眠気が意識を支配していく。
それに抗う事も出来ないまま、亮一の意識は闇に落ちていった。