無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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今回からヒロインのひとりである亜美に焦点を当てた話となります。


#44「ラプラスの悪魔」―赤坂亜美の章―

「ぬあああああああっ!」

 

 間抜けな叫び声と共に、逆浪光は思いっ切り前方に倒れ込んだ。

 

「はい、一本」

 

 審判を務めていた日向美雪が宣言すると、逆浪は思いっ切り打たれた(しり)を抑えながら立ち上がり、稽古の相手―無銘を涙目で睨み付けた。

 

「…何もケツを打たなくてもいいじゃないすか」

「ガラ空きだったからな。お前、技と技の間の間に隙がありすぎるんだよ」

「う…暫く座れねぇわ…」

 

 逆浪は溜息をつき、木刀を仕舞う。それから敗残兵の如くとぼとぼと歩き去っていった。

 

「筋はいいんだけどな」

「頑張ってる筈なんですけどね…」

 

 無銘と美雪は逆浪の背中を見ながらそんな事を呟く。

 

「…そういやアイツ、何処に向かったんだ?」

「喫茶店だと思います。あそこ涼しいですし」

「なるほど…そういや亜美が喫茶店にいるって言ってたし、オレも行くかな」

「あ、じゃあ私もついて行きます」

 

 そんな訳で、ふたりは喫茶店…越月夢羽が経営している喫茶店に向かう事にした。

 

   *   *   *

 

「あ、お兄ちゃん!」

 

 ふたりが喫茶店に入ると、カウンターでオレンジジュースを飲んでいた少女…赤坂亜美が振り返り、嬉しそうな笑顔になった。

 

「遅くなってごめんな亜美。光が中々解放してくれなかったもんで」

「シスコン師匠、うるさいですよ」

「シスコンで何が悪い!」

「開き直るなよ…」

 

 逆浪は立ったままコーラを飲んでいる。未だに臀が痛いらしい。

 

「おふたりとも、注文は?」

 

 カウンターの向こうから夢羽がきいた。一見すると亜美と同じくらいの幼女にしか見えないのだが、実は無銘の一つ下である。

 

「私はコーヒーで」

「オレは魔剤」

「お兄ちゃん魔剤はダメだよ!」

「…ブラックのコーヒーで」

 

 無銘はしょぼくれた顔になる。裏の世界まで名を轟かす男と(いえど)も、妹には勝てないのだ。というか、そもそも喫茶店に魔剤は置いていないのだが。

 ちょうどその時、店のドアが開いてふたつの人影が入ってきた。手には食料品の入った袋を持っている。

 

「夢羽ちゃん、買ってきたよ」

 

 そう言って、春風つばめは袋をカウンターに置いた。もうひとり、エプロンを着けた巨漢もつばめより多く持っていた袋をカウンターに置く。

 

「ありがとう!助かったよ〜」

 

 夢羽が微笑むと、巨漢が少し照れた様に、「…マスターの頼みなので」と言った。

 この巨漢の名は六場(ろくば)という。元・裏の世界の一員で、その巨体からは想像もつかないほど繊細な料理を作る。現在は喫茶店の厨房を担当している。

 

「六場さんがたくさん持ってくれたんだよ」

「…お嬢の細腕に沢山持たせる訳にはいかないので」

 

 六場に限らず、裏の世界の連中はつばめの事をお嬢と呼ぶ。理由は不明である。

 にこにことしていたつばめは、ある人物を視界に捉えた瞬間フリーズした。

 

「む、無銘さん…」

「やあつばめちゃん、お疲れさん」

「お、お疲れ様でしゅ…」

 

 つばめは真っ赤になって噛んだ事に気付いて更に真っ赤になり、店の奥にある居住スペースに駆け込んでしまった。

 

「…つばめさん、絶対お兄ちゃんの事好きだよ」

 

 亜美がニヤリと笑う。

 

「そんな訳ないだろ…」

 

 無銘は少し赤くなり否定するが、つばめが無銘の事を好いているのは無銘以外にはバレている。

 周囲の視線に耐えきれなくなったのか、無銘は慌てて話題を転換した。

 

「そういや夜月は?」

 

 今日は無銘と夜月の探偵事務所…「蜥蜴月探偵事務所」は休みなので無銘は朝から逆浪の稽古に付き合っていた。然し夜月がどうしているのかは分からない。

 

「夜月さんならみんなと山篭りに行きましたよ」

「仙人かアイツは」

 

 夢羽の言葉に、無銘は呆れた様に溜息をついた。

 

「みんなって…」

「…七木(しちき)八間(はちま)九牧(くまき)十具(じゅうぐ)ですね。俺以外、全員行っちまいました」

 

 六場が挙げた名前は、この喫茶店を手伝っている元・裏の世界の連中の事である。どうやら真面目な六場以外は全員夜月と共に行ってしまったらしい。

 

「それでいいのか、夢羽ちゃん…」

「今日はうちも休みですからね。私はみんなと話したくてこうしているだけですし」

 

 夢羽は無銘と美雪、六場の前にコーヒーを出し、つばめと自分様にオレンジジュースを用意しながらそう言った。

 

「夢羽ちゃんは偉いね」

 

 美雪が手を伸ばし、夢羽の頭を撫でる。夢羽は夢羽で嬉しいのか「えへへ…」と頬を緩ませていた。それを見て逆浪が思わず呟く。

 

「尊い…」

「どうした百合弟子」

「なんでもないっすよロリコン師匠。ってかアレは百合じゃないし」

 

 そんな感じで師弟が謎の火花を散らせていると、またドアが開いた。

 入ってきたのは長髪の男と黒髪の大人しそうな少年、そしてボブカットの少女という奇妙なトリオだった。

 

「あ、すいません、今日は休みで」

「…いいね」

 

 夢羽の言葉を遮り、長髪の男が言う。

 

「…好みの子が、たくさんいるよぉ…」

 

 

 瞬間、空を切る音がしたと思うと、男の背後に顕現していた半透明の触手が美雪の首に巻き付き、その躰を持ち上げていた。

 

「…っあ…ぐ…っ」

「美雪!」

 

 ―コイツら、異能力者か!

 逆浪の右手が触手に触れるとそれは掻き消え、解放された美雪は床に落ちて激しく咳き込んだ。

 

「異能無効化…成程、模倣したのか」

 面白いねぇと男は言い、「憂君、葉月ちゃん、やっていいよぉ」と少年と少女に言った。

 

「…了解」

 

 少年が無銘に近付いてくる。無銘は自分の木刀を取り出しながら「お前ら何者だ」と低い声で言った。

 

「…螺鈿會、と言ったら分かりますか?」

『…っ!』

 

 逆浪と美雪がびくりと肩を震わせる。

 

「…クソっ、夢羽ちゃん!日向!亜美とつばめちゃんを連れて逃げろ!」

 

 無銘は叫び、少年との距離を確かめて木刀を構える。

 そして、

 

 ―口伝抜刀術 第一番「桜波」

 

 神速の横切りが、少年の首元を捉えた。

 少年は吹っ飛ばされ、そのまま気絶する…筈だった。

 

「…ぐ…っ!」

 

 突如、無銘の首に強い痛みが走り、横に吹っ飛ばされる。壁に叩き付けられ、一瞬だけ意識が遠のいた。

 少年は無傷のまま、こちらに向かってくる。

 ―何が起きた?

 無銘は混乱する思考を振り払い、素早く起き上がると木刀を構えた。

 

 その隣では、逆浪がボブカットの少女と対峙していた。

 

「アンタら、何が目的だ…つばめか?」

「いえ、違います」

 

 私達の目的は「ラプラスの悪魔」です…少女はそう言って、軽く腰を落とす。

 

「ラプラスの悪魔…?まあいい。螺鈿會の連中ってなら、とっ捕まえるだけだ。色々ききたいこともあるしな!」

 

 逆浪も腰を落とし、居合の構えを取る。

 次の瞬間、両者は交錯し…逆浪は木刀を振り切った状態で悶え苦しんだ。

 

「が…ぁっ」

 

 いつの間にか、逆浪の首に糸が巻きついていた。

 

「鋼鉄製の糸です。…すみませんが、お覚悟を」

 

 少女はそう言って、糸を力一杯引いた。

 そして…首にくい込んだ糸は、無慈悲に逆浪の意識を刈り取っていった。

 

 男の触手が美雪と夢羽に迫る。

 美雪は異能を発動し、動体視力を強化して次々と躱していくが数が多過ぎた。

 

「あぁっ!」

 

 美雪の躰に無数の触手が突き刺さり、そのまま壁に叩きつける。

 

「美雪さん!」

 

 夢羽は声を上げるが…その脚にも触手が巻き付き、思いっ切り振り回した。

 小柄な躰が宙を舞い、夢羽は思い切り床に叩き付けられる。骨が砕ける音がして、夢羽は気を失った。

 

「マスター!」

 

 六場が男に飛び掛かる。

 その巨体から繰り出される一撃は重く、(つよ)い。然しその拳が男に届く事は無かった。

 美雪を戦闘不能にした以上の触手が六場の躰を貫き、巨体は床に崩れ落ちる。

 

「さてと…後はターゲットだけかな」

 

 男が辺りを見渡すと、壊れた店内の中にいたのは無表情で佇む少女と、無傷の少年。後は全員床に転がっている。

 それを見ると男はニヤリと笑い、再びその触手を伸ばした。

 

   *   *   *

 

「ど、どうしよう…」

「とにかく茨羽さんか夜月さんに電話しないと…!」

 

 つばめと亜美は走っていた。

 亜美から事情をきいて、直ぐにつばめは逃げる事を決意した。

 自分が亜美を護らなくては…つばめは時折後ろを振り返りながら敵が来ない事を確認し、携帯端末を取り出した。

 たまたま目に付いた夜月の携帯に発信し、耳に当てたその時、

 

「…え?」

 

 心臓が、熱い。

 つばめは自分の胸を見る。…一本の触手が、自分の躰から飛び出していた。

 何が起きたかも分からないまま、つばめは倒れる。

 

「つばめさん!」

 

 前を走っていた亜美がそれに気付き、つばめに駆け寄ろうとしたが、

 

「きゃあああああっ!」

 

 大量の触手が亜美にまとわりつき、躰を拘束する。自身の異能を発動しようとしたが、その前に躰が引っ張られ、喫茶店へと連れ戻された。

 

「捕獲完了ぉ〜」

 

 男がニヤニヤと笑みを浮かべ、動けない亜美を舐め回そうとする。然し少女に制止され、渋々と引き下がった。

 

「ドロシィさんはこの子が無傷でいる事を望んでいます。穢さないようにと、そういう約束の筈です」

「…チッ、分かったよぉ〜。でも、これはしないとだよね?」

 

 男は亜美の細腕を掴み、注射器を取り出して中の液体を注射する。

 瞬間、亜美の躰が痺れ、強ばった。躰は動かせず、声も満足に出せない。

 

「これで任務は終わり、さ、さあ帰るよぉ」

 

 男は引き攣った声で笑い、踵を返そうとした。

 

「…ま、待て…」

「んん?…なんだ、まだ生きてたの」

 

 男の背後で、無銘がよろよろと立ち上がっていた。

 

「亜美を…離せ…!」

「おお、こわいこわい…でも、無駄よぉ〜」

 

 軽い声と共に、再び風切り音。

 稲妻の速さで伸ばされた触手が、無銘の心臓を貫いていた。

 

 

「…………………………あ」

 

 

 そんな、惚けた声と共に、

 無銘はばたりと倒れた。

 躰が動かず、意識も薄れていく。

 心臓への一撃は、致命傷だった。

 

(………)

 

 意識が完全に消える直前。

 亜美が攫われたという事実だけが、無銘の脳裏に焼き付いていた。

 

 そして…無銘―赤坂蜥蜴は、呆気なくそのまま絶命した。

 

   *   *   *

 

「ボス、お嬢はなんて?」

「ボス言うな、殺すぞ…つばめから電話が掛かってきたのは事実だが、何も話さずに切れてしまった」

「間違い電話とかじゃねぇんですか?」

「ならいいがな…それでも」

 

 ―少し、嫌な予感がする。

 

 そう呟いて、源夜月は自分に着いてきた連中に言った。

 

「山を降りるぞ」

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