無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
…もう二度と目を開けられないと思っていたのに、意識が緩やかに浮上していく。
無銘は目を開けた。視界に映るのは無機質な天井。自分の腕を見ると点滴の針が刺さっており、それを見て状況を把握した。
自分は確か、突然現れた男に心臓を貫かれて殺された。
…そう、殺されたのだ。なのにこうして戻ってこれている。
自分の右腕を見る。いつもの様にそこに在る右腕を見て、自分が何故生きているのかを理解した。
(…そうか、
異能を殺す自分の右腕は、それ故に
だが…この能力はそれだけではない。自分しか知らない、もうひとつの能力が備わっている。無銘が生き返ったのも、その能力ゆえの事だった。
無意識に溜息をつく。自分は無事だったといえ、他の連中はそうでは無いはずだ。
何より、亜美が攫われてしまった。手がかりも何も無いが、直ぐに動き出さなければいけない。
(…絶対に、お兄ちゃんが助け出してやるからな)
そう決意して、点滴の針を引き抜こうとした、その時…
「まだ寝てろ」
病室に入って来たのは源夜月だった。後ろには茨羽巧未の姿もある。
「お前ら…どうしてここに?」
「虫の知らせが来て駆けつけたら喫茶店が荒れていてな。何があったのかと片っ端から連絡したら逆浪が『みんなはここにいる』っていうから来てみた」
「俺は夜月から連絡を貰ってな」
ちなみにここは陽ヶ鳴総合病院で、お前はまる一日寝ていたよと茨羽は付け加えた。
陽ヶ鳴総合病院は県内最大級の病院である。規模でいえば風読一族が経営する風読総合病院も同じくらいだし、夢羽の喫茶店からならそちらの方が近いのだが、風読総合病院だと茨羽と陽香が入れないのでこちらにしたのだろうと推測出来る。
いや、その前に…
「誰が運んできてくれたんだ?」
「逆浪だよ。アイツが一番軽傷だったからな。目が覚めて直ぐに救急車を呼んだらしい」
「そうか…礼を言わなきゃな…そういやみんなは?」
無銘がきくと、夜月と茨羽は顔を見合わせてから深刻な表情になり、答えた。
「逆浪は軽傷だったがどっかから風邪を貰って寝込んでる。他は全員重傷だ」
「特に日向と夢羽ちゃんが深刻でな。つばめちゃんと六場は目を覚ましたんだが、あのふたりは未だに意識不明だ」
「…そうか」
無力だった。
オレは、何も出来なかった。
「亜美も攫われて…情けねぇよ、本当に」
無銘は自嘲する様に笑う。
何が英雄だ。オレはこんなにも無力だというのに。
「…そう思うなら、取り返せばいい」
その様子を見て、夜月が言った。
「弱音を吐くなんて相棒らしくねぇよ。いつものお前なら直ぐに妹を助けに行くのに」
「だって、オレは何も出来なかった…」
「…
夜月は目を細め、窓の外を見る。空は晴れており、雲が呑気に浮かんでいた。
「さっきからお前は自分だけを責めてるけどさ、何もお前だけの責任じゃないだろ。逆浪にも、六場にも、日向にもつばめちゃんにも…皆に等しく責任がある筈だ」
「…それは違ぇよ」
「どういう事だ?」
「オレは英雄に成りたいんだよ。英雄が誰かに助けられてちゃせわしないだろ?」
英雄は誰かを助けるものであって、助けられるものではない。
英雄が救われては、駄目なのだ。
然し、その考えを茨羽が否定した。
「それは違う。英雄でも誰かに助けられていいんだ。俺が陽香に助けられた様に、夜月がゆき姉に助けられた様に、お前も誰かに助けられていいんだよ」
「………」
「辛かったら頼れ、お前は色々なものを背負って戦ってる。だからその分、誰かに救われてもいい筈だ」
だから俺達が来たんだよと言って、茨羽はニッと笑った。
「…それに、俺達だけじゃねぇぞ」
夜月がそう言った瞬間、病室のドアが開き、ふたりの男が入ってきた。
赤髪をオールバックにした男と、スキンヘッドの男…彼らは六場と同じく、元裏の世界の連中だった。
「
スキンヘッドの男…二郎は蜥蜴月探偵事務所の所員で、百間は茨羽の便利屋で働いている。奇妙といえば奇妙な組み合わせではある。
「むめさんが倒れたってきいたんで…」
「それに、茨羽から頼み事されたんでその報告も兼ねてます」
「頼み事?」
無銘は茨羽を見る。茨羽は「もう分かったのか、早いな」と少し驚いた様に言った。
「霧ヶ峰の爺が教えてくれたんすよ」
「霧ヶ峰…って無題荘の?」
「ええ。あのおっさん、元々公安の非合法組織のトップだったんすよ」
二郎がさらりと言った言葉に、無銘達は驚いた。
「公安の非合法組織!?そんな人がなんでアパートの管理人なんか…」
「まーその話は本人からきいてください。それよりこれ、見てくださいよ」
そう言って二郎は紙の束を差し出した。一枚目には「L・D研究所について」とタイトルらしきものが書かれている。
「L・D研究所?なんだそりゃ」
ページを捲ると、そこには「L・D研究所」という組織の事が詳述されていた。
この組織はラプラスの悪魔を現代に復活させ、有効利用するという公約を掲げている組織らしい。そこまではいいのだが、組織の活動内容を見るとかなり危ない組織だと言う事が分かった。何でも活動の一環として異能力を研究しており、その段階で非合法な事を行っているらしい。
「異能力者の研究…なんつうか、光が話してた螺鈿會の活動内容と似てるな」
「それもそのはずで、スポンサーとか創立者が同じなんすよ。天咲っていう異能一族で、コイツらもかなりヤバいヤツららしいっす」
「なるほどな…っていうかそもそもラプラスの悪魔ってなんなんだ?」
夜月がきくと、百間が携帯端末を取り出しながら答えた。
「あ、それについては陽香ちゃんがなんか言ってました。えっと…」
ラプラスの悪魔はフランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された概念である。
ラプラスは一八一二年に著した『確率の解析的理論』の中で、世界に存在する全物質の位置と運動量を知ることができるような知性が存在すると仮定すれば、その存在は、古典物理学を用いれば、これらの原子の時間発展を計算することができるだろうから、その先の世界がどのようになるかを完全に知ることができるだろう…といった考えを書いており、これが後にラプラスの悪魔と呼ばれた。なお、現在は量子力学によって、原子の位置と運動量の両方を同時に知ることは原理的に不可能である事が明らかになっている。つまりラプラスの悪魔は否定された概念となっている。
百間がメモを見ながら長い説明を終えると、夜月が溜息をついて言った。
「難しいなぁ…」
「要は凄やばって事っすね」
「理解した」
「…というか陽香は何でそんな事知ってんだ?」
「一般常識だって言ってましたけど」
それはないと全員が口を揃えて言った。
「まあともかく…その凄やばを『悪魔』として宿しているのが亜美だ。ヤツらはそれを…亜美の中に居る悪魔を狙って亜美を誘拐したんだろうな」
「悪魔を宿すか…そりゃ、どういう事だ?」
「あ、それについて霧ヶ峰が何か言ってましたよ」
二郎がレポートを捲ると、「ラプラスの悪魔について」という文字が目に入った。
「えっとなになに…?『赤坂亜美の経歴から察するに、ラプラスの悪魔は彼女の一人格として存在している可能性があると予測する。解離性同一性障害―いわゆる二重人格というものは本人にとって堪えられない状況を自分の事では無いと感じたり、その時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害(解離性障害)の最も重い形だが、赤坂亜美が昔、苛酷な環境にいた事を考慮すると身に宿したラプラスの悪魔が彼女の崩壊を防ぐ為一つの人格として機能し、彼女を救ったと考える事も可能では無いだろうか。そして、その仮定から考えると、例えばラプラスの悪魔を赤坂亜美から引き剥がしたりした場合は同時に赤坂亜美の人格も消滅するという可能性も否定出来ない』」
なんだそりゃと夜月が呆れた様に言った。
「トンデモ理論にも程があるだろ…」
「でもまあ分からんでもないな。亜美ちゃんがラプラスの悪魔によってバランスを保っているのは事実っぽいし」
茨羽が難しい顔になる。
「…兎に角、此処に亜美がいるって事だな?」
「それは間違いないっすね」
研究所の所在地は重石沢市とあった。陽ヶ鳴からは少し遠いが、県内なので行く事自体は可能だ。最も、無銘は世界の裏側だったとしても助けに行くつもりだったのだが。
それなら、と夜月が手を打った。
「行くとしたら今夜だな。夜襲の方がやりやすいだろ」
「そうだな。とりあえず、無銘は退院許可貰ってこい」
「分かった」
無銘は頷く。それを見て、二郎と百間も「俺達も行きますよ」と言った。
「頭数は多い方がいいですしね」
「ただ、夜襲を掛けるなら少ない方がいい。俺達と、あとひとりといった所だな」
「んじゃ、もうひとり誰かに声掛けてみます」
「ああ、頼むよ」
こうして話が纏まり、夜月達は準備をする為に一度帰る事になった。
「…なあ、無銘」
「ん?」
帰り際、夜月が無銘に声を掛けた。
「お前は弱くねぇよ。こっから逆襲すればいい」
「…ああ、そうだな」
「とりあえず今は休め、そして…」
「そして?」
夜月はそこでニヤリと笑った。
「全力でお兄ちゃんを遂行しろ」
「オレはどこぞの九相図長男かよ」