無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#48「ラプラスの悪魔―進退―」

 身を焦がす様な熱気が辺りを包み込む。

 壁や床は焦げて真っ黒だ。亮一と茨羽が激突する度に煤がハラハラと落ち、ふたりにまとわりついた。

 戦闘開始から十分程が経過したが、この時点で亮一の負けは確定していた。

 元々、泊亮一という人間は戦闘経験が殆ど無い。身体能力は高いが荒事には不慣れで、携帯型異能も使いこなせているとは言い難かった。

 それに対し、茨羽は数多の修羅場を潜り抜けてきた戦闘のプロだ。異能の扱い方も熟知しているし、場数の差が亮一とは比べ物にならない。

 現に今も亮一は息を切らしているが、茨羽は息切れひとつしていない。最低限の動きで亮一を捌き、時折反撃を加えていたからだ。

 何度目かの攻防の後、亮一は大きく飛び退いて距離をとった。

 

「流石…ですね…」

 

 亮一は息を切らしながらそう言った。

 

「僕じゃ、勝てそうもない…」

 

 天帝眼を解放した状態なのに実力差が開きすぎている。どう考えても、勝ち目は無い。

「それじゃ、通してくれるか?」

「……その先に亜美さんはいませんよ」

「…なに?」

 

 無駄な時間だったかと茨羽は溜息をついた。亮一が嘘をついている可能性もあるが、何となく彼は嘘をつく様な人間でない気がしていた。

 

「亜美ちゃんは何処にいる?」

「途中の三叉路を左に曲がれば辿り着くはずです。最も、そこにも足止め役が配置されていますが」

「そうか」

 

 茨羽は踵を返そうとする。瞬間、彼の行く手を阻む様に炎の壁がせり上がってきた。

 

「勝てそうもないというだけで、行かせるとは言ってませんよ」

「…だけど君、もう限界だろ?」

 

 茨羽は亮一を見て言った。実際、亮一は茨羽と激突したという事実を踏まえて見てみても疲労している。額には玉のような汗が浮かび、表情も苦しそうだ。

 天帝眼の使い過ぎだろうと茨羽は思った。この能力は脳のリミッターを外し、躰を強制的に強化するシロモノだ。その副作用は小さいものではないだろう。

 

「…それでも、ですよ」

 

 亮一は掌に炎を現出させ、茨羽に向けて放つ。

 茨羽はそれを軽々と躱し、「…なぜ、そこまでして戦おうとするんだ?」と問うた。

 

「…これは、俺がアイツらと決別する為の儀式なんです。俺はもうみんなの元へは戻れないし、戻らない。だからここで、甘えを断ち切っておくんです」

 

 亮一の決意は固かった。力強い目の輝きがそれを物語っている。

 こうなったら、もう彼の決意を曲げる事は不可能だろう―そう茨羽は思った。

 

「…なら、仕方ないな。俺も全力で相手するだけだ!」

 

 前方に焔の壁を作り、それと同時に突っ込む。比較的焔が薄い箇所を根性で通り抜け、亮一の不意を突いてその頬に拳をめり込ませた。

 亮一は吹っ飛んだが受身を取り、直ぐに体勢を整えた。炎の槍を数本精製し、投げ付けてくる。

 それを焔の壁で防ぎ、茨羽は再び突貫した。今度は小細工無しの愚直な突貫だった。亮一はタイミングを測り、炎を纏った拳でそれを迎撃しようとする。天帝眼を持ってすれば容易な事だった。

 だが―

 

「なっ!」

 

 亮一が驚きの声を上げる。

 二人が激突する直前、茨羽がスライディングし、亮一の傍をすり抜けた。

 体制を整え、振り向きざまに黒焔を発動。

 茨羽のイメージによって形を変えるソレは黒い縄となり、亮一の胴に固く巻きついて動きを封じた。

 

「チェックメイトだ」

「…いや、まだですよ!」

 

 亮一は躰を縛られたまま突貫し、茨羽に頭突きを食らわせる。不意を突いたその攻撃に、茨羽は驚愕の表情を浮かべるはずだった。

 実際、手応えがあり、亮一は茨羽を巻き込んで倒れた。茨羽は嫌というほど床に頭を打ち、亮一は彼の上に乗る事で動きを封じた形になる。

 異能を解除してください…亮一はそう言うつもりで、口を開きかけた。

 だが、それより早く茨羽が動いた。

 少し上にズレてポジションを調整した後、足を突き出す。それは亮一の腹を蹴る形になり、彼の顔が歪んだ。

 次いで、亮一の躰を掴み、少し勢いをつけてから足を支点にし、後方へと投げ飛ばした。

 亮一は躰を縛られており、腕も動かせないので顔面から地面に激突。強かに顔をぶつけると同時に、鼻の骨が折れるのを感じた。

 

「まだまだ甘いな」

 

 茨羽は平然と立ち上がる。亮一の頭突きによるダメージも無いようだった。

 その様子を見て確信する。茨羽は、亮一の行動を読んでいたのだ。

 実力以前に、経験が違う―思えば、亮一はアズラとの戦闘以外に命を懸けた戦闘は行っていない。同級生にリンチされていた時は抵抗していなかったし、喧嘩もロクにした覚えがない。

 所詮、自分は異能を持ってしまっただけの一般人なのだ。

 亮一の意思を反映する様に、戻る道を塞いでいた炎の壁が消える。

 亮一は歯噛みし、覚悟を決めて言った。

 

「…殺すなりなんなりしてください。この縄は僕の炎では解けないだろうし、動けないのでは勝ち目がありませんから」

「……」

 

 茨羽は暫く亮一を見つめていたが、軈て力を抜き、

 

「…俺は亜美ちゃんを助けに来ただけだ。君と戦いに来た訳じゃない」

 

 そう言って踵を返した。

 亮一は少し拍子抜けした。と同時に、茨羽が本気になれば自分を殺す事も出来たはずだと思い、身震いする。

 そんな亮一の様子を知ってか知らずか、茨羽は背を向けたままきいた。

 

「…本当に、戻るつもりはないんだな?」

「…ええ。僕はもう戻れませんから」

 

 亮一は即答する。

 これだけは、曲げるつもりは無かった。

 

「…そうか」

 

 茨羽は呟き、「縄は暫くしたら解けるよ」と付け加えた。

 

「じゃあ、俺は行くよ」

 

 その言葉を最後に、茨羽はその場から離れた。

 亮一は力を抜き、天を仰いで大きく息をついた。

 不思議と、悲しいとは思わなかった。

 俺はこれでよかったのだ。

 きっと、これで……。

 

   *   *   *

 

 ―同時刻、夢羽の喫茶店

 

 暗い店内に、ひとつの人影があった。

 苛内達が暴れた後なので店内は荒れており、壊れていない物は無かった。建物自体は無事だが、店内にあるものは全て一新しないといけないだろう。最も、これでも片付いた方だ。日中は元裏の世界の連中が総出で片付けを担当して、何とか「荒れ果てた」というレベルまで片付けていた。…つまり、片付ける前は本当に酷い有様だったという事だ。

 店主はまだ意識不明だし、従業員もこの時間帯は不在だった。なので人は居ない筈なのだが…その少女は、暗い店内に佇んでいた。

 少女は自分の近くに落ちていたものに目を留める。店内は暗かったが、少女は夜目がきくので問題無く見る事が出来た。

 それは写真立てだった。いつ撮ったのか、夢羽とつばめ、そして美雪が並んで写っている。背景からして、何処かに出掛けた時に撮られたものらしい。

 写真立てはひび割れ、中の写真もボロボロだった。それを見て少女は悲しそうに目を細める。

 

「…ごめんなさい」

 

 誰にともなく呟いて、少女―高凪ちとせは写真立てを近くのテーブルに置いた。

 亮一は戻らないと言ったが、自分はまだ、迷っている。

 だから、ここに来たのだ。苛内達が、螺鈿會が起こした事の償いに来たのだ。

 ちとせは荒れ果てた店内を見回す。その目には決意が宿っていた。

 そして―ちとせは行動を開始した。

 これがせめてもの償いになればと、思いながら…。

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