無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#51「明日を繋ぐ為に」

 …気付くと、亜美は暗闇の中に居た。

目の前には自分を模した存在―ラプラスの悪魔が居て、亜美を無感情に見詰めている。

 

「情けないな…あんな小娘にしてやられるとは」

 

 悪魔は嘲りを含んだ声で言った。亜美はそれに反論出来ず、黙って俯く。

 

「…まあいい。今回ばかりはわたしでもどうにもならないからな。お前の義兄が居れば別だろうが、ヤツは死んでしまった」

 

 その光景は亜美も見ていた。

 自分の心臓に刀を突き刺し、兄は自殺した。なぜ彼があんな事をしたのか、亜美には分からなかったし信じられなかった。

 悪魔が「お前の義兄が居れば」と言ったのには理由がある。現在、亜美は椅子に拘束されているのだが、拘束具には異能無効化の異能が付与されていた。ドロシィが作者権限で作りだしたものである。

 亜美の中にいるラプラスの悪魔の能力は「世界に存在する全物質の位置及び運動量を操る」というものである。つまりこの能力を用いれば研究所から脱出する事など容易なのだが、ドロシィはそれを見越して椅子に異能無効化を付与していたという訳だ。

 悪魔が言いたいのは、無銘がいれば椅子の異能は解除出来るという事なのだろう。

 そこでふと疑問が湧き上がり、亜美は悪魔にきいた。

 

「異能無効化どうしがぶつかりあったらどうなるの?」

 

 異能無効化とは文字通り、異能を無効化する異能である。ならば異能無効化どうしがぶつかったら何が起こるのか。

 

「…未知数だ。だが恐らく…無効になる範囲が拡がるのだろうな」

 

 悪魔は亜美の問いに即答した。

 無銘の異能無効化の効果範囲は右手だけだ。当然、右手に触れていない異能を無効化する事は出来ない。だが、異能無効化がぶつかり合えば余波が生じ、触れていない異能までも無効化される事になるのではないか―そう悪魔は予測した。

 

「あくまでも予測だ。異能無効化の衝突など、このわたしでも見た事がないのだからな」

 

 悪魔は面白そうに片眉を上げ、興味深いといった様子で言った。

 

「それに…あの場の異能が全て(・・)無効化されれば好機もあるだろう」

 

 ラプラスの悪魔は世界に存在する全物質の位置を操る事が出来る。それはつまり…この研究所から脱出する事も可能という事だ。

 だがそれには障害も存在する。言うまでもなく、無銘の異能無効化だ。これがある限り、全員で脱出する事は叶わなくなる。

 然し、異能無効化がぶつかりあった状況ならば話は別だ。全ての異能が無効化される…言わば、全ての異能が使えなくなる状況になれば、無銘を連れて脱出する事が出来る。

 そこまで考えて、亜美は重要な事に気付いた。

 

「それじゃあ、あなたも異能を使えないよ」

 

 全ての異能が無効化されるなら、当然悪魔の異能も使えなくなる筈だ。

 だが、悪魔は馬鹿にしたように鼻を鳴らして言った。

 

「わたしはお前の深層に姿を隠そう。異能の届かない程深い場所に…それで異能無効化をやり過ごしてから能力を使えばいい」

 

 悪魔は事も無げに言うが…それはとても危険な事である。

 亜美の深層に悪魔が留まる…それは即ち、亜美の核となる部分に悪魔が辿り着く事を意味する。

 要するに、あまり深く潜られ過ぎると、躰を乗っ取られる可能性があるのだ。悪魔は亜美の一人格として存在しているが、表に出る事はあまりない。亜美が意志の力で抑え込んでいるからだ。

 悪魔は亜美を乗っ取りたいと思っている訳ではないだろうが、躰が欲しいのもまた事実なのだろう。時々亜美の深層に潜り、表に出ている人格と交代しようとしてくる。

 その度に抵抗している為、悪魔は中々亜美の躰を乗っ取れずにいたのだが…どうやら今回の事を絶好のチャンスと捉えたらしかった。

 亜美は躊躇っている。脱出できるのは嬉しいが、悪魔に躰を乗っ取られたくはない。

 と、そこでこの脱出計画が成立しない事に気付いた。

 

「でも、お兄ちゃんはもう…」

 

 亜美がか細い声で言うと、悪魔はニヤリと笑った。

 

「そう思うか?なら、外界を見てみろ」

 

 言われた通りに自身の内面から意識を切り離し、外界を見てみる。

 そして、そこで目にした光景に―亜美は驚き、思わず涙を流した。

 

   *   *   *

 

「お前…」

 

 何度目かの攻防の後、壁に叩き付けられた茨羽は舌打ちをしながら入口の方を見て…硬直した。

 無表情でドロシィとやり合っていた夜月も、茨羽の反応を横目で見てから入口に視線を移す。

 瞬間、殺意に満ちた表情の中にほんの少しの驚きと安堵が混じった。

 

「遅いんだよ…相棒」

「…悪い、遅くなった」

 

 入口からゆっくりと歩いて来たのは…無銘だった。

 ドロシィも彼を認識し、嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

「やっと役者が揃ったね…」

「…さっさと亜美を解放しろ」

 

 無銘が低い声で言う。その気迫に…ドロシィは笑みを浮かべ、手を無銘の方へと翳した。

 見えない殺意の波が無銘に襲いかかる。夜月の「冥獄(ディストピア)」だ。

 無銘は無造作に右手を振り、殺意の波を打ち消す。それから地面を蹴り、加速した。

 ドロシィの元へ到達した無銘は一切の躊躇無く殴り掛かる。拒絶能力が打ち消され、初めてドロシィは拳を右腕でガードした。

 細い腕がみしりと軋み、ドロシィの顔が少しだけ歪む。いくら神とは言え、筋力は見た目通りらしい。折れなかっただけマシというものだろう。

 ドロシィは無銘の下腹部に左手を寸止めの形で突き出す。瞬間、見えない壁が展開され、無銘の躰を弾き飛ばした。

 

「やっぱり右手だけだね!」

 

 ドロシィがニヤリと笑う。

 無銘は体勢を立て直すと、亜美の方を見てから茨羽に目配せをする。

 それを茨羽は頷き、ドロシィの方へと突貫しながら叫んだ。

 

「夜月!」

 

 夜月は茨羽の目を見て彼が言いたい事を把握し、すぐさま殺意を込めた一撃を放つ。

 それは拒絶の壁に遮られたが、夜月は構わずに攻撃を続けた。

 茨羽もそれに加わり、ふたりがかりで攻撃を加えていく。

 ドロシィは呆れた表情を見せたが、ふたりの攻撃が苛烈さを増していくのに疑問を覚えた。

 拒絶の壁は異能無効化や拒絶をぶつける事でしか破れない。それは能力を使うドロシィが一番よく分かっている事だ。

 先程、夜月の殺意が拒絶を上回りかけたが、あのレベルの能力は本人にも影響を及ぼす筈。実際、夜月の動きは先程よりも鈍くなっていたし、そう何回も使える訳では無いだろう。

 加えて、先程の反省から異能殺しの出力を遥かに上回る拒絶の壁を張っていたので、どう足掻いても破れる筈は無いのだ。

 なら、何が目的なのか。

 思えばこの場に無銘が居ない事がおかしい。もしやと思い亜美の方を見てみると、今まさに無銘が亜美の拘束を外そうとしている所だった。

 そこである考えが浮かび、ドロシィはしまったと思った。

 拘束具に仕込んだ異能無効化と無銘の異能殺しをぶつけ合う事でこの場にある全ての異能を無効化し、異能殺しの機能を一時的に喪失させる事が狙いか。

 そうすれば亜美の能力で無銘を脱出させる事が可能となる。理論上では亜美の能力も使えなくなる筈だが、何かしらの仕掛けを仕込んであるのだろう。

 神を名乗っておいてこんな事に気付かないとは…ドロシィは心中で舌打ちした。最も、ドロシィが神を名乗っているのは作者権限があるからで、全知全能という訳では無いのだが。

 そう思っている間に、無銘が亜美を戒めている拘束具に手を触れ…粉々に破壊した。

 異能無効化がぶつかり合い…その場にある全ての異能が解除される。夜月の「冥獄」も、茨羽の焔も、ドロシィの壁も…勿論、異能殺しも例外では無い。

 そこで亜美が目を覚まし、待っていたかのように叫んだ。

 

「お兄ちゃん!夜月さん!茨羽さん!私に触れて!そうすればここから脱出できる!」

 

 その言葉をきいた三人の行動は迅速だった。

 三人は亜美が差し出した手に触れる。と、そこで茨羽が叫んだ。

 

「だが、百間達が来てないぞ!」

「あの人達は…」

「あの人達は死んだよ。無駄死にだったみたいだけど」

 

 口ごもった亜美に代わり、ドロシィは笑顔で言ってやった。

 どうせ逃げられるのだ。なら、このくらいはいいだろう…そう思っての光景だった。

 

「お前…!」

 

 無銘がドロシィを睨み付ける。それを制して、夜月が冷たい声で言った。

 

「………いつか、決着をつけるからな」

「楽しみにしているよ」

 

 ドロシィはにこにこと笑う。これでまた、楽しみが増えたという訳だ。

 赤坂亜美の事は惜しいが、仕方あるまい。

 次の瞬間には、亜美たちの姿はここから消えているだろう。

 

 …だが、そうはならなかった。

 

「な、なんで能力が発動しないの!?」

 

 亜美が焦った様に叫ぶ。

 

「早く、脱出しないと…」

 

 その時、亜美の脳内でラプラスの悪魔の声が聞こえた。

 

(無駄だ。もう異能殺しは戻っている。最も、裏の世界とやらの人間の死亡が確認された時にはまだ異能が消えていた状態だったが)

(なら、なんでその時に能力を使わなかったの?)

 

 悪魔は何を言っているんだといった口調で答えた。

 

(わたしにとって、貴様以外は不要だからだ)

(…っ!)

 

 亜美は思わず呻いた。

 

(わたしにとっては主である貴様以外は不要なのだよ。お前の兄にも、その仲間にも興味は無い)

(…そんな)

 

 目の前が真っ暗になる。

 ああ、そうだ。

 コイツは悪魔なのだ(・・・・・・・・・)

 いくら亜美の中に居るとはいえ、それは変わらないのだろう。

 亜美は唇を噛む。

 失敗した。

 このままでは、みんなやられてしまう…。

 

 その時、

 無銘が静かな声で言った。

 

「亜美、能力を使え」

「でも…」

「オレはここに残るよ」

 

 静かな言葉に、夜月と茨羽が驚いた表情を浮かべる。

 

「無銘…」

「お前、何を言って…」

「オレが居ると能力を使えない。かといって亜美の能力が無ければ脱出は不可能だ。なら答えはひとつしかないだろ」

「でも、それじゃお兄ちゃんが…!」

 

 涙声になる亜美の頭を、無銘は優しく撫でる。

 

「お兄ちゃんを信じろ、亜美…オレが死んでも死なないの、よく知ってるだろ?」

 

 それから夜月と茨羽に目を向け言った。

 

「夜月、巧未…亜美を頼む」

 

 ふたりは辛そうな表情を浮かべたが、無銘の決意が固い事を悟ると、託された物の重さを噛み締めるように頷いた。

 

「任せろ」

「くたばるなよ、無銘」

「ああ、任せとけ」

 

 無銘は亜美から手を離し、詰まらなさそうにしていたドロシィの方へと向き直る。

 

「いや!お兄ちゃんっ!」

 

 亜美は泣き叫んだが…そこで悪魔が面白いものを見たという声で言った。

 

(莫迦だな…まあ、どうでもいいが)

 

 そう言って、悪魔は能力を発動させる。

 次の瞬間、亜美たちの姿は最初からここになかったかのように消えていた。

 それを見届けた無銘はドロシィに鋭い視線を向け、呟く。

 

「待たせたな…ひとつきくが、お前がこの事件の黒幕か?」

「そうだよ。まあ、詳しい事情は生きてたら教えてあげるよ」

 

 ドロシィは微笑み、それから表情をガラリと変える。

 歪んだ笑みを湛え、愉悦に満ちた声色で言った。

 

「さあ、はじめよっか!」

「…来いよ」

 

 無銘は身構え、ドロシィを迎え撃つ。

 

 亜美の明日を繋ぐ為に。

 無銘は勝てないであろう相手に立ち向かっていった。

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