無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
その夜に起こった事を知る者は少ない。
螺鈿會という異能研究組織と、それに対抗する者たちとの戦争。それは重石沢市のL・D研究所付近で始まり、そして終わった。
異能力者が跋扈し、多くの犠牲を出す事となったこの事件は、いつの間にか関係者の中で「異能夜行」と呼ばれるようになった。
…そしてこの夜が、世界の行方を決める事になったという事を知る者も少ない。
世界から異能を消すという目標を掲げた螺鈿會と、世界を玩具として扱う為に無題奇譚を狙うドロシィ。そして、それに抗おうとする者たちの戦い―異能夜行の始まりから終わりまでの過程を、以下に詳述する。
* * *
深夜零時になった瞬間、逆浪光は見慣れない場所に立っていた。
夢にしてはリアルな感覚だ。澄んだ空気が躰を冷やしていき、黒い空には満点の星が広がっている。
自分の服装に目をやる。寝間着だった筈のそれは自分が普段着用する私服に姿を変えており、足には靴下と草臥れたスニーカーを履いていた。
左手には一冊の本。本来ならそこにある筈のないそれは、不思議とこの状況によく馴染んでいた。
(どうなってるんだ…?)
試しに頬を抓ってみると痛みを感じた。これは現実の可能性が高い。
だが、自分はつい先程まで自宅にいたはずだ。寝間着で布団に寝転がり、音楽を聴いていた筈。
状況把握の為に辺りを見渡してみると、闇の中にいくつかの人影が見えた。そのうちのひとつが「そこにいるのは誰だ?」と声をあげる。
きき覚えのある声だった。
「茨羽先輩ですか?逆浪です」
「光?どうしてお前が俺の夢の中に…いや、これは夢じゃないのか」
他の人影も逆浪や茨羽と立場は同じだったようで、戸惑いの声をあげた。
「なんで私、こんな所に…」
「夢にしちゃリアルだな」
「どういう事…?」
いずれもきき覚えのあるものだった。
混乱する逆浪とは対照的に、茨羽は冷静だった。彼が「まずは状況を把握しよう。ここには誰がいる?」と呼び掛けると、周りの人影が次々と名乗った。
* * *
「…ここにいるのは俺、光、日向、夢羽ちゃん、夜月、陽香、亜美ちゃんか…どうやら本当に夢では無いみたいだな」
状況確認を終えた茨羽が唸り声を上げながらそう言った。
先程茨羽があげたメンバーは、零時になると同時にここに立っていたらしい。中には寝間着を着ていた者もいたようだが、いつの間にか動きやすい私服に変わっていた様だ。
「集団幻覚か?」
「どうかな…俺と陽香以外は住む場所もバラバラだし。特定の人間にだけ作用する集団幻覚ってあるものなのか?」
夜月と茨羽の会話をきいた陽香が首を横に振った。
「それは分からないけど、でも…なんか嫌な予感がする」
「同感だ。ここから動かない方がいいだろう」
茨羽がそう言った時、夢羽が何かに気づいた様に声を上げた。
「…これ、
耳を済ませてみると、確かに跫が聞こえる。ここにいるメンバーのものではなかった。
それは徐々にこちらへと近付いていき…瞬間、風切り音と共に誰かが揉み合う音が聞こえた。
「なんだ!?」
茨羽の声と共に、周囲が明るくなる。焔の異能で辺りを照らしたのだろう。
そして…視界に入った光景に、逆浪は硬直した。
美雪にのしかかり、手にしたブレードを突き立てようとしていたのは暁月夜桜だった。
考えるより躰が先に動いた。
逆浪は暁月に突進し、肩からぶつかる。
しかし呆気なく回避され、カウンターの拳が水月にヒットした事で苦悶の声を上げながら倒れた。
暁月は無表情でブレードを構える。その目には憎しみが篭っていた。
「暁月…って事はここはL・D研究所か」
茨羽が暁月の動きを警戒しながら呟く。
「ちょうどいい。ここで
夜月はいつの間にか大鎌を構えていた。どうやら常日頃から携帯しているらしい。どうやって持ち運んでいるのかは永遠の謎である。
「ひとりでいい。ひとり殺せば、イアは助かる…!」
暁月は異能を発動し、逆浪の後ろに回り込む。そしてそのまま首を切断しようとした。
しかし、逆浪はその動きに対応してきた。迫る刃を咄嗟に右手で掴む。血が噴き出すが、お構い無しに逆浪はきいた。
「イアさんが助かるってどういう事だ」
「言葉の通りだよ。イアは今、死にかけている…お前らと一緒に行動しなければそんな事にはならなかったんだ!」
「それで螺鈿會に加わったって事か…」
逆浪は掴んだ刃を思い切り上へと跳ねあげる。当然、暁月は刃を振り下ろそうとするが…それは大鎌と風の刃に阻まれた。前者は夜月、後者は陽香のものだ。
「暁月くんが俺たちを恨んで殺そうとするのは当たり前だと思う。二年間放ったらかしにしていたんだからな」
「光くん、それは…」
何かを言いかけた美雪を逆浪は手で制す。
「こちら側からしたら探していたとしても、暁月くんたちからしてみれば見捨てられたのと同じだよ。見つけられなかった俺たちが悪い」
でも、と逆浪は続ける。
「仮に俺たちを殺してイアさんを助けたとして…イアさんはその行いを許容すると思うか?」
「…黙れ。お前に何が分かるんだよ」
暁月の唸る様な声に、逆浪は首を横に振った。
「…何も分からないよ。だけど、イアさんは暁月くんの行いを許容しないと思う。短い付き合いだけど、何となくそう思うんだよ」
だからさ、みんなが幸せになる方法を採らないか?―そう逆浪は言って、手に持っていた本を暁月に見せた。
「これは…」
「無題奇譚とかいうやべー本だ。コイツがあればイアさんを救える。過去を改変するからあんまり使いたくはないんだけどな」
ただし、と逆浪は顔を顰めた。
「それにはつばめの力が必要だ。だからつばめを探して、イアさんを助ける。それならどうだよ?」
「…その本が本当に過去を改変出来るのかどうかの確証がない」
「まあそうだな。もし失敗したらその時は俺を殺せばいい。暁月くんにとってはどっちにしろプラスにしかならないだろ?」
「まてよ光、その役なら俺が…」
逆浪の言葉に、茨羽が異義を唱える。然し逆浪は「それじゃダメなんです」と言った。
「ここ、螺鈿會の連中がいるんですよね?俺たちがここに飛ばされたのは敵のワナだろうし…ある程度の戦力は残しておいた方がいいと思います。戦えるのは茨羽先輩、夜月氏、陽香さん…ってところでしょうし」
「…というか、全員で行動すればいいだけだろ」
夜月が呆れた様に言った。然し陽香が空を見上げながら険しい顔で「そうもいかないみたいですよ」とそれを否定する。
つられて全員が空を見上げ…そして、硬直した。
「なにあれ…岩?」
「違います、これは…」
陽香の言葉を遮るように、彼女のすぐ近くに何かが落下する。
それを見た陽香は皆に向かって叫んだ。
「火山弾です!逃げて!」
大きさはまちまちだが、だいたい六メートルくらいのものが大量に降ってきた。
全員がその場から全力ダッシュして火山弾から逃れる。
「なんで火山弾が!?」
「知るか!とりあえず逃げろ!」
全員が自分の命を守るために走る。
そして気付くと、彼らは分断されていた。
* * *
茨羽と陽香は暗い森の中を歩いていた。
研究所は森の中央にあり、あたかも台風の目の様に鎮座している形になる。
そしてこの森は迷うと中々抜け出せない。暗いので尚更だ。自然にふたりは手を繋ぎ、焔で辺りを照らしながら歩いていた。
(まんまとやられた…目的は戦力の分散か)
先程の火山弾はドロシィか神知あたりがこちらの戦力を分散させる為に降らせたものだろう。これくらい予想しておくべきだったと茨羽は溜息をついた。
と、そこで陽香が声を上げた。
「あそこ…誰かいる」
確かに、ひとりの女が木にもたれかかっている。女はは茨羽たちを見つけると「やっと来たわね」と木から躰を離した。
「私は易蟻萌々子。あなたたちの敵よ」
易蟻はそう言って、にっこりと笑う。
「易蟻…五大名家だね」
陽香が警戒しながらそう呟く。
「めんどくさい挨拶とかは無しでいいでしょ。茨羽巧未と風読陽香…ここで死んでもらうわよ」
易蟻は指を鳴らす。
すると、地中から悍ましいものが複数体現れた。
「これは…」
「ゾンビ…か」
現れた屍者たちは、朽ちかけた容姿とは裏腹に凄まじい速さでふたりに襲い掛かってきた。
茨羽と陽香は一瞬だけ視線を交わし合うと、それを迎撃した。
* * *
気付くと、夜月は見慣れない空間にいた。
一面が濃い黒に塗り潰された空間。そしてそこには夜月の他に、ひとりの老人がいた。
「源夜月か。丁度いい」
老人は微かに笑みを浮かべ、夜月を見る。
夜月は僅かばかり警戒心を高めながら彼にきいた。
「何者だ?」
「悪泣輪廻。お主の敵じゃ」
「そうか」
言うが早いか、夜月は手に持った大鎌を構え、次の瞬間には悪泣の首を落としていた。
これで終わり。夜月は悪泣の死体を確認しようとして…僅かに驚いた。
「ふむ、流石は源夜月といったところか」
確かに首を落とした筈なのに、老人は先程と変わらない姿で立っている。
「幻覚か…?」
「いや、お主は確かに儂を殺した。だが、儂に死という概念はないのでな」
そこで、悪泣はニヤリと笑い、悪意を滲ませた声で言った。
「どれだけやっても無駄じゃろうが…どれ、少し付き合ってくれんかの、若いの」
「…なら、お望み通り付き合ってやるよ」
夜月は大鎌を構え、悪泣に襲い掛かる。
今度は頭に振り下ろし、躰を両断した。
然し、直ぐに再生してしまう。
(…これは厄介だな)
夜月は内心で、そう呟いた。
* * *
同じ事が、夢羽や亜美にも起こっていた。
「な、なんでここに…」
亜美と共に行動していた夢羽は、目の前に現れた人物を見てそう声を漏らす。
「久しぶりだなぁ、夢羽…テメェを殺す為にムショから抜け出してきてやったぜ」
夢羽の前に立ちはだかったのは、実の兄…越月翼だった。
彼は悪意のある目で夢羽を見ている。
まずい…夢羽はそう思った。翼は本気で自分を殺しにくるだろう。異能がない自分に太刀打ちできるとは思えない。
せめて、亜美だけでも…そう思った時、夢羽の右手がぎゅっと握られた。
「大丈夫です。私が、ついてます」
亜美は翼を見据えながら、静かにそう言う。
その手は微かに震えていた。それでも亜美は夢羽の為に翼と対峙している。
夢羽は亜美の手を握り返す。その温もりを感じながら、翼を睨み付けた。
「もう、あの時の私じゃない…私は絶対に負けない!」
「…はっ!来いよ出来損ない!」
翼はニヤリと笑い…夢羽を終わらせる為に行動を開始した。
* * *
そこから少し離れた場所では、美雪が敵と対峙していた。
「キミはあの時の…日向美雪ちゃんか。ヒヒッ、丁度よかったよぉ…」
敵―苛内植は気味の悪い表情を浮かべ、美雪の躰を舐め回す様に見る。
怖気が走るが、それを顔に出す事はなく、美雪はじっと相手を観察していた。
「ここにはキミと僕だけ…これがどういう事を意味するのか、分かるよね?」
苛内はニタニタと笑みを浮かべ、触手を顕現させる。
「顔も躰も、僕の好みだ。簡単に殺しちゃ勿体ないからね…捕まえて、たっぷりと楽しんでから殺してあげるよ」
―瞬間、美雪の脚を捕らえようと一本の触手が迫ってきた。
常人には回避出来ないスピード。然し、美雪は軌道を見切り、躱してみせた。
苛内は驚いて、意外そうに「ほふぇ?」と声をあげる。それから納得がいったように呟いた。
「そうか、キミも異能力者だったね…視る事に特化してるんだっけ…厄介だなぁ」
「……」
美雪は集中して苛内を観察する。
(私だけじゃこの人には勝てない。だけど、ここには私しかいない…何とかこの場を切り抜けないと)
美雪の額に汗が浮かぶ。それを見た苛内は自分が精神的に優位に立っている事を察し、再び笑みを浮かべた。
「ま、数でどうにかすればいいか」
その言葉と共に、大量の触手が顕現する。
悪意と共に放たれたソレは、美雪を犯そうとするかの様に襲い掛かった。
* * *
そして、逆浪と暁月は…研究所内に潜入していた。
火山弾が降ってきた時、咄嗟に暁月と同じ方向に逃げた事が幸いしたらしい。このまま分断されていたら面倒な事になっていただろうと逆浪は思った。
「まずはつばめを助けよう。無題奇譚とロストアイがあれば、イアさんを救える」
「…失敗したら、その時はお前を殺す」
「そうしてくれ」
逆浪は暁月の後に着いていきながら、無題奇譚を確りと手に持った。
分断された仲間の事は心配だが、今は自分に出来る事をやろう…そう思って、逆浪は気を引き締めた。
* * *
「…始まったね」
研究所の所長室で、ドロシィは上機嫌に呟いた。
火山弾を降らせたのはドロシィだった。研究所の近くには
無題奇譚を手に入れる事が目標ではあるが、それ以上にこの混沌が楽しみで仕方がなかった。
ドロシィは部屋の中でくるくると踊り、悦楽に満ちた声を吐き出した。
「がんばって、あたしを楽しませてね…もしも楽しくなかったら、その時は…皆殺しにでもしちゃおうかな?」
夜はまだ、始まったばかりだ。
しばらくは暁月&逆浪サイドの描写となります。