無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
#1「雪解けの予兆」
雪が大地を白く覆う。
辺り一面は銀世界だった。生の気配を全く感じない、寂寞の世界。
そんな中に、オレはひとり立ち尽くしていた。
(ああ、またこの夢か)
二年前から見続けている夢。
目の前で仲間を失った時から、ずっと見ている夢。
思うに、これはオレの心象風景なのだろう。
積み重なった雪が本来の自分を覆い隠し、英雄を目指すロボットに変貌させた。
それを受け入れ、諦めている証拠こそがこの夢だと思っていた。
だけど、どうしようもない。今日も何も出来ないまま、夢から覚めていく─。
* * *
目を開けると、見慣れた天井が見えた。
携帯端末のアラームがけたたましく鳴っている。手探りでそれを止め、
顔を洗って眠気を吹き飛ばし、簡単な朝食を食べる。ここ最近はエネルギーバーで済ませている為、直ぐに食べ終わるが……妹がこの事を知ったら激怒するだろう。
着替えを済ませ、居住スペースから事務所へと移動。ブラインドを上げ、窓を開けて換気を済ませた後、軽く掃除をした。
現在、無銘は個人で探偵事務所を経営している。まだまだ駆け出しで客も少ないが、何とか軌道には乗ってきた。
昨日までの依頼は全て終わらせた為、新しい依頼を待つ。その間はニュース番組に目を通したり、軽くトレーニングをしたりして過ごした。
ニュース番組では「
その時、ドアがノックされた。「どうぞ」と言うと、ドアが開いてひとりの青年が入ってきた。
黒髪に赤メッシュ、赤と灰色の瞳の青年……
「茨羽……どうしたんだ?」
無銘がきくと、茨羽は「世間話のついでに依頼を持ってきた」と言った。
珍しいなと無銘は思った。茨羽は無銘の友人であり、個人で何でも屋を経営している男だ。大抵のトラブルは自分で解決できる為、無銘の元に依頼を持ち込んでくるという状況は今までにないシチュエーションだといえる。
無銘の思っている事を察したのだろう。茨羽は無銘の疑問に答えてくれた。
「といっても依頼主は俺じゃない。異能夜行の時に逮捕された……
異能夜行という言葉をきいて、無銘の表情が変わった。
二年前、
鬱櫛鎺は螺鈿會側に与していた男で、かつてこの国を牛耳るほどの権力を持っていた五大名家の一角……鬱櫛家の人間だった。無銘は彼と戦闘をした事があったので、多少は知っている。
「鬱櫛がオレに依頼?アイツは刑務所にいるんじゃなかったか?」
「そうだ。ちょっとした野暮用があって刑務所に行ったら、鬱櫛にお前宛ての依頼を頼まれてな。元々敵だったとはいえ、依頼の内容が気になったから持ってきたんだ」
「なるほどな。で、依頼内容ってのは?」
無銘はインスタントのコーヒーを用意し、茨羽の前に置く。茨羽は礼を言ってコーヒーをひとくち飲んでから、話を続けた。
「洞ノ院という児童養護施設は知ってるか?」
「さっきニュースでやってたよ。経営難で潰れたんだろ?」
「その施設は鬱櫛家が管理していたんだが、元々は螺鈿會が保有してた施設だったらしい」
「螺鈿會が……?って、まさか!」
無銘はある事に思い至り、ハッとした表情で茨羽を見た。
茨羽は頷き、その事実を口にした。
「洞ノ院は……つばめちゃんがいた施設だ」
その名前をきいて、無銘の表情が暗くなった。
そして何より……つばめは無銘が救えなかった少女だった。異能夜行の終盤、つばめは無銘の前で命を落としたのだ。
「つばめちゃん……」
無銘は俯いた。つばめともうひとり……無銘の弟子だった
茨羽は暫く黙った後、話を続けた。
「それで、鬱櫛の依頼は洞ノ院の調査だそうだ。詳しい事は面会に来た時に話すと言っていた」
「そうか……分かった、行ってみる」
そこで話が一段落し、その後は世間話となった。
無銘は忙しい身であり、かつての仲間とは殆ど会っていなかったが、茨羽は仲間たちの現在をよく把握していた。
まず、茨羽は妻……茨羽
茨羽や無銘と共に三馬鹿の一角として認知されていた男……
かつて螺鈿會に与していた
同じく螺鈿會に与していた
仲間のたまり場だった喫茶店のマスター……
みんな、それぞれの道を歩いているようだ。ただひとり、無銘だけが過去に囚われている……仲間を救えなかった事に囚われ、一歩を踏み出せないでいる。
鬱櫛の依頼は、もしかしたら一歩を踏み出す切っ掛けになるかもしれない……そう思ったが、直ぐにその考えを捨てた。
自分にはその資格がないと思ったからだった。
* * *
茨羽と別れた後、無銘は
鬱櫛と面会したいと言い、手続きを済ませると、面会室に案内された。
ドラマでよく見るような、アクリル板で仕切られた机がある部屋。仕切りの向こうでは刑務所の職員に連れられた鬱櫛が部屋に入り、無銘と向き合っていた。刑務所にいる事に疲れた様子はなく、薄ら笑いすら浮かべている。
かつては殺し合った事もある相手だ。無銘は少し警戒しながら彼に話し掛けた。
「茨羽からきいた。洞ノ院について調べて欲しいそうだな」
「ああ。あの施設は鬱櫛が管理していたのだがね。ある日急に取り壊しになったときかされて驚いたのだよ」
「……?取り壊しは鬱櫛の判断じゃないのか?」
無銘がきくと、鬱櫛は「ああ」と頷いた。
「当主はそんな判断を下していない。それに彼処はまだまだ現役だ。取り壊す必要などないのだよ」
「つまり、鬱櫛家以外の第三者が取り壊しを指示したと……例えば、螺鈿會とか」
「……螺鈿會は既に壊滅している。だからこそあの施設を鬱櫛が管理しているのだよ。だが……もしかしたら、有り得ない話ではないかもしれんな」
「どういう事だ?」
鬱櫛は暫く黙った後、思いもよらぬ事を口にした。
「管理を担当している者がこう証言したのだ。彼処で、春風郭公らしき人物を見たと……」
その言葉に無銘は驚いた。
春風郭公は警察に追われる身だ。てっきり、何処か遠くへ行ったものと思っていたが……鬱櫛の話が本当ならば、春風は無銘の近くにいた事になる。
「施設の取り壊しはフェイクかもしれないってか」
「そういう事だ。それに、春風郭公がいるとすれば……その娘の遺体も、彼の近くにあるのではないか?」
その言葉に、無銘はハッとした表情を浮かべた。
それから俯いて、思考に身を任せる。
春風は研究の為につばめの遺体を持ち去っている。つまり、春風が洞ノ院にいるとすればつばめの遺体もそこにある可能性が高いという事になる。
自分の中で凍り付いていた部分が熱を持ったように感じられた。
自分は前に進めなくてもいい。未だ地獄の中にいるであろうつばめを解き放つ事が出来るなら……!
躊躇う必要はない。
無銘は顔を上げ、鬱櫛の依頼を受諾した。