無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
鬱櫛から話をきいた後、無銘は洞ノ院があった場所を見に行くことにした。
車で冬天市に戻り、携帯端末で調べておいた住所に向かう。
そこには取り壊し中の建物があった。元々は二階建てだったのだろうが、現在は中途半端に取り壊され、一階のみそのまま残っているという状況だった。
辺りには重機が止まっているが、作業員は来ていないらしく、人影はない。
しばらく見て回ったが建物の中に入る訳にもいかず、なんの収穫も得られずに撤退する事となった。
その後、周辺の住民にきき込みをしてみた。どうやら洞ノ院はかなり評判が悪い施設だったらしく、いちど中に入った子供は出て来れないという噂が立っていた。
周辺の住民もあまり関わりたがらない場所のようで、こちらもめぼしい情報は得られなかった。
(どうするか……)
子供の名簿でもあれば別だろうが、コネを使って取り寄せるにしても時間が掛かる。せめて、施設の子供が残した日記でもあれば……そう思った時、
「……あ」
無銘はとある事を思い付いて声をあげた。
施設にいた子供の中で日記をつけていた子を、自分はよく知っているではないか……。
日記がある場所にも心当たりはあったので、まずはそこに向かう事にした。
* * *
冬天市の中でも特に田舎の雰囲気が漂う町……
その町の中で、比較的活気が溢れる喫茶店に、無銘の姿はあった。
ちょうどお昼時のようで、店員は忙しく働いている。その中でも特に目を引くのが人一倍駆け回っている灰色の髪の少女だった。
少女……木野葉月は客の注文に対応しながらも無銘の前までやってきて、お冷とおしぼりを置いた。
「こんにちは、無銘さん。遅くなり申し訳ございません」
「いや、大丈夫だ。カレーをひとつ頼む」
「カレーですね、かしこまりました」
葉月は注文を厨房に伝える為、去っていこうとする。無銘はその背中に声を掛けた。
「あ、そうだ。店が落ち着くのっていつになる?」
「この時間帯を乗り越えれば落ち着くと思います」
「そうか……夢羽ちゃんに話があるから、店が落ち着くまでここにいてもいいか?」
「大丈夫です。夢羽さんに伝えておきますね」
葉月は頷くと、去っていった。
暫くしてからカレーが運ばれてきたので、それを食べながら待つ事にする。
まともな食事は久しぶりだなぁと思いながら、無銘はスプーンを進めた。
久しぶりの休息になった。
* * *
お昼時を過ぎると客も少なくなってきて、店員にも余裕が出来た。
そのタイミングで、無銘が座っている席に近付いてきた人物がいた。
白髪に蒼い目の、小柄な少女で、車椅子を器用に操っている。少女は無銘の前まで来ると、「お久しぶりです」と微笑んだ。
「忙しいところすまないが、ちょっと話をきいてほしいんだ」
無銘の言葉に、少女……越月夢羽は「分かりました」と頷いた。
無銘は鬱櫛からの依頼の事を詳しく話す。夢羽はつばめと仲が良く、つばめの死後に遺品である日記を受け取っていた。
洞ノ院で春風郭公を見たという箇所で夢羽は驚き、「そんな近くに……」と悔しそうな表情を浮かべた。
話をきき終わると、夢羽は「……事情は分かりました」と言った。
「確かに、つばめちゃんの日記には洞ノ院の事も書いてありました。それに、つばめちゃんがあそこで過ごした時の事も……」
何故か、そこで夢羽は泣きそうな表情になった。
「夢羽ちゃん……?」
「……私、日記を何度も読み返したんです。その度に、つばめちゃんの事を思い出して……何も力になれなかった自分が悔しくて……」
「……気持ちは分かるよ。オレだって、つばめちゃんを目の前で失った。助けられなかった自分が情けないし、後悔もある」
その後悔が、無銘を変えた。
もう誰も失わないように、自分を殺してまで他人を救う事を決めた。
英雄になりたいなんていう憧れだけじゃ誰も救えない。英雄という人柱の上に人々の幸せがある……それは無銘も分かってはいたが、自分はその人柱になりきれていなかった。
名前が意味を成さなくなった日から、
結果として、無銘は自分が英雄もどきだと思い知らされた。だから、今度こそ英雄になる事にした。
仲間の死の上で成り立つ
「……でも、もうつばめちゃんはいない。だから、せめて解放してあげるんだ。つばめちゃんが囚われている地獄から……」
「そう、ですよね……後悔している場合じゃ、ないですもんね」
夢羽は乱暴に目を拭うと、「つばめちゃんの日記、持ってきます」と言って居住スペースに移動した。
* * *
戻ってきた夢羽は、二冊の日記帳を持っていた。
つばめの人生がそこに集約されている―その事実に、重苦しいものを覚えた。
あの時、自分が彼女を救えていれば、つばめの人生はもっと続いていたし、二冊では足りないくらいの日記帳が必要だった筈だ。
だが、自分のせいでつばめの人生は二冊の日記帳に集約されてしまった。その罪を、償う事は出来ない。
無銘は夢羽から日記帳を受け取り、最新のものからパラパラと捲っていく。
つばめの日記は、正確な記述の下に、拙い感想が書かれているというものだ。
感想はいずれも希望に満ち溢れたもので、つばめの毎日がどれだけ楽しいものだったのかを伺わせる内容だった。
読み進めていくうちに、あるページで手が止まった。
以前、無銘と遊園地に出掛けた時の記述だった。
―今日は無銘さんと出かけた。
楽しい一日だったけど、私はそんな時でも不幸に襲われて……そんな自分が嫌になる。
だけど、無銘さんが助けてくれた。
私を助けてくれたその背中がとても頼もしくて、優しくて……その時の事を思い出すと、とってもどきどきする。
やっぱり無銘さんは、私の英雄だ。
「……違うよ、つばめちゃん」
思わず、そんな言葉が口を突いた。
「オレは、きみの英雄になれなかったんだ……」
息苦しさを覚える。
視界が激しく明滅し、目眩を覚えた。
無数の声が、頭の中で反響する。
つばめちゃんはオレを英雄だと言った。
だけど、オレはあの子を救えなかった!
お前はあの子を裏切ったんだ!
「…………………!」
叫びたい衝動を、何とか堪える。
大丈夫ですかという声がきこえた。夢羽の声だ。
大丈夫だと返したつもりだったが、もしかしたら言葉になっていなかったかもしれない。
震える手で、無銘はページを捲り続けた。
軈て、目的の記述に辿り着く。
そこにあったのは、洞ノ院にいた頃のつばめと、彼女の友達だった少女の物語だった。
* * *
施設から脱出してから、私は無銘さんに救われた。
実は、その前にもうひとり、私を救ってくれた子がいた。
いまから記すのは、私にとってのもうひとりの英雄の物語だ。
その人が施設にやってきたのは、清々しいほどに晴れた日だった。
短く切った茶髪と、紅色の目を持つ女の子。彼女は施設内に充満する澱みを吹き飛ばす程の明るい笑みを浮かべ、こう名乗った。
「
繰り返される地獄に訪れた小さな変化。
この出会いが、ただ生きているだけだった私の人生を一変させる事になる……。