無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#5「飛べない鳥の物語(後編)」

 それから、私と幸鳥ちゃんは度々呼び出され、嬲られるようになった。

 私にとってそれは地獄でしかなかったし、幸鳥ちゃんを犠牲にすれば私がそこから逃げ出す事は出来たと思う。だけど、幸鳥ちゃんに全てを押し付けて逃げ出すなんて、出来る訳がなかった。

 施設の子供たちはこの事に気付いていない。今まで幸鳥ちゃんが孤独な戦いをしていた事を知らない。でも、私だけは覚えていたいと思った。それも、逃げ出さなかった理由のひとつかもしれない。

 辱めが終わると部屋に戻り、何も言わずに抱き合って眠る日々。私ひとりだったら耐えられなかっただろうし、幸鳥ちゃんがいたから何とか生きる事が出来ていた。

 だけど、そう思っていたのは私だけだった。幸鳥ちゃんは、繰り返される拷問に耐えられなかったのだ。

 私も、もしかしたら本人さえ気付かないまま、静かに幸鳥ちゃんは壊れていった。

 そして、それが表層化する直前……幸鳥ちゃんは、とある決心を抱いていた。

 

   *   *   *

 

 その日もいつものように辱めを受け、私たちは寝床へと戻ってきた。

 いつもなら、何も言わずに慰め合う。だけど、今日に限っては違った。

 幸鳥ちゃんは辱めを受けた後、顔が蒼白になっていた。もしかしたら私が気を失っている時に何かがあったのかもしれない。

 心配した私が彼女に声を掛けようとした、その時……。

 

「……つばめちゃん」

 

 幸鳥ちゃんは何かを決意したように私を見た。

 

「ど、どうしたの?幸鳥ちゃん……」

「少しだけ、甘えてもいいかな」

 

 幸鳥ちゃんが承諾を求めてきたのは、幸鳥ちゃんがされている事を初めて目撃した時以来だった。

 私が頷くと、幸鳥ちゃんはそっと私を抱き締めた。

 汗と石鹸の匂いが混ざり合う。柔らかな胸に抱かれ、気分が落ち着いてきた。

 私も手を回し、お互いに抱き合う形になる。

 ここまでは、いつもと同じだった。

 だけど……その後の言葉は、初めてきくものだった。

 

「……つばめちゃん、ごめんね」

「えっ?」

「わたし、つばめちゃんと出会えて幸せだったよ……」

「き、急にどうしたの?」

 

 まるでこれから死ぬかのような言葉に、私は狼狽する。

 幸鳥ちゃんは痛いくらいに私を抱きしめている。その雰囲気がいつもと違うような気がして……私は、嫌な予感を覚えた。

 どのくらいそうしていただろうか。幸鳥ちゃんは躰を放し、潤んだ目で私を見る。

 そして―何も言わずに唇を重ねてきた。

 

「ん……っ!?」

 

 柔らかな感触と共に、顔が熱くなる。

 私は目を見開いて、幸鳥ちゃんの唇を受け入れた。

 頭が真っ白になり、何も考えられなくなる。

 ……それと同時に、強い眠気を感じた。

 

「……おやすみ、つばめちゃん」

 

 数秒後、顔を離した幸鳥ちゃんはそう呟いた。

 私は何かを言おうとしたが、眠気がそれを邪魔する。

 それに抗えぬまま、眠りに落ちていく私の耳に、幸鳥ちゃんの声がきこえた。

 

「ここから逃げて……幸せになるために、空に羽ばたいて……」

 

 ……そこで、意識が暗闇の中に落ちていった。

 

   *   *   *

 

 ……やけに周りが騒々しい。

 私はゆっくりと目を開けた。瞬間、窓から差し込んできた朝の光に、目を細める。

 ゆっくりと起き上がり、目は頼りにならないので耳を澄ませてみる。

 子供たちが走る音と、職員の怒声がきこえてきた。

 何かあったのかなぁと思っていると、ひとりの子供が私の名前を呼んだ。

 

「どうしたの?」

 

 私がきくと、子供は大粒の涙を零しながら、

 

「ことりお姉ちゃんが……」

 

 と掠れた声で言った。

 ことり?

 どこかできいたような名前だったが、思い出せない。そもそも、自分は子供たちと仲が良かっただろうか。

 泣いている子供たちは私の腕を引っ張り、廊下へと連れ出した。そこには人集(ひとだか)りが出来ていて、私はそれを掻き分けながら前へと進む。

 みんなが注目していたのは隣の部屋だった。何があったのだろうと思い、部屋を覗き込んでみる。

 そして……目に映る光景に、私は絶句した。

 

 

 物が沢山置かれており、ごちゃごちゃした印象を与える部屋。

 その部屋で、ひとりの少女が首を吊っていた。

 

 

 天井の梁にロープを結び、それで首を吊ったようだ。少女の足元には失禁によるものと思われる水溜まりが出来ており、顔は変色している。

 そんな、と私は呟いた。

 これは明らかに自殺だ。施設の生活に耐え切れなかったのだろうか。

 確かに、ここでの生活は苦しいものだった。だけど、次第に生活環境は改善され、子供たちの顔にも笑顔が戻ってきたのに……。

 と、そこで違和感を覚えた。

 生活環境が改善された?

 それはいつの事だ?

 そもそも、この少女は誰だ?

 思い出せない。何か、大切な記憶が欠けている。

 私は頭を抱えた。何が起こっているのか、訳が分からなかった。

 と、その時……頭の中で声がきこえた。

 

 ―ここから逃げて……幸せになるために、空に羽ばたいて……。

 

 きいた事のない声。

 だけど、何処か馴染みのある声だった。

 その声に突き動かされるように、私の躰は動いた。

 自分の意志とは無関係に、そうしなくてはいけないと思ったのだ。

 子供も職員も大騒ぎで、私の行動には気付いていないようだった。

 

 

 逃げる子供はいないと考えている為か、警備は杜撰(ずさん)だった。

 私は施設から脱出して、必死に走り続けた。

 謎の声に突き動かされ、生きる為に走り続けた。

 

 

 そして……私は無銘さんと出会い、救われる事になったのだ。

 

   *   *   *

 

 無銘さんに救われ、無題荘に入居してから数日が経過した、ある日の事。

 寝間着として使っている衣服の洗濯をしていた時に、そのポケットからとあるものが出てきた。

 私が寝間着として使っているのは、施設で着ていた入院着だ。施設で着ていたものは古びたTシャツやパーカーなど、他にもあったが、寝間着として好んでいたのは入院着だった。

 その入院着のポケットから、黒いヘアピンが出てきた。私はヘアピンなど付けないし、見覚えがないものだった。

 もしかしたら、誰か他の人のものかもしれない……そう思い、持ち主を確かめる為に能力を使う事にしてみた。

 能力を発動し、ヘアピンの持ち主の事を探ってみる。

 頭の中に、その持ち主の姿と、想いが流れ込んできた。

 

   *   *   *

 

 空を飛ぶ燕の夢を見た。

 曇天の中、その翼を拡げ、必死に羽ばたいていた。

 ここではないどこかへ行こうともがいていた。

 そんな燕を、わたしは見ていた。

 地べたに這い蹲ったまま、飛べない鳥として。

 

 

 夢は唐突に終わりを告げる。

 粘り気のある疲労の中、わたしは身を起こす。

 下腹部が重い。痛みもある。

 それは私が彼らに×されたからだ。

 絶望の中、不快な笑い声が響いていた事を覚えていた。

 そして……絶望の後にわたしを抱き締めてくれた一人の少女の事も。

 その二色の瞳から流れる涙を、身体の震えを……(しっか)りと意識に刻み込んで、自分は独りじゃないと言い聞かせた。

 それから泥のように眠って、朝が来たら笑顔でいた。

 みんなを心配させたくないと思っていたから、嫌でも笑顔を浮かべるしかなかった。

 でも、あの子だけは違った。あの子には何も隠せなかった。

 また夜が来て、嫌な事をされて、あの子の胸で泣いた。

 そんな繰り返しの中で、わたしはよくふたつの夢を見るようになった。

 ひとつは幸せな夢。わたしの隣にはあの子がいて、ふたりで大空を見上げている。

 空には二羽の鳥がいて、仲良く飛んでいる。

 ただそれだけの、でも幸せな夢。

 そしてもうひとつは……燕の夢。

 地面に這い蹲ったまま、曇天の中を飛ぶ燕を見ている。

 周りには誰もいない。燕を見守っているのはわたししかいない。

 ただそれだけの、でも悲しい夢。

 

 ふたつの夢の中でわたしは揺れ動く。

 幸せと悲しみの間でもがき続ける。

 だけど、その両天秤はある時一方に傾いた。

 わたしの精神が、現実に耐えられなくなったのだ。

 

 いつものように辱めを受け、部屋に戻ってきた後に、行動を起こした。

 わたしはあの子にキスをして、その記憶を改竄した。

 これで目覚めた時は、わたしの事を忘れている筈だ。

 あの子がこれから生きていくには、わたしの存在は邪魔だと思った。だから、こうするしかなかった。

 自分がつけていたヘアピンを外し、あの子の服に忍ばせる。

 それから部屋を出て、隣の部屋に入った。

 

 

 自分の首にロープを掛けた時。

 わたしは、悲しい夢を受け入れた。

 

 

 

 いしきがきえるなか、わたしはただひとつのことをねがった。

 

 

 にげて。

 

 あなたはとべないとりじゃないよ。

 

 あなたのために、わたしのために……。

 

 

 そらに、はばたいて。

 

 

 

 今、わたしは何処にもいない。

 だけど、わたしは確かに存在していて、あの子を見守っている。

 

 ねえ、つばめちゃん。

 あなたの翼は人と違うかもしれないけれど、

 でも、綺麗な翼だよ。

 その翼で飛び立って、

 わたしの分まで……

 

 

 ……幸せになってね、つばめちゃん。

 

   *   *   *

 

 全てを思い出した私はその場に崩れ落ち、涙を零した。

 幸鳥ちゃんが死んだのは、私のせいだ。

 私が気付いていれば、幸鳥ちゃんは……!

 なんで、私が生き残って、あの子が死んでしまったのだろう。

 あの子は、死ぬべきではなかったのに!

 

 ―幸せになってね、つばめちゃん。

 

 幸鳥ちゃんの想いが蘇る。

 私は、幸せになってもいいのだろうか。

 友達を見殺しにした私に、幸せになる資格があるのだろうか。

 

 ……その時、幸鳥ちゃんと交わした会話が脳裏に浮かんだ。

 

 

『じゃあさ……つばめはどうかな?』

『つばめって……鳥の?』

『うん。つばめって渡り鳥でしょ?特定の時期になると他の地域に移動する鳥……それってもちろん生きるためではあるけど、幸せを求めるためでもあるんじゃないかなって思うの』

『幸せを……?』

『生きて幸せになるために、他の地域に移動するの。だから、キミにもそうなってほしいなって。ここじゃなくてもいい……生きて幸せを掴むために飛ぶ渡り鳥になってほしいって思ったんだ』

 

 

 幸鳥ちゃんは、私に生きて幸せになってほしいと願っていた。

 だから、自分に関する記憶を消してまで、私を助けようとしたんだ。

 なら、私は……。

 

「幸鳥ちゃん、私……幸せになるよ」

 

 涙を零しながら、私は呟いた。

 私は幸せにならなくてはいけない。

 あの子が自分の命を賭してまで、護ってくれた命なのだから……。

 

 

 幸鳥ちゃんの死を背負って、私は生きていく。

 そして幸せになって、いつの日か彼女に再会できた時、笑顔でこう言うんだ。

 

 ありがとう、幸鳥ちゃん。

 一生懸命生きて、幸せになれたよ、と……。

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