無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
日記を読み終わった無銘は荒れ狂う感情に流されぬよう、黙り込んでいた。
自分のせいで、つばめだけではなく彼女に想いを託した冬土幸鳥の事も救えなかったと知り、激しい怒りが生じていた。表面上はいつもと変わらなかったが、その心中は穏やかではなかった。
それを悟ったのか、夢羽は何も言わなかった。
荒れ狂う感情を落ち着かせるのに、数分の時間を要した。何とか平静を取り戻した無銘は「……すまなかった」と呟いて冷めたコーヒーを飲んだ。日記を読んでいる途中、夢羽が持ってきてくれたものだった。
「施設の事は分かったし、春風が何処にいるのかも……多分、分かった」
「それって、まさか……」
「ああ。つばめちゃんたちが乱暴されていた地下室……そこに、春風がいると思う」
春風が本当にいるという確証はない。証拠といえば鬱櫛の話しかないからだ。
だが、調べてみる価値はあると無銘は思っていた。
「もう一度、施設を調べてみる。何かあったら連絡するよ」
「分かりました。無理はしないでくださいね……」
レジで会計を済ませ、顔見知りの店員と少し話してから、無銘は喫茶店を出ようとした。
それを止めたのは、いつの間にか店内にいたひとりの客だった。
「ちょっと待て」
その声に、無銘は振り返る。
そして声の主を認識した瞬間、驚きの表情を浮かべた。
「やはり洞ノ院か……いつ出発する?俺も同行する」
「夜月……」
カウンター席に座り、お冷を飲んでいた男……源夜月は薄く笑い「久しぶりだな、相棒」と嬉しそうに言った。
「お前……どうしてここに?」
「どうしてとはご挨拶だな。何となく喫茶店のコーヒーが飲みたくなったから山を降りてみたら、お前がいたんだよ。気配消してたから気づかなかったろ」
「なんで気配消してたんだよ……」
「気分」
「………」
無銘は黙り込む。夜月を前にするとシリアスな気分が薄れる気がするから不思議だ。そういう力があるのかもしれない。
夜月はふざけ過ぎたと思ったのか、真剣な口調になって言った。
「まあ、事情は一通りきいたよ。春風郭公が見つかったんだろ?」
「それを調査するところだよ」
「俺も同行する。人手は多い方がいいだろう?」
確かに、夜月は隠密行動に長けているし、戦力としても申し分ない。ありがたい申し出だといえるだろう。
だが……。
「……気持ちは有難いけど、ひとりで行くよ。これはオレの問題だし、巻き込む訳にはいかない」
無銘の言葉をきいて、夜月は「相変わらずだな」と溜息をついた。
「どうせ、つばめと逆浪を救えなかったとか言って自分を責めてるんだろ」
「………」
「あのな、無銘……以前にも言ったが、それはお前だけの責任なのか?あの場にいた全員に責任があるんじゃないのか?」
「でも、オレは救えなかった……意識があったのに、動けなかった……!」
「それは茨羽も同じだ。それに、あの場で俺たちがやられていなければアイツらを救えるチャンスはあったかもしれない」
アイツらを救えなかった罪は、みんなで背負うべきだ……そう夜月は言った。
「もうちょっと俺たちを頼れよ、相棒」
「………」
無銘は目を瞑り、暫く黙り込んでいた。その様子は逡巡しているようでもあり、夜月の言葉を反芻しているようでもあった。
軈て目を開け、無銘は呟くように言った。
「……分かった。ただ、ヤバいと思ったらオレに構わず直ぐに逃げてくれ」
「……ああ、そうするよ」
夜月は頷く。
それで話はまとまり、ふたりは洞ノ院へと向かった。
* * *
監視用のモニターに人影が映りこんだので、研究の手を止めた。
小さなモニターの画面は分割されており、そのうちのふたつには人影が映っている。これは源夜月と、無銘……
どうやら、自分がここにいる事が分かったらしい。発見までに二年ほどの時間を要してはいたが、自分からしてみれば早すぎるといえるだろう。研究はまだまだ終わっておらず、やっとひとつ目の目的を達成出来るかどうかというところだったのだから。
暫し思考したあと、徐に近くにあった無線機を取り上げ、通信を開始した。
「侵入者を確認。S44とE1は出撃し、侵入者を迎撃せよ」
* * *
洞ノ院には相変わらず重機が放置されていたが、作業員は来ていないようだった。やはりフェイクなのだろうかと思っていると、夜月がこう提案した。
「別々に侵入しよう。そうすればどちらかが行動不能になっても探索を続けられる」
「おい夜月、さっき言った事は……」
「勿論、分かってる。だがふたりまとめてやられたら元も子もないだろ?何があるか分からないし」
「それは……そうだが」
夜月は携帯端末を取り出すと、「お前も持ってるだろ?何かあったらこれで連絡してくれ」と言った。
無銘は渋々ではあるがそれを了承した。ふたりが同時にやられたら逃げるどころの話ではないという事は分かっていたからだ。
「無理はするなよ」
「ああ、お前もな」
ふたりは行動を開始した。無銘は正面から突入し、夜月は裏口から突入した。
* * *
夜月は気配を消し、廊下を進んでいた。
春風がいるであろう場所は把握していたので、迷わず進む。窓には板が張りつけてあったのでかなり暗いが、この程度なら問題ない。
取り壊し中だからか、壁や床にはヒビが入っていた。崩れ落ちないかが心配だったが、そんな事を気にしていても仕方がないので進む事に集中した。
暫く進み、二回目となる角を曲がった。あとは真っ直ぐ進めば目的のドアに辿り着く……筈だった。
「……!」
突如、右耳を何かが掠めた。
咄嗟に得物である大鎌を構え、目を凝らす。少し先に誰かが立っているのが見えた。
その人影は黒いバイクスーツを身に纏っていた。髪の長さからして恐らく女。だが、それ以上に妙な既視感があり……。
「……
夜月は思わず呟いていた。
だが、そんなはずはない。日向
直後、二発目が来た。咄嗟に首を傾げて回避し、相手の姿を見る。
その女は日向美雪ではなかった。長い髪は緑色で、目は灰色。背丈は美雪と似ていたが、その顔は美雪というよりむしろ……春風つばめに似ていた。
夜月を襲った飛来物の正体は、彼女が右手に持っている拳銃のようだった。夜月は既視感に戸惑いながらも、警戒心を装着して尋ねる。
「誰だ」
「私はS44……ロストアイの守護者です」
S44と名乗った女は抑揚のない声でそう呟くと、素早い動きで夜月の眼前に迫った。
「侵入者、確認。排除します」
銀色の輝きが闇を切り裂く。
心臓目掛けて突き出されたナイフを鎌で捌き、夜月は呟いた。
「……やるしかねぇか」
彼女を敵と認識しても尚、心中にまだ既視感が残っている。それに戸惑いながら、夜月は戦闘を開始した。
* * *
同様の事が、無銘にも起こっていた。
侵入して直ぐ、無銘は敵と出くわしていた。
赤い目に黒い髪。切ったのか、記憶にある姿より髪が短く、さっぱりしたヘアスタイルをしてはいたが……その人物は、無銘がよく知る人物だった。
「なんで……お前が……」
「……久しぶりですね、無銘さん」
目の前にいるのは、かつての弟子であり、自分の目の前で死んだ男……逆浪光だった。
「光……なのか?」
「嫌だなぁ、オレの顔忘れちゃったんですか?」
逆浪は
だが……。
「だって、お前は……死んだ筈だ。オレの目の前で……」
「ええ。死にましたね。でも、死者がこの世界にいちゃおかしいですか?」
「どういう事だ?」
「異能なんてものがある世界ですよ。死者が甦ったっておかしくないでしょ」
逆浪は軽い口調でそんな事を言った。
なら、本当に……。
「本当に……光なんだな?」
「そうですよ。それ以外の誰に見えるんです?」
「日向やつばめちゃんは……一緒じゃないのか」
「さぁ?よく分からないです。まだ死んだままなんじゃないですか」
「……そうか」
逆浪はゆっくりと歩み寄り、笑顔で手を伸ばす。
無銘がそれを掴もうとした、その時……。
「……ちっ、不意打ち失敗かよ」
逆浪の一撃は空を切った。無銘が咄嗟に躰を反らしたからだった。
いつの間にか持っていた刀を弄び、逆浪は気だるげに舌打ちをする。
「参考までに。なんで分かったんですか?」
「本物の光なら、日向やつばめの事をどうでもいいように言わない。アイツは日向の死に責任を感じていたし、つばめを傷付けた時もそれは同じだろうと思ったからな」
「あそう……オレもまだまだか」
逆浪は溜息をついた。
それを睨みつけ、低い声で問う。
「答えろ。お前は誰だ?」
「……それはオレを負かしてからきいてください。そうしないとつまらないでしょ」
そう言って、逆浪はもう一振り刀を生成し、それを投げてきた。どうやら異能も使えるらしい。
「……戦うしかないってか」
「そういう事です」
無銘は刀を取り、抜刀する。
それを見た逆浪はニヤリと醜悪な笑みを浮かべ……獣のように襲いかかってきた。
「最後の稽古つけてくださいよ、
「黙れ、この紛い物がぁっ!」
激しい剣戟により、辺りの空気が震える。
師匠と弟子の戦闘が始まった。