無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
―同時刻、夢羽の喫茶店
無銘たちが出て行ったあと、喫茶店にひとりの来客があった。
「こんにちはー」
入ってきたのは、水色の髪の少女だった。ブレザーとスカートを身に纏うその姿は、見る度に大人へと近付いているような気がして、夢羽は自然と頬を緩めていた。
「亜美ちゃん、こんにちは……この時間に来るなんて珍しいね」
「学校が早く終わったので寄ってみました」
「そっか、お疲れ様」
夢羽の言葉に、少女……赤坂亜美は微笑んだ。
亜美はこの喫茶店でバイトをしている。基本的に人手不足の為、出来る限りシフトに入るようにしており、夢羽たちにとってはとてもありがたい事だった。今日はバイトの日ではない為、ただ寄っただけとの事だったが、それでも亜美がいると安心する。そういった雰囲気を亜美が纏っているからだろう。
亜美が何を注文するかは店側も把握しているので、注文を受ける前に葉月がオレンジジュースをカウンターに置く。亜美は目を輝かせて「ありがとうございます!」とお礼を言った。
夢羽はレジで作業をしながら、先程まで来ていた客の事を亜美に伝える事にした。
「そういえばさっき、無銘さんと夜月さんが来ていたよ」
「お兄ちゃんと夜月さんが?」
亜美は驚きの表情を浮かべた。少し大袈裟なリアクションにも見えるが、その驚きも無理はないだろうと夢羽は思う。
亜美の兄……無銘は二年前の異能夜行をきっかけとして壊れてしまい、仲間たちとの交流を絶っていた。
現在は実家を出てひとり暮らしをしている為、亜美との交流も以前と比べて減った。少なくとも一週間に一度は無銘の元に顔を出しているが、彼は壊れたままとの事だった。
亜美にはそれは治せなくて、だからこそ自分に嫌気が差していたのだ。自分はかつて兄に救われているのに、兄を救う事も出来ないなんて……そう思い、自分を責めていた。
同時に、無銘はずっとこのままだろうという諦念もあった。だから、その無銘がかつての仲間に会いにいくとは思っていなかった。
「お兄ちゃん、良くなったんですか……?」
希望を込めて亜美がきくと、夢羽は首を横に振った。
それから、無銘が喫茶店に来た理由を話してくれた。
* * *
話をきいた亜美は「そんな事が……」と呟いた。
「無銘さんは積極的に動いていた。それがつばめちゃんへの償いになると思ったのかも……」
「多分、そうかもしれません。お兄ちゃんが良くなるきっかけになればいいんですが……」
亜美は浮かない顔をしていた。
何か気掛かりな事があるのかときくと、亜美は「夜月さんの事も心配で……」と呟いた。
「夜月さん、いつもと変わらないように見えたけど……」
「夜月さん、二年前に街を出るまで、ずっと病んでいたんです。異能夜行があんな結果に終わったのに、誰も自分を責めない事に思い悩んで……」
「でも、アレは夜月さんだけの所為という訳じゃないのに……」
「夜月さんが山に行ったのも、自分を鍛え直す為なんですよ。最初は自分の故郷でゆっくり休んで、それから山に向かったんです」
夜月の元を度々訪れていた亜美だからこそ、分かる事だったのだろう。彼も人知れず苦しんでいたのだ。それに気付けなかった自分が情けなくて、夢羽は俯いた。
その時、近くのテーブルから声が掛かった。
「ちょいと失礼。話がきこえたんだが、お嬢ちゃんの知り合いは洞ノ院に向かったのかい?」
話し掛けて来たのはこの店の常連である男性だった。先程までコーヒーを飲みながらパソコンで作業をしていたのだが、今は作業の手を止めてこちらを見ている。
亜美がそうですと頷くと、男性が深刻そうな表情で言った。
「今、洞ノ院の近くに住んでいる知り合いから連絡があってよ……何でも、銃声みたいなのがきこえたらしいんだ」
「え……」
銃声という言葉に、亜美の顔色が変わった。
「もしかしたら、何かのトラブルに巻き込まれているのかもしれねぇ。一応警察を呼んだらしいが、市内で火災があったみたいで、そっちの対応に追われているからどうなるか……」
その言葉をきいて、亜美は唇を噛みしめる。
そして財布から小銭を取り出すとカウンターの上に置き、「ご馳走様でした!」と言って店を飛び出してしまった。
「亜美ちゃん!」
夢羽は近くに居た葉月に「早上がりしていいから追って!」と叫ぶ。
葉月は頷くと、店を飛び出していった。葉月は戦闘能力があるし、亜美の事もよく知っている。何もしないよりはマシだといえるだろう。
その様子を見て、男性は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「す、すまねぇ……言わない方がよかったか?」
「……いえ、教えて下さりありがとうございます」
こんな時、直ぐに動けない自分がもどかしい。
夢羽に出来る事は、みんなの無事を祈る事だけだった。
* * *
―無銘サイド
何度目になるか分からない振動が辺りを揺らし、甲高い金属音が連鎖する。
亜美がこちらに向かっていると知る由もなく、無銘は逆浪と刃を交えていた。傍目から見れば互角に見えるだろうが、無銘は予想以上に体力を奪われており、逆浪が優勢となっていた。
この逆浪はオリジナルと違い、殺人に躊躇がない。加えてオリジナルより遥かに強い。今のところ、刀を生成した時以外に目立った能力を使ってきた事はないが、恐らく模倣の異能も持っているのだろう。
―口伝抜刀術 第一番「桜波」
無銘の横斬りを辛うじて回避し、逆浪は攻撃に転じた。
―口伝抜刀術 第二番「蝉轟」
パワーの篭った縦斬りを辛うじて防ぐが、どうやら無銘よりも筋力があるらしく、次第に押し負けそうになる。
そこで無銘はわざと均衡を崩し、地面に倒れて無防備になった。当然、逆浪の刀は真上から迫ってくるが、それを刀で受け止め、一瞬の隙が生じたところで無理やり足を振り上げ、急所攻撃を見舞った。
それは不発に終わったものの、逆浪が飛び退いた為、距離が空いた。無銘は起き上がると、再び刀を構える。
「流石は師匠、単純なゴリ押しじゃ倒せませんか」
逆浪は愉しそうに唇の端を吊り上げる。目はギラギラと輝いており、まるで獲物を前にした獣のようだった。
「だから、オレはテメェの師匠じゃねぇっての!」
再び刃が交差する。
無銘は生前の逆浪に何度か稽古をつけていた。その為、彼の行動パターンは大方把握していた。
だが、今相手にしているヤツの動きは生前のものとは全く異なっていた。例えば、生前の逆浪なら相手がバランスを崩したらその隙を逃さずに畳み掛けるのだが、今の逆浪は少し距離をとり……。
―口伝抜刀術 第四番「雪止」
回転技の入った抜刀術を放ってきた。
咄嗟に防御するが、元々のパワーに勢いが加わった一撃は凄まじく、無銘は吹き飛ばされて地面を転がった。
手が痺れ、刀を取り落としてしまう。何とか体勢を整えるも、その鼻先に刀が突き付けられた。
「……チェックメイト、ですね」
逆浪の言葉には侮蔑の響きが混ざっている。
だが……無銘はそれを否定した。
「いや、まだ終わりじゃないさ」
言って、無銘は動いた。
左手で刀を掴み、思い切り跳ね上げる。
そしてガラ空きになった胴へ重々しい一撃を入れた。
逆浪は躰をくの字に折って嘔吐く。倒れこそしなかったが、刀を取り落としてしまっていた。
「油断大敵……自分が優勢になると直ぐに油断するのは本物と一緒だな」
最も、本物はその癖を直していたけどな……無銘はそう言って、逆浪を見下ろした。
「あそう……クッソ、耐久力は紙だってのに……」
逆浪は忌々しげに呟く。どうやら耐久力はオリジナルと変わらないようだ。
「さて、洗いざらい話してもらおうか」
明らかに劣勢だと悟ったのだろう。逆浪は観念したように「……分かりましたよ」と呟いて、話を始めた。
「オレは逆浪光の模造品です。逆浪のガワに逆浪の記憶という中身を詰め込んだ人形……ってところですね」
「誰がそんな……死者を冒涜するような存在を……」
無銘は内心で怒りが生まれるのを感じながらそうきいた。
「元々は、春風つばめの躰を創るってところから始まった事です。だから、強いて言えば春風郭公がやったって事になりますね。最も、春風がやったのは製法の開発とつばめの模造品を創る事だけですが」
「じゃあ……お前は誰が創ったんだ」
無銘の問いに、逆浪はニヤリと笑って答えた。
「苛内
苛内植といえば、異能夜行の際に美雪を殺害し、逆浪に絶望を与えた人物だ。そんなヤツに逆浪の存在を陵辱されていると思うと、吐き気が込み上げてくる。
逆浪は無銘の反応を見ると、愉しそうにこう付け足した。
「ちなみに、オレは逆浪の記憶を持っていて、それで構成されていますが、人格は逆浪とは異なります。常時、逆浪光という人物を追体験している……といってもいいでしょう」
「……それがどうした」
「苛内は逆浪……というかその友人である日向美雪にご執心のようでしてね。美雪の模造品を創って、オレの前で犯してるんですよ。オレは逆浪とは違うから、それをただ眺めているだけ。なんの情も湧きませんが、苛内はその様子が面白くてたまらないみたいです」
その言葉をきいて、無銘の中で何かが切れた。
それは逆浪と美雪の存在を陵辱した苛内に対する怒りであり、その事を平然と語る紛い物に対する怒りでもあった。
無銘は一切の躊躇いもなく刀を振り上げ、逆浪の首を落とそうとする。
だが、怒りで動きが単純になったところを突かれた。
「………!」
刀は逆浪の首を落とす寸前で、触手に阻まれていた。逆浪が苛内の異能を模倣して出現させたものだ。
さらに、触手は無銘の左腕を絡め取り、荒々しい動きで彼の躰を地面に叩き付けていた。
呼吸が止まり、口から胃液が吐き出される。
逆浪はよろよろと立ち上がり、刀を持ち直した。
「まだ終わりじゃないっすよ、師匠……」
ニタニタと笑いながら、逆浪は触手を操作し、無銘を嫌というほど地面に叩き付ける。
ある程度の痛みには耐性がある無銘でも耐えられないほどの痛みを与えた後、逆浪はおちょくるような口調で言った。
「ほらほら、早くオレを殺さないと……師匠だけじゃなくて、アンタの弟子の存在まで殺しちまいますよ?」
無銘は答えず、地面に這い蹲るだけ。
だが、その無様な姿とは裏腹に、彼にはまだ闘志が残っていて……その感情は、怒りを超えて冷静になっていた。
「……大丈夫だ」
冷たい激情に身を委ねながら、無銘は言った。
「心配しなくていい。オレはお前を殺すつもりだからな」
その言葉は、無銘から出たものとは思えないくらい冷たく、憎しみの篭った言葉だった。
無銘は刀を拾い上げ、再び構える。
それに応じるように、逆浪も身構えた。
「殺してやるよ、紛い物……!」
「さて、第二ラウンドを始めましょうか!」
そして―ふたりは再び、激突した。