無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#8「自分のため、他人のため」

「まさかあんなに酢を入れられるとは……師匠、人の心とかないんすか?」

「お前が言うな。オレはラーメンに胡椒入れられたから反撃しただけだ」

 

 夜の闇に覆われた住宅街を、無銘と逆浪は歩いていた。

 確か、修行した後に飯を食いに行った時の事だと記憶している。逆浪はげんなりした表情を浮かべているが、これは自業自得なので仕方がない。

 

「ま、いいや……それより師匠、ありがとうございました」

「どうした急に。酢の摂りすぎか?」

「そこまで俺が礼を言うのが珍しいかよ……そうじゃなくて、口伝抜刀術の事ですよ。教えてくれてありがとうございました」

「ま、師匠らしい事なんてあんまり出来てなかったからな……弟子を取れるほどの実力もないし」

「んな事ないっすよ。師匠は強いです」

 

 そんなことはないと無銘は思った。

 オレが強ければ、大切なものをを守れていた筈だ。名前を失う事もなかった筈だ。

 

「……なあ、光」

「なんすか」

「お前、オレが師匠で良かったのか?単に武術を習いたいなら夜月の方が適任だと思うけど」

 

 無銘がそう言うと、逆浪はこちらを向いて呆れたような表情を浮かべた。

 

「何言ってるんすか……」

「こっちの台詞だよ」

「いやこっちの台詞だろこれは。俺、師匠を変えて欲しいなんて言った覚えないですよ?」

「……オレはそこまで強くないし、尊敬に値する人間でもない。そんなヤツに師事して、お前は良かったのかなって思ってさ」

「それ師匠が弟子に言っちゃダメな台詞第一位だと思いますけど……」

 

 逆浪は少し考えてから、こう言った。

 

「俺は師匠の事、強い人間だと思っています。自分の事を弱いと言いながらも、それで終わらないで強くなるために努力している。そういう人間は弱い人間ではないと思います」

「………」

「それに、師匠の在り方は凄いと思うんですよ。自己を犠牲に他人を救う……口に出すのは簡単ですが、実際に出来る人はあまりいない。むしろ異端だと蔑まれる在り方ですらある」

 

 最終的に人が行き着くのは利己ですからねと逆浪は言った。

 

「全てが自分の為になると思って動いているんです。社会の歯車になるのも、結婚するのも、子供を育てるのも、全て自分のため。利他的な行為だと思って行う行為ですら、心のどこかでそれが自分に返ってくる事を期待して行う……人ってそういう生き物なんです」

 

 だけど……と、逆浪は無銘の顔を見た。

 

「師匠は違う。人助けに見返りは求めないし、行動の全てが他人の為になっている。それは本当に凄い事だし、そういう在り方を見れただけで俺は得るものがあったと思ってます」

「買い被りすぎだ……オレはそんなに凄い人間じゃねぇよ。それに、光だって他人の為に動いているじゃないか」

「そんな事ないっすよ。俺は利己的な人間です。行動の全てが自分の為になるように立ち回る、最低な人間ですよ」

 

 逆浪はそう言って薄く笑った。

 そんな事はない……無銘はそう言って、自分を卑下するなと逆浪を叱り付けた。

 だけど、今思うと逆浪の言葉は確信を突いていたのかもしれない。

 

 それから程なくして、逆浪は自分の為(・・・・)につばめを殺したからだ。

 

   *   *   *

 

 ──現在、洞ノ院

 

 無銘と逆浪の戦闘は佳境を迎えていた。

 いくら異能を無効化する事が出来るといっても、範囲は右手のみなので狭い。加えて逆浪は多彩な異能を使いこなすため、その対応に精一杯となっていた。

 無銘が一方的にダメージを蓄積させるだけの戦闘。このままではいけないと思い、無銘は逆浪の攻撃を回避してから後ろに下がり、距離をとった。

 

「どうしたんすか師匠、もうへばったんですか?」

 

 逆浪は余裕そうだった。意地が悪い目で無銘を見て、それと同じくらい意地が悪い声で無銘を挑発する。

 

「そういうお前は余裕そうだな」

「ま、オリジナルとは違うんで。……でも、このままでは埒が明かないですね。師匠もここで死にたくないでしょ?」

「何が言いたい」

 

 逆浪はそこで愉しそうに笑い、ひとつの提案をした。

 

「オレが逆浪光になります。今敵対してるのは命令されたからってだけだし、そんなの簡単に無視できる。逆浪が帰ってきたってなれば喜ぶ人もいるんじゃないですか?」

「……つまり、死者に成り代わろうってのか」

「そうなりますね。悪い提案ではないと思いますよ?」

「どれだけ死者を侮辱するつもりだテメェ……そんなの願い下げだ。テメェはここで殺す」

 

 逆浪は無銘のリアクションを見て「まあ怒らないでくださいよ」とニヤニヤしながら言った。

 

「これは師匠にもメリットがある提案ですよ?何せ、逆浪が死んだって事実がなかった事になるんですよ。それによって師匠自身も苦しみから開放されるんじゃないですか?」

 

 逆浪が目の前で死んだの、悔いてるんでしょ―─紛い物はそう言って、どうなんだという風に無銘を見た。

 確かに、彼の言う事は理解できる。ここで彼が逆浪に成り変われば、逆浪が死んだという事実はなくなり、胸のつかえがひとつ取れる。魅力的な提案だといえるだろう。

 だが──

 

 

『それに、師匠の在り方は凄いと思うんですよ。自己を犠牲に他人を救う……口に出すのは簡単ですが、実際に出来る人はあまりいない。むしろ異端だと蔑まれる在り方ですらある』

 

 

 自己を犠牲に他人を救う──過去の無銘には、それが出来なかった。

 だから、失った。逆浪も、つばめも……そして、自分が名前を捨て、“無銘"に成るきっかけになった事件でも、何も護れなかった。

 それを悔いて、今まで生きてきた。

 それなのに、ここで逆浪の提案に乗ってしまったら、それは他人を犠牲に自己を救う事になってしまうのではないか。

 それだけはダメだ。

 逆浪光は死んだ(・・・・・・・)。それを受け入れないといけないのだ。

 目の前にいるのは逆浪を穢す紛い物で、逆浪ではない。

 自分の安寧の為に逆浪を穢す訳にはいかない。ここで解放してやるべきなのだ。

 だから……無銘は言った。

 

「断る。光はオレのせいで死んだ……それを受け入れないといけないんだ」

「……何だよ、つまらないの。逆浪のフリをして全員殺してやろうと思ったのに」

 

 逆浪はつまらなさそうに頭を搔いた。

 それから刀を構え、腰を落とす。

 

「もういいや。次で殺します」

 

 その言葉と共に、複数の拘束系異能が無銘を捕えた。オリジナルと違い、複数の異能を同時に使用できるようだ。右手は無事だったが、それ以外は動かせない。無効化の範囲を避けて異能を発動したらしい。器用な芸当である。

 

「右手で無効化すればいいと思ってるんでしょ。でもそれより早く首を飛ばすんで、諦めてください」

 

 言うが早いか、逆浪は地を蹴った。

 

「さよなら、師匠……」

 

 ──口伝抜刀術 第三番「紅染」

 

 斜めからの斬り捨て。

 異能無効化は間に合わない。一瞬の後、無銘は絶命する……筈だった。

 

「……!な、なんで動ける……」

 

 無銘は逆浪の一撃を回避していた。

 背中が無防備になり、逆浪に焦りが生まれる。

 その隙を逃さず、無銘は──

 

「カウンターフェイク」

 

 今までに蓄積されたダメージを右腕に蓄積し、エネルギーに変換して放つ。

 その一撃は逆浪の躰を貫き、彼を一瞬にして絶命させた。

 無銘は息をつくと、逆浪の躰から右腕を引き抜いた。赤く染まったそれを見ながら、暫くぼんやりとする。 

 逆浪の知らない方法で、異能を無効化する……無銘がとった方法は単純なものだった。

 

 ──■■■■■■(スタンド・バイ・ミー)

 

 五秒間だけ、異能が存在しない世界を作る、禁忌の力。

 逆浪はそれを知らない。だからこそ、とる事ができた手段だった。

 

「テメェはオレの事を師匠と呼んでいたが、オレの弟子は逆浪光であってテメェじゃねぇよ……って、もうきこえてないか」

 

 無銘は逆浪の死体にそう言うと、洞ノ院の内部へと向かおうとした。

 その時……ふたつの事が同時に起こった。

 ひとつは、無銘の背後からかけられた「お兄ちゃん!」という声。

 振り返ると、妹である赤坂亜美がこちらに駆け寄ってきた。その後ろには木野葉月もいて、逆浪の死体を見て驚いたような表情を浮かべている。

 なぜふたりがここにいるのか……無銘が亜美にきこうとした時、洞ノ院の壁に穴が空き、夜月が勢いよく吹っ飛んできた。

 

「夜月!」

「モーマンタイだ!それより構えろ!」

 

 夜月はゴロゴロと転がるも直ぐに起き上がり、大鎌を構えた。

 次の瞬間、壁に空けられた穴からいくつもの人影が飛び出してきた。全員が緑色の髪に灰色の眼を持ち、春風つばめと日向美雪を混ぜ合わせたような見た目をしている。

 あっという間に取り囲まれ、銃を向けられた。亜美と葉月はいきなりの事に困惑している様子だったが、夜月と無銘は鋭い目で敵を観察している。

 

「コイツらも模造品か……日向とつばめちゃんの混合体ってところか?ふざけやがって」

「その様子だと、コイツらの正体を知っているみたいだな」

「さっき光の模造品と戦ったばかりだよ」

「そうか……赤坂妹と木野が何でここにいるのかも気になるが、そんな事言ってる場合じゃないみたいだな」

 

 戦えるかと夜月はみんなにきいた。

 

「オレはまだいける」

「私も……大丈夫です」

「亜美さんは私が守ります」

 

 葉月が亜美を引き寄せ、身構える。

 なら大丈夫だなと夜月は呟き、いつでも飛び出せるように身構えた。

 破裂寸前の空気が満ち、そしてそれが破裂した瞬間──全員が動き出した。

 

『来るぞ!』

 

 夜月と無銘が叫ぶ。

 直後、銃声が連鎖し、その叫びを掻き消した。

 真っ直ぐに撃たれた銃弾と地面目掛けて撃たれた銃弾により、逃げ場はない。

 砂埃が舞い上がり、そしてそれが晴れた時──四人の姿は消えていた。

 それは無事に脱出できたようにも見え、同時に……銃弾の嵐により跡形もなく消し飛んだようにも見えた。

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