無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
異能夜行終幕後、夜月は荒れていた。
仲間が次々と死んでいったあの事件の中で、自分だけ早々にリタイアしてしまった事に負い目を感じていたからだ。
氷漬けにされ、次に意識が戻った時には、全てが終わっていた。
否、氷漬けにされている間も緩慢ではあるが意識はあった。だから一部始終を何となくではあるが覚えていたのだ。
だからこそ、悔しかった。
自分があの場で動けていれば、全てを救えたかもしれないのに……。
俺が、みんなを殺したようなものだ……夜月はそう思い込んでいた。
加えて、仲間が全く自分を責めなかった事も夜月の精神状態を悪化させた。
お前の所為だと責めてくれるのならまだよかった。だが、仲間は夜月の事を一言も責めなかった。
その優しさに縋ろうとしている自分が情けなくて、どうしようもない感情が夜月の中に生まれた。
怪我が完治し、退院してからも夜月の精神状態は不安定のままで、家の中に閉じこもり、一切の交流を絶った。
鬱々としながら退廃的な生活を送っていたある日、亜美が夜月を訪ねてきた。
当然、夜月は追い返した。これまでも仲間たちが訪ねてくる事はあったが、その全てを追い返していた。茨羽のように玄関前に居座るような者もいたが、夜月の意思は揺らがなかった。
しかし、亜美は諦めなかった。玄関で亜美を追い返し、部屋に戻ってみて……夜月は驚いた。
「……どうして」
部屋の中には亜美がいた。手には脱いだ靴を持っており、真剣さを帯びた目が夜月を見つめている。
「そうか、ラプラスの悪魔……」
夜月は忌々しげに呟く。
亜美は答えなかったが、その沈黙が夜月に正解だと教えてくれていた。
亜美の中にいる悪魔……ラプラスの悪魔は物体の位置を操作する事ができる。亜美ひとりを室内まで移動させる事など造作もないだろう。
「……そこまでして俺と関わりたいのか?」
「はい」
簡潔な返事の中に、亜美の想いが読み取れた。
恐らく、亜美は何があろうと引くつもりはない。どんな手を使ったとしても、夜月を救う気でいる。
ダメだ。
それは、俺に向けていい感情じゃない。
「異能夜行の事で、自分を責めているんですか?」
「……お前には関係ないだろ」
「関係あります。このまま放っておく事なんてできないし、それに……」
あの場で無力だったのは、私も同じですから──亜美はそう言った。
「……いいから帰れ。お前が俺に関わる事はない。俺に付き合っている暇があったら赤坂のところにでも行けよ。お前は日向を歩ける人間だろ」
「嫌です。ずっと、ここにいます」
穏やかで優しい亜美の言葉とは思えないほど、強い意志に満ちた言葉だった。
それが眩しくて、どうしようもなくなって……行き場のない感情は、苛立ちと怒りに変化した。
夜月は無言で亜美に近付くと、両腕を掴み……勢いよく押し倒した。
「きゃっ!」
いきなりの事で対応できなかったのだろう。亜美は為す術なく夜月に押し倒され、驚いたような目で彼を見た。
「……俺はお前に心配されるような人間じゃねぇよ」
呟いて、亜美の服を捲り上げる。
まだ幼い躰が顕になり、亜美は羞恥で顔を赤くした。
白くてきめ細かい、綺麗な肌。一瞬だけ躊躇したが、夜月はその肌に指を這わせる。
ビクン、と亜美の躰が跳ねた。
「その気になれば、俺はお前を傷付ける事だってできる。だから帰れ。俺の事なんか忘れろ。さもないと……本当に壊すぞ」
腹部から胸へと指を這わせていく。
その気になれば、このまま壊す事もできる。だが、そうはしたくないし、するつもりもない。
だが、こうでもしないと亜美は帰りそうにない。自分の問題に、彼女を巻き込みたくはなかった。
亜美は俯いて、じっと耐えていたが……やがて顔を上げると、穏やかな表情でこう言った。
「……それで夜月さんが満足するなら、私は壊れてもいいです」
予想していたものとは真逆の言葉に、夜月の手が止まる。亜美はまだ少し顔を赤くしながらも、微笑んでこう言った。
「私は夜月さんに傷ついてほしくないし、ひとりで抱え込まないでほしいんです。ひとりは辛いですから……」
「……なんで、そんな事言うんだよ」
「異能夜行の事は、夜月さんだけのせいじゃないからです。みんなに罪があって、それをみんなで背負いながら生きていくんです」
「だけど、俺は……」
「
突如、亜美の口調が変化した。驚いて彼女を見た夜月に、亜美は真剣な表情で言う。
「夜月さんが、私に言った言葉です。あの場には夜月さんだけがいた訳じゃない。お兄ちゃん、茨羽さん、葉月さん、暁月さん……そして、あの場から離脱した私たちも……責任があるとすれば、あの事件に関わったみんなにあるべきなんです」
亜美の言葉を受け、夜月の中で何かが切れた。
決壊した感情が言葉となり、制御を超えて溢れ出す。
「……でも、俺はあの場で何も出来なかった。無銘や茨羽と違って、手すら伸ばそうとしなかったんだぞ!そういうヤツなんだよ俺は!何も救えないで頑張ろうともしない、最低なヤツなんだ!そんなヤツに優しくするんじゃねぇよ!じゃないと、お前まで……!」
夜月は激昂する。それとは対照的に、亜美は穏やかな声でこう言った。
「それは違います。夜月さんは手を伸ばしました。届かなくても、必死に伸ばしていた……話をきく限り、私にはそう思えます」
亜美は腕を伸ばし、夜月をそっと抱きしめた。
「私にも背負わせてください。自分を責めないで……」
「あ……」
この子は。
どうして、こんなに優しいのだろう。
自分を傷つけかけた相手に対して、どうしてこんな事が言えるのだろう。
縋り付いてはいけない。それは分かっている。
なのに、何故……自分は亜美の言葉に縋り付こうとしている?
亜美に抱きしめられたまま、夜月は視線を宙にさまよわせる。
吐き出してスッキリしたのか、怒りは急速に萎んでいった。
今はまだ、亜美を抱きしめ返す資格はない。その慈愛を受け入れる事しかできない。
だが……
「……亜美」
「……はい」
「すまなかった」
「……夜月さんは何も悪くないですよ」
「俺、街を出る事にする。もう何も失わない為に……自分を一から鍛え直す」
「私も一緒に行きます」
「いや、今はいい……俺が強くなって、何も失わない力を手に入れたら、その時は……一緒になってくれ」
「……はい、その時は、一緒に生きましょう」
亜美とふたりで罪を背負い、歩き出す為に。
夜月は、再び立ち上がる事を決めた。
*
──現在、洞ノ院前
辛うじて逃走に成功した夜月たちは、建物の陰で息を潜めていた。
といっても、一時しのぎにしかならない事は全員が把握していた。敵の数は多いので、全力で索敵でもされたら直ぐに見つかるだろう。
対して、こちらは四人。まともに戦えるのは無銘と夜月、そして葉月だが、無銘は先程の戦闘で疲弊している。どう考えても分が悪い。
夜月は直ぐに思考を終え、無銘に言った。
「赤坂は先に行け。ここは俺が何とかする」
「バカな事を言うなよ夜月。無理はするなと言った筈だぞ」
無銘は鋭い視線を夜月に向けた。
その視線を受けて、コイツも俺と同じなんだな、と思う。
自分と同じ、深い絶望の淵からはい上がろうともがいている者の目だ。夜月にはそう見えたし、だからこそここで死ぬ訳にはいかなかった。
「どのみち誰かがやらないといけない。それに、ここでお前が立ち止まったら誰がつばめを救うんだ?」
「……それは」
無銘は黙り込む。夜月はその肩に手を置き、「心配すんな」と呟いた。
それから亜美と葉月の方へと目を向け、「ふたりは赤坂と一緒に行け」と言おうとした。
だが、夜月が言葉を発する前に、亜美がこう言った。
「……なら、私も残ります」
「お前まで何を言っているんだ!」
無銘が強い口調で言った。夜月もそれに同意するように頷き、亜美に言う。
「これ以上お前に迷惑をかける訳には行かない。ここは俺だけで大丈夫だから──」
「嫌です。私も、夜月さんと一緒に戦います」
一緒に生きるって、決めたじゃないですか──亜美はそう言った。
強く、眩しい視線を受け、夜月は何も言い返せなくなる。その隣では、無銘も驚いたように目を見開いていた。
「亜美、お前……」
「敵の数が多すぎます。夜月さんがひとりで戦っても、多勢に無勢でしかない。私の異能なら、夜月さんをサポートできると思います」
「……本当に、それでいいのか?」
夜月の問いに、亜美は躊躇いなく頷いた。
無銘はまだ何か言いたそうだったが、亜美の決意がどうやっても揺るがない事を悟ると、小さくため息をついた。
「オレとしては、夜月にも亜美にも残ってほしくはない。でも、ふたりの覚悟を無駄にしたくもない……」
無銘は夜月に目を向ける。
確かな信頼の籠った視線を、夜月はしっかりと受け止めた。
「……亜美を頼む」
「任せろ。お前も、つばめを救ってやってくれ」
無銘は頷く。
そして葉月と共に、建物の内部へと向かっていった。
同時に、敵に発見された。直ぐに発砲されたので、夜月は亜美を抱えて横っ飛びにそれを回避する。
それと同時に亜美が転移の異能を発動し、敵の後方へと移動した。
敵は無表情にふたりを発見し、銃を向ける。
夜月は大鎌を取り出し、身構えた。
「俺から離れるなよ」
「はい」
──絶対に、亜美は守る。
そして──夜月と亜美は敵の大群に立ち向かっていった。