無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
春風はよろよろと起き上がり、無銘を見据える。
「覚醒したか……しかし、その状態で私に勝てるのか?」
倒れた時のダメージと、逆浪との戦闘。
そのふたつが無銘を疲弊させているのは確かだった。
異能の箍を外したところで、体力が回復するわけではない。しかし、それでも無銘は春風に挑みかかっていく。
「くらいやがれ!」
「甘いな。その程度で私を斃せるとでも?」
無銘の拳を紙一重で回避し、春風はふたつの携帯型異能を取り出す。
「携帯型異能──『
「………!」
無銘は咄嗟に右手を突き出すが、爆破の連鎖は異能の範囲外にまで及んだ。
「うあっ!」
無銘の左半身が爆破される。普通の人間なら死んでいる筈の火傷だったが、無銘はお構い無しに春風に肉薄し、一撃を叩き込んだ。
「カウンターフェイク!」
まさか火傷を負いながら突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。春風はまともに一撃をくらい、吹き飛ばされて崩れ落ちた。
現在出せる中では最高の一撃だった。ただしその代償は大きく、右腕はひしゃげて使い物にならなくなる。
たったの一撃。しかし、それで春風は行動不能になった。
春風郭公は実力者であり、過去には公安の特殊部隊「零」の壊滅に一役買った人物でもある。その実力は、異能を持たないという弱点を補って余りあるものだった。
だが──無銘は彼以上の修羅場をくぐり抜けてきている。戦績がいいかというと決してそんな事はないが、それでも経験の差はあった。
加えて、彼の信念は春風のそれを凌駕している。春風は異能への復讐を誓い、長い時間を過ごしてきたし、その理想を実現させるために実の娘さえ手にかけた。
しかし、それでも無銘には敵わなかった。つばめの英雄になるという誓いは、時間の差さえ凌駕していたのだ。
あまりにも静かで、呆気ない決着だった。
一方的な戦闘ではなかった。事実、春風は携帯型異能を使い、無銘を追い詰めていたのだ。
だが、それでも無銘には勝てなかった。どう見ても春風よりボロボロなのに、倒れる事はなかった。
「……もう諦めろ。テメェの事は憎いが、裁きは法に任せたいしそれを望んでいる人もいる…….だから、大人しく捕まれよ」
無銘は感情を抑えたかのような声で、淡々と言う。
それに対して、春風は口の端から血を垂らし、薄く笑みを浮かべた。
「確かに、どう足掻いても私に勝ち目はないだろうな」
「なら……!」
「しかし、ここで異能に屈する訳にはいかないのだよ。私はずっと異能を憎んで生きてきた。異能力者に情けをかけられるくらいなら、私は死を選ぶ」
春風の蒼い瞳が、異様な輝きを浮かべる。
そして取り出したのは、ひとつの結晶。
まだなにかするつもりなのか、と無銘は身構える。春風は結晶を自らの胸に当て、叫んだ。
「さらばだ、赤坂蜥蜴……我が憎しみの業火に灼かれ、朽ち果てるがいい!」
──携帯型異能「獄炎」
結晶が赤い光を放ち、爆発する。
そこから地獄の炎が噴出し、春風の躰を焼き尽くした。
「なっ!」
無銘は思わず後ずさる。しかしそれで終わりではなかった。
炎は春風の躰を媒介とし、瞬く間に部屋中を覆い尽くした。
熱風が吹き荒び、思わず顔を腕で覆う。
何とか目を開けると、壁際の容器が目に入った。
撃ち抜かれ、壊れた容器がずらりと並ぶ、その中に、唯一無事な容器があった。
あっ、と声を上げ、容器に駆け寄ろうとする。
しかしそれより早く──とてつもない衝撃が、躰中を襲った。
視界が白くなり、それから真っ黒になる。
必死に手を伸ばすが、爆音と衝撃が連鎖し、意識を刈り取っていく。
(……クソ、まだ諦める訳には……)
薄れゆく意識の中、脳裏につばめの笑顔が浮かぶ。
それに押されるかのように、無銘は必死に手を伸ばした。
もはや自分が何をしているのかも分からない。意識は半分飛んでいるし、躰は感覚を失っている。
だけど、それでも……。
「英雄に、なるんだ──!」
確固たる信念だけを握りしめ。
無銘は、眼前にある希望に手を伸ばした。
* * *
「お兄ちゃんっ!」
洞ノ院が炎上し、建物が崩れ落ちていくさまを見て、亜美は建物へと駆け寄ろうとした。
それを必死になって止めながら、夜月は崩れ落ちる建物を見る。
春風がやったのか?
無銘や葉月は無事なのか?
さまざまな疑問が頭を駆け巡る。それに押し潰されそうになりながら、夜月は強い力で亜美を押さえつけていた。
と、燃え尽きていく建物の中から誰かが出てくるのが見えた。
煤やら灰にまみれ、あちこちに火傷を負っている。だが、そのシルエットは木野葉月のものに間違いなかった。
葉月は誰かに肩を貸している。ゆっくりとこちらに近付いてくるその姿を見て、夜月と亜美は安堵した。
「赤坂、木野……」
「よかった……」
亜美がよろよろとへたりこむ。
それを支えながら、ふたりに顔を向けて……夜月は硬直した。
葉月はまだマシな方だった。右手を骨折しており、火傷も負っていたが、気力はあり、自分の足で歩けていた。
それに対して、無銘の状態は酷かった。全身に火傷を負っているのは葉月と同じだったが、特に左半身の火傷は酷いものだった。
加えて、右腕がひしゃげており、見るも無惨な状態になっている。彼の姿を見て、亜美が小さく悲鳴をあげるのがきこえた。
無銘は夜月と亜美を認識すると小さく微笑み……手に抱えていたものを、ふたりに向けた。
それは──赤子だった。衰弱しているのか、泣き声すらあげない。目は閉じられており、誰がどう見ても危険な状態だった。
「この子を頼む……」
それだけ言うと、無銘は崩れ落ちた。その躰を葉月が支え、亜美に目を向ける。
亜美の対応は早かった。すぐさま異能を発動し、陽ヶ鳴市にある総合病院に転移したのだ。
全員が何かしらの怪我を負っていたので、すぐさま処置が施された。
赤子が回復し、元気な泣き声を響かせたのはそれから一時間後の事だった。
夜月たちも治療を受け、無事に回復した。
ただひとり、無銘だけは一命を取り留めたが目を覚まさなかった。
回復には向かっているものの、ダメージが大きかったからか、ずっと眠り続けている。
* * *
そして、後日。
全焼した洞ノ院から春風郭公の成れの果てと思われる炭化した物体が発見された。
これを受けて、彼は正式に死者と認められる事となった。
……こうして、異能夜行から続いた物語は一旦幕を閉じたのだった。