無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
……夢を見た。
桜が舞い散る世界の中、ひとりの少女がオレに微笑んでいる。
かつてはふたつに縛っていた髪を解き、大人びた雰囲気を漂わせる少女。その二色の瞳は優しい光を湛え、オレを見つめている。
オレもまた、少女に微笑み返した。
心配しないで、大丈夫だよ……と。
言葉はなくとも、それで十分だった。
その時、どこからともなく小さな声がきこえてきた。
夢の終わりを告げる声。どんどん大きくなっていく。
それと同時に、春風が強く吹き、桜吹雪がオレたちを覆った。
どうやら、もう目覚めないといけないみたいだ。
舞い散る桜の中、オレは少女の姿を見失う。
だけど、それを悲しいとは思わなかった。
また、直ぐに会えるから。
風はいよいよ強くなり、目の前は一面の桜色。
最初は小さかった声も、今ははっきりときこえてくる。
オレを呼ぶその声に応えようとした瞬間、視界が白く染まり……そして、オレは夢から覚めた。
* * *
目を開けると、眩しい光が視界に飛び込んできた。
思わずまた目を瞑り、ややあってからまた開ける。今度は目が慣れたのか、室内の様子を把握する事ができた。
目の前にはこちらを見下ろしている顔。その表情は無銘が目を覚ました事を確認すると、少しばかり呆れたものになった。
「おはようお父さん。遅刻だよ?」
「ああ……おはよう」
ふわぁと欠伸をし、身を起こす。昨夜まで付き纏っていた疲れはすっかり取れていた。
その様子を見て、自分を起こしてくれた少女がゆっくりと笑顔になる。
「でもよかった、よく寝れたみたいで」
「遅くなってすまんな……メシの準備するよ」
「ん、大丈夫。あたしもう学校行かなきゃだし、お父さんの分も作ってあるから」
暫くぼんやりしていた頭が、その一言で一気に覚醒する。
嬉しさによるものではない。もっと別の、危惧に近い感情によるものだった。
「つ、作ってくれたのか?」
「うん。今日は自信作だよ〜」
少女はにっこりと笑う。
邪心のない笑み。だが今はその笑顔が何よりも恐ろしかった。
「あ、あぁ……ありがとう。もう学校行かないとだろ?すまんが弁当作る時間はないから、昼飯は購買で買ってくれ」
近くにあった財布を掴み、中から千円札を一枚取り出して少女に渡す。
少女は「おーきーどーきー!」と札を受け取り、制服のポケットに入れた。
それから腕時計を見て、「あ!もうこんな時間!」と叫び、慌てた表情で自分の顔を見る。
「ごめんお父さん!あたしもう行くね!」
「ああ、気をつけてな」
少女は「いってきまーす!」と叫ぶと、部屋を出ていった。バタバタという
(まったく……)
我が娘ながら、いい子に育ってくれたものだと思う。
引き取ってから17年。グレる事もなく、真っ直ぐで純粋な子に育ってくれた。どうやら学校でも人気者らしく、それが我が事のように嬉しい。どうやら、自分はかなりの親バカだったようだ。
着替えを済ませ、リビングへと移動する。ダイニングテーブルには朝食の準備がしてあった。
ごくり、と唾を飲み込む。朝食はトーストとスクランブルエッグ、そしてコーヒーだった。一見すると違和感は見受けられない。
まずはコーヒーをひとくち。これは特に異常なし。むしろ美味しいくらいかもしれない。
続いて、バターを塗ったトーストをひとくち。これも異常なし。少しばかり焦げているが、むしろそれがアクセントになっている。
では……スクランブルエッグはどうだろう?皿に添えられていたスプーンを使い、恐る恐る口に運んでみると……
「…………うっ」
苦味が口内を蹂躙した。
コイツが地雷だったか……と思う。
先程までは美味しそうに見えたスクランブルエッグが、今は歪んで見えた。
……もう分かった人もいるだろうが、娘は料理の腕が壊滅的だ。
勉強以外は何事もそつなくこなす高スペックな女子高生ではあるが、料理はとても苦手だった。
どういう過程を経ればスクランブルエッグに苦味が追加されるのかは分からない。だが、本人は至って真面目に作っているつもりだし、自分で作った料理は美味しそうに食べる。ならこちらの味覚がおかしいのかというとそうではなく、茨羽と夜月に食べさせたら暫く目を覚まさなかったので、味覚がおかしいのは娘の方だった。
普段は娘より早く起きて朝食や弁当を作っているし、夕飯は探偵事務所の有能すぎる事務員が作ってくれる場合が多い為、娘の料理が食卓に上がる事は少ない。
だがごく稀にこういう事もあるのだ。その時はもう諦めるしかない。作ってくれたものを残すなんて事はできないし、それは無銘のプライドにかけて許せなかった。
何とか食べ終え、一息つく。時間がある時に料理を教えてやろうと本気で決意した。
依頼は今日も溜まっている。事務員が出勤するまでまだ時間があるので、その間は準備をして過ごした。
洞ノ院崩壊から、十七年が経過していた。
小さな事件はいくつも起きたし、無銘の仲間が危険にさらされた事もあった。ただ、異能夜行のような大きな事件が起きる事はなく、ただただ時間が経過するのみだった。
知り合いが異能省に勤めている事もあり、異能夜行で行方不明になったふたりの人物……神知戦と苛内植の事についてきく機会があったが、ふたりは未だ発見されていないらしい。神知に関しては異能夜行の最終局面でドロシィと共に拒絶結界の中へと消えていたが、十九年の歳月を経て拒絶結界は消滅していた。彼が生きているのか死んでいるのかは分からない。
苛内に関しては、とある要人が匿っているという噂があるらしい。ただ、無闇に手出しもできないため、真偽の程は不明である。
十九年が経過しても、異能夜行はまだ終わっていない。自分が生きている間に夜明けを迎えられるかどうかさえ、分からない。
鏡を見る。自分ではまだ若いつもりだったが、躰はどんどん老朽化していく。二十代後半あたりから以前のような動きができなくなりつつある……というか、その兆候がある事に気付いていた。
だが、まだくたばる訳にはいかない。娘はまだ十七歳だ。少なくとも成人するまでは、この手で護ってやらなくては。
探偵として依頼をいくつもこなした。時には危険な依頼にも対応した。そういう事があり、茨羽と並んで「双英雄」と呼ばれるほどになった無銘だったが、それでも自分の手の届く範囲でしか護る事はできない。この十七年間は、それを痛感させられた時間でもあった。
……いつか、異能夜行の精算を果たす時が来るかもしれない。
その時はもう一度だけ、手を伸ばそうと思った。
逆浪、美雪、そしてつばめ……あの戦いで失ったものへの、手向けとする為に……。
準備を終えた後、自分のデスクに置かれている写真立てを見る。
そこにはつばめが写っていた。いつ撮ったものなのか、写真の中の彼女は輝くような笑顔を浮かべている。
つばめに託されたものを護り、彼女の英雄でいるために……無銘は今日も進み続ける。
「さて、今日も一日、始めるか」
窓を開けると、暖かい風が頬を撫でた。
その風に微かな懐かしさを感じ、無銘は微笑む。
春が、そこまで来ていた。
【第1.5部 完】
命は廻り、物語は続いていく。
構想ではこの後に第2部を書くつもりですが、それを出せるかどうかはまだ未定です。なのでこれにて一区切りとなります。
相変わらずの駄文だった為、続きが投稿されても読んでくださいとは言えませんが……またこの作品でお会いできたら幸いです。
ありがとうございました。