変化とは逃げである。
誰しもが変わることに注力して今までの自分を絢爛なドレスで包もうとして、過ぎ去ったアルバムの1ページとなった自分を肯定的に捉えられない。今までの自分を受容できず目を背け、ただ漠然と良い方向に変化しようと邁進する。それは果たして、自分勝手で恣意的な思考そのものではないだろうか。過去の自分を否定した先に良い変化があるだなんて飛んだ傲慢だ。「あの時は私達も若かったよね〜」とかノスタルジックにアルバムを眺める大学生だって当時の自分から大した変化は経由していないだろう。結局理想とされるステレオタイプな人間性を模倣しようとして、失敗して、自分という人間性はマグカップで海から汲んだ水をそのま煮詰めた程度の些細な変化しかしない。それはもう、変化じゃなくて観測誤差だ。
なら変化なんてする必要性は無い。自分が何者であるかを理解しているからこそ俺は変化を求めない。自分に不満が有れど無けれど、それら全てを含めての俺だ。
だからこそ、なのだろう。俺は15年の歴史を歩んで来た中で一番の動揺をしていた。
一目惚れ。その4文字は今までの俺が唾棄して止まない概念である。大して知らない癖に容姿だけを見て異性として惚れる……とか口に出したら輪にかけて馬鹿らしい。
そう、馬鹿らしいはずだ。だが俺は未だ脳裏で一人の少女の虚像が桜並木に踊る花弁のように舞っている。
雪ノ下雪乃というそうだ。というのも俺はその名前と容姿以外に彼女のことを知らない。付け加えるならば国際教養学科という普通科より若干偏差値の高いクラスに所属しているのを偶然耳にしたくらいで、それ以外には本当に彼女に対する知見が無い。なら実際に会って話でもしたのかと言えば、特にそういう訳でもない。本当に見ただけだ、アイドルのライブに出没する後方彼氏面オタクも苦笑するレベル。
たった一度二度見ただけなのに俺の感情は気持ち悪いほど揺れ動く。クソ……こんなの中学時代に黒歴史と共に過去に置き去りにしてきたと思ってたんだが、俺の意志とは無関係にくっついて来てしまったようだ。冷静に考えて、この感情の正体が恋ならば一目惚れでしかないのだろう。容姿と名前以外知らない相手に惚れたならばそれ以外の何者でもない。
だが、一目惚れである。それはチョロQにもほどがあった過去の俺すらも認めなかった、言葉にしてしまえば至極面食い的な現実である。それを認めてしまっていいのだろうか。過去の自分を蔑ろにして、ヘリウムよりも軽そうなこのふわふわした感情を持て余す───決まっている。そんなのは断じて否だ。
だから、この衝動は嘘と欺瞞で満ち溢れている。なあ比企谷八幡、お前にしっかりとした恋愛の経験なんて無いだろ? 胸を張ってそれを一目惚れと言うには判断材料が無いはずだ。
どう足掻いたとしても、俺の胸騒ぎが止まらなくとも、こんな情動は偽物でしかない。これはきっと青春に含まれた一欠片のバグで、いつかは時間という名のデバッガーによって取り除かれる誤動作だ。ならその時まで俺は見ないフリをして生きていれば良い。
変化は逃げで、不変こそ真理なのだ。
────────────────
6月13日、金曜日。
目を覚ました早朝の俺の部屋に勢い良く入ってきたのはアイスピックを手にしたホッケーマスクの大男とかでは勿論無く、それより断然小柄な我が妹の比企谷小町だった。でも何故か手にはお玉とフライパンが握られている。いやホントに何で───と朝ボケした思考が反芻してると、小町は逡巡もなくホームラン宣言をする野手みたいにお玉とフライパンをこちらへと向けた。
カンカンカンカン!!
「お兄ちゃん起きて! 遅刻するよ!」
「まだ朝の6時半だろ……! てかそれがやりたいだけだろ!」
「あバレた?」
激しい金属音に嫌でも意識が覚醒する。頼むからそれは今後止めろ、絶対に止めろ。脳裏が未だにジンジンとするから。もし今やったのが小町じゃなくて親父ならキレて記憶無くしちゃうまである。それで「思い……出した……!」とか言いながら突然覚醒しちゃうのかな俺。
「でも本当に遅刻しちゃうから起きてけろ」
「は……?」
え、6時半くらいじゃなかった?
ぼーっと、枕から頭2つ離れたところに置かれていた目覚まし時計に視線を向ける。午後7時10分。数字が意味するのは遅刻寸前の瀬戸際だということだった。
弾かれたように起き上がった俺は小町を部屋から追い出すと忙しく制服に着替え、スクールバッグの中身を確認する。教科書をちゃんと数えて、よし、全部あるな。ボッチは悪いことでは全くないが、ただ他の生徒みたく他クラスの友達に借りるなんて行為が出来ないせいで教科書を安易に忘れられないのが欠点である。アレ、そもそも他クラスどころか自分のクラスにも友達いなかったわ。八幡うっかり♪
なんて脳内劇場を公演している最中にも朝飯をダイソンの掃除機並みの吸引力で早食いし、歯磨きをして家を出る。我が家は両親共働きでこの時間には既に居ないため、鍵を閉めるのも忘れない。
そしてチャリのロックを解錠してサドルに尻を乗っけると、小町は至極自然の流れで後ろに乗った。俺の通う高校と小町の通う中学が同じ方向で、かつ生徒会に入っている小町が朝用事が無い時のみに起こるイベントである。ヤダ、何か俺ギャルゲマスターっぽい。落とし神でも目指しちゃうか?
「出発進行〜!」
「おま、あんま動くなって」
弁護士が逆転しちゃうゲームの主人公みたいに人差し指を前に突きつける小町に危うく自転車のバランスが崩れそうになる。小町ちゃん今日は何かテンション高いね。日頃鬱憤が溜まる原因である兄貴に朝仕返しが出来たから機嫌が良い、とかだったら間違い無く俺は落ち込む。いや大丈夫なはずだ、本当に機嫌悪いときはまず俺の後ろに座って来ないのである。
特に会話も無く自転車は進む。速度に乗ると、湿っぽい風がやや強く肌に当たって若干気持悪い。チャリ通学の欠点だろう、これが夏なら涼しくて良いのだが雨の日と寒い日は億劫でしかない。
「お兄ちゃん、もう怪我大丈夫なの?」
中学校の近くまで来て、不意に小町は小さく呟いた。その言葉は4月に俺が事故で入院して、退院してから何度も聴いた言葉だった。
4月の入学式の日、俺は交通事故に巻き込まれた。巻き込まれたというか、実際は巻き込まれに行ったと評した方が正確だ。飼い主のリードを離れた犬が車道に飛び出して、偶然その後ろを今みたいに自転車でスイスイ走ってた俺が気付いて犬を助け出したのだが代わりに俺が引かれてしまったというオチの今年一つまらない話である。その後の顛末として犬はあれから見てないが恐らくは助かっているはずで、その反面俺は足の骨を折って頭も打ったので念の為に一ヶ月入院して検査を受け、愛用してた自転車はものの見事にお陀仏と化した。まあ誰も死なずに済んだし八幡的にはハッピーエンド、俺の人生で唯一人に臆することなく語れるエピソードになったのではないだろうか。
だが小町からしてみればそうでもないようで、退院してからというものの週に何回も体調を聴いてくる。特に変化は無いと答えれば安心した様子を見せるのだが、兄貴的にも少し過剰な気がしてならなかったりもする。なんせ退院して一ヶ月経ってる、足だってチャリを漕げる程度にはいつも通りだ。悪い気はしないが、なんというか、少しこそばゆい感情に駆られるのも事実で。
「ああ。ピンピンしてる」
「……良かった。あと小町が乗ってる時にだけは事故らないでよ、骨なんか折りたくないから」
んなの、俺も折りたくなかったわ。
小町の分かりやすいツンデレに内心ホコホコしながらペダルを蹴り飛ばす。まあ、こういう小町を見れるのも今だけと考えたら悪くないかもな。
小町を中学校にまで届けると、高校に着く時にはかなりギリギリの時間になっていた。デジタル音っぽい鐘の予鈴に背中をせっつかれながら急ぎ足で教室に向かう。
1年F組。それが俺のクラスなのだが、如何せん所属意識が欠片も無い。クラスメイトの誰とも面識が無い上に名前すら知らないのだから当然とも言える。というか同級生で知ってる名前なんて雪ノ下雪乃くらいなもんで、もしそんなことをクラスメイトに口を滑らせたりした日には俺の社会的地位はゼロからマイナス域に突入すること請け合いだろう。「見ろよアイツ、マジでストーカーなんだぜ?」「わ、今目が合った! 超キモ〜」とか言われ始めたらいくら万年ボッチの俺でも号泣する自信がある。いやマジで。
今日も今日とて比企谷八幡の一日は変わらない。淡白な授業を受け、教科書を流し読みし、偶に出される小テストをそこそこに受けてそこそこの点数を取る(数学は除く)。休み時間の合間はイヤホンを装着してうつ伏せ誰にも話しかけられないようサンクチュアリを築き上げる。山もなく谷もない、普通の一日である。
ただ全てが何時も通りという訳ではない。いつもと違うのは───そう、思考の中身に異物が混ざっているのだ。
授業中で退屈な隙間があれば、雪ノ下雪乃という存在が思考回路に介入してくるのである。勿論クラスが違う以上視覚情報として流れ込んでくるわけじゃない、無意 識に雪ノ下雪乃という少女の虚像を創り出して身近にいると錯覚し、脳内で妄想が勃発するのだ。
……気持悪い、とても気持悪い。
社会的にはこの感情は自然なもので、普遍的なのだろう。だが俺はそんな自分が許せない。認められない。肯定出来ない。
俺が俺足りうるアイデンティティ。それが立派なものだとは微塵も思ってはいないが、だからといって個人情報が書かれたハガキをビリビリに破るみたいに躊躇いなく捨てるなんて出来やしない。どれだけ惨めで、邪道で、暗澹たるものだとしても。これが俺の生き方で、在り方だ。
とか授業中に国語の教科書を読んでるふりをしながらぼーっと俯いていたのが悪かったのか、気付いたときには現代文教師である平塚先生が俺を見下ろすように立っていた。
「比企谷、どうした? 授業に身が入ってない様子だったが」
「いえ、なんでもないっす」
「そうか……ところで今戸塚が読んだ登場人物の台詞から、作者が何を思ってたか分かるか?」
あ〜、自分、難聴系主人公なんで分からないっす。とか答えられるハズもなくへへっ、と愛想笑いで誤魔化す。この前鏡で確認した時にはかなり歪な笑みだったのだが平塚先生には通用したのか「まあ分からないならしょうがないな、この件は不問にしてやる」と踵を鳴らした。
あっぶね……助かった。クラスで変に注目されたくらいで済んで良かったわ、と冷や汗をかいていると去り際に一言。
「ただし、授業に集中していなかったのは教職員として見逃せないな。昼休みに職員室に来るように」
どうやら俺の愛想笑いは自己評価通りの働きをしてくれたようである。
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昼休み。何時もならば昼飯を片手にベストプレイスで憩いの時を過ごしているはずなのだが、平塚先生からのラブコールを無視するわけにも行かない。無視しても良いが、あの先生の性格上絶対次の授業で因縁を付けられる。俺は入院してたから一ヶ月しかまだ通ってないとはいえ、平塚先生についてはそれくらいの予測が立てられるようになっていた。
「し、失礼しまーす……」
職員室のドアを恐る恐る開いてみる。職員室は既にクーラーが効き始めているようで、冷気に一瞬背筋が震える。一瞬自分のデスクで仕事をしていた教職員の視線を集めるが、すぐに興味を無くしたように再び各々の仕事に戻っていった。その中で平塚先生は俺の姿を認めると、立ち上がってこちらへとやって来る。
「おお、比企谷。ちゃんと来たか」
「……うっす」
「正直
7:3で来ないって何? これって7割の確率で来ないって意味だよな? たった一ヶ月でどんだけ俺の信用度低くなってるの?
若干落ち込みながらも平塚先生の後ろを着いていく。職員室の端っこにある白いセパレート2枚で区切られた先の空間、多分来客用なのだろう。「まあ座りなさい」と指示されたので、向き合うように置かれた横幅の長い黒いソファー、その下座側に腰を掛ける。平塚先生は、どっこいしょ、とオッサン臭い口調でもう一方に座る。
さて、さっさと終わらせるか。
「それで何ですか、授業中に集中していなかった件なら幾らでも謝りますよ。本当にすみませんでした」
先手必勝、一撃必殺! とばかりに渾身の謝罪を繰り出したのだが、平塚先生は微妙な顔をしつつ手を白衣のポケットに突っ込んだ。
「いや、その件はもう良い。周りを納得させ手早く君を呼び出す方便だったからな。……というか比企谷、少し平身低頭過ぎやしないか? 君にはプライドが無いのか?」
「ありますよ。今の言葉はプライドと現状を天秤にかけた結果です」
「君のプライドは軽石並みだな……」
時は金なりである。プライドを犠牲してこの無駄な時間がすんなり終わるならばそんなもんちゃちゃっと焼べてしまうべきだ。
コホン、と空気を変えるように平塚先生は咳払いすると言葉を選ぶように口を開いた。
「その、何だ。実はだな……私も部活動を受け持つことになってな」
「平塚先生が作るんですか?」
「いや違う。もともと部員0人の部活動を、引退した教員に代わって今年度から私が引き継ぐといった形だ」
「はあ……」
部員0人で部活動って存続できるもんなのか……? とか思う間も無く「どうやら3年前までは部員がいたらしいがそれから誰も触れなかったせいで放置されていたらしい」と平塚先生は答えた。それはそれでどうなんだ、いい加減過ぎないかこの学校の事務員。
「これがまた面倒なことなのだがベテラン教員に「君もそろそろ教員として慣れてきた頃だろう、どうだ、部活をちゃんと持ってみては?」とか言われてしまってね……」
平塚先生は小声でそう呟いた。他の教員に聞かれるの を気にしてるならこんな密室でもない場所で言わなきゃいいのに。
「まあそんなことはともかくだ。君には我が部の部員第一号になってもらいたい」
……は?
俺は思わず顔を見上げる。すると平塚先生の瞳と交わった。
「……何で俺なんですか?」
「君がぼっちだからだ」
「は、はぁ」
「もちろん悪い意味じゃないぞ?」
そこはかとなく貶された気がしたがどうやら違うらしい。でもぼっちという要素が部活動に勧誘される理由にならないと思うんだよなぁ……。
「私もこうなってから色々と考えたよ。どういう部活にするのかをね。でも部活動の内容的に真面目な人間しか合わない。人に安易に靡かれるような人間は部活動の使命を全う出来ない。そこで君なら上手くやってくれると思った訳だ」
「でも俺、部活動なんて柄じゃないんですけど……」
「安心しなさい。言っただろう? 部員はまだ君一人だ」
と、言われましても……。
「えっとそもそもどんな部活なんですか?」
「ああ言ってなかったね。奉仕部と言う。簡単に説明すれば、人の悩みを晴らす部活動だ」
「……話がそれだけなら俺、帰っていいすか?」
立とうとすると「まあ待ちたまえ」と平塚先生に手で制されたので渋々座る。いやだって人の悩みを解消させるのが目的なら絶対人選間違ってるだろ。自慢じゃないが妹にすら「お兄ちゃん、口を開けば捻くれだし黙ってた方がイケメン……っぽいだけだけど遥かにマシだよね〜。あ、でも目が死んでるから駄目か」とか言われる始末である。目が死んでるって何、社畜か何かなの? しかもイケメンっぽいとかこれまた微妙な評価なの無茶苦茶気になる。私、気になります!
「これは比企谷、君にも悪い話じゃないと思うが」
「……はい? どういうことですか?」
「君も悩んでるのだろう?」
そう問われて、俺は呆然と平塚先生の双眸を見返した。平塚先生は変わらない表情のまま口を開く。
「授業中に見てたら分かるよ、まあ何かまでは分からないが。君のことだ、即物的なものでも無いのだろう」
「……俺と先生、そんな理解ができるほどに長い付き合いじゃないでしょ」
「それでもだ。若輩とはいえ、私も教育者として何人も生徒を見てきたからな。私だってもうそろそろアラサーだ、青春真っ盛りの十代の事なんて手に取るように分かる。もうアラサーなんだよなぁ……」
何だかとても哀愁を感じるんだが……先生は美人なので大丈夫だと思いますよ? その容姿なら結婚とかしてそうだし。
まあそんな事はいい。それよか、悩みがあるならなんだって言うんだ。
「もし俺が悩んでたっていうなら寧ろ俺がクライアントになるべきだと思うんですが」
「そうだな。だが君の悩みはそう簡単に解決されるものでもないだろ? 私の勝手な想像だが、それは君の中で解決されなくてはならない問題だ。ならば多くの悩める人間を客観的に見てれば、それがヒントになるはずだ」
「は、はぁ……」
「それに奉仕部は決して他人の問題を全て解決する部活動じゃない。例えるなら魚が欲しい人間に魚の取り方を教えるのが部活内容で、魚を与えるわけではないんだ。その点、君のような他人に対して常に一歩距離を置いている人材は貴重だ」
「だから勧誘したと」
「そういうことだ」
平塚先生の視線を切って、意識して虚空を見つめてみる。晴れ渡った空から昼間の陽光が窓を突き破り、職員室の床を明るく照らしていた。
部活動に入るかどうか、なんて考える日が来るとは思わなかった。何せ俺は選んで部活動に入るならば帰宅部を選ぶ人間である。少なくとも中学はそうして3年間過ごしてきたし、高校でも部活の新入生歓迎会は行っていない……その期間入院してたしな。
ならばメリット、デメリットで考えるべきだ。奉仕部に入って得られるメリット……何だろうか。小町にちゃんと部活に入ったぞ、とアピール出来ることくらいか? 確かに高校生で部活動をやってないと学生ニートと揶揄される昨今ではあるが……でもそこまでそこに思い入れとかないしな。逆にデメリットならば幾らでも思い付く。アニメを見る時間は消えるし、面倒な心労は増えるし、上っ面の人間関係もしなきゃならない。アレ、やる理由とか無くないか?
「……先生は俺に価値を見出して勧誘する立場ですよね?」
「そうだが?」
「なら、俺の納得するメリットを提示出来たら入部しますよ」
メリットが分からないのなら教師に聞いてしまえば良い。分からないことを教師に尋ねるのは正当な学生の権利である。
平塚先生は「なるほどな」と頷くと、間を置かず口を開く。
「国語の補修に付き合うのはどうだ?」
「いや、自分、国語だけは自信あるんで」
自信満々に宣う平塚先生にノーを突きつける。高校受験の時だって国語だけは自信があったし、何なら唯一の得意科目である。そもそも補修がメリットってなんなの、罰ゲームでは?
「そうか……じゃあ、部活動に来る日を少なくするのはどうだ? 週に1回とかにしても良いぞ?」
「それは入った後の話ですよね。入るかどうかの話をしてるんですよ俺は」
「これも駄目か……」
シュンと肩を落とす平塚先生にちょっと可愛いとか思ってしまった。これ、もし同年代なら告白して振られてたまである。振られちゃうのね。
平塚先生は今度は少し考えたあとに、仕方無いとばかりに首を振った。
「ならば〜そうだな。部屋、欲しくないか?」
「部室ですか?」
「ああ。今は誰もいないから無いんだが……まあ、幸いこの高校は空き部屋も多少ある。部室を一つ使うくらい、すぐに手配できるだろう」
そう言われて、否定しようとした自分をいや待てよと心の中で制した。
アリかもしれない。いいやアリだ。何せ部員一人の部室と言ったら最早個室である。言っちゃえば校内の私室だ。昼飯に態々ベストプレイスという名の愛着の無い外で食べなくても良いし、他人からの目も無い。加えて、どうせ奉仕部なんてマイナー部活動なんてそこまで人も来ないだろう。つまり部活動中の暇な時間は本を読もうが何をしようが黙認されるということだ。
何よりロマンがある。学校に自分用の私室があるだなんて何かラノベ主人公みたいだろ。このまま順調に進めば最強チートハーレムになれるかも知れないという希望がハッピーセット……なわけはないですよね。
部屋代として同級生の悩みを解決する。自信がある訳ではないがまあ、やってみてもいいかもしれない。
「分かりました。入部しても良いですけどあまり期待はしないで下さい。自分は自分の出来る範囲のことしかやらないので」
「それでいい。すまないな、こんな譲歩しかできずに」
「いえ……それで提出書類は?」
「これだ」
ポケットに手を入れた平塚先生は、2つに綺麗に折られた紙を取り出す。広げれば自署欄と捺印するスペースが空白になった部活入部届だということは一目瞭然と理解できた。一応文言を確認してから、再び折って右手で持つと俺は立ち上がった。
「じゃあ俺はこれで……あ、一つ良いですか。部活動は今日からじゃないですよね?」
「出来れば月曜の放課後からが望ましいが……どうだ?」
「分かりました、部室の鍵は放課後に」
「ああ、あと部屋の場所はその時に教える。帰る時間は自由で良いが基本午後5時以降までは活動していてくれ。また鍵を職員室に返すのを忘れずにな」
「了解です」
今度こそ俺は足早に職員室を後にする。扉を閉めれば、一緒に張り詰めた空気まで締め出せたような気分にすら陥る。やはり、職員室の空気は生徒にとって瘴気である。