やはり俺が部の長になるのはまちがっている。   作:金木桂

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比企谷八幡は助けない

 由比ヶ浜の来訪から数日が経った。

 梅雨シーズンも本格的に幕開けし、6月も中旬に差し掛かりつつある校内の雰囲気は迫りくる期末試験一色に染まっていく渦中にあった。それは一般学生の枠に漏れない俺も例外ではなく、朝昼は授業を受け、放課後は由比ヶ浜以降誰も来ない奉仕部の部室で黙々と音楽を聞きながら自習をする毎日。今のところ文系科目はノー問題だがヤバいのは数学。何だよ数学ⅠAって、まるで更に難易度の高いⅡBがあるかのような名前しやがって……。えっホントにあるんですか? 八幡留年しちゃうぅぅぅ。

 

 昼休みの部室から窓の外を眺める。バシャバシャと雨垂れから水が落ちる音が聞こえるくらいには土砂降りで、外を歩く人は皆手に傘を持っていた。朝は小雨だったからチャリ通学の俺でもカラス対策でもしてるかの如く黄色い雨合羽を羽織ってペダルを漕いで来れたが、さっきスマホを見たとこによると現状は大雨警報すら出てる始末らしい。これじゃチャリじゃ帰れないじゃん。千葉を走る在来線も本数を減らして運行しているようだ。それなのに何で授業あるんですかね……。世界はいつだって、こんなはずじゃなかったことばかりだよ!(アニメ15周年おめでとうございます)

 

 ともかく、昼飯である。

 俺は弁当箱と共に持ってきた水筒をバックから取り出そうとして……無い。無いんだが。

 振り返ってみれば今日の朝は忙しかった。先日5人目の友達となった平塚先生から「お疲れ様です。本日送らせていただいたのは由比ヶ浜さんの件になります。先日話した通りクッキーの材料は部費で落としてもらって問題ありません。それで本題ですが家庭科室の件、確保できたので日程を送ります」と無茶苦茶丁寧なメッセージが飛んできたのでそれを由比ヶ浜に転送して、それから朝早めに出るとクッキーの材料を24時間営業のスーパーで買って、家庭科室の冷蔵庫にブチ込んで登校したのだ。それを踏まえれば水筒の一本や二本忘れても我ながら不思議じゃない。むしろ弁当箱を忘れなかった自分を自画自賛しちゃうレベル。

 

 水分無しに弁当を食べる気力も無く、財布にそこそこ金も残ってるから一先ず自動販売機に行くことにする。こういう時校舎内に自販機があると便利だ。学校によっては一回外に出ないと購買も自販機も無いとこもあるからな。ウチの高校のセールスポイントの一つである。他のセールスポイントと言えば海に面して夏は比較的涼しい(らしい。今のとこ恩恵を全然感じないが)とか、駅から若干歩くから電車通学の生徒も運動不足に悩ませる必要が無いとか。アレ、もしかしウチの高校の魅力、低すぎ……?

 

 ガラガラ、とスライド式の扉を開けると昼休み独特のざざめきが耳を唸らす。本当ならイヤホンをして廊下を歩きたいものだが如何せんその辺総武高校は厳しく、もし見つかったら没収されてしまう。休み時間に使ってるのは暗黙の了解であって公認なわけではないのだ。

 奉仕部の部室付近は昼間はあまり人気がない。元々は少人数授業やらをするための教室らしく、必然的に普段の教室からは遠くなるのだ。俺的には有り難い話である。

 

「由比ヶ浜ってアレだよね〜。ホント八方美人っていうかさ」

「あ、分かる! 何か狙ってるよね、男子ウケとか!」

 

 だから、曲がり角で井戸端会議を開く女子生徒の声は校内の喧騒すらボリュームの小さいこの場では良く響いていた。思わず俺は足を止めてしまう。いや、別に他意があるわけじゃないけどな? ただコソコソ人の悪口言ってる奴らの横を素知らぬ顔で通り抜けても「なにアイツ、マジでキモいんだけど」と無意味にヘイトが来ちゃうからこれは妥当な回避行動なのだ。

 それに、由比ヶ浜と言っていた。多分話題の核心は俺の知っている由比ヶ浜結衣で合っているのだろう。語るに落ちてる感が少しあるが、興味がないと言えばきっと嘘になる。一応他人では無く知人以下、朝合えば挨拶を返すくらいの関係性だしな。しかし己惚れるな比企谷八幡。依頼が終われば他人になっちゃう可能性すらあるからな、てかその可能性極高だからな?

 

「今日もクラスラインで古淵君と話してたし……正直ウザい」

「クラスのグループチャットでやる必要性皆無だしね。やるなら勝手に個チャしてれば良いのに、多分見せつけてるんだよ。アレ、奈々って古淵のこと好きなんだっけ?」

「まあね」

 

 女3人集まれば姦しいと言うが、2人でも姦しくなること証明してくれるような会話である。どうでも良いけど早く話し終えてくれませんかね、こうなるともう俺動けないんだけど。自販機でジュースでも買って早く飯食いたいんだけど。

 俺の健気な願いは通じず「てかさー」と蛇が絡みついたような口調で話は続く。

 

「どうする?」

「あ〜まあ。そんな大事にはしたくないから」

「だよね。そりゃ、そーっしょ。私はただアレだよ、少し身の程を知ってもらいたいだけだし」

「媚びてるからその分の税金ってこと?」

「それそれ! 出た杭は叩けってやつ?」

「なるほど〜」

 

 出た杭は叩かれるだろ。能動態にしちゃったらただの悪者だからね?

 にしても聞いていて、こんなのが総武高校にもいるんだなとか思ってしまう。曲がりなりにも地域トップ校なのだが、ルサンチマンから来る稚拙で卑しい会話をするこの手の輩は入試という虎牢関を設けるだけでは滅せないらしい。それとも社会がある限り嫉妬は生まれ、延々と巡り、人は人を憎む心を消せないのだろうか。出来れば前者であってほしいと社会に片足程度しか参画してない俺でも思っちゃう。

 

「そうだ、放課後タピらない? 今凄いタピオカ飲みたい」

「え、別に良いけど私は飲まないからね? 糖分ヤバいしょ、タピは」

「えなに、ダイエットでもしてんの?」

「やー、まあ」

 

 二人組は話しながら俺のいる方とは反対へと歩いて行った。漸くか……長えよ立ち話。近所のおばちゃんレベル……よりはマシだが、そういうのはもうちょっと隠れて話してくれませんかね?

 まあ俺には関係ない話だ。由比ヶ浜とも友達でも無ければ知人という枠にも入らない。少し関わりを持った他人という評価が正しい。具体的に虐められている訳でもなくただのやっかみのみなれば俺の出る幕なんて1ミリも存在しないのだ。

 

 

 再び静寂を取り戻した廊下を抜けて、雨を眺めながら自販機スペースに着くとお団子ヘアーの先程槍玉に上がっていた人物に出くわした。

 考えるより先に口から名前が出た。

 

「由比ヶ浜」

「あれ、比企谷君?」

 

 由比ヶ浜は自販機で何を買うかを熟慮していた途中のようで、指を空き缶の入ったパネルへと向けて彷徨わせていた。既に筐体の液晶パネルには160円投入されたことが示されている。

 

「比企谷君も購買使うんだ〜」

「たまにな。今日とか水筒忘れたから買いに来ただけだし」

「あ、私と同じ! 偶然ってあるんだね」

 

 花火でも上がったかのような笑顔に、つい俺は顔を反らしつつ───不意に思い出した先程の会話も無視しつつ。

 

「それより早く買えって。俺早く昼飯食いに戻りたいんだが」

「え〜、私はもうちょっとここで話してても良いけどな〜」

 

 あのな、そういう事を言われたら勘違いするだろ、俺が。ギャルのそういう言い回し、無茶苦茶心に悪いからマジで止めろ? 既に過ちを踏んだ俺だから良かったものの、俺じゃなかったら即日告白可能なまであるからな。ネットの消費者金融の広告かよ。

 

「俺が困るの、アレだアレ、昼飯を今すぐに食わないと男子高校生は飢餓って死んじゃうの」

「今考えて言ったよね!? てか比企谷君文化部だしカロリーそんな使わないんじゃ?」

「いや唐突にマジレスするなよ……。それよかどうせレモンティーかミルクティーかで迷ってんだろ、ギャルだし。俺が適当に押してやろうか?」

 

 ギャルなんて四六時中リプトンの紙パックミルクティーを片手に駄弁ってるイメージなんだが。実際大きく外れちゃいないだろ、クラスのギャルなんて良くリットルのミルクティー飲んでるしな。あれには「そんなに飲んだら糖分過多で太っちゃいますよ~」と傍から言いたい。え? マックスコーヒー? アレは六大栄養素の一つなんで大丈夫だ、俺が許す。

 

 由比ヶ浜は「へぇ!?」と変な驚き方をすると、頬を赤らめて膨らませた(ように見えました、リアルじゃそんなこと無いし多分ラノベの読みすぎだから皆は気を付けような!)

 

「なにそのギャルへの意味不明な偏見!? ぜんぜん違うから!」

「そうなのか?」

「ホント偏見だよそんなの! てか別に私ギャルでもないし!」

 

 ギャルじゃない…………?

 思わず俺は開きかけた口を閉じた。え、だってその格好。この前と変わらずルーズな服装に派手な色の髪、あと腰に巻いたピンクのカーディガンとか超ギャルっぽい。その出で立ちでギャルじゃないと申しちゃうわけなの?

 

「……はっ」

「あ、何その目! 信じてないでしょ!」

「早くしろよ由比ヶ浜、自販機は一つしかないんだ。時間は有限だぞ」

「露骨に話題反らしたし……!」

 

 そりゃ反らすに決まってる。どうせ話したって平行線だ。その人間の服装を見てどう感じるのかは受け取る側の自由であって、着る側がどうこうする問題じゃない。例えギャルとかどうこう関係無しに好きでそういう服で着ていたとしても、社会的感性というフィルターを通して見た俺からすればそうにしか見えないってだけで。それで話は終わりだ。別にそれで相手の服を変えたいとも思わんし、着たいものを着れば良いと思う。

 俺の言葉に引っかかりつつも自販機で飲み物を買う使命感の方が勝ったのか、由比ヶ浜は再び自販機に向き治ると「じゃあこれにする!」とボタンを弾いた。

 

「……結局ミルクティーかよ」

「べ、別にいいじゃん!」

 

 やっぱりギャルじゃねえか、とか考えたが口には出さない。俺は学習能力が高いのだ。

 

「比企谷君は何飲む? 私、ボタン押すよ!」

「いや要らんって」

 

 前で何故か張り切る由比ヶ浜を避けて自販機の前に立つ。お前はエレベーターガールか、つっても絶対伝わらないだろうなぁ、ぜってえ伝わらない。これがジェネレーションギャップというやつか……。同世代のはずなんですけどね……。

 特に悩む余地すらなく俺は小銭を自販機に注ぐとボタンを押した。ゴトンと低く唸って、取り出し口から冷えた缶を手に取る。

 

「えっと、マックスコーヒー? ……甘党なんだね」

「おい、何だその微妙な顔。マックスコーヒーに文句があるなら俺が丁寧に木っ端微塵に反論してやる」

「丁寧に木っ端微塵にするんだ……」

 

 当たり前だろ、千葉県どころか全国のスーパーでもお買い求められる千葉のソウルドリンクを貶すとかどういう感性ならそうなるの? もしかして在日日本人なの? それただの日本人じゃん。

 

 ……自販機で飲み物も買ったし帰るか。

 俺は踵を返すと、何故か由比ヶ浜も着いてきた。俺の向かう先(部室)と一年の教室、反対方向なんだけどなぁ。

 

「お前、クラスに戻るんだろ? こっちじゃないじゃん」

「べ、別に良いじゃん! ちょっと遠回りしたいだけだし!」

 

 だから勘違いするから止めろって。もし俺が中学時代にその手の苦い経験を抱えてなかったら100%勘違いして告白して振られてるからな? 振られちゃうのかよ俺。 

 ただ由比ヶ浜が俺に好意的な印象を与えるような行動をしているのは間違いない。それが打算塗れだろうが何だろうが、そこだけは明確だ。由比ヶ浜は天然かもしれないが青天井で天然な訳でもないはずだ、俺に対する今までの云為は意図的に行われてると容易に想像がつく。

 しかしまあ、由比ヶ浜のこの一連の好意に強引に理由を付けるならば何なのだろう。考えられる一つとしては彼女が依頼主だからなのだろうか。相談相手の俺の印象をなるべく明るくしておくことで円滑に自分の相談事を進めようとしているとか……しかし由比ヶ浜はそこまで打算的に考える性格か? そこまでする必要性も無いしな。たかがクッキーを教わるだけでここまで人間関係に楔を打つ必要性なんて1ミリも存在しない。

 やっぱり、何となくだが別の意思も感じるな。ここまで好意的だと最早由比ヶ浜の立場、或いは由比ヶ浜がギャルでコミュ強であるという事実とはまた違う独立の理由を有してるように思えてしまう。ソースは俺の人生、女子から理由無く優しくされた試しなんて一度も無いのである。

 だからこれも何かが間違っていて、受け入れてはならないもので。真とは真反対で、偽なるものに他ならないのだ。

 雨はざあざあと地を穿つ。由比ヶ浜の顔を覗き見ながら俺は奉仕部への足を早めた。

 

 

 

────────────────

 

 

 

 翌日の放課後は遂にクッキー作り当日だった。

 抑えた家庭科室に移動して、冷蔵庫の中身を一応確認する。よし、全部あるな。一先ず3回は作れるように材料を買っておいたからまあ、足りないことはないはずだ。

 昨日とは裏腹に晴れ渡ったお天道様に目を細めつつ、カーテンを閉める。もし外から見えて「アレは由比ヶ浜と……誰? もしかして駆け落ち!?」みたいな目で見られたら困るからな。うん、自分で言ってて無いと思った。無いわこれ。

 

 因みに今回、本来なら平塚先生が同伴する予定だったのだが「すまん! ちょっと色々と立て込んでてな……試験の作成とか他科目の試験のダブルチェックとか生徒指導とか……ともかく頼んだぞ!」とふらふらと職員室へ向かうその姿はまるでゾンビだった。教員ってやっぱブラックだな、そりゃ教員志望者数も減るのも納得の光景だ。比企谷八幡(15歳)はそんな平塚先生を応援しています。

 そういう事情もあり二人っきりである。……二人っきりとか言うと何かこそばゆいけどクッキー作るだけなんだよな、何もないんだよなホント。八幡期待シテナイヨ?

 

 そこまで時間が経たず、椅子に座ってスマホを弄ってるとゆっくりと扉が開いた。

 

「やっはろー! 今日は宜しくね!」

「あ、ああ」

 

 やってきた由比ヶ浜に視線を向けて、何となく違和感を覚えながらも気のせいだと断じて部屋に招き入れる。てかやっはろーって何なの。ギャルだからまた新しく時代の最先端ワードを生み出しちゃったの?

 由比ヶ浜は「へー、ここが家庭科室かぁー! 中学のより広いね!」と調理テーブルにバックを置いて好奇心一杯に胸を膨らませて辺りを見渡す。確かに中学のそれよりかは大きいかもしれんが、言うほどそれ以外に変化はないと思うんだが……。

 

「包丁とか中学の授業ぶりに持つし久しぶりで楽しみかも!」

「……あのな。クッキー作るのに包丁は要らないから」

「へ?」

 

 本当に分かってなさそうな顔で小首を傾げた。これ、大丈夫だよな? こうすれば良い感じに行きそうなんです! とか言って濃塩酸と濃硝酸を3:1で入れたりしないよね?

 

「でも隠し味とか入れるときに刻む必要があったら使わない?」

「なに隠し味って? ハバネロかなんかでも入れる気なの?」

「入れないよ!? ちょっと私のこと馬鹿にしてるよねそれ!?」

 

 やー、馬鹿にはしてないぞ馬鹿には。超絶天然ビッチギャルだとは思ってるけど。多いな修飾詞。

 由比ヶ浜はうーん、と赤点を取ったことを親に報告する3秒前みたいな躊躇いを見せつつ人差し指を顎の手前でピンと立てながら。

 

「料理って愛とスパイスが大事だからさ、スパイスは必要だと思うんだよね私」

「本当に要らないから。先ずはレシピ通りに作れるようにならなかったら何も意味ないから」

「え〜。そういうもんかな?」

 

 そういうもんなのです。愛だのスパイスだのは全部料理が出来る人間の言葉であって、初心者は基本通りに作れるようになる事が一番大事なんだよ。……どうでも良いけどなのです☆が許されるのはやっぱ雛見沢の巫女さんだけだな、うん。にぱー☆

 

「そっか……。まあそれでも美味しくなるよう頑張るね!」

 

 由比ヶ浜はブレザーを脱いで、Yシャツを腕まくりすると「よし!」と意気込んだ。空回りしないと良いんだがな、正直やっぱ不安だ。後ろで見守りながら作らせないと何を作るのか分かったもんじゃない。

 

 早速作り始めると、予想通りというべきか、由比ヶ浜の手付きは料理を普段しないだろう素人そのものだった。それだけなら良いのだが、「甘い方が美味しいよね!」と止める間もなく砂糖を無茶苦茶入れまくったり、その分を相殺しようと今度は塩を大量に投じてみたり、挙句の果てには焼き加減を間違えて。

 

 オーブンから出現したのは紛れもなく、クッキーの形をした炭だった。

 

「ええと……どうぞ」

 

 あはは……、と渇き笑いを浮かべて由比ヶ浜はクッキーの乗った皿をこちらへ向ける。え? これもしかして食べなきゃいけないの? 絶対不味いよねこれ?

 だが、男としてここで食わないのもそれはそれでどうかと内なる八幡は言う。なんせ小町以外では初めて異性から貰う手作りの料理だ。高揚感が欠片も無いかと言えば、否定も出来ない自分がいる……!

 

「じゃ、じゃあ、そうだな。一枚もらうぞ」

「う、うん」

 

 由比ヶ浜は何処か緊張した面持ちで俺のことを見つめた。やめろよ、俺までそこはかとなく緊張するだろ。

 口に含んで、歯で噛み締める。咀嚼してみて、舌で少し転がして、飲み込んでみて。

 

「……炭だな」

「そんなぁ! 絶対、多分、そんなことないって!」

 

 大袈裟に否定する由比ヶ浜に俺はNOを突きつける。これでもまだオブラートに包んでいる方だからな、なにせ味がある分さらに不味さが光ってる。

 

 しかし由比ヶ浜は俺の公明正大な評価に納得いかなかったようだ。でも炭以外の評価が無いんだよなぁ。俺的にはこれでも一番下から一個上の評価のつもりなのに。因みに一番下は姫路級である、ここまでくると鍋がスープで溶けるレベル。ただの危険物だし、一般ごみで処理できないから今から化学教師に廃棄を手伝ってもらうまである。

 由比ヶ浜はもぐもぐと食べて、すぐに微妙な顔付きに変わる。

 

「……うん」

 

 万感が籠った頷きだった。それはもう、大気圏を通り越してカイパーベルトまでぶっ飛びかねない悟りを孕んだ頷きだった。

 しかし、改めて思うがシンプルなクッキーなんてマニュアル通りの動作を繰り返せば機械的にできるものである。今目の前に鎮座しているこれらだって正しい順序を踏まえれば普通のクッキーになり得ただろう。

 由比ヶ浜はクッキーに目を落とすとポツリと溢す。

 

「やっぱ、私なんかが出来る訳がないよね。何て言うんだろう、才能が無いのかな? 最初から無理だったんだと思う。それにあげる分にはクッキーなんて別に市販だって良いし……比企谷君、付き合わせちゃってごめんね?」

「ちょっと待て。由比ヶ浜はそれで良いのか」

「え?」

 

 勝手に話を終わらせようとするな。才能云々とか、そういった話には大して興味は無いし才能の是非はこの世の中を構成する一部ではあるが、今そんなことはどうだって良い。重要なのはそうじゃないだろ。

 

「クッキーが上手に作れない、それは結構だ。人には得意不得意ってもんがある。だが受け取り手を無視したらクッキーが美味しかろうが何だろうが、それこそプレゼントとして落第点だろ。例えばだな、今食ったクッキーが俺からの貰い物だとして、どう感じる?」

 

 由比ヶ浜は困惑しながら、薄紅色の瞳で俺と焦げたクッキーとを見比べた。

 

「……その、嬉しい、かな。美味しくは無いけど……」

「そんな感じだ。このクッキーでビジネスをやる訳じゃないだろ、だから味以上に自分に手作りのクッキーをくれたという想いの方が大事なんだよ」

 

 由比ヶ浜は考えるように目線を下に向け、髪の毛がサラリと揺れた。

 

「そういうもんかな……」

「そういうもんだろ。特に由比ヶ浜、お前の場合相手が男ならさらに効果があるだろうな。一般的に男は女子からの手作りクッキーに弱いんだ」

 

 ソースは俺、バレンタインでクラス全員にクッキーを配っていた女子から貰っただけでも我ながら気持ちが跳ね上がったもんだ。もしその女子が裏で俺の悪口を言ってなければ告白していたまである。マジであり得たその並行世界について考えると今でも腹が痛くなる。ナイス判断、過去の俺。

 由比ヶ浜は少し悩んだように口を閉じると、オーブンの熱に当てられたのか気持ちほんのり赤い頬を持って唇を戦慄かせる。

 

「ひ、比企谷君も女の子からクッキーとか貰ったら嬉しいの?」

「そりゃあもう。小躍りしながら額縁に飾っちゃうまである」

「食べないんだ……」

 

 ふと、雪ノ下から貰えたらなとか無意味で非現実的な思考が脳裏を掠めるが、意識的に振り切る。知り合いですらないからな、俺。いつからこんな恋愛ボケ思考回路になってしまったんだか。

 

「まあ、とにかくそういう事だから過度に気落ちする必要なんて無いと俺は思う」

 

 人の印象なんて一つの要素から成り立つほど簡単明快なものではない。容姿、性格、言動、能力、その他諸々が複雑怪奇に絡まり合って形成されるもので、仮に不味いクッキーを渡して悪印象となったとしても由比ヶ浜ならそれが原因で致命的な人間関係のもつれとはならないだろう。

 

「うん……ありがと。でも、あたしやっぱり頑張ってみるよ! ここで諦めるのもなんか違うし!」

「そうか。材料ならまだ余裕があるが……なら作るか?」

「うん!」

 

 まあ今度は俺がちゃんと補助しながらやればどうにかなるだろ、多分。由比ヶ浜は才能が無いとか宣うが、才能なんてもんはトップを目指すには必要な素質なのかもしれないが人並み程度を目指すなら別に必要じゃないしな。

 それよりも。

 調理道具を洗いながら由比ヶ浜の姿をチラリと目で追ってみる。その姿にはやはり、違和感があった。言動とかじゃなく、もっと単純で外見的な違和感……。

 冷蔵庫から新たに材料を取り出す由比ヶ浜は「次は無駄にしないからね!」と息込みながら足音を立てて───そうか。足元、由比ヶ浜は片足しか上履きを履いてない。よく見れば鮮明な違和感となって眼前に飛び込んでくる。もう片足は恐らく職員室から借りてきただろうスリッパで、だからこそ足音に違和感があったのか。

 これが意味するところ……可能性なら複数ある。例えば履き古して破けたとか、上履きを飛ばして遊んでいたら無くしたとか。しかしまだ一年の六月で履き古すも何もないだろうし、スカートを履いている由比ヶ浜がパンチラのリスクを背負ってまでお天気占いとか言って上履きを飛ばす姿も想像できない。

 ただ、根拠は無いが俺は確信した。

 俺の脳内では数日前に偶然盗み聞いてしまった言葉が蘇る。由比ヶ浜と購買で会った日、その道中。『少し身の程を知ってもらいたいだけっしょ』───とは、この幼稚で陰湿な行為のことなのかと。なるほど、出る杭は打たれる、か。総武高みたいな進学校に入ったとしてもこういうつまらない、嫉妬からくる泥濘は存在するものなのか。

 

 さて、それじゃあ俺自身に問題だ。

 これに気が付いた模範的比企谷八幡はどうするか?

 

 ───決まってる。答えは「何もしない」だ。

 

 俺と由比ヶ浜の間を取りつなぐのは奉仕部という組織を介した使用関係のみであって、俺が由比ヶ浜個人の問題に深入りする理由にはならない。この依頼が終われば由比ヶ浜との関係は終了、互いに遺恨を残さないフラットな契約の下俺は由比ヶ浜の依頼を熟しているのである。そこに一片の個人的感情など含まれていない。それに由比ヶ浜は敢えて自身のその事に触れていないというのもある。もし人間関係について相談する気ならば、既にチャットか何かの手段をもって俺に追加依頼しているはずだ。つまり、由比ヶ浜にとっても触れたくない問題であることは明確である。

 しかし、まあ。そうは言っても由比ヶ浜がこれからこの件に関して相談してこないとも限らない。クッキーをあげれば虐めをやめてくれるくらい優しい世の中になってくれりゃ、俺もこんなうんうんと考えずに済むのにな。現実は嫉妬感なんざなくても、容姿が悪かったり、人付き合いが悪いだけでいじめのターゲットにされる。自分たちのグループの外に一人社会的奴隷のような扱いする人間を作ることでグループ内の人間関係をある程度強めようとする意志が無意識に働くのだろう。まあ、コミュニケーション能力がカンストしてる由比ヶ浜に友達がいないなんて考えられない以上、どちらかと言えばいじめというより嫌がらせに近いのかもしれないが。ま、ともかくもし相談されたらその時未来の俺が何とかするだろう。

 微かに漂う焦げ臭い香りに辟易しつつ、俺は髪をポリポリと掻いた。

 

 

 

 

 

 

 

 




あと一話しかないです。
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