どこの町でも同じなのだが。
冒険者ギルドの隣は、たいてい酒場になっている。
徹夜や早朝の仕事を終えた冒険者に路上でくだを巻かせないためでもあり、情報交換の場所を与えるためでもあった。
いま酒場にいるのは、今日の仕事を終えた冒険者と、
主に話してるのは兵士達。
話題は、
「川原で休憩した時なんだが――水辺に岩があったんだ。大きさは、俺らの胸の高さくらい。それであの男はな。その岩の前まで行って、ちょっとの間つっ立ってたかと思ったら、いきなりこう……拳を振りかぶってだな。親父が悪ガキを叱るみたいに、上からドカーンとぶん殴ったんだ。すげぇ音がしたさ。そうだな、ドワーフがやるよな。ハンマーで川の石を叩いて魚を気絶させるんだ。でも俺はな……その瞬間、思ったんだ。『あれ……ここって、滝だったっけ?』って。川も、その向こうの川原や森も何も見えなくなるくらいまで高く……水が跳んで、壁みたいになってさ。『あれ……滝って下から上に落ちるモノだったっけ?』って、思ったのと同時に降ってきたんだ。水と、魚と、あと……見たこともないデカい蟹とか」
町までの道中で、花山と兵士達は良好な関係を築いていた。
デカくて強くて恐ろしげな得体の知れない男、という印象は出発して最初の休憩をとる頃には薄れて、夕食時には花山の振る舞った酒をみんなで回し飲みするくらいにはなっていた。
薄い酒しか無いこの世界の人間に、
兵士達の語る、そんな花山のエピソードに。
「なるほど……普通なら冒険者ギルドに登録ってところだが、そう単純な話でも無さそうだな」
冒険者の一人が言って、皆がそれに頷く。
商人が盗賊に襲われ、そこを見知らぬ男に助けられたとする。
男は異国の商人だというが、身元を証明する物は何も持っていない。
この場合、商人に出来る最良の礼は、冒険者ギルドへの橋渡しとなってやることだ。
腕は立つが身元は明かせない――訳ありと考えるべきだろう。
礼はしたいが、深入りするのは怖い。
そんな相手に、冒険者ギルドで最低限の身分を作ってやる。
相手が最も必要としているもの与えてやるわけで、これ以上の礼は無いだろう。
しかし花山の場合、これが適用出来ない。
その戦闘力が『腕が立つ』どころの話ではないからだ。
冒険者ギルドは、国を跨って支部を展開している。
花山が、どれだけ目立たぬように心がけたとして。
話に出た通りの強者であるなら、いずれは他国の支部にも情報が伝わり、注目されることになるだろう。
もし花山が追われてる身であるなら、これは上手くない。
冒険者ギルドは、各国の役人や黒社会とも繋がりを持つ組織だからだ。
では――どうするか?
皆が黙り、酒を口にした。
コップを置こうとして、そして気付いた。
揺れていた。
コップに残った、酒が。
その水面が、揺れていた。
いや。
揺らしているのだ。
誰が?
自分が。
コップを揺らしている。
いや。
震えているのだ。
手が。
自分の手が、震えている。
兵士も、冒険者も。
そこにいる、誰もが。
(これは……アレだな)
(そうだな)
(アレだ)
(アレだな)
(アレだ)
(アレだよ……)
声には出さず、顔を見合わせ。
視線で、そんな言葉を交わした。
誰もが、理解していた。
見るより早く聞くより早く。
身体が気付いて、怯えている。
強者の接近に。
命が脅かされるほどの強者が、近付いている。
勘の鋭い者もそうでない者も、関係なく。
誰もが震え、身動ぎ出来なくなるほどの強者が。
酒場に向けて、歩いて来る。
あと10歩。
あと5歩。
あと3歩。
あと1歩。
酒場に入ると。
花山は、まっすぐカウンターに向かった。
その姿に。
花山を知る兵士は、
(こいつか……)
やはり、この男だったかと慄きつつ安堵し。
花山を知らない兵士は、
(こいつだ……)
さっき話に聞いた男は、こいつに違いないと確信する。
カウンターに向かって歩む姿に粗暴さは窺えず、優美にすら見え。
分厚く巨大な体躯に乗った顔貌は、いかめしくも端正と言えた。
兵士達は、思い出していた。
町への道中での、花山の姿を。
そして、思い知っていた。
あれは、周囲の彼らを慮った姿だったのだと。
彼らを、怯えさせないように。
自らの放つ強凶の風を、制御し抑えてくれていたのだ。
そしていま、おそらくは何の配慮もなく。
剥き出しの彼そのものを晒して、歩く花山。
その姿の、猛々しさ凶々しさ。
ましてや、出くわしたのが戦場でなく平時であったなら。
(((((これほどまでに、恐ろしい……)))))
皆に背中で注視されながら、花山はカウンターに着いた。
そして、訊ねた。
「ここが、冒険者ギルドかい?」
「!!っ……え、う…………」
店主は、答えに詰まった。
以前はこの町最強と呼ばれた冒険者であり、3分間だけであれば、今でも最強と噂されている。
つまり、酒場の喧嘩程度で遅れを取るなどまず有り得ない強者だ。
「あ、いや……あ、その」
しかし、言葉が出ない。
『違う』の一言を、口から押し出せない。
再び、花山が訊いた。
「冒険者ギルドは、ここかい?」
答えは、カウンターの端からだった。
「違うよ」
答えたのは、サリオだった。
花山との夕食の前に、
「親父さん。薄めてないワインを」
店主に言って、花山に向き直り。
サリオが言った。
「カオルさん。冒険者ギルドなら隣だ――まあ、一杯」
店主から受け取ったコップを、花山に渡す。
その間に、コップの表面に水滴が現れていた。
サリオが、魔法で冷やしたのだろう。
一瞬のことだった。
さて――冒険者ギルドが酒場の隣と分かり。
酒など飲まず、そちらに向かうことも出来た。
そうするはずだった。
花山の中に高まった『圧』が、そうさせるはずだった。
しかし、そうしていない。
それを不思議に思いながら、花山はコップに口をつけた。
「………美味え」
店主が、声を震わせて言った。
「あ、ありがとうございますぅ~~~~」
サリオが訊いた。
「で、カオルさん――冒険者ギルドには、どんなご用で?」
「冒険者の……登録をする」
「冒険者になるんですか?」
「いや……違うな」
花山が、空になったコップをカウンターに置く。
それに店主が、何も言われてないのに酒を注ぐ。
「傷が……あったんだ」
「傷?」
「ここからこう……こう……こう……こう………」
本来なら傷がある場所を、花山は指でなぞった。
「それから背中……身体中に………傷があったんだ」
サリオが訊いた。
「カオルさんに……誰が傷を付けたんですか?」
「……色々だ。いろんな奴だ」
「色々って――カオルさんに傷を付けられる人が、そんなにいるんですか?」
「いる」
いつの間にか出されてた
「
「はあ……私らと会った時には、もう無かったですよね?」
「だから……付ける」
「傷を?」
「傷を………また………付ける」
そんな花山とサリオの会話を盗み聞きしながら、兵士も冒険者も、まだ固まったままだった。
(
(それが何人も?)
(そんな恐ろしい国があるのか?)
戦々恐々とする彼らの脳内に――
(傷が無くなったなら、それで良いじゃないか)
――という言葉は、浮かんでこなかった。
花山が、また傷を付けると言っている。
ということは、
異を唱えることなど、出来るはずが無かった。
そんな恐ろしいこと、考えることすら出来なかった。
しかしそんな彼らですら突っ込まざるを得ないことを、花山が言う。
「俺が冒険者ギルドに登録しようとする………すると話しかけてくるやつがいるんだ………先輩の冒険者でな……こう言うんだ………『お前みたいなヒョロっとした若いのに、冒険者は務まらねえ。訓練場に来な。俺が冒険者の厳しさってやつを教えてやるぜ』……ってな」
(ヒョロっとした若いの!?)
(誰がだ!?)