怪滅神甲ダイダラ   作:足洗

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9話 仔猫の影の底から

 ホテルを飛び出して、路地の奥へ逃げる。無意識に人混みを避けたのは、自分のやろうとしたことへの後ろめたさか。

 一瞬、翔んで逃げようかとも考えた。けれど、躊躇するまま結局は断念した。

 もし空まで追ってこられたら……背筋に冷たい汗と震えが伝う。

 とにかく、逃げる。逃げなきゃ。あんな怪物に目を付けられたら人界で生きてなどいられなくなる。

 あんな。あんな。

 

「あぁもぉお! 最悪最悪最悪! 人間のくせにっ……!」

 

 人間は脆い。人間は弱い。

 その非力は、憐れみよりむしろ庇護欲を刺激した。

 魔物にとって人間がおおよそその程度の地位に格付けされていることは事実というより、自然の摂理だった。

 極々一部の例外、人間種というやつの中には極めて稀に異常な個体が現れる。いけすかない神々や、魔の貴族の方々にすら迫るほどの力を備えるモノ。突然変異、いや異常者が。

 先の大戦で、そういった手合いの殆んどは淘汰された筈だ。そう教えられてきた。だのに。あんな。

 魔物にとって人間などただの餌だ……今の御時世でうっかりとそんなことを口にすれば世間は容赦なくそいつを袋叩きにするだろう。人と魔の共存共栄。それが全世界、両世界を巻き込んで立ち上げられたスローガンなのだから。

 善き隣人でありましょう。

 そんなお題目が、嫌だった。そういう空気に縛られていることが、窮屈でしょうがなかった。

 

 ────淫魔だもん。美味しそうな人間と自由にセックスして何が悪いの? ぜったいその方が楽しくない?

 

 あいつ、あいつの所為だ。

 あいつの口車に乗ってしまったから、私はこんな目に遭ってる。

 後ろを振り返る。暗い路の向こうに人影は見えない。見えないだけだろうか。すぐにでも、追い掛けて来やしないか。

 見上げた空は雑居ビルだかマンションだかに長細く区切られていて、その屋上の影から今にも、跳び降りて来やしないだろうか。

 あの怪物、人間の形をした化物は、もしかしたら警察か何かだったのかもしれない。魔物に対するエキスパートを集めた部署があるとか聞いたことがある。

 通報されるだろうか。そしたら、捕まっちゃうのかな。未成年の人間を、能力を使って犯そうとした。完全にアウトだ。絶対ヤバイ。謹慎や退学ならまだいい。最悪、魔界に強制召還される。渡界ビザは剥奪、取消。強制猥褻なんて事由が残れば、もうほぼ一生在留資格なんてもらえない。大枚叩いて面倒な手続きを何十何百こなしてようやく来られた人界なのに。

 まだ。

 

「四人しかヤれてないのに!」

 

 足りない。足りない。足りない。

 もっと食べたい。人間の精子、淫欲、あの甘い味。一口食べたらもう忘れられない。

 それを取り上げられる。こんなことで、たかがこれくらいのことで。

 ありえない!

 地団駄を踏む思いで駆け足が怒る。そうしてまた一つ、曲がり角を折れた。その先に。

 人影が立っていた。

 

「ひっ!?」

「んにゃ!?」

 

 喉奥から発した掠れた悲鳴に、ひどく間の抜けた声が重なる。

 それは、黒い猫の半獣人、いやケット・シーの少女だった。

 あの男ではなかった……その事実に対する安堵よりも、今は驚き脅かされたという苛立ちが勝った。

 

「ご、ごめんなさいッス」

「うるさい! 邪魔なんだよ!」

 

 振り切った手の甲が少女の頬を打った。強かに。

 爬虫人の馬鹿力ほどでないにしても、悪魔の端くれ。腕力も相応で、少女の華奢な体を突き飛ばすには十分だった。

 

「あぐっ、っ!」

 

 打たれた驚きと、そのまま壁に衝突したことでその娘はさらに声にならない呻き声を上げた。

 思わずそれを見やる。罪悪感、なんて殊勝なものがあった訳じゃない。ただ感情のままに振るった暴力が、取り返しのつかない結果を生んでしまったのではないか。そんな恐れ、不安、その払拭の為の確認行為。

 自分の行動や思考が、最低の屑だと自覚するのは、きっともっと後になる。微かにそんな後悔の予感を覚えながら。

 見やったそこに。

 少女が。

 少女は。

 少、女────

 

「…………へ?」

 

 ビルの、黄ばんで薄汚れた白い壁があった。少女はそれにぶつかった。自分がそこに少女を突き飛ばした。

 薄汚い白の壁が、壁に、少女は腕を()()()()()

 埋まってる。手先から肩口まで、深く、沈んでいる。

 虚に。

 壁に広がる。波立つ。渦巻く。黒。黒い虚。それは穴ではなかった。壁に穴が空いたのではなく、壁に虚ができていた。まるで黒いペンキをぶち撒けたかのような黒々。黒。けれどそれには底が無かった。沼の淵のように、鬼火が誘う死沼のように。

 少女が沈めたその腕を中心に、虚はどんどん壁に広まり、壁を侵し、壁を蝕んで。

 

「『羽虫は礼儀を知らんと見える』」

「あ、あぁ、あぁぁあ、あぁ……」

 

 少女が口を開いた。虚の奥から声がした。

 片や鈴を転がすような、片や岩を擦り合わせるかのような、奇妙な二重奏。

 

「『ほう……羽虫ではなく、走狗であったか。益々以てつまらぬ。その“土産”だけ置いて逝け』」

「ああああああああああああああ」

 

 体はなぜ動かないのだろう。口はなぜ閉じないのだろう。声はなぜ途切れないのだろう。

 この虚を知っている。知らない。この虚を知っている。知らない。この虚を知っている知らない知っている知らない知っている知っている知っている知っている。

 この虚の奥底に坐す御方を、われらは知っている────

 黒い沼の底から飛び出した“糸”に巻かれ、手足を絞め潰され、丸めた藁同然に変わり、引きずり込まれてゆく最中、懐かしい匂いを嗅いだ。麗しの、故郷の香を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え」

 

 ふと気付けば、誰も居ない暗がりの路にぽつりと一人佇んでいた。

 先程ぶつかりかけた女の人も、もうどこにもいなかった。

 

「? ん~??」

 

 化かされた心地で首を捻る。猫が狐に抓まれるなんて洒落にも笑い噺にもならないけど。

 

「あれ」

 

 その時、足元に光る物を見付けた。

 屈んで、拾い上げる。ゴールドの細い輪。精緻な彫細工を施された、シンプルだがなかなか洒落たブレスレットだった。

 

「これって……」

「こぉら」

「にゃふぅ!?」

 

 背後からの声に飛び上がって振り返る。そこに居たのは見知った顔だった。

 剽悍な笑みを湛える、青年。青年にしか見えない筈なのに……なんだか奇妙な男の人。

 

「びっくりしたー。兄貴でしたか」

「コンビニで待っておれと言うたろうに」

「い、いやぁ、あたしもそうしてようと思ってた筈なんスけど……?」

「?」

 

 自分でも上手く説明できなかった。いやできなくはないけど。

 知らぬ間に、気付いたらここに立っていました。なんて。奇妙というか、もはや不気味な話だ。

 変な子だと思われてしまう。今更かもしれないけど。

 

「ん、なんだいそりゃ」

「ああ、これッスか。今ここで拾ったッス」

 

 金のブレスレットを青年に掲げ見せる。そうして、不意に思い出した。

 

「あ、きっとさっきの淫魔のお姉さん」

「……淫魔」

「そうッス。曲がり角でぶつかりそうになって……なってぇ……うーん? うん、たぶん落としたんじゃないッスかね」

「心底虚覚えだな」

「にへへへ~、すんません」

 

 後ろ頭を掻いてはにかむ。なんかリアクション間違えてる気がする。

 ふと、思い立って、ブレスレットを腕に嵌めた。腕を上げて猫手で手招きなどしてみる。あざといなーなんてちょっと恥ずかしくなりつつ。

 そのまま。

 

「えへへ、どうッスか? 結構似合う────」

 

 ぐらりと、視界が揺らいだ。

 全身が脱力する。骨がなくなったみたいに、頼りなく、力なく。

 倒れる。

 地面と衝突する寸前に、体は支えられていた。大きな手、太い腕、軽々抱き留められて背中越しにその力強さを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうした!? おい!」

 

 突如、足元から崩れ落ちた少女を抱え、声を掛ける。意識レベルの維持を試みてのことだが。

 焦点の合わぬ目、だらしなく開いた口の端から涎が頬を落ちる。全身の筋肉が弛緩してしまったかのようだった。

 このままでは遠からず失神か、半昏睡状態に陥るだろう。

 

「おい! 寝るな! 目を開けろ! 聞こえているか!?」

「ん、にゃぁ……」

『腕輪だ! 腕輪がオードを吸っている』

 

 烏の言葉にそれを見やる。即座、金の腕輪を少女の手首から抜き取った。

 

「ふにゃ……ぁ……あ……?」

「しっかりしろ。気分は? 体の状態はわかるか?」

「あぁ……なん、か……ふにゃふにゃ、するッス……気ぶん……? たぶん、へーき……ッス」

『オードの枯渇による一時的な麻痺と意識混濁だ。生命維持に支障は来たすまい』

 

 烏の簡易な診断を聞き安堵を覚えたのも束の間、今ほど語られた症状は直近の記憶野を大いに刺激した。

 

「先刻、路地で倒れていた会社員の男。あれも一時に多量のオードを抜き取られたゆえの昏倒、だったな」

『然り』

「この腕輪を持っていたのが先の淫魔であったとして、この時と場の近接符合……偶然と片付くものか?」

『“石”の保有者は何らかの理由により一般人からオードを奪っていた。しかし、あの淫魔は保有者ではなかった』

「協力者か、無自覚に利用されていたか。はたまた我らが未だ関知せぬ別働する何者かが存在するか……」

 

 いずれも不確か。その曖昧模糊とした推測に基づいて動くにせよ、今少し確度を要する。

 だが手掛かりはあった。今、この手の中に。

 彫金の細い腕輪を見る。それの表面に刻まれている規則的な紋様は文字だ。それも人界の言語ではない。魔界の、かなり古いもの。古い血族……貴族と呼ばれるモノ共が使う魔術式である。

 

「! こいつは」

『物質転移に似た術の組成だが、今少し単純で強固なもの。腕輪を通してオードが転送されている』

「大元を辿れるか」

『時間は掛かるが可能だ』

 

 烏の胸に鏡が開く。腕輪をそこへ放ると、それは波濤を立てて鏡の中に入っていった。

 

『……逆探知を警戒してか、かなりの数の中継点を経由している。解析完了は明朝になる』

「そうか……俺の方も当たりをつけたのが一人居る。登校して来てくれりゃあ面倒はねぇんだが、いずれにせよ」

 

 明日、決着をつける。

 胸の内にまた一つ覚悟を終えて、腕の中の少女を見た。娘は依然、脱力しきった様子でぼんやりとこちらを見上げるばかり。

 

「災難だったな」

「あはぁ、はは……そ、ッスねー……」

「とりあえずこのまま己の(ねぐら)に運んじまうが、いいかい?」

「んにゃ~……あたし、お持ち帰りされちゃうんスね~……にへへ」

「おぉ、嫌ならここに寝かしといてやってもいいんだぜ?」

「ひぇっ、しょんな、せ、殺生なぁ……」

 

 萎れた声を上げて拝み手を作る娘子に、堪らず吹き出して笑う。

 

「そんだけ減らず口がきけりゃ上等だ。よっ、こらと」

 

 黒猫娘の矮躯を抱え上げ、歩き出す。先に飛び立った烏の後を追う。

 思えばなんとも、長い夜である。

 

「あ、ところでな」

「はぁい、にゃんでしょ?」

「いやなに、お前さんの名めぇだよ。すっかり訊きそびれちまってたこと思い出してな」

「……あぁ、ホントッスねー……にへへ、あたしもうっかりしてたッス……」

 

 またぞろ照れ臭そうに顔を綻ばせる。微睡に蕩けた瞳で己を見上げ、娘は言った。

 

「エル……エルって、呼んでください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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