もう一度、あの頃に戻って   作:シェフ・カリー

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神様がくれた機会

「よかった……マックイーンさん、もう一度走れるようになって……」

 

「ああ、俺、感動して涙が止まらねぇよ」

 

「あはは……二人とももうついちゃうけど」

 

 トレセン学園でトウカイテイオーとメジロマックイーンの模擬レースを観戦した帰り道、もうすぐ最寄りの駅へ到着といった辺りで、キタサンブラックは苦笑いを浮かべていた。

 

 それもそのはず、レースが終わって1時間近く経っているにも関わらず、少年とサトノダイヤモンドが泣き止む気配がないからだ。 

 

 サトノダイヤモンドの方はまだいい。ハンカチで涙を拭いてはいるが、もうじき収まりそうに見える。

 

 ただ、少年は酷い。涙だか鼻水だかにまみれた顔を服の袖で拭うものだから腕周りがべちゃべちゃで、しかも一向に泣き止む気配がない。号泣である。少年とは幼馴染ともいえる長い付き合いがあるが、ここまで大泣きする姿は初めて見た。

 

「でも、あなたもマックイーンさんのファンだなんて思いませんでした」

 

「そうそう。この人もずっとマックイーンさんを応援してるんだ。そういえば、ダイヤちゃんにはまだ言ってなかったっけ」

 

 少年とサトノダイヤモンドが会うのは今日が初めてで、お互い知らないことだらけだ。

 

 元々サトノダイヤモンドと二人で行く予定だったキタサンブラックが、少年も模擬レースを見学しに行くということを耳にして、いい機会だと三人で行くことにした。

 

 だが、今はそのことを少し後悔している。

 

「俺の方がマックイーンさんのファンとして上だけどな」

 

 鼻水をずびっと吸い込んだ少年は、ガラガラに掠れた声で言った。

 

「ファンに上も下もありません。私だってマックイーンさんの出走したレースは全部見てます」

 

「そんなの当たり前だろ、威張ることか? 俺が言いたいのは、俺はマックイーンさんの走りをただぼーっと眺めてるだけじゃなくてどこがどうすげーのかを言語化できるってことだ。だからただ見てるだけのやつらよりも上なんだ」

 

「そんなの、トレーナーのお勉強をしてるあなたが有利じゃないですか! 私だって実際に走るウマ娘目線であなたじゃわからないことがわかります!」

 

 何度目かわからない言い争いを始めた二人を遠目に、キタサンブラックは溜息を吐く。

 

 少し前にも、しょうもないことで口論になっていた。

 

 毎回先に言い出すのは少年だが、サトノダイヤモンドも対抗心剥き出しだ。おしとやかに見えて、一度決めると曲げないところがある彼女がこうなると折れてはくれないだろう。

 

 まさかこんなにも二人が合わないとは思いもしなかった。同じウマ娘のファンで、同じ場所を目指しているという共通点によって生まれたのは友情ではなくライバル意識だったらしい。

 

「……なんでお前がそのことを知ってるんだ? まだ言っていないはずだが」

 

 少年の言葉に、確かに、とキタサンブラックも思った。自身の口から伝えたこともない。

 

「そ、そんなのどうだっていいです! たまたま……たまたまお勉強をしてるあなたを見たことがあっただけですから!」

 

 妙に慌てた様子で答えたサトノダイヤモンドだったが、特に追及するつもりもなかったのか、少年はふーんと一言呟いて続ける。

 

「ま、おまえの言う通りだ。俺はトレーナーの勉強をしてる……んで、今日決めた」

 

「「なにを?」ですか?」

 

 不意に力強い目をした少年を見て、キタサンブラックとサトノダイヤモンドは揃って首を傾げた。

 

「今日のレース見て決めた。俺はもっともっと頑張って、絶対にトレセン学園のトレーナーになってマックイーンさんみたいなすげーウマ娘を育てる」

 

「そんなの、私はもうとっくに決めてます。今から焦って、間に合うんですか?」

 

「俺はずっと前から勉強してる。お前こそちゃんと走れんのかよ」

 

「私だって、毎日欠かさずトレーニングしてます!」

 

 再びの睨み合った二人を見て、キタサンブラックは笑った。やっぱり、二人を会わせて良かったと思った。

 

 二人とも一度これと決めたら曲げない気質で、ライバル意識があって高め合える。今はそれが強すぎる節があるが、そのうちきっとウマが合う。

 

「だったら、トレーナーさんって呼ばなくちゃね」

 

 遮って言うと、サトノダイヤモンドはからかうように笑った。

 

「確かに、トレセン学園に入ってから呼び方を変えるくらいなら、今から呼び慣れておいた方がいいのかも。ね、トレーナーさん」

 

 また口喧嘩が始まる前に、キタサンブラックは声高に宣言することにした。

 

「三人でなろう! 最高のウマ娘と、最高のトレーナーに!」

 

 

 

***

 

 

 

「トレーナーさん? どうかしたんですか?」

 

 ぼやけた視界に、心配そうな表情で首を傾げるサトノダイヤモンドが映り込む。

 

 人差し指を口元に当て、上目遣いで見つめる。これを無意識でできるのだから男泣かせだなと、ぼーっとする頭でなんとなく思った。

 

「あざといなーと思って」

 

「なッ!? 私のどこがあざといって言うんですか? 私はただトレーナーさんの元気がなさそうだったからほんのちょっぴり心配になって声をかけただけです!」

 

「そーやってほっぺた膨らませるとことか、ちゃっかり心配してくれてることがあざといんだよ」

 

 早口で捲し立てた彼女の膨らんだ頬を指でつつく。

 

 最近は落ち込んでばかりだったからか、ころころ変わる表情を見て思わずからかってしまった。

 

 元々ずっとこんな関係だったなと思う。

 

 負けがこむようになってからは無くなってしまったが、こんな風にしょうもないやり取りを何度も繰り返していた。

 

 昔に戻ったような気分になって笑っていると、彼女はがっくりと肩を落とした。

 

「もう……心配して損しました。トレーナーさん、全然元気だし、急に大人ぶって私のことからかって子供扱いするし」

 

「子供扱いもなにも、ガキじゃん……って、え?」

 

 自分の放った言葉に違和感を感じた。

 

 ようやくはっきりしてきた頭と視界が、何かがおかしいと異常を告げている。

 

 考えてみれば、さっきまでグラウンドにいたはずなのだ。その後の記憶がぽっかりと穴が開いたように抜け落ちているせいで、今ここにいるのもまるで違う世界に飛ばされたかのような感覚がある。

 

 目の前のサトノダイヤモンドにしてもそうだ。小柄な体躯、腰のあたりまである長く艶やかな髪に、どこぞのお嬢様のような恰好。懐かしくはあるが、存在するはずがない小学生時代の姿。

 

 それだけじゃない。

 

 慌てて辺りを見渡した。

 

 大きな黒板、きちんと並べられた机と椅子、この場にいる子供たちの顔、他にも、他にも、他にも。目に入るものすべてに見覚えがある。

 

 間違いなく、ここは子供の頃通っていた小学校だ。

 

「どうしたんですか? そんなにきょろきょろして」

 

「な、なあ、ダイヤ」

 

 不思議そうな顔をする彼女に腹をくくって尋ねる――。

 

「な、な……き、急に名前で呼ばないでください!」

 

 ――前に、なぜか大声で遮られた。怒らせるようなことを言っただろうか。

 

 そのまま逃げるように去っていったサトノダイヤモンドに茫然とさせられていると、入れ替わるように今度はキタサンブラックが教室に入ってぱたぱたと駆け寄ってくる。

 

「ダイヤちゃんに何したの? すれ違ったとき、顔がすっごく真っ赤になってたけど」

 

「俺は何もしてないと思うんだが」

 

 こちらから話す前に勢いよく尋ねられ、思わず普段通り答えた。

 

「いやいや、ダイヤちゃんにあんな顔させられるの、あたしかトレーナーさんしかいないよ」

 

「まあ確かに、俺ら以外相手だとムカついても我慢しそうだよな」

 

 納得して頷いていると、キタサンブラックに信じられないものでも見るような顔を向けられた。

 

「本気で言ってる……?」

 

「むしろなぜそんな顔で見られるのかがわからん」

 

「そ、そっか……ダイヤちゃん苦労しそうだなあ」

 

 そう言って彼女は憐れむような眼で遠くを見ていた。

 

 何故今の会話でサトノダイヤモンドが苦労する流れになるのか見当がつかないものの、どうせ聞いてもわからないのでこれ以上深堀をするつもりはない。

 

 それよりも、だ。

 

 にんじん模様のTシャツに赤と黄の線が入った黒いジャージ。当然のように小学生の頃の服装と身体で現れたこの少女に聞かなければならないことは山ほどある。

 

「まずは、俺の頬をつねってもらってもいいか?」

 

「どこがまずはなの!? 長い付き合いだけどそんな趣味があったなんて知らなかったよ!」

 

 一歩下がって距離を取られたので、諦めて自分で頬をつねる。

 

 痛みを感じる。つまり、どういうわけかこれは夢ではないらしい。夢にしては鮮明で感覚もしっかりしていたため予想通りではあるが――。

 

「――困ったな、なにがどうなってるのか全く分からん」

 

「それはこっちのセリフだよ! 急に変なこと言い出したと思ったら結局自分でつねってるし、力入れすぎて真っ赤になってるよ!? ああああ、こういう突然変になっちゃった人はどこに連れて行ったらいいんだろう。普通の病院でいいのかなあ?」

 

「おいキタ、心配しているつもりなんだろうが悪口を言ってしまっているぞ」

 

 困っている人を放って置けないたちの彼女の暴走に思わず苦笑いしてしまう。

 

 だが、おかげで少し落ち着けた。人は動揺しているとき、自分よりも混乱している相手を見るとかえって冷静になるらしい。

 

 その頭で考える。小学6年生のときに通っていた教室、そして子供姿のキタサンブラックとサトノダイヤモンド。にわかに信じがたいことだが、まずは現状を過去に戻っていると考えておくのが妥当だろう。

 

 そして、黒板に書かれた今日の日付。記憶が正しければ、6年生になってすぐの3人の将来を決定づける大きなイベントはもう行われているはずだ。

 

 かなり話は変わるが、あの話にキタサンブラックが乗ってこないはずはない。

 

「なあキタ、トウカイテイオーとメジロマックイーンのことなんだが――」

 

「――もしかして、この前の模擬レースの話? 感動したよね! マックイーンさんがもう一度レースを走るって言って……トレーナーさんもダイヤちゃんも号泣しちゃってさ!」

 

 やはりか、と案の定食い気味に語った彼女の言葉で確信を得る。

 

 忘れるはずはない。あのレースが終わって、キタサンブラックとサトノダイヤモンドと3人で約束をしたことは昨日のことのように覚えている。

 

 ならば、彼女たちとの関係も思い出せる。

 

 からかってるのか本気なのか、彼女たちからトレーナーさんと呼ばれ出したのもあの日トレーナーを目指すと宣言してからだ。

 

「なるほどな、だから怒ってたのか」

 

「怒ってるんじゃないと思うんだけどなあ……でも、原因はわかったの?」

 

「俺、あいつのことダイヤって呼んじまった」

 

「ああ、それで……」

 

 納得したのか、キタサンブラックも渋い表情をする。

 

 この頃はまだサトノダイヤモンドのことをダイヤと呼ぶことを許されていなかったはずだ。だから怒った。キタサンブラックの表情からも間違いない。

 

 たしか、サトノダイヤモンドのことを名前で呼ぶようになったのはこの時期よりもっと後、彼女と、トレセン学園で専属トレーナー契約を結ぶことを約束したときからだ。

 

 そこまで考えて、ふと思った。

 

 もしもあの時のサトノダイヤモンドとの約束がなければ、彼女は縛られることなく、有能なトレーナーの元で夢を掴むことができたのではないか、と。

 

 彼女は優しすぎるから、過去に交わした約束を反故にすることができない。約束など知ったことかと、他のトレーナーを探そうという考えが頭の片隅にもない。相手は最高のトレーナーになるという約束を破っているのに、だ。

 

 きっとあのまま時間が過ぎて、勝てないことが続いたとしても、彼女は原因が自分自身にあると考えるだろう。仮にこちらから契約の解除を申し出れば、受け入れてくれる可能性はあるが、彼女は自分を責めてしまう。メンタル面の影響が結果に大きく関わってくるレースにおいて、いかに優秀なトレーナーが付いたとしても、精神的に弱ってしまったウマ娘を立ち直らせるのは難しい。

 

 だが、今なら。そんな約束など存在しないこの時点ならばどうだ。

 

 あんなものさえなければ、彼女の実力であれば自由にトレーナーを選ぶことができたはずだ。凱旋門で勝つという夢を叶えられたはずだ。輝くような笑顔が消え去ってしまうことなどなかったはずだ。

 

 ならば、彼女を縛る鎖など初めからなかったことにすればいい。

 

「こ、今度はどうしたの?」

 

 不意に立ち上がると、キタサンブラックは目を丸くした。

 

「なあ、キタとあいつってよく一緒に走ってるって言ってたよな?」

 

「うん、そうだけど……そういえばダイヤちゃんが走ってるとこ見たことないんだっけ?」

 

「ああ、んで急だが見たくなった」

 

「ほんとに突然だね……あたしはいいけど。そうだ! ダイヤちゃんにも聞いてみなよ。ついでに、名前で呼んでもいいか聞いてみればいいんじゃないかな? もう一回呼んじゃったんだし、頼めば聞いてくれると思うよ。うんうん、きっと長い付き合いになるんだし、それがいいよ!」

 

「なんだよそれ、別に構わんが」

 

「絶対だよ? 絶対だからね!」

 

 やけに押してくるのは気になるが、わかったと頷くと、満足した様子でキタサンブラックは自分の席に戻った。そしていつの間にか戻ってきていたサトノダイヤモンドといつも通り話し始める。その様子を眺めていた。

 

「……やっぱりあいつにゃ笑顔の方が似合う」

 

 誰にも聞こえないように呟いた。

 

 何故過去に戻ったのか理解した。これはサトノダイヤモンドの才能を惜しんだ神様が与えてくれたチャンスなのだ。

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