「………あーあ、行っちゃったかー」
カイチョー達のトレーニングが終わった後、トレーナーはそのままトレーナー室に行っちゃった。
トレーナーがカイチョー以外にも担当ウマ娘を取るって聞いた時、ボクすごく嬉しかったんだ。
だってこれでやっとトレーナーがカイチョーだけじゃなくてボクのことも見てくれるようになったんだもん。
入学してすぐの時に専属契約したカイチョーのトレーナー。カイチョーは「自分の夢を一番近くで見守ってほしい」ってお願いして契約したんだって。
そこから二人でトレーニングも勉強も一緒に乗り越えていった。
皐月賞でギリギリで勝って。
次の日本ダービーでは七バ身差を付けて大勝して。
そしてボクの見ていた菊花賞でクラシック三冠の栄光を手にして。
無敗の三冠バ。
絶対強者。
ボクのヒーロー。
初めてカイチョーの走りを見てからボクはカイチョーみたいになりたくて、今まで以上にトレーニングを頑張って、苦手な勉強もたくさん頑張って、それでトレセン学園に入ったんだ。
そこからは毎日カイチョーを追いかける日々。カイチョーを見かけたらすぐに飛んでいくし、たくさんお話もした。
エアグルーヴ副カイチョーやナリタブライアン副カイチョーよりも、もしかしたらボクの方がたくさん話してるんじゃないかな。
でもそれも仕方のないことだ。だってボクの夢が目の前にいて、それを追いかけるのは当たり前なんだから。
だからカイチョーみたいになりたくて、今まで以上に必死にトレーニングして、少しでもその憧れの背中に追いつこうとした。
────でも、ボクの努力は『ポキン』という軽い音と共に水の泡になっちゃったんだ。
脚の骨折。人間にとってはよくある怪我かもしれないけど、ウマ娘にとっては今後の人生を変えてしまうほど重いものなんだ。
当然ボクも医者から『治ってもまた走れるのはおろか、歩けるかどうかもわからない』と言われた。
三冠の夢も、七冠の伝説も、憧れのあの人の後を追いかけることもできなくなるかもしれない、だなんて。
認められない。
絶対に、認められなかった。
だからボクは必死にリハビリした。夜だろうが、天気の悪い日だろうが関係なく、ただひたすらに、がむしゃらに。
カイチョーならきっとこんなことで折れることなんてないから。
………でも、ボクの自信はすでに、この時すでに揺らいでいた。
もしも、もしも脚が治らなかったら。
ボクの夢に手が届かなかったら。
そこに残っているボクは一体何者なんだろう、と。
だからボクはその恐怖から逃げるようにリハビリに明け暮れていた。
「おいおい、こいつはとんだクレイジーガールだ」
そんなふざけた言葉を投げかけられたのは、雨の降る寒い日だった。
その日も同じく逃げるようにトレーニングしていたら、急にトレーナーが現れて、軽薄な笑みを浮かべながらそう言ってきた。
「骨折したってのにそんなリハビリしてちゃ、復活どころか予後不良まっしぐらだな」
「ッ!!」
軽薄な笑みと共に放たれた暴言に思わずカッとなって、気がついたらボクはトレーナーに掴みかかっていた。
「キミに…キミに何が分かるっていうんだ!」
ニンゲンはウマ娘よりも脆い。力加減を間違えればすぐに死んでしまうくらいに。
そう言い聞かされて育ってきたのに、この時のボクはそのことを忘れるくらい頭に血が上っていた。
それなのに、トレーナーは全く恐怖した様子もなく軽薄な笑みを浮かべながら口を開いた。
「ハッ、知らんなそんなの。医者がせっかく治るように治療してくれてんのに、それを無駄にするようなことをしてるやつの気なんざ理解できねえよ」
それは到底怪我人にかけるべき言葉なんかじゃない。むしろ傷口を抉った上に唐辛子を塗りたくるかのような所業だった。
それでも容赦なく言葉を続ける。
「そもそもだ。お前がシンボリルドルフになれるわけねえだろ」
「────!! そんな……こと……」
一番ボクの心を深く傷つけた言葉。しかし紛れもない真実。
ボクはボクであって、カイチョーじゃない。シンボリルドルフじゃない。
それは骨折してから、ずっとずっと考えてきていたことだった。
「だがな、逆にルドルフのやつはお前にはなれない」
「え………?」
一瞬、トレーナーが何を言っているのか理解できなかった。
あのカイチョーがボクになれない? 何もかもが完璧なカイチョーが?
「あいつはあいつで、お前はお前だ。それが変わることはねえ」
トレーナーはそう言ったけど、その時のボクにはわからなかった。
でも、後からわかったんだ。
カイチョーのようになれなくても、ボクはカイチョーを超えることができるんだって。
それを理解してから気が楽になったボクは無理をすることはなくなった。そのおかげか怪我の治りも早くなり、いつレースに復帰できてもいいくらいまでになった。
その頃からかな、ボクをスカウトしてくるトレーナーがたくさん来るようになったけど、ボクはその全てを断った。
ボクにとってのトレーナーはあの人だけだ。それ以外のやつらの元につくなんてさらさらない。
ダカラサ、楽シミニ待ッテテネ♪
………
……
…
「ヘックシ」
急に鼻がムズムズしクシャミをしてしまうダンテ。
「大丈夫かい? トレーナー君」
「ああ、誰かカワイ子ちゃんが俺のことを噂してるのかもな」
「………へぇ?」
そう言った瞬間、トレーナー室の温度が数度下がったように感じる。
「それはさすがに笑えない冗談だな」
「ステータス『白け』を感知」
「ライスも……今のはちょっと……」
三人に一斉にダメ出しされるダンテ。冗談を言っただけなのに、何故ここまでダメ出しされるのだろうか? しかもルドルフだけじゃなくブルボンとライスシャワーにもダメ出しされた。それくらいつまらなかったのだろうか?
「……冗談だ」
「わかっているとも」
ニッコリ笑っているが、目は笑っていないルドルフ。これからはもう少し考えてから冗談を言うようにしよう。
「まあそれは置いといてだ、話の続きをするとしようか」
そう言ってダンテは話の続きである『今後の目標』を再開した。
「ルドルフは中央は終わったからな、次はドリームリーグってところか」
「うん、そのつもりだ。もちろん参加できるレースがあるなら参加するよ」
「OK。次にブルボンだが、お前はどうするつもりだ?」
「はい、私は再びクラシック三冠を目指します」
ダンテの言葉にブルボンがそう返す。まだブルボンが黒沼トレーナーと契約していた時にクラシック三冠に挑戦し皐月賞と日本ダービーの二冠を達成することはできたが、最後の菊花賞でライスシャワーによってその夢を阻まれた。
「前は元マスターのオーダーによって目指していました。しかしライスと戦って敗北を知ってからというもの、私は私自身の意志で今度こそ三冠を達成したいという願いが生まれました。ですのでもう一度クラシック三冠に挑戦したいのです」
「そうか。まあまだクラシック級のレースには参加できるからな。その路線で調整していくとするか」
「ありがとうございます」
ダンテの言葉に頭を下げてお礼を言ってくるブルボン。以前よりも少し表情が豊かになったし、闘志も感じられる。ならブルボンが三冠を達成できるように協力するだけだ。
「最後にライスだが、お前はどうしたい?」
「えっと…ライスは……」
ダンテの言葉にライスシャワーはしかし、何か言おうと口を開けたり閉じたりを繰り返す。ウマ耳が左右を違う方向へ動いているので、おそらく不安を感じているのだろう。
「まあ時間はまだあるんだ。ゆっくり決めればいいさ」
「は、はい………」
ダンテの言葉にライスシャワーはホッとしたような表情を浮かべる。ライスシャワーは精神的にあまり強くないところがあるので、余計なプレッシャーは与えない方がいいだろう。
ふと時計を見ると、時刻は17時を指していた。そろそろルドルフ達の下校の時間だ。
「よし、今日はここまでだ。寮に帰ったらゆっくり休みな」
ダンテがそう言うと三人は頷いてトレーナー室を出ていく。まあルドルフはダンテの自宅に帰るのだが。
トレーナー室に一人残ったダンテは部屋に勝手に設置したジュークボックスを起動し音楽をかけると、残りの仕事を片付け始めたのだった。