'31/6/14
xx.2
"Klopse"
私は、少し疲れていた。
平和になればなるほど、仕事は増えていった。JAのパイロットをしていれば良かった頃は、思えばまだ楽だった。今となっては、テロ対策、後輩パイロットの育成、兵器の移管管理、ヴィレ内の政治、外交、そして肝心要の復興などなど、やることが目白押しだ。
私が家には帰れるのは、土曜の夜と日曜だけ。デスクに飾った写真立てには、愛する夫との写真が飾ってある。それを見ると、家に帰りたいな、と素直に思う。
だが、他の女子のように青春を謳歌したい、という否定したい欲望も、心の奥底から湧き上がってくることを、私はすでに知っていた。心は29歳だが、結局体はまだ15歳だった。一度埋まったにも関わらず、結果的に私に残ってしまった肉体と精神のギャップが、体と心にどっと疲れをもたらす。
この乖離に起因する疲れが来ると、大抵、その原因となったあのバカのことを思い出してしまう。初恋の男だ。我ながら未練がましいったらないが、今になって冷静に考えてみると、タイプでもなんでもない。今のあいつは大人になったが、なんだか調子に乗ってる感じがして、正直苦手だ。だから面と向かって会うことは殆どない。
ただあいつは、自分の力でこの世界を救った。色々あったが、今はそこには本当に恩義を感じている。そして、私の進むべき道を照らしてくれたと思う。家事とエヴァの操縦がうまい以外何の取り柄もない男だけど、そんなあいつのお陰でここまで来れたのも確かだ。
あいつに恩返しするためのプレゼントは、私の全てなんかじゃない。それは愛する夫へのものだし、あいつにはもう必要ない。
あいつが滅ぼして、あいつが救った、この世界の復興が、一番のプレゼントになるんだ。
いつもだったら、この決意を固めることで、仕事に気合が入る。カーキ色のジャケットの袖をまくり、バリバリと作業を開始するところだ。
ただ、今日は特別、仕事に気合が入らなかった。理由はわかる。
さっき見たあの写真だ。どうせ。
なんてくだらない感情を、よくもユーロネルフは仕込んでくれたものだ。私がこんな長い間生きるなんて、想像もしてなかったんだろう。反吐が出る。
何もやる気がせず、チェアに身を預けて、だらりと両腕のちからを抜くと、廊下中に響く間抜けな歌声が聞こえてくる。
「……にしからのぼったおひさまがっ♪ ひがしぃ〜へ、しず〜むぅ〜♪」
仕事部屋のエアードアが、私に何の断りもなく、勝手に開かれる。
「姫ぇ〜」
「なぁによ」
「構って構ってぇ〜」
「仕事の邪魔、出てって」
「ふふっ、たまにはサボりも必要よん」
「サボるくらいなら帰って休みな」
「や〜ん姫と一緒がいい〜。ていうか携帯返してよぉ〜」
やってきた女性は、なんの遠慮もなく私に抱きついて頬ずりをする。その首の動きはあまりに激しく、彼女のローツインテールにまとめた長い茶髪が、私の座っている椅子にべしべしとぶつかる。
さっきの顛末で、私はこいつの携帯デバイスを没収した。画面にはまだ、例の写真が写っている。
「ふん、ちったぁ反省しなさいよ」
「ソーリーソーリー。アイムソーリーひげソーリー。なんちて」
「相手は子供よ。云って良いことと悪いこと、あるでしょ?」
「子供子供っていうけどさ、あの子たぶん百歳軽くこえてるよ?」
「百どころじゃないでしょ。もういいから。ほれ」
「にゃーん! ありがと!」
携帯をぽいっと投げると、まるでフリスビーを追いかける犬のように、携帯デバイスに飛びついた。
コネメガネとも、もう16年目の付き合いになる。今の仕事部屋は私の隣室。カチューシャをつけて、隊服の上に白衣を羽織ったいつもの格好。コイツも仕事に忙殺されている毎日だ。家に帰っているのを見たことがない、というか、そもそも家があるのかすらわからない。デスクの隣の寝袋が、彼女の寝床だった。それでいて、全く疲れを見せないどころか、いつもご機嫌に大きな声で所構わず歌っている自由人。明らかにネジが一本足りないタイプの人間だった。
どこまでもタフでうざい、私の相棒である。
「正直さぁ、こうも忙しいとさぁ、ああいう可愛らしくて甘酸っぱいのを見るとさぁ、どーしても可愛がりたくなっちゃうんだよね〜」
「相変わらず性格悪いわね。ちったあ直したらどうなの?」
「え〜、姫こそプリンセスに甘すぎなんだよ?」
「ナキムシはウチのエースよ。あんまりいじめて泣いちゃって、成績に支障でたらマズイじゃん」
「だ〜か〜ら〜、そんなダブルエースのさらなる強化のために、色々けしかけてやってんじゃ〜ん」
「……それが意味分かんないってのよ」
ナキムシ。私のそっくりさん。あだ名の理由は単純。すぐ泣くガキだからだ。性格はガキ。男の趣味もガキ。食事の好みもガキ。全部がガキ。大人になれなかった自分を見ているみたいで、癪に障る。気が合うところはゲームの趣味だけ。お互いレトロゲームが好きだし、オンラインインストールでなく実機でプレイするというスタイルも一緒だ。
「てかさ、来週の土曜にプリンセスに会いに行くん?」
「まあね、ゲームしにいく。あいつ寂しがり屋だし」
「……っていってるけど、目的はわんこ君だったりして?」
「はぁ? あいつは関係ない。勘ぐるのやめてくんない? マジうざい」
「……めんご。でも、ちょっと様子おかしかったから」
「うっさいわね。別に普通よ」
そう云って、私はコネメガネの携帯の画面をちらりと見た。バカシンジが制服姿のナキムシをお姫様抱っこしている写真。その写真をニタニタしながらコネメガネが見ている所を、私も偶然目撃してしまったのだ。
わあわあ大泣きしていたであろう、ナキムシの真っ赤に腫れた目元と、潤んだ瞳。とっても嬉しそうな、ガキっぽい笑顔。ナキムシの茶髪は私よりほんの少し赤みがかっているが、夕日のせいか、私の髪色に近くも見える。そしてなにより、このバカシンジの調子こいた佇まいが、マジでムカつく。
けれど、それがなんだか、あり得た世界を見せつけられたみたいで、堪らない気持ちになったのは、確かだ。
ナキムシは、私とは違う。
「好きだった」のは、私じゃなかった。いや、あのときは私だったのかも。でも、今となっては、あまり意味がない。
何故代用品が必要だったのかはわからないけれど、私がナキムシの代用品であることは、初めて出会ったときにすぐ理解できた。
私は、あれだけ私を殺して、ついに絶対に殺せない、本当の私に出会った。
天才だった。JAに乗った途端、私を凌ぐエースパイロットになった。物凄い才能の持ち主だった。
ただ、何もかもが不完全だった。
本当の人間だった。
誰にも頼らず生きていく、そんなつもりはサラサラ無い、そんな女の子。
独りはイヤって、簡単に云える、そんな図々しい女の子。
私より、スタイルが良くって、痩せてる女の子。
私より、よく怒って、よく泣いて、よく笑う女の子。
笑顔が素敵な女の子。
心の底から、シンジが大好きな女の子。
私とは正反対な、そんなやつだった。
この子みたいになるために、私は私を殺していたことがわかった。死んでいった皆が持っていたものを全て持っていた。私が欲しかった物を全て持っていた。
憧れた。なりたいって思った。でも、それは一瞬だけで、その後すぐに、もう私は必要なくなったことに気がついた。
私は彼女の亡霊だって事がわかった。
『アスカはアスカだ』
結局、私を見てくれているのは、夫だけだ。夫が私を見てくれる、それがとても嬉しい。
だから家に帰る。
でも、殆ど帰ってない。
なんで?
仕事があるから。
何の仕事?
街の復興。
誰のために?
「姫、元気だして!」
コネメガネは、私の思考を読んだかように叫びだし、鼻をフン! と鳴らした。
「きっとこの写真はレイさんの宣戦布告よ! うちのアスカはわんこ君とこーんなにくっつきましたっていうね!」
「……はぁ?」
「そう! きっとそうだよ! こうなったら、もうこっちもわんこ君を頂いちゃうしかなぁーい!」
コネメガネは椅子に足をだぁんと載せ、一気に来客用のデスクに土足で駆け上がり、腰に手を当て天を指した。
「嗚呼、式波・アスカ・ラングレー! 悪辣非道な人体実験を忍び、エヴァンゲリオンエースパイロットとして使徒を次々と撃破! 第9使徒の攻撃で絶対絶命となるも、逆に使徒を取り込み復活し、本都市の前身となる第3村を防衛! ネルフの企みを次々と阻止! そして! エヴァがなくとも! 第3村のヒーローとして治安維持に奔走! 月に向かって単身でカチコミ! JA単騎でテロ部隊一個師団を武装解除! そして、取り戻した世界の平和を保つため! 第3新東京市周辺復興計画のチームリーダーを担当! まさに世界の平和を守る、史上最強空前絶後の正義の美少女軍人!」
「……」
「しかぁし! そんな第3新東京市に、突如謎の美少女が現れたのだ! その名も、惣流・アスカ・ラングレー!」
「……」
「そう、彼女こそ! 地獄より舞い戻もどりし愛の美少女軍人! 皮肉な運命と14年という年月に散った儚い初恋……しかし彼女は、14億年! かはわかんないけど多分そんくらい? の時を越えて、その禁断の恋を成就せんとしているのだ! その影にうごめく綾波、いや、惣流レイ!」
「……」
「だが! 式波・アスカ・ラングレー! 君はたったの14年だ! その差なんと13億9999万9986年! しかもその間は何百万回! 何千万回? よくわかんないけど多分それくらいよね! もう飽きないのってくらいわんこ君といちゃつくという熱々ぶり!」
「……」
「そして同じく美少女軍人、真希波・マリ・イラストリアスも君の心強い味方だ! 惣流レイには引けを取らないぞ! 君は圧倒的有利な状況にあるのだ!」
「……」
「さぁ、立ち上がれ、式波・アスカ・ラングレー! 愛の力でわんこ君をメロメロにし、真の愛と正義の美少女軍人として輝くためにぃー!」
「私、夫いるから。マリ、ガンバ」
「……」
「……」
「……つれないにゃぁ」
そう云うやいなや、マリはデスクから軽やかに飛び降り、私の目を見てこういった。
「でも言っとくけど、私、半分本気だよ?」
「……なんで」
「だって、姫がこんなに傷ついてる。だから本気」
「……云っとくけど、全部あんたの思いすごしだから。勝手に人が傷ついたことにすんの、やめてもらえる?」
「……いいんだよ。そういう気分になるってのも、人間なんだ」
「うるさい!」
私は、久しぶりに、本気で切れた。
「あいつはもう何にも関係ないって云ってるでしょ!? 知ったような口を聞かないで!」
「……ほんとに関係ない?」
「関係ない! 私はあいつを好きだった! あいつは私を好きだった! 今はそうじゃない! はい、この話終わり!」
「……ほんとに?」
「本当よ! しつっこいわね! 何なのあんた!?」
「アスカのバディだよ」
マリの表情から、悪戯っぽい笑みが消えた。
「だったら何で、毎日毎日、わんこ君のお弁当を食べてるの?」
「……あのバカがウチの食堂で働いてんのがいけないんでしょ」
「食堂以外もあるじゃん。自炊するとか、コンビニ行くとか。街のレストランだってあるのに」
「仕事が忙しいの! 一番近いとこの弁当を頼むくらい普通じゃない!」
「……ランチ誘っても、来てくれたこと、一回もないじゃん」
「うっさいわね! だいたい食堂の普通の弁当よ! あいつが作ったかどうかなんてわかんないじゃない!」
「普通のお弁当じゃない。いい加減にしないと、怒るよ」
「あんたバカぁ!? 弁当なんてくだらないことで、ぎゃあぎゃあ云わないでよ!」
「くだらなくなんかないだろ」
マリの表情が、真剣そのものに変わった。久しぶりに、この顔を見た。
「15年間、ずっとずっと食べたかった食べ物のこと、くだらないなんて言っちゃ駄目だ」
「……」
「姫は、わんこ君のお弁当がずっと食べたかった。だから、わんこ君は帰ってきて、ヴィレで働いて、姫のためにお弁当を作ってる。だから、姫はそれを食べてる」
「……」
「それでいいんだよ。それは浮気でもなんでも無い。だから、それを認めなきゃ」
「……そしたら明日から、私レーションでいいから。もう帰って」
「……夕飯はどうすんの?」
「夕飯もレーションでいい。帰って」
「私、知ってるんだよ」
「帰って」
「デスクの中にお弁当置いてある。わんこ君が作ったやつでしょ。ちゃんと食べなよ。そんで、先に進みな」
「帰って」
「……あの写真を見て、傷ついたっていいんだ」
「帰ってよ!」
デスクの書類を、マリに向けてぶちまける。
「……捨てりゃいいんでしょ」
「それはできない。だから、そんなに苦しんでる」
「……別にどうってことないわよ、こんなもの!」
全身の血が燃え上がるのを感じた。
私は、机の中の弁当を乱暴に取り出した。ゴミ箱に狙いを定める。
弁当を右手で掴んで、思いっきりそのゴミ箱に叩きつけるのを、マリは体を差し込んで静止させた。
「駄目だよ! 捨てちゃ駄目だ!」
「良いのよ! これで良い!」
「良くない!」
「何がよ!」
「それにはシンジの愛情が詰まってるから!」
私の体が、ピタっと止まる。
「……適当なこと云わないで!」
「違う! だから美味しいんだ! 毎日食べても! シンジが、アスカのことを想って作ってるから!」
「嘘よ!」
「嘘じゃない! シンジは知ってる! アスカが毎日働き詰めなこと! だから、健康面をサポートしてやろうと、いっつも献立考えて、一生懸命作ってるんじゃん!」
「違う!」
「違くない! だからアスカは元気でいれてる! 健康でいれてる!」
「……」
「それがシンジの愛情なんだ! その弁当は、シンジの愛情の形なんだ!」
「……嘘」
「ホントだ! ホントはアスカが一番それをわかってる! ただの弁当じゃない! だから捨てちゃ駄目だ!」
「……嘘よ」
マリは、弁当を優しく机におき、私を抱き寄せた。
「……そして、ちゃーんとそのまごころと向き合って、大きくなってきなよ」
「……」
「シンジだけじゃない。アスカはもう皆にとって、かけがえのない存在なんだよ」
「……」
「それに気がつくために、もっと大きくなるために、私の胸が必要なら、いくらでも貸してやる」
抱き寄せられるのはしょっちゅうだ。だが、このハグが特別なものであることは、すぐに理解できた。
思い出してみると、辛いときは、たまにこうしてくれてた気もする。でもそのときは、彼女の優しさなんて、わかってなかったと思う。
私はマリより背が伸びた。
私の頭を、マリが軽く背伸びして、きゅっと抱える。
大きい胸の中に顔をうずめると、マリの心臓の音が聞こえた。
彼女は誰よりも狂っているが、誰よりも暖かった。
「……うーん、いい匂い。やっぱり、姫の匂いは最高だにゃ」
「……あんがと」
「いいってことよ」
「……」
「……」
「……ふぁっ」
「あは♡」
ゴスッ!
私はとっさに、膝をマリの股間に打ち込んだ。
「んほぉ!」
「どこ触ってんのよ!」
「いやぁ、久しぶりに抱きしめたら辛抱たまらんくなってしもうての……」
「辛抱たまらんてバカじゃないの! このエロメガネ!」
「んふ、ちょ〜っとオッパイもみもみしたら、ふぁっ♡ だってぇ! か〜わ〜い〜い〜!」
「どおっりゃぁ!」
私は回し蹴りをマリの腰めがけて打ち込んだ。しかしマリは一気にステップバックし、間一髪でそれを躱す。
「うおぉ! あっぶない!」
「そんなに胸揉みたいなら自分の揉みなさいよこの変態!」
「や〜ん、姫のお顔、真っ赤だよ?」
「は、ばっかじゃないの! もう最悪!」
「うふふ、ア〜スカちゃ〜ん、もっと触らせてくれよ〜、そして私のも触ってくれ〜」
「……これ以上やったら次は顔面に膝が飛ぶわよ」
「……おっとっと、ざーんねん。また揉ませてねん♡」
「絶対イヤ! いいから出てって! あんたも仕事あんでしょ!」
「はいはい。はぁー仕事だるいわー……ハイこれ、さっきぶちまけた書類」
「……拾ってくれてサンキュ。じゃ」
「……姫」
「なによ」
「おっきい声出してごめんね」
「……ううん、いい」
「ちゃんと残さず食べなね」
「……わかってる」
「オッパイおっきくなったね♡」
「うっさい!」
「えへへ! see ya!」
マリは満面の笑みで、部屋を後にした。プシュっとエアードアが閉まる。
どこまでもタフでうざい、私の大切な相棒。
昔より、少し優しいと思う。それはきっと、私が受け入れられるようになったから。
「ピピピッ、ピピピッ……」
デジタル時計の音が鳴った。19時の時報だった。
私は時計の時報を止め、PCをスリープ状態にし、いつものように内側からドアロックをかける。
そして、さっき捨てそうになった、二重になった弁当箱を展開する。
御飯の上にはいつものようにおかかと桜でんぶが敷かれているが、それよりも、今日のメインを見て驚いた。
Königsberger Klopseだ。
大きめのミートボールにホワイトソースをかけた、ドイツ人なら誰でも知ってる定番料理だが、下に茹でたキャベツが敷かれているのが、弁当らしい工夫だ。付け合せには人参のグラッセ、ブロッコリー、マッシュポテト。小鉢には、根菜の煮物、卵焼き、紫キャベツのザワークラウト。リクエストのタコさんウインナーには、いつものように黒ごまで目が描かれている。さっきの騒動で少し寄ってしまっているけれど、彩りは豊かだ。
「……いただきます」
箸でミートボールを割いて、一口分の大きさにする。
14年のブランクがあっても、私は箸の使い方を覚えていた。大昔にミサトの家で練習したそれが、今でも体に染み付いている。
一口分の大きさにしたミートボールを、口に運ぶ。
ゆっくりと咀嚼して、味わって、飲み込む。
「……ふーん、こういう味なんだ」
子供の頃は、レーションとカプセル以外、口にしたことはない。後は注射とLCLだけ。
だから、このドイツ料理自体に、思い入れなんか一つもない。
それでも、なんだか懐かしいと感じる。
もう一つ分を箸で割いて、口に運ぶ。
「うん、イケるじゃない」
誰が作ってるかなんて、食べればわかる。
間違いなくあいつの味だ。
懐かしいと感じるなんて、当たり前だ。
14歳になって、生まれて始めて、美味しいという感情を、私に教えてくれた人の料理だ。
きっと、何億回と食べている味だ。
私の魂に刻まれているんだ。忘れられるわけがない。
「捨てなくてよかったわね、アスカ」
ふとした一言が口から溢れると、ついに、目から涙も溢れてしまった。
口をモグモグと動かしながら、テーブルにあるティッシュで、あわてて涙を拭く。泣いている場合ではない。せっかくの食事なのだ。
ミートボールを良く噛んで、ごくっと飲み込む。次は卵焼きを頬張った。
甘辛い味付け。昔から変わらない味。顔が少し綻ぶ。涙はまだ、止まりそうもない。
こんな情けない姿を見られるのだけは、死んでも御免。だから食事は、いつも一人だ。
私は私の情けなさに、ほとほと嫌気がさす。
それでもこの食事は、どうしようもないほどに、私の心を慰めてくれる。
ほんの少しだけ過ごした、優しくて暖かい記憶。それを思い出させてくれる。
私の旧い居場所。私の甘酸っぱい思い出。それはもう跡形も無いけれど、それが現実だったことを、私に確認させてくれる。
過去があるから、今がある。
そのことが、私の進んできた道を、全て肯定してくれる。
そのことが、私をどこまでも癒やしてくれる。
だから私は、私に残ってる最後の細い絆に、縋ってしまうんだ。
最後にとっておいた、タコさんウインナーを口に放り込む。
「……やっぱり美味しい」
私はケンケンを愛している。誰よりも深く愛している。それが私の出した答えだ。
しかし、シンジとの因縁めいた縁もまた、簡単に振りほどけるものではない。
私にとって、シンジにとって、終わった恋。それは確かだ。
でも、これからどうすればいいのか、それがわからないままだった。
一体いつになれば、これを整理できるのか。
妻となった私に、今更そんなことが許されるのか。
それでも、いつか決着をつけて、コネメガネの云う通り、もう一つだけ、大人になりたい。
ケンケンと一緒に、大人として歩んでいくために。
「ごちそうさまでした」
弁当をすっかり食べ終えると、いつの間にか、涙は引いていた。食後に、水筒に入っている温かいお茶を飲む。
今日のお茶はほうじ茶だった。香ばしい香りを嗅いで、蓋に注いだお茶を一口啜る。
「ふぅ……」
コネメガネには黙っているが、実はこれもヴィレの食堂から注文している。でもまあ、コネメガネにはバレてそうね。
「……まずは仕事ね。お家に帰るわよ、アスカ」
そういって、目の前の書類との格闘を再開した。
今日は土曜日。ケンケンに会いに、お家に帰る。明日は、私が料理を作るんだ。
◎
姫の部屋から出た私は、そそくさと自分の部屋に帰って、仕事に戻った。今日は残った雑務と事務処理で一日が終わりそうだ。あまり面白くはない作業に没頭していると、珍しく姫が来て、「ちゃんとご飯食べたから、今日はありがと。じゃ」とだけ言って、帰っていった。
「ホント、姫って律儀で可愛いわよね……」
姫を見送った私は、そう独り言を言って、時計を見る。20時30分。
ようやく私は、ぶはぁと一つ息をついた。自分で言うのも何だが、私は珍しく反省していた。
反省点は2つ。
その1、ヴィレID自動生体認証システムの脆弱性。
まさか本人再認証時にエラーでデバイスがフリーズしてしまうとは。ほぼ同一な生体が2件以上登録されていると、ヴィレIDが衝突してしまうことが原因だった。今回は私が対応して事なきを得たが、こりゃどうにかしたほうがいい。この世界にはほぼ同一なそっくりさんがまだまだいるのだ。
その2、写真。
「今日のお礼はわんこ君との進捗状況でよろしく!」と冗談でメッセージを投げたら、まさかあれだけの爆弾を投下してくるとは。やはりレイさんは只者ではない。流石はあのわんこ君とプリンセスを統べる女性だけある。ひとしきりニヤニヤしながら写真を眺めていたが、それを休憩室で行っていたこと、そして背後への注意を怠ったことがミスだった。
よりにもよって、姫に見られてしまうとは。
『……それなに?』
『あー、これ? 今さぁ……あー、やっぱなんでもない!』
『見せて』
『なんでもないって!』
『見せなさいよ』
こうしてぱっと携帯を取り上げられ、写真を見られてしまった。姫がそれを見た瞬間、目から光がすぅっと消えていくのがわかった。
『……なんだ。ガキの遊びじゃない』
『そ、そーだよねぇ! にゃはは』
『じゃ、仕事戻るわ』
「戻れるわけ無いじゃん、そんなんで……」
私は少し、姫を甘く見ていた。確かに、わんこ君には餌付けされてしまってはいる。そしてあの弁当は間違いなくわんこ君の愛情そのものだ。しかし、それは決して恋心の表現ではない。それを彼女も理解して、彼女なりに適切な距離をつかめていると思っていた。彼女は彼が好きであり、そしてそれもまた、恋慕とは違う感情なのだ。
それでいい。あれだけの経験をしてきたのだ。彼女が持っていていい感情だし、認めるべきものだ。だから、そこは問題とすべきではない。
問題は、彼女の中での整理だ。
姫は、今のそのわんこ君に対する感情が、彼女の初恋の延長なのかどうかがわかっていない。過去の気持ちは処理できたが、現在の気持ちを未整理のまま放置し続けたせいだろう。自然消滅する類のものではないことは、あの14年を経験した姫自身、よく分かっているはずなのだが。
私は、過去一度だけ偶然目撃した、姫の食事している様子を思い出す。夜中、珍しく姫が食堂で弁当をつついていたから、気になって覗き見したのだ。とろんとした表情で、ご飯粒のついた小さなお口をモグモグ動かして、お目々をキラキラさせながら、お箸で一生懸命ハンバーグを食べる姫は、まさに可愛さの至極にいたので、当然その場で全て動画として保存し相田氏と共有したのは置いといて。
あのかわいいお顔は、眠かったんじゃなくて、あの頃を思い出しているからなのね、と今更合点がいった。
そして姫はあろうことか、自分をプリンセスに重ねている。そしてプリンセスも、姫を自分に重ねている。姿形が似ているというだけで、クローンではない。身長も体重もスリーサイズも僅かに異なるし、そもそもあまりに内面が違いすぎる。はっきり言えば、全くの別人なのだ。にも関わらず、その重ね合わせだけはシンクロしてしまっている。お互いが自分が一番であると自負しているが、同時にお互いの理想像としてお互いを尊敬し、そしてお互いがお互いのスペアだと思い込んでいる。らしいといえばらしいが、その事実誤認が姫の感情を逆撫でる。だからあの写真を、プリンセスの前では『かわいいね』で流せるのに、私の前では『かわいいね』で流せない。
結果的に、未だに姫はわんこ君に溺れている。愛する夫がいるにも関わらずだ。
「……てーんーさーい、いーっかだ♪ ばーか、ぼんぼん♪」
これで、いいのだ。
姫が人間になった、その証なのだ。
自分の人間臭さを、やっと認めることができたのだ。それが、たまらなく愛しいのだ。男の1人や2人好きになった所で、なんだというのだ。今までの彼女の困難艱苦を思えば、こんな移り気のうちにも入らぬ少女のような葛藤を、一体誰が責められるというのだ。それは彼女を愛するあの二人も完全に同意見なのだ。彼女は彼女のペースで、ゆっくり大人になっていくのだ。今やたっぷりと愛を注ぎ、それが満ちるのを待てばいいのだ。
「しっかし、馬鹿すぎんのも考えものなのだ……」
私は、その片方の男──1人や2人じゃ利かない数の女を引っ掛ける、この面倒な状況を作った元凶のどうしようもないスケコマシの盆暗──が写り込んでいる写真を、もう一度眺めた。
わんこ君は、随分と精悍な男前になってしまった。というか、ホントにあのわんこ君なのか? と疑いたくなる。
身長は185cm程度か。プリンセスを抱く腕と胸板はガッチリとしていて頼もしく、その暖かな笑顔は端正であり、要するにカッコいい。炊事、洗濯、掃除と家事も完璧。しかも実はこの世界を救った英雄と来ているんだから、女なら惚れないほうがおかしい。早い話がスパダリだ。昔より少し伸びたショートヘアが、ユイさんの面影を更に濃くしている、っていうかプリンセス、よくみたら歯型つけてんじゃん。この子も可愛いなぁもう……
それにしても、プリンセスは『三人の写真』と言っていたが。
この写真には、誰がどう見ても、わんこ君とプリンセスの、二人しかいない。
ここから導かれることは、『三人の写真』と、『二人の写真』、少なくとも二枚以上の写真があるということだ。三人目は明らかにレイさんだ。兄と姉って言ってたからねぇ。『二人の写真』と『三人の写真』、レイさんにとってのわんこ君の進捗状況は、『二人の写真』のほう、ってわけか。
「ハッ、ホント、罪深い野郎だねぇ、わんこ君は……」
正直に言おう、今の私は、今のわんこ君が嫌いだ。
かなりの問題児だ。ルックスに騙されると痛い目にあう。正真正銘、完璧な事故物件だ。
はぁ、と一息つくと、当直オペレータからの入電が入った。土曜の夜にめずらしい。私は素早くヘッドセットをつけ対応した。
「はーい、真希波でーす」
「真希波大佐、現在、市警刑事部からお電話がかかっておりまして」
「……はいはい、じゃー回してくださーい」
「ありがとうございます。転送いたします。少々お待ち下さい……」
幹部に繋がないといけないような面倒な電話か。現在本部に出向いている大佐以下の幹部は私しかいない。だから私が対応することになるんだけれど、普通土曜のこんな夜に市警から電話がかかってくるだろうか? こういう面倒くさい電話は、正直つまらない。
まあ、実を言うと、今回の要件は検討が付くし、だから私が対応するのだが。
「……はい、お電話変わりました、真希波です」
「もしもし。刑事局、組織犯罪対策部の渡辺と申します」
「……はい、どういったご用件で?」
「本日昼に発生した、新吉祥寺での傷害事件についてなのですが……」
あーはいはい、やっぱりね。めんどくせっ!
「……はい、それは本日申しましたように、うちの職員の正当防衛です。監視カメラも確認しています。捜査として立件していただいても構いませんよ? オススメはしませんが」
「いえ、それは良いのですが」
「でしたら、こちらから申すことはありません」
「ああ、いえ、それがですね。被害者が10人程度の小さな犯罪集団に属していたようでして。本日の19時ごろに、その集団が新吉祥寺で惣流さんを探していた、という情報が入ったのです」
「……情報いただき感謝します。こちらも存分に注意しますが、基本的にはそちらでご対応願えます?」
「はい。ですがその集団が、どこを探しても見つからないんです」
「……」
「こちらも消息を追っているんですが、ご存知ありませんかね」
「失礼、存じ上げません」
「……了解しました。お忙しいところ、ご協力ありがとうございます」
「では。捜査のご成功をお祈りします」
「ありがとうございます。失礼します」
私は通話終了ボタンをクリックし、デスクに深く座り直し、腕を後ろに組んだ。
「プリンセスのお転婆には困ったもんだねぇ」
今日の昼過ぎ、プリンセスに関する電話が2件かかってきた。警察から傷害事件の電話。鉄道会社から痴漢事件の電話。どちらも私が対応した。プリンセスの揉め事に関する電話はしょっちゅうかかってくる。まあ揉め事を起こすのはいいんだけど、ケツを拭くのはいっつもヴィレってこと、そろそろ教えとこっかな……。
仕事を投げた弁護士からの連絡で、痴漢の方は収まったが、新吉祥寺の方はどうも少々揉めそう、といった状況は把握していた。マル暴が出てくるということはそういうことだ。
しかし、全員消えるとはねぇ。
「……おしおきしたのは、だ〜れだっと」
私は、とある装置のGPS追跡機能を起動した。座標履歴を確認してみると、17時30分に帰宅後、18時05分に再度外出、新吉祥寺周辺に寄ってから、19時30分に帰宅している。
「はぁ、だる……」
私は深くため息をついた。
もう一度はっきり言う。
今の私は、今のわんこ君が大嫌いだ。
【おまけ】
◎あまりにも雑な登場人物紹介
相田・アスカ・ラングレー
29歳(15歳)。大佐。有人型JAのエースパイロット。色々面倒なので職場では式波で通している。仕事がめちゃくちゃできる。体は高1なのでめちゃくちゃ食べる。惣流とのJAの模擬戦績は50勝51敗。最後の試合で、やはり惣流が居ればいいと考え、現役引退を決意も、普通に人手が足りず続投。というか有人型JAを乗りこなせるのはアスカしかおらず、そもそもどっちが優秀かなど誰も気にしていない。惣流よりちょっとだけ巨乳。
相田ケンスケ
29歳。シンジがアスカにご飯を作っていることは知っているが、それが浮気だとは毛ほども思っていない。メッセージアプリの真希波とのトーク画面はアスカの写真と動画で埋め尽くされている。日曜日のアスカとの食事が生きる楽しみ。最近アスカの誘惑を断ち切るのが本格的にキツくなってきたが、体が成人になるまでは我慢。おっぱい星人ではない。
惣流シンジ
26歳。ヴィレ中央食堂従業員。和、洋、中、弁当、軽食、喫茶、とにかくなんでも作るヴィレ中央食堂のキーマン。アスカだけでなくヴィレ本部職員ほぼ全員の胃袋を掴む男。評判が評判をよび、今ではヴィレの外部からのお客も来るようになった。有人型JAには全く乗れない。こんなにボタンがいっぱいあるのに、乗りこなせるアスカは凄いなぁ、としか思っていない。おっぱい星人。
真希波・マリ・イラストリアス
大佐。オペレータ、武器開発、研究など多岐にわたる業務をこなす。仕事がスーパーハイパーウルトラめちゃくちゃできる。アスカのメンタルに負担が掛かりそうなことも全てこなす。普通なら過労死するがそれを人間性能だけで賄っている女傑。アスカの幸せを願う会会長。シンジのしょうもなさに絶賛幻滅中。有人型JAはマジでムズすぎて乗りこなせない。式波より巨乳。
惣流・アスカ・ラングレー
15歳。大尉。有人型JAのエースパイロット。ヴィレにはあんまり来ない。式波とのJAの模擬戦績は50勝51敗(最後の試合はお互いが負けたと思っているが公式レコードは引き分け)。最後の試合で、やはり式波が居ればいいと考え、ヴィレをやめようとするも、普通に人手が足りず続投。やっぱりどっちが優秀かなど誰も気にしていない。式波の胸が羨ましい。
惣流レイ
29歳。特別大尉兼名誉大佐。ヴィレには殆ど来ない。マリを煽るのが上手い。しかしまさかマリがアスカに写真を見せるとは思ってなかったので、ちょっとミスった。式波以上真希波以下。
当直オペレータ
非軍人。普段はヴィレIDに関する照会受付もしてる。土曜もお疲れさま。貧乳。
渡辺刑事
惣流シンジをマークしている男。身辺を洗い出したら美女しか出てこないので、裏でジゴロと呼んでいる。雄っぱい。
◎2年たったのに、あんまり変わってなくない?
ヴィレはとっても忙しかったのです。
忙しかったらこんなもんだとおもってます。