'31/6/14   作:siffis

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xx.5 "Leichenräuber"

'31/6/14

 

xx.5

"Leichenräuber"

 

 

 夕べのミサの後の日課として、君の移動履歴を見ることにしているが、今日のそれは特に面白かった。

 いつものようにヴィレの食堂から出た君は、珍しく電気街を回っていたようだが、その後スーパーになんと50分程度滞在した。かと思うと、突如何かを思い出したかのように、ポインタは彼の全速力で家にかっ飛んでいく。それを見た僕は思わず微笑んでしまったが、40分もたたないうちに、今度は自転車に乗ったのだろう、先程の2、3倍のスピードで中央街の方に彼の座標が飛んでいき、ありとあらゆるスーパーを物凄い勢いで回っているのを見て、僕はついに吹き出してしまった。一体何が原因だったのか、想像するのもたまにはいいが、大抵、舐め腐ったオレンジ髪の糞女とあの男が呼んでいた、君の愛する人の我儘が原因だろう。僕はそんな君をとても気の毒に思っているが、そんな気の毒な君が楽しそうなのもまた事実だ。

 さて、最も面白かったのは、その狂ったように動いていた座標が、ショッピングモール周辺の何もない場所とゴミ捨て場の二箇所で止まっていたことだ。とりわけゴミ捨て場には10分程度滞在しており、その座標の細やかなブレは、君がそこで何らかの運動を行っていたことを意味していた。そのあまりに愉快な行動に、僕はゴミ捨て場に弟子と共に車で急行した。

 その場所は、どこまでも凄惨な暴力が実行されたことを示す大量の血痕で隅々まで塗られていた。その真っ赤なキャンバスに、饐えた死臭を放つ、鮮血で真赤に染まった9つの袋が、丁寧に3×3の形で積んである。その一つに手をかけ、袋が破れないようにゆっくりと地面に降ろした。開けてみると、中身はぐしゃぐしゃに丸められた肉体だった。袋から出してそれを展開してみる。その肉体はわずかに息はしていた。顔は丸い風船のように腫れ上がっていて、そこに何があったのかはもうわからない。毛髪は皮膚ごとむしられ、頭蓋骨が露出していた。右耳と左足が引き千切られており、残った手足もあらぬ方向に何度も曲げられたため、結果的にたわんだホースのようだった。ボロボロに引き裂かれたシャツとジーパンは糞尿と血液塗れだったが、これによって、どうもこれは男性の人体らしいことを、僕はかろうじて推察できた。袋の中には、まるでプラモデルのパーツのように、ちゃんと右耳と左足が残っていた。この妙な几帳面さに、僕は犯人を確信した。

 

『……ぁ』

 

 小さな声を聞いた。僕は弟子と協力して、彼を車に乗せた。残りのゴミ袋も入れようとしたが、積載量がこの車では足りない。僕は仕方なく退散し、鈴原さんとリョウちゃんに連絡を入れた。

 

 君はもう、こんなことをしないほうが良い。それは僕もそう思うし、君自身そう思っているはずだ。

 でも、君はしてしまった。何故か。

 

 それは間違いなく、君が愛する人を守りたかったから、ではなく、君の力はもう収まることが無い、ことが原因だ。

 

 僕も人類だ。君が与えてくれた、この素晴らしい平和を謳歌している。ただそれは、いつ消え去ってもおかしくはない、非常に不安定なものだ。僕は当然それを覚悟できている。しかし、それを理解していない連中が多すぎることに、僕は心底辟易していた。人類がだましだまし過ごしている日々、それを支えている平和は偽りのものにすぎない。この事実はきっと君を苦しめているだろうと、僕は身勝手に推察していた。つまるところ、やはり僕は、人類が嫌いなのだ。

 

 とうとう僕は、君を救うことはできなかった。君はやはり、神になってしまったのだろうか? 少なくとも、最初はそうだと思っていた。そうとも、新たに世界を創生した、君こそが神だ。ただ、その心優しい神は、自分のことを神とは思わず、我々と同等に接してくれた。その優しさに、誰もが惑わされる。私も神の隣にいたい。そばにいたい。愛したい。愛してほしい。誰だってそう思うさ。

 でもそれでは、君自身を救うことができないと、僕は考えていた。君はそのギャップに明らかに苦しんでいる。君は神だ。それは間違いなくそうなのだが、しかし同時に君は人類であり、エヴァである。そのせめぎあいが、君をどこに分類してよいのかをわからなくしていた。

 

 君のそばにいる。君を人類として扱う。それは君にとって救いになることは確かだ。

 だが、君を神として扱う、それもまた君にとって救いになる。ならば君を崇め、祈ることも必要だ。

 

 僕は後者を選んだ。

 いや、正確には、選びたかった。既に出ていた結論だが、僕も前者が羨ましいのだ。君と一緒に、手を繋いで歩いていきたいのだ。人類となった僕は、その欲求に抗えなかった。

 

 結果的に、君は狂った。

 

「今宵は月が美しいね……」

 

 夜空に浮かぶ朧月を眺め、僕はそう独り言を言った。特に美しいとは思わない。

 

「カヲル君……?」

「やあ、シンジ君」

 

 そして、彼女の言うように、君はやってきたね。

 

「どうしたんだい? こんな夜に」

「……いや、ちょっと散歩してたんだ。二人と喧嘩しちゃって」

「そうか。兄弟喧嘩も、きっと良いものだね」

「カヲル君こそ、教会はもう閉めているんでしょ?」

「まあね。僕も散歩みたいなものさ。少し夜風に当たりにね」

「……びっくりだよ。まさかいるなんて思わなかった」

 

 血と料理の匂いを漂わせる君は、噂のダサいウィンドブレーカーを着ていた。あの男の服装のほうがダサいと思うが、その判断基準はあまりに揺蕩っているので、僕はその儚さを感じずにはいられない。

 

「……いつ見ても立派な教会だね」

「そう言われると嬉しいよ。建てた甲斐がある」

「……カヲル君が神父だなんて、最初はびっくりしたよ」

「僕も君が帰ってきたときは、本当にびっくりした。名前を聞いたときは耳を疑ったよ」

「ふふっ、まあね」

「会いに来てくれたのかい?」

「……うん、多分。よくわかんないんだけどさ。足が自然とカヲル君のところに向かってた」

 

 君の柔らかい笑顔が、月光に照らされている。これこそが、僕が美しいと思うものだ。

 

「いいさ。凄く嬉しいよ」

「悪いね、こんな夜に」

「教会へようこそ、と言いたいところだが、夜は閉めているんだ。司祭館でいいかい?」

「……うん、もちろん」

「……悪いね。じゃあ、案内するよ」

 

 そう言って、僕は教会の前の階段を降りて、水色のペンキが塗ってある家へと向かった。自分の家だ。外見には2階建てだが、その面積はお世辞にも広いとは言えない。

 僕はその家の玄関を開けて、君をエスコートする。

 

「いらっしゃい。ようこそ、我が家へ」

「こっちの家、初めて来るけど、すごい立派だね……」

「そうでもないさ。お世辞がうまいね、シンジ君は」

「……そっか、靴脱がなくて良いんだね」

「スリッパがある。それを使うといい」

「じゃあ、それ一つ」

 

 君は申し訳無さそうに客人用のスリッパを借りた。僕の家が立派なように見えるのは、君が日本で生まれ育ったからだろう。ユーロ圏などで散見される、古ぼけた小屋のようなこの家を冷静に見れば、君の住むマンションとは比較にならない。僕は廊下にあるオレンジ色のランプをつけ、君をダイニングに案内する。

 

「さっきコーヒーを淹れたんだ。一口いかが?」

「あ、ありがとう。いただくよ」

「……ありがとう」

 

 僕は、コーヒーをマグカップに注ぎ、テーブルに置いた。

 

「砂糖とミルクは?」

「あ、いや、このままで」

「そうか。僕は砂糖をたくさん入れてしまうんだ。まだこの苦さに慣れなくてね」

「そ、そうなんだ。意外だね」

「……緊張しているのかい?」

「あ、ああ、いや、ホント立派な家で、雰囲気あるなぁって……あはは」

 

 君はダイニングにある、貰い物の小さなアンティークのシャンデリアを見ながら、おずおずとそういった。僕は君の家にある、明るさを調節できるLED照明の方が好みなのだが。しかしそのありきたりな表現たちは、君の声で述べられると、たちまちにその本来の輝きを取り戻す。

 

「ハハ、なんだか申し訳ないね。本当に大したものじゃあないんだ。もう一度君も、海外を旅行したら良いさ」

「うん、そうだね……今日食卓で、皆でドイツに行ければいいな、って話をしたよ」

「……そうか。ドイツもきっと、良いところだよ」

「うん。コーヒー、いただきます」

「飲んでみてくれ。今日、生まれて初めて淹れたんだ」

 

 君は目を丸くした。

 

「え! そうなの!」

「ああ。是非、シンジ君の率直な感想が聞きたい」

「せ、責任重大じゃないか……」

「ハハ! そんな風にしないで、リラックスしてくれよ。飲んでみて」

 

 そう言うと、君はマグカップを恭しくその唇に当てて、僕の作ったコーヒーを一口啜った。

 

「どう?」

「うん。おいしいよ」

 

 実を言うと、僕はもうその液体を見たくもなかった。かつて君が淹れたそれと比べ、あまりにもくだらない液体だった。

 

「……お世辞は良いんだ」

「い、いや、ホントおいしいよ?」

「もう一度言わせてくれ。僕は、シンジ君の率直な感想が聞きたい」

「う、うん、でも、普通においしいと思うけど……」

「シンジ君のには劣ってる……殺してくれた仲じゃないか。頼むよ」

「そ、それを言われると、弱っちゃうな……」

 

 君は、少し目を伏せて、僕のコーヒーを見つめた。

 

「……うん。強いて言えばだけど、豆の量が少なかったんだと思う。だから味が少し薄いんだ」

「そうか。少なめにしたほうが飲みやすいのかなと思って、勝手に調節してしまったよ」

「最初はやっぱり、書いてあるとおりに作ることをおすすめするよ。そこから、自分好みに合わせればいいと思う。あと、温度が低いと薄めになるから、しっかり沸騰したお湯で作るのが良いかもね。とにかく、何事も反復練習。カヲル君が教えてくれたことだ」

「ハハ! なるほど、そうだったね。次のコーヒーを淹れるのが、もう楽しみになってきたよ」

「言っておくけど、このコーヒーは決して不味いわけじゃない。薄いほうが高級感も出るし、好みの問題なんだ。これはおいしい。それは間違いないよ」

「……ありがとう。お世辞がうまいね、シンジ君は」

 

 君は、優しい。

 こんなにも温和な君が、輩9人を丸めて肉団子を作っていたとは、俄には信じられない事実だ。

 

「神父様。お仕事が終わりました」

 

 地下室から、弟子が階段を上がってやってきた。

 

「ありがとう。ご苦労だったね」

「はい、あっ」

 

 弟子は、僕と君のことを確認したようだった。一気に弟子の顔が紅潮する。

 

「い、碇様! す、すみません!」

「あ、ひ、久しぶりシンジ君。夜分遅くお邪魔してます」

「も、申し訳ございません神父様! 碇様がいらしていたなんて!」

「あ、い、いやぁ、お気になさらず……」

「ぼ、ぼぼ、僕、もう上にあがります! 大変失礼致しました!」

「シンジ、君もコーヒーをどうだ?」

「い、いえ! 僕は結構です! 碇様と神父様のお二人で、どうかごゆっくりお寛ぎくださいませ!」

「あ、あの、いや、僕、惣流っていうんだけど……」

「す、すみません! で、でも、失礼を承知の上で申しますが、い、碇様は碇様です!」

「あ、ああ。まあ、お、お好きにどうぞ……?」

「シンジ」

「は、はい!」

「もう寝るのかい?」

「は、はい! 勉強して、シャワーを浴びてから寝る予定です!」

「そうか。就寝前の祈りは忘れないように。いいね?」

「も、もちろんです!」

「いい子だ。今日はご苦労だったね。ありがとう」

「あ、ありがとうございます!」

「それじゃあ、おやすみ」

「お、おやすみなさいませ、神父様。い、碇様! 碇様も神父様と、ど、どうか、どうかごゆっくりなさってください!」

「お、おやすみなさい……」

 

 そう言うと、弟子は司祭館の二階へと駆け上がっていった。

 

「……じ、自分のクローンって、やっぱ変な感じするよ……」

「そうかい? 僕はそうでもないけど?」

「そりゃ、カヲル君は慣れてるから良いけどさ……」

「慣れてはないさ」

「……こう考えると、カヲル君もそうだけど、レイとかレイとかアスカとかアスカとか、やっぱり凄いや……」

「……名字で言ってくれないとわからないよ?」

 

 あ、そっか、ハハ、と屈託なく君は笑った。

 僕は君に聞いてみる。

 

「僕を軽蔑するかい?」

「……僕にそれをとやかく言う資格はない」

「……僕は、君を失ったことに耐えられなかった。シンジ君のお父上の気持ちが、よくわかったよ」

「いや。カヲル君は、僕や父さんなんかより立派にやってるよ」

「そうでもないさ。君が帰ってきたから、何もしていないだけだ。もし君が帰ってこなかったら。そう思うと、たまらないよ」

 

 君は苦い顔をして、僕に語りかける。

 

「……カヲル君は、父さんに似てる。似てるけれど、違うんだ。きっとカヲル君ならそれを分かって、縁に導かれていける、そう思う」

「君とは違って?」

 

 君は、表情を変えず、少しだけ俯いた。君も僕と同じで、重い罪を背負っていた。

 

「きっと、分かっているからこそ、古い縁、それがどうしても捨てられなくなるんだね」

「……カヲル君」

「良いんだ。僕も古い縁を捨てられない。でもきっと、いつか新しい縁も受け入れていけるよ、僕らなら」

「……うん」

 

 僕らはまたコーヒーを飲んだ。今の会話で僕らの罪が軽くなったわけでは決してないが、君の表情が少しだけ落ち着いたものに変化したのを確認して、僕は口を開く。

 

「……先週、シンジの誕生日だったんだ」

「あ……そうだったんだ」

「そうだったって、君、自分の誕生日を忘れたのかい?」

「あ、そっか……でも、今はもう違うみたい?」

「ハハ! そうか、そうだったね」

「うん。シンジ君に何かプレゼントした?」

「もちろん。欲しいものはないかと聞いたら、新しい服が欲しいと言われてね。ウィンドブレーカーだった。君みたいになりたいんだって」

「へぇ。へへ、な、なんか、恥ずかしいなぁ」

「でも、かっこ悪いからやめておけ、と言っておいた」

「え、そ、そんな! 僕、結構これ好きなんだけど……」

「ハハ、冗談さ! 買ってあげたよ」

「な、なんか調子狂うなぁ……」

「ごめんごめん。君をからかいたい僕だっているんだ」

「いや、別に良いんだけどさ……今日はレイまでバカシンジって言ってくるし、大変だったよ」

「フフ、君は愛されているね」

 

 君の緊張は、ある程度溶けたようだった。僕は弟子に感謝しつつ、椅子に深く座り直した。

 

「さて。そろそろ、ここに来た理由を教えてくれるかい?」

「……うん。相談したいことがあるんだ」

「それはちょうど良かった。僕もシンジ君に相談したいことがある」

「……カヲル君は優しいね」

「いや、本当にあるんだ。でも、相談に入る前に、一つだけ」

「なに?」

「9人は無事だ」

 

 君は少しだけ驚いたような反応を見せたが、しかしすぐに微笑んで、そして、顔を伏せた。

 

「……嬉しくはないだろうね」

「……」

「本当はこうすべきではない、すまなかった」

「……え?」

「でももう、それは選ばない。違うかい?」

「……」

「君は前に進んだ。それで十分だ。それが何よりも尊いことだよ」

「……やっぱりすごいや。カヲル君は、何でも知ってるんだね」

「僕は君のことなら、何でも知っていたよ」

 

 君の顔が持ち上がり、僕を見つめた。君は、少しだけ悲しそうな表情をしていたね。

 それを見て僕は、目を細めて笑った。君のその反応が、嬉しくもあり、寂しくもある。そう感じる自分の無力感を、笑ってやり過ごした。

 

「だが、今はもう、よく知らないのさ。でも知りたいんだ。これでも結構頑張っているんだよ?」

「……カヲル」

「……お互い、もう昔のようには行かない。歳をとったな」

「……ああ」

 

 俺たちは微笑んだ。君もまた椅子に深く座り直し、膝の上に置いていた両の手のひらを組んで、テーブルに出した。

 

「カヲル……俺の話を聞いて欲しい」

「ああ、どんな話だい?」

「今日を整理したい」

「……聞こう」

 

 君は、俺の目をじっと見た。やはり君は、誰よりも残酷で美しい。

 

「……今日のランチタイムも忙しかった。食堂は外部の人でごった返していたよ」

「……」

「客の波が少し落ち着いたのが14時前で、それから俺はアスカの夕飯の弁当を作った。アスカはいつも、綺麗に洗った空の弁当箱を食堂の返却ボックスに入れてくれる。たまにメッセージカードが入っていて、次の食事のリクエストが書いてある。今日はぶっきらぼうに『タコさんウィンナー』って書いてあって、俺は自分の顔が緩んだのがわかった。彼女が俺の料理を食べてくれる、それが本当に幸せなんだ。でもさ、せっかくの土曜の夕飯のメインがタコさんウインナーなんて、流石に寂しいだろ? だからタコさんウインナーの他に、今日は Königsberger Klopse を作った。ホワイトソースにケッパーが決め手でね。手前味噌だけど、なかなか美味しくできたんだ。家の夕飯もこれで行くことに決めた」

「……」

「弁当をいつもの場所に置いて、帰ろうとしたその時だった。レイから、カメラを一緒に買いに行かないかって連絡が来た。俺はびっくりしたよ。レイと過ごしていると、本当に驚きの連続なんだ。まるで綺麗な花が可憐に咲いたときの感動を、彼女は毎日見せてくれる……なんて。はは、ちょっとクサいな。アスカと一緒に行こうとしたんだけど、連絡がつかなくてさ。カメラ屋は16時ごろに閉まるというから、俺たちは急いでヴィレを飛び出して向かったんだ。レイは店員と何だか専門的な話をしていて、俺はとてもついていけなかった。カメラを買って、レイは本当に嬉しそうだった。彼女のあの笑顔を今でも思い出す。俺もたまらなく嬉しかったよ。ふふ、財布はすっからかんになったけどね」

「……」

「その後、スーパーで簡単な買い物をしてさ。レイが居たから、ケッパーについてお礼を言った。レイは嬉しそうにしてくれて、俺も嬉しかった。話を聞いてびっくりしたよ、そこの農場で栽培しているんだね。それをレイたちが収穫して、俺に分けてくれたんだ。これについては、カヲルと加持さんにも感謝したい。二人が作ってくれた農場と、残してくれた数々のいのちがなくては、こんな色鮮やかな日々を送ることはどう考えても不可能だ。改めて、礼を言わせて欲しい」

「どういたしまして」

「ああ」

「……」

「……今日俺は、つまらないミスで、またアスカを追い詰めたんだ。またアスカを傷つけた。ただこのことは、このくだらない過ちだけが原因じゃない。俺の余りにも薄情で、冷酷な行動、その膨大な蓄積が原因なんだ。カヲルはよく知ってると思うし、もう何度も話したね。耳にタコができているかもしれないけど、どうしたら贖えるのか、今でも何もわからない。結局、どう足掻こうが贖罪は不可能なんだ」

「……」

「……彼女は、低温殺菌の牛乳を買ってこいって、そんな俺に言ったんだ。やはり、やはりアスカは優しかった。俺は全力で牛乳を探したよ。低温殺菌のやつは売っていたけど、せっかくだから、アスカが一番好きな牛乳を買いたかった。こんなことで、罪滅ぼしができるわけないのにな。アスカは誰よりも優しいから、俺はそれに甘えてしまうんだ」

「……」

「そうしたら、アスカの写真を持ってうろつく連中を見つけた。そこは人目が多かったから、後をつけた」

「……」

「そいつらは女子高生を脅しだした。どうも女衒らしくてさ。俺はその間に割って入って、適当にその子たちを帰したあと、同業者だと連中に言った。そして適当に辺鄙な場所に呼び出して、暴力をふるって、捨てた」

「……」

「別にその子たちを助けたわけじゃないんだ。連中を呼び出すきっかけ作りだった。悪人だから暴力をふるったんじゃない。俺にとって、連中が悪人かどうかなんて、そんなことはどうでもいい。暴力は快楽だ。薬物と同じなんだ。一度手をだすともう止められないし、それは暴走とは言わない。覚えていないだけで、多分今までもそうだった。その証拠に、連中をゴミ袋に詰めたら、虚無感に襲われた。俺は、何も悟られないよう、何食わぬ顔で帰った」

「……」

「アスカが、居たんだ。この為だけに、俺は存在している。そう思った」

「……」

「俺は偉そうにアスカに講釈をたれたよ。今日みたいなことがあったらいけない、困ったら助けを呼ぶように、皆がきっと助けてくれる、ってね。本当にアスカにはそうしてほしい。ただ俺が講釈をたれた本当の理由はそうじゃない。俺はその美しさを見て、これから一体いくつゴミ袋を出せばいいのか、数えられなくなっただけだった」

「……」

「もっと言えば、俺は愛する人のためなら何十億個でもゴミ袋を出せる。やはり俺は、もう自分を止めることが出来そうにない」

「……」

「……家に帰った時、レイのミルクティーを飲んだ。これが絶品で、今まで飲んだ飲み物の中で、一番に美味しかった。カヲルも飲むべきだ。本当に最高の味わいだった」

「……」

「夕飯には、アスカのご飯と味噌汁を食べた。ふふ、これはいつもの味だったよ。いつもの、最高の味だった。こんなクソったれの俺を暖めてくれた」

「……」

「家族には健やかでいてほしい。やはり俺は、もうこの世に居ない方が良いと思う」

「そうか。でも帰ってきた」

 

 俺はマグカップに口をつけた。量的に、これが最後の一口になるだろう。

 

「……」

「なぜだ?」

 

 君は目を伏せた。ずるい男だ、そう思った。

 

「……」

 

 でも泣かなかった。僕との約束があるからね。君も成長した。

 

「……それが答えだよ。それで十分。それで十分なんだ。シンジ君」

「カヲル君、僕は……」

「君は優しい。今日だって誰も殺してない。皆を愛し、皆に愛される。君にしかできないことだ。誇りを持つんだ」

「……僕は……」

「大丈夫さ。縁が君を導く。君は心の安らぎを求めればいい。何になったって、それは変わらないさ」

「……」

 

 君の力はもう収まることが無い、君はそれを知っている。対処法はない。だからこそ苦しんでいる。

 

「……俺は、ゴミ以下のカスだ」

「俺もだよシンジ。君だけじゃない」

「カヲルは人を生かしている。俺は、やっぱり殺すだけだ」

「生かすも殺すも一緒さ」

「……カヲル」

 

 だから、その苦しみを、ほんの少しでいい、僕にも背負わせてくれないか。

 

「……フフ。俺たちは本当の極悪人だ。随分前からだけどね」

「……カヲル、本当にすまない。本当に、俺と一緒に居てくれて、ありがとう」

「いいんだ。お安い御用さ」

「……」

「お互い、警察の厄介だけにはなりたくないものだね」

「……カヲルも、そんなことを言うんだね」

「面倒だからね。俺はアイツらが大嫌いなんだ」

「加持さんも?」

「いや、リョウちゃんは別。足洗ったし」

 

 俺たちは、ふふっと、薄汚く笑った。

 酷く汚れきっていた。

 俺たちは結局、父によく似たのだ。

 

「……カヲル。俺はそろそろ、この街を出ようと思ってる」

「奇遇だね、俺もそろそろ、この教会を閉めるつもりさ」

「……そうか」

「ああ、もうあまり意味もない」

「……シンジ君は、彼のことはどうするんだ?」

「君だってそうだろう? 君はどうするんだ?」

 

 君はその質問を受けて、鼻から軽く空気を吐いた。

 君は彼女を愛している。彼女は君を愛している。その想いは、完全に通じ合ったものだ。

 君の答えは、予想通りの、当然のものだった。

 

「不朽不滅の愛だ。それはこの街を出ようと、何が起ころうと変わらない」

 

 君は真っ直ぐに俺を見つめながら、はっきりと断言した。

 君のいたいけな瞳が、部屋の明かりを受けて輝いている。

 そう言っておけば聞こえは良いのだろう。

 

 言い換えれば、それは不退を覚悟した狂人の両眼だ。

 

 俺は、君に提案する。

 

「……俺の相談も聞いてくれるかい?」

「もちろん」

「二人でこの街を出て、兄弟として、一緒に暮らさないか?」

 

 君は驚きもせず、ただ微笑んだ。

 

「……誘ってくれて、本当に嬉しい。ありがとう。でも、今はやめておく」

「……極悪人同士、ちょうどいい提案だと思ったんだが」

「カヲル。君が教会をやめる理由、俺はなんとなくわかってるんだよ」

「単純に、もうあまり意味もない、ってだけさ」

「おおありだ。神父は恋愛禁止だそうじゃないか」

「……それは関係ないよ」

 

 俺は、少しだけはにかんで、俯いてしまった。

 俺は、少しだけ歳をとった。

 

「……うまくいくよ。きっと」

「……いや、そうはならない」

「そうでもない。人は変われる」

「シンジは嫌じゃないのか?」

「……」

「俺は嫌だ。シンジ。俺は嫌なんだ。自分が愛する人が失われる。それが、耐えられないんだ」

 

 俺は、この世に帰り、ほんの少し歳をとって、父に似たのだ。

 

「俺はシンジが好きだ。君とずっと一緒に居たい。君と一緒に居れないなんて、絶対に嫌だ」

「……ああ」

「だから俺は、シンジと兄弟になりたい。そばにいたいんだ。俺だって、君と一緒に歩んでいきたいんだ」

「……ありがとう。本当に嬉しいよ。兄弟として、これからもよろしく頼む」

「……違う、そうじゃない! 頼むよ! 彼女の幸せは、君なんだ!」

 

 俺は涙が出そうだった。

 俺は、本当に、君に相談があるんだ。

 俺は君に、強引に気付かされた。

 しかし、だからこそ、君は彼女と、彼女は君と、結ばれるべきなんだ。

 俺ではない。

 

「……彼女の新しい縁。それは、君だ。君なら、彼女を導いていける」

「……」

「君だってそうしたはずだ。新しい縁。それがまさに式波さんを導いた。その素晴らしさは、君が一番知っているはずだ」

「……ああ、だからこそさ」

「だからこそだと? 寝ぼけたことは言わないでくれないか」

「そうじゃない。そうじゃないよ、カヲル。君との縁こそが、新たな縁なんだ」

「そんなわけがないだろう!」

 

 俺は机を全力で叩く。

 くだらない人体の拳骨が、安っぽい机とぶつかり、最低の衝突音が響き渡る。

 いたたまれなくなった俺は、思わず勢い良く立ち上がった。

 

「馬鹿げた事を口にするな! 何よりも古臭く、どこまでも陰惨で、あまりに穢らわしいものだ! こんなものは破棄すべきだ!」

「違う」

 

 俺は人間が嫌いだ。

 

「何が違うんだ!」

「カヲルはアダムじゃない」

 

 人間が君を嫌いだから。

 

「五月蝿い! 黙れ!」

「カヲルはカヲルだ」

 

 俺は人間になった。

 

「違う! 違う! 違うんだ!」

「違わないよ、カヲル。君は、渚カヲルだ」

「もうやめてくれ! もう、言葉で取り繕うのはよしてくれ!」

 

 だから俺は、君を嫌いになった。

 

「結局全部同じだ! 君は惣流シンジではない!」

 

 仮にそうでないとすると、俺はもう耐えられない。

 

「君は、碇シンジだ! 彼女の幸せは、君なんだ! 結局、全部、同じなんだ!」

 

 

 これはもはや、相談ではない。

 これは、説得だ。

 俺の目からは、涙が溢れだした。

 

 

 これはもはや、説得ではない。

 これは、告解だ。

 俺の目からは、涙が溢れかえっていて、もう何も見えはしない。

 

 

 俺は、本当に君を愛している。君には幸せになってほしい。それが、俺の幸せだ。

 そして、君は本当に残酷だ。君はそれに、反証を出そうとしている。

 君の願うそれは、きっと君の幸せなのだろう。しかしそれは、俺の幸せではない。

 理由は明らかだ。

 彼女の幸せではないからだ。

 

 

 これはもはや、反証ではない。

 これは、精錬だ。

 

 

 君は、俺の積み上げてきた認識と論理を、俺の誤謬として添削する。

 これはその一連の修正作業に他ならない。

 ここにたどり着くまで、どれだけかかったと思っているんだ。

 君は、本当に、どこまでも残酷だ。

 

 

 立ち尽くして嗚咽し続ける俺を見遣りつつ、君も立ち上がった。

 そして、侘びしいラウンドテーブルの周りを数歩だけ歩き、俺の目の前に顕れた。

 

「レイは俺の姉。アスカは俺の妹だ。誰がなんと言おうとな」

「……何度でも、説得する。彼女と結ばれてくれ。そんな建前は、放棄すべきだ」

「建前じゃないさ」

 

 そう言うと、俺を抱きしめてくれた。

 

「俺たちは、本当の兄弟なんだ」

 

 気がつけば、俺は君の胸の中で、声をあげて泣きじゃくっていた。

 

 俺は後者を選びたかったのではない。

 俺は後者を選びたくないだけだった。

 

 

  ◎

 

 

「……ごめん、シンジ君」

 

 ひとしきり、君の胸で、僕は泣いた。とても気持ちが良いものだった。

 

「謝らなくていいよ、カヲル君。カヲル君は何も悪くないんだ」

 

 そして君はハンカチを出して、僕の頬を拭ってくれた。その清潔感のある肌触りが、僕の心を癒やしてくれた。

 

「ありがとう。本来なら、僕が君の話を聞くべきなんだけどね。結局、君の胸の中で泣いちゃったよ」

「いいんだ。こんなことでいいなら、いくらでも力になる」

「……本当にすまない」

「……なんか、僕に似てるね。謝りすぎは良くないよ。僕もよく、アスカに言われるんだけどさ」

「……フフ、ありがとう、シンジ君」

「……それは、本当は、僕の台詞なんだ。本当に、本当にすまなかった。ありがとう。僕なんかと一緒に居てくれて」

「ああ」

 

 そう言って、僕たちはもう一度抱き合った。とても暖かくて、君の匂いがする。惚れたら負けとは、よく言ったものだ。

 しばらくして、君は腕を離し、コーヒーメーカーをちらりと見た。

 

「コーヒー、まだ残っているなら、もう一杯いただくよ」

「ああ、是非もらってくれ」

 

 そう言って、君はコーヒーメーカーに手を伸ばし、客人用──すなわち、君専用──のマグカップにコーヒーを注いだ。

 

「カヲル君も要る? といっても、少ししか残ってないけど……」

「ああ。注いでもらえると嬉しい」

 

 そして、君も僕のマグカップに、コーヒーを注いでくれた。とても美味しそうだ。あれだけつまらなかった液体も、君の残り香と混ざるだけで、こんなにも魅力的になるとは。一口啜ると、その味すらも鮮やかなものに変化していた。

 

「……うん、やっぱりおいしい」

 

 君は、マグカップのコーヒーを飲んでそう言うと、自分の席に戻っていった。

 

「……僕はこの街を出る。1、2年くらいかかるかもしれないけど」

「あてはあるのかい?」

「資格や検定を取って、就職しようと思う。勉強しているんだ。真面目に復興に協力したい」

「……その時は、ヴィレの食堂も寂しくなるだろうね」

「うん、本当にお世話になってる」

「二人には言ったのかい?」

「いや、まだ。カヲル君以外だと、マリさんだけ」

「……そうか。マリアか」

 

 君は微笑んだ。これは僕の予想通りだった。

 

「ああ、マリさんが色んな資格を教えてくれた。『本気で姫の役に立つなら、これぐらいのことはできなきゃね』、だって」

「なるほど。彼女らしいね」

「うん。でもね、夜中誰もいない食堂で勉強してたりすると、たまにアスカが覗いてるのがわかる。だからアスカにはちょっぴりバレてるかもね」

 

 そう言って、君は頬を赤く染める。こんな女たらしの胸で咽び泣いてしまったことを、僕は深く反省した。どうやら僕は、リョウちゃんといい君といい、女たらしに弱いらしい。

 そしておそらくこの調子だと、この計画は君のご姉妹、特にお姉様にはバレているだろうと、僕は推察した。

 

「カヲル君はどうするの?」

「……教会を潰して、本格的な農場にしようと考えているよ」

「……地下も潰すの?」

 

 やはりバレている。まあ、弟子が地下から現れた時点で、隠すつもりもない。

 

「それは考え中さ。本当は潰したいが、病院に移転できないかを考えている」

「……トウジとかサクラさんは、嫌がると思うよ?」

「君がああいうことをしないなら、もうあんな装置もいらないんだけど?」

 

 僕は意地悪く、君を挑発した。君の表情は少し暗くなる。

 

「……そう、だよね」

「もしこれからもあんなことが起きたら。シンジ君は、それが不安じゃないのかい?」

「……街を出るまでの時間。それは僕の勉強だけでなく、二人の居場所作りにも使いたい」

「……そうか」

「うん。レイとアスカは、決して弱くない。むしろ力強いんだ。僕、いつもタジタジなんだよ?」

 

 君は柔らかく笑い、言葉を続けた。

 居場所作りだなんて、なんて君は可愛い奴なんだろう。

 君はどうやら、君の母上には似なかったようだ。

 

「二人には、一緒に助けてくれる仲間がいる。カヲル君がいい例だ。それが自覚できれば、二人ともやっていけるはずだ」

「……そうかい。でも君は、今日のようなことをした」

「そう。だから、街を出るんだ。僕はそれが分かっているのに、行動してしまう。僕の弱さだ」

「それでは、君の父上と同じなんじゃないか?」

 

 君は少しだけ考えた。

 君はどうやら、君の父上に似たようだ。

 だが、君は君の父上ではない。それは明らかだ。

 

「……いや、きっとそうじゃない。僕が無理矢理押し付けるんじゃない。あくまで二人の意思で、居場所を見つけて貰いたいんだ」

「その居場所こそ君だ、と僕は言いたいんだけどね」

「僕の意見は違う。僕らは家族になった。それは居場所だけど、同時に巣立ちは必要なんだ」

「……なぜ家族になったんだい?」

「なりゆきだよ。理由なんかない。だから、僕は君のことをとやかく言う資格がない」

 

 だから僕は、君のことが、よく解る。

 僕らは完璧に矛盾している。

 

「そうか、そうだったね」

「……教会を潰したら、シンジ君は嫌がると思うよ」

「……」

「……」

「……実は、不登校なんだ」

「え……」

 

 君の顔色は、一瞬で変わった。

 

「そんな……」

「ああ、今は学校には行ってない」

「……アスカの、あの喧嘩のあとか」

「ああ」

「……俺──」

「駄目だ、シンジ君」

 

 だが、僕は君じゃない。君は僕じゃない。それらも明らかだ。

 だから僕らは、学ぶ必要がある。冬月さんもそう言っていたように。

 

「シンジに委ねる。そうすべきだ」

「……カヲル」

 

 僕は笑った。君には、まだわからないことがいっぱいあるんだね。僕もそうだ。

 

「……リョウちゃんが教えてくれたんだ。男の戰いに手出しは無用。全くもってその通りだ」

「……」

「勉強もしているんだ。僕が教えている。いつかまた学校に通い出すさ。なんせ、君のクローンなんだからね」

 

 君は、その美しい瞳を輝かせている。極悪人の僕をそんな瞳で見つめてくれるのは、この世界に唯一、君だけだ。

 

「……カヲル君、本当に凄い。本当に凄いよ。僕なんかとは、比べ物にならないほど、君は素晴らしい人間だ」

「フフ、ありがとう」

「……僕には、とてもできないや……」

 

 大丈夫。きっといつか、わかる時が来るさ。僕たちはただそれを待てばいい。

 

「……最近、数学を教えるのが大変なんだよ。ここだけの話、わからない問題はリョウちゃんに教えてもらってる」

「……そっか。加持さんも東大だもんね」

「いやあ、それがね、なんとリョウちゃんもわからないから、彼はリョウジ君に教えてもらってるらしいんだ!」

「え、ええ?」

「ハハハッ! もう何年の前のことだから、アークサインだのアークコサインだの、忘れただってさ! リョウちゃんの奥様もそうらしいよ!」

「……あははっ!」

 

 君はついに、声を出して笑った。

 君の健康的な歯が見えたことが、僕はとても嬉しかった。今日の僕はようやく、今日の君を元気づけることができたね。

 リョウちゃんには後で謝っておこう。心の中で。

 

「……そっか、お互い、結論は同じみたいだね」

 

 そう、そうするしかない。わからないが、きっとそれが、真っ当な道なのだろう。

 

「そうだね、シンジ君。この新しい世界でやっていくには、勉強が必要だ」

 

 

 ぼーん……ぼーん……と、振り子時計が鳴った。

 この時計は壊れていて、5分程度遅れているが、まんざら悪いことばかりでもないようだ。

 

「……今日はそろそろお開きにしようか」

「うん、ありがとう。本当に、カヲル君には世話になってばかりだ」

「それはこちらの台詞だ。すっかり遅くなってしまったね。送るよ」

「え、いやぁ、歩いて帰るよ。大丈夫」

「いいんだ。今日は素晴らしい一日だった。また君に助けられた」

「……こちらこそ。僕も本当に助かった」

「ドライブしよう。そんな気分なんだ」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

「フフ、少し待ってくれるかい?」

 

 僕はマグカップのコーヒーを飲み干して、その小さな部屋から続く狭い階段を登った。階段から上がってすぐの部屋が弟子の部屋だ。ドアを軽くノックするが、返事が無い。おそらく、音楽を聞いている、ということだろう。僕はノックを少しだけ強くし、ドア越しに声を掛けた。

 

「シンジ、まだ起きているかい?」

 

 すると、弟子はドアがガチャリと開けた。勉強道具とイヤホンの刺さったS-DATが、机の上に置いてある。

 

「神父様。すみません、気が付きませんでした」

「勉強中すまないね」

「いえ、どうなさったのですか?」

「シンジ君とドライブに行く。君もどうだ?」

「え、ええ! もう23時を超えております! 明日は日曜学校もあるのですよ!」

「いいさ、たまには行こう。今日は色々あったから、その打ち上げさ」

「い、いえ! そんな、碇様と神父様の間に、私は入れません!」

「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ、シンジ」

「……」

「僕は、君に来てほしい。わがままだと思って一緒に来てくれ」

「……ほ、ホントに良いのですか?」

「もちろんさ。今日は少し寒いみたいから、服を一枚羽織っていきなさい」

 

 

  ◎

 

 

「わぁ、いい車だね」

 

 僕の車を見て、君はそう言ってくれた。初志貫徹で軽トラかバンを買わなくてよかった。リモコンキーで鍵を開けつつ、僕はリョウちゃんに感謝する。心の中で。

 

「リョウちゃんに選んでもらったんだ。ジジ臭い、って言われたけどね?」

「え、誰に?」

「リョウちゃんの奥様だよ。もっとカッコいい車を買え、だってさ」

「ミ、ミサトさんかぁ……」

 

 君は過去の苦い記憶を思い出したようだ。少しその顔がひきつっている。

 

「さて、乗ってくれ」

「ぼ、僕は、後部座席にします!」

 

 弟子は、先週買ってあげた、おろしたてのウィンドブレーカーを着ていた。ポケットにはS-DATが入っている。

 

「いや、シンジ、君は助手席に座ってくれ」

「い、いえ! 助手席には碇様を!」

「……シンジ、お客様は後部座席だ」

「で、ですが!」

 

 弟子はほんの少し緊張しているようだ。僕は一息ついて、弟子の頭を撫でた。

 

「助手席は、シンジ、君専用だよ」

「……」

「さあ、乗りなさい」

「……神父様はずるいですね」

 

 そうすると、弟子は顔を赤らめて俯き、そのまま助手席に駆け出した。

 

「さて、シンジ君もどうぞ」

「あ、ああ……なんか、いいのかなぁ……?」

「もちろんさ。君も弟子に似たね?」

「そ、そりゃそうなんじゃない……?」

「ハハ! そりゃそうだね。さあ、行こう」

 

 君が後部座席に乗り込んだのを見て、僕も運転席に乗り込んだ。この車を運転するのにも慣れてきた。シートベルトを閉め、エンジンをかけ、ギアを入れる。反復練習の賜物だ。

 

 そして僕は、君と弟子を連れて、夜の道に車を出す。僕らを乗せた車は、教会の前の道路から国道に出ると、左サイドガラスに映る農場を置き去りにして、がら空きの道路をひた走った。

 

「……カヲル君が車を運転してるの、なんか不思議な感じだね」

「そう? 慣れれば簡単だよ」

「そっか……」

「い、碇様は、免許をお持ちでないのですか?」

 

 おっと。弟子が気を利かせて、話をしてくれるようだ。弟子にとっては珍しい。きっとこういう会話も、弟子には大切だろう。

 

「ああ、持ってないけど、そろそろ取ろうと思ってる」

「……ぼ、僕も、取ろうと思っています」

「そうなんだ。シンジ君って、今幾つ……って、16か」

「は、はい。バイク免許ならもう取れます」

「そっかぁ、僕も一緒に取ろうかなぁ」

「え、ええ!」

「あ、あれ、嫌だった?」

「……い、嫌ではないですが……」

「プッ! アハハハハ!」

「え、カヲル君、どうしたの?」

「いや、なんでも無いよ! やっぱりシンジ君は面白いね!」

 

 やっぱり君は面白い。歳が10以上離れた自分のクローンと一緒に免許をとろうとする人は、世界広しと言えど、君だけだろう。

 僕は自発的に車の免許を取ろうとは思っていなかった。仕事に必要だったから。それ以上でもそれ以下でもない。ドライブに興味は全くなかった。

 しかしそれは過去形だ。

 車は湖畔沿いの道に出た。この道のドライブを、僕は今や気に入っている。

 

「あれ、あそこって、もしかして」

「……ああ、懐かしいね」

「……うん」

「……ここで碇様と出会ったと、神父様から聞きました」

「そう。ここが初めて出会った場所だ。もう随分変わってしまったけれどね」

「……うん、だいぶ変わっちゃったね。ほら、あそこなんか、釣り堀になってるよ。ペンギンもいっぱいいる」

「フフ、そうだね」

 

 弟子はフロントドアのガラスを開け、月光が反射する湖を眺めながら、夜風にあたった。

 弟子はこの機に、一番聞きたいことを、君に聞こうとしていた。

 

「……碇様は、今でもピアノをお弾きになるのでしょうか?」

「いや……あれ以来、弾いてない。カヲル君は?」

「ああ、僕も随分弾いていない。オルガンは弾いているんだけどね」

「……僕はいつか、神父様と碇様の連弾を聞いてみたいです」

「……うん、今度久しぶりにやってみたいな」

 

 それは、僕の一番聞きたいことでもあった。弟子には感謝しかない。

 嬉しかった。君は覚えていてくれたんだね。僕の大切な、一番の思い出を。

 

「……ありがとう。今度はピアノを買うよ」

「……カヲル君って、お金持ちだよね?」

「ハハ、まあ、あんまり突っ込まないでくれよ」

「あ、ご、ごめん」

「いいんだ。僕も是非連弾したい」

「……ありがとう。僕の方からもお願いするよ。お金も半分出す」

「いいよ、リョウちゃんから借りる」

「え、ええ……?」

「し、神父様、失礼ですが、今加持様からは幾ら借りているのですか?」

「さあ?」

 

 君と弟子の困惑した表情を、ルームミラー越しに眺めてみる。当然その顔は瓜二つで、僕は微笑んでしまった。

 車は第9区に差し掛かり、住宅街に入っていった。向こうには建造中の団地群も見えている。

 君の住むマンションも、もうそろそろだ。

 

「……うん。僕も楽器を買おうかな。久しぶりに」

「それはいいね。シンジ。実はシンジ君はチェロも弾けるんだ」

「そ、そうだったのですか!?」

「い、いやぁ。それこそもう何年も弾いていないよ」

「かなりの腕前だ。また今度、聞かせて欲しい」

「……いいけど、その時はカヲル君もヴァイオリン弾いてよ?」

「……ハハ、確かに、もう弾けないかもね」

「し、神父様はヴァイオリンも弾けるのですか!?」

「いや、弾けないよ?」

「え、ええ?」

「……ハハッ、楽器はいいね! 人類の生み出した文化の極みだ!」

 

 昔話に花を咲かせた。全て虚構であり、僕と君の生きた証だ。

 君が覚えていてくれる、それだけで十分だ。

 

 

  ◎

 

 

 車を君のマンションの前に止めた。20分に満たないドライブだったが、とても充実したものだった。

 

「シンジ君、今日はとてもいい日だった。また会おう」

「カヲル君、今日も本当にありがとう。また会おう。シンジ君も、夜遅くまで付き合ってくれてありがとう」

「い、いえ! おやすみなさいませ!」

「うん、それじゃあ」

 

 君は別れの言葉と共に、後部座席から出ていく。それと同時にマンションから、パーカーを着た、ショートカットの女が現れる。今回のそれは幻影ではなく、僕の車の側まで駆け寄ってきた。

 

「……レイ」

「おかえり」

「……ごめん」

「いい。アスカにひっぱたかれてきなさい」

「……わかった。それじゃ、カヲル君、シンジ君、またね」

 

 そういうと、君は手を僕らに振った。僕らも振り返したのを確認すると、君は一目散に駆け出して、マンションの中に入っていった。

 

 彼女は、車の運転席のガラスをノックする。

 僕は、フロントドアのガラスを開けた。

 

「カヲル」

「こんばんは、綾波さん」

「これ、あげる」

 

 そう言うと、彼女は水筒を布性のバッグから取り出した。

 

「……なにこれ?」

「アイスミルクティー」

「市販?」

「作った」

「ならいらないよ」

「お礼。シンジを助けてくれたから」

「せっかく作ったのなら、全部シンジ君に飲ませなよ。僕はいらない」

「いいえ。これは、あなたの分だから」

 

 彼女は開けたガラスの隙間から、無断で水筒を差し込んだ。

 

 彼女の無表情が、月光に照らされている。

 

「自信作。美味しいと、シンジも言っていた」

「……」

「今日はありがとう。おやすみ」

「……おやすみ」

 

 僕は、水筒を受け取って、ガラス窓を閉めた。

 

 そして車を出す。やはり道はがら空きだ。

 行きは安全運転だったが、今度は少し、そのスピードを早めた。

 

「……神父様?」

「なんだい?」

「一口、飲んでみては如何ですか?」

「……聞いていたね?」

「……すみません」

「いいさ。僕も大声を出したからね」

「……僕は」

「……」

「僕は、学校なんて、もう二度と行きたくありません。教会が僕の学校で、神父様が僕の先生です」

「……」

「そして、教会がなくなっても、僕は、神父様と呼び続けます。僕は、いつまでも、神父様の一番弟子でありたいです」

「……ありがとう。今はその気持ちが、本当に嬉しいよ」

 

 車は赤信号に差し掛かる。

 

 俺は水筒の蓋を開け、ミルクティーを一口分だけ注ぐと、それを一気に飲みこんで、蓋をした。









【おまけ】










◎あまりにも雑な登場人物紹介

渚カヲル
30歳。コーヒーには砂糖派。
ラスト1基の極悪人。

惣流シンジ
26歳。コーヒーはブラック派。
自首する気0の極悪人。

惣流・アスカ・ラングレー
15歳。コーヒーにはミルクも砂糖も絶対要る派。
パジャマ姿でテレビ視聴中。

イカリシンジ
16歳。コーヒーはブラック派。
洞木と同中。

9人
コーヒーはコンビニ派。

鈴原サクラ
24歳。コーヒーには砂糖派。
マジで、死ぬほど、渚カヲルが嫌い。

加持リョウジ
45歳(31歳)。コーヒーはブラック派。
めちゃめちゃ忙しく仕事中。胃に穴が開きそう。貸してる金額はミサトには言えない。

惣流レイ
29歳。紅茶派。
パジャマ姿でテレビ視聴中。

洞木レイ
15歳。コーヒーは苦手。
睡眠中。

相田・アスカ・ラングレー
29歳(15歳)。コーヒーはブラックでもいいけど、まあミルクも砂糖もあれば欲しいかしらね、いや、あればね、あればでいいのよ、派。
恒例のナデナデタイム中。

女子高生たち
15〜16歳。コーヒーはフラペチーノ派。
アスカのことを心配中。

真希波・マリ・イラストリアス
コーヒーにはミルクだけ派。
だるめの仕事中。

鈴原トウジ
29歳。コーヒーはブラック派。
軽めの晩酌中。

加持ミサト
44歳。缶コーヒー派。
緊急で仕事中。

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