彩へ 作:ゆめの
学校では放課後の美術室だけで、休日に会うのは人様が寝静まった
夜遅くに、その他なら家での通話のみ。彼女がアイドルである以上、男の影を見せちゃいけないのは当然のことで、そこも理解して付き合わないといけなかった。
僕が気持ちを伝えた時、彼女は酷く困惑していたのを覚えている。
《私は芸能人だから普通の人みたいに付き合えないよ?》
《一緒に居られる時間なんて少ないよ?》
《私はキミを幸せにできないかもしれない……》
こんな僕が、彼女みたいな高嶺の華に手を伸ばすこと自体が浅はかでおこがましいのかも知れない。それでも、彼女のくれた彩りを失いたくないと思ってしまったら、言葉が先に走り抜けていった。
何もない僕の真っ白な世界に1つだけ黒い色が現れて、ソレのおかげでモノクロの世界に変わっていった。
そんなモノクロの世界も、赤や青、黄色や緑といった様々な色に染められていった。いつしか僕のキャンバスの上の絵は鮮やかな色を纏っているモノがほとんどになっていた。自分でも、この気持ちを素直に伝えてしまったらダメなんじゃないかと、この先、もう彼女の魅せてくれる彩りが見られなくなるんじゃないかって思った。
僕が気持ちを伝えた日から、彼女がこの美術室を訪れることはなくなった。薄々分かっていたことではある。僕みたいな影を帯びたようなキャラの男に、明るい陽の光に照らされた彼女とでは身分が違い過ぎる。
彼女はこのままアイドルとして頂点へ登りつめて、名声を手にして、同じく芸能界で活動して実力もあり、容姿も整っている人と人生を共にしていくんだろう。
「意外と、平気なんだな」
自分でも驚く程に、落ち着いていたのも覚えてる。彼女にフラれたという事実があっても、僕は絵を描き続けることが出来たのだ。
彼女が居なくても、僕はいつも通りの日常が過ごせると分かったら、案外彼女への気持ちはそこまででもなかったんじゃないかなって思えてきた。
今日もキャンバス向かって絵を描き進めていくが、どうもいつものように筆が乗らないのだ。昨日までは赤色に染めたかった場所も、今ではどうでもよくなっていた。青色に染めたかった場所も、塗るのですら億劫になってた。
次第に、鮮やかな彩りを、カラフルな彩りを、彼女が教えてくれた彩りを使うことを避ける様になった。また、ふりだしに戻ったのだ。真っ白なキャンバスに真っ白の絵の具で真っ白な絵を描くあの日常に。
◆◆◆
1週間程経ってから彼女は美術室に現れた。
右手には大きな紙袋を持ち、あの時の苦しそうな表情が嘘だったかのように、幻だったかの様に彼女はいつも通りの鮮やかな彩りを纏っていた。
「ちょ!? どうして泣いてるの!?」
「……へ?」
気がつくと、僕の制服のズボンには黒いシミがいくつも出来上がっていた。彼女に言われるまで自分が泣いてくる事にすら気がついていなかった。
どうして僕は泣いていたのだろうか? この感情が、僕には分からないし理解できなかった。でも、もう一度彼女に会えたことが嬉しくて仕方がなかったのは分かった。冷めきった青い気持ちから、火照るような蜜柑色に心が染まっていく。
「もう、来ないかと思っていたから」
僕が涙を流した理由は、きっとコレなのだろう。好きな人に会えない、側に居たい人の側に居れない、側に居てほしい人が居ない。だから僕はソレが悲しくて苦しくて、行動力や思考することさえ億劫になって、盲目に彼女を想っていたのだろう。
「泊まりがけの撮影だったからさ……」
「そうだったんだ」
「あの時ね、言うつもりだったんだけど……それどころじゃなくなっちゃって」
それどころじゃ無くなった理由は確実に僕が原因で、そのせいで彼女を悩ませてしまったと申し訳なく感じてしまう。
そんな僕の元へ、彼女はゆっくりと歩み寄ってきた。歩く度に彼女の香りが、パッションフルーツの匂いが僕を優しく包み込む。
こんな僕にも、依然としてその柔らかい笑顔を僕に見せ、そして僕はその笑顔に魅せられる。
「私なりにね、いろいろ考えたんだ。これからのことも、キミとのこと
も」
先ほどの眩しい程の笑顔とは打って変わり彼女は真剣な表情になっていた。僕と目を合わせ、決して逃さないかのように見つめてくる。
「やっぱりどう考えてもね、キミには辛い思いをさせちゃうなって思った。たくさん悲しませちゃうかもしれないし、たくさん退屈させちゃうかもしれないし、たくさん我慢させちゃうかもしれない……ううん、かもしれないじゃなくて……きっとそうなんだよ」
「それでも構わないよ。僕は」
「構うよ。恋愛ってね、そんな簡単なものじゃないんだよ」
依然として真剣な眼差しで僕を見つめてくる彼女。僕は恋愛に関してはど素人もいいところで、経験も知識もほとんどなかった。
恋愛は愛さえあれば、好きな気持ちさえあれば出来るものだと思っている。
「好きって気持ちだけじゃ、どうにもならないんだよ」
「どういう意味?」
「キミが良くても、私が嫌なんだよ……」
僕が良くても彼女が嫌? 僕と付き合う事に対してなのか、その真意は分からないが僕の気持ちは沈んでいく。
「好きな人を第一に考えてあげられない、構ってあげられない、我慢させなきゃいけない。それは私が自分で耐えられないから……」
「それでも……」
「だから言ったでしょ? キミが良くても私が嫌なんだよ。きっと、キミから離れていっちゃうと思う。私なんかじゃキミを幸せにできないって……」
彼女は、優しい。僕が傷つかないように考えてくれているのだろう。自分の立場と僕の立場を、相容れない関係の僕たちが結ばれる事で起きる弊害。それを考えて、僕に教えてくれた。でも、僕はロボットではなく人間だ。一応は自覚もあって感情もある一人の人間なのだ。
好きなモノは好きで、嫌いなモノは嫌いで、やりたい事はやりたいし欲しいモノは欲しいのだ。だから僕は、彼女が欲しくてたまらなかった。
手が届くのなら手に入れたくて、側に居られるのなら側に居たい。その気持ちが、僕を突き動かしていた。
「だからね、キミの言葉は──」
「どうだっていいよ。そんな理屈」
僕は彼女の言葉を遮ってそう答えた。少しだけ、赤色の感情をぶつけてしまったが、そのまま言葉を続けた。
「僕は本音が知りたい。そんな、かもしれないと憶測と予測に基づく回答じゃなくて、本心を知りたいんだ」
「…………」
僕の言葉を聞いた彼女は顔をうつむかせてしまった。両の手は震え、先程までの気迫が嘘の様に彼女を覆うオーラは儚げな色を纏う。
「私も……キミが好きだよ」
「なら、もう話しはおしまいだね」
僕は有無を言わさず彼女を抱きしめた。今思い返せば、こんな大胆なコト、良くできたなって思う。穴があったら入りたいといった気持ちかな。
それでも、あの時彼女を抱きしめていたからこそ、今があるのだ。こうやって鮮やかな彩りをキャンバスいっぱいに表現できている。
彼女の笑顔を見て、僕も笑えるようになっていた。白い世界からモノクロの世界へと変わって、色とりどりのカラフルな世界へと変わっていく。
「今日も居るんだね!」
「もちろんだよ」
そして彼女は今日もこの部屋を訪れる。僕と彼女しか居ないこの空間に、二人だけの秘密の場所。誰にも言えない二人だけの秘め事。
そんな幼子のような約束を小指で交わし、僕と彼女は今日もひっそりと会う。
この先、この未来がどこまで続くかは分からないが、そんな先のことはあまり考えず、今を精一杯生きよう。優しい彩りをくれる彼女と、それに魅せられた一人の少年の物語はまだ、始まったばかりである。