彩へ 作:ゆめの
「キミの家に行ってみたいな!」
いつもの美術室で何の前触れもなく、何の脈絡もなく突然に彼女がそんな事を言ってきた。
いきなりの事で動揺していた僕とは真逆に、彼女は期待を胸に秘めた子供のような無邪気な黄色の表情をしていた。
「僕の家に来ても何もないけど」
「そーれーでーもー行きたいの! キミが普段どんな事をしているのかも気になるし!」
「絵を書いてるだけだよ」
「言わないの! 楽しみにしてるんだから!」
まだ僕は彼女が家に来ることを許可していないが、彼女はもう来る気満々で話を進めていた。
その横顔は明るくほがらかで、今日は珍しく結わいているその髪は好奇心に揺れていた。
「でも、人の目も気になるし」
「またウィッグ被って変装するもん!」
「そうまでして来たいものなの?」
「キミをもっと知りたいからだよ!」
曇りの一切ない瞳で彼女がそう言ってきた。どれだけ大層なことを想像しているのか分からないが、本当に僕は家では絵くらいしか描いてないし部屋にも何もない。
それでも彼女が来たいと言うなら、許可してしまうのは僕の甘さだと思うが普段芸能界で厳しい環境に身を置く彼女の多少の息抜きにもなればいいかなとは思っていた。
「分かったよ。日にちはいつにするんだい?」
「今週の土曜日! 珍しくオフなんだ!」
「これまた急な話だね」
随分と近い未来の話だったが、目を輝かせる彼女の前ではリスケという言葉は思い浮かんでこなかった。詳しい話はあとでメッセージアプリでするとして、僕と彼女は美術室に別れを告げて二人別々に帰路につく。
今週彼女が家に来ることが決まり、部屋の掃除をもう一度しておくこと、お茶菓子は何が良いのだろうか、飲み物は何が良いのだろうかと色々と思考して気が付く。案外僕も彼女が家に来ることを楽しみにしているんだなと。
◆
今日は彼女が僕の家に来る当日になっていた。彼女には僕の家の住所を教えてある。
いくら変装しているとはいえ二人でいると何かあった時に取り返しがつかなくなってしまう事を恐れこういう形をとった。
この場所に来るまでに何か事件に巻き込まれないかも不安にはなるが、そこまで気にしたらキリがないのでその思考は一旦排除する。
部屋の掃除は既に済まして、お茶菓子や飲み物の準備はできている。今まで部屋の景観を気にしたことなんてなかったが、想い人ができるとその気持ちを変わっていくらしい。
付き合う前でも僕にたくさんの事を教えてくれた彼女は付き合っても尚、僕にいろいろと教えてくれていた。
ピンポーン♪
静寂の中僕の家の呼び鈴が鳴る音だけが綺麗に響いてきたので僕はモニターを覗いた。綺麗なロングの黒髪にメガネをかけた少女が立っていた。
「どちらさまですか?」
「私だよ!」
名前こそ言っていないものの、その声には聞き覚えがあり、彼女ということはすぐに分かった。今行くと返事をして玄関に向かい扉を開けると、彼女は無邪気に手を振っていた。
彼女は高校生ではあるけども、時としてもっと幼い印象になることがある。それは別に悪いことではなくて、印象が変わる度に彼女のことを好きになる。恋は盲目とはこういう時に使うのだろうか?
「散らかってるかもしれないけど、上がってよ」
「お邪魔します!」
人を招き入れる時の決まり文句を言って、彼女が元気よく挨拶をして僕の家の中へと入ってくる。今までほぼ僕一人ですごしていた空間に彼女の彩りが加わってくる。
ソファーに座ってもらいその際に彼女は付けてきたウィッグを外し始めて、いつもの綺麗なピンク色の髪が露わになる。
彼女に飲み物としてアップルティーを渡してからあることに気が付いた。それも、彼女に教えてもらったことで、デートの際には欠かさず言っていることで、僕の家とはいえ、これも立派なデートなのでその言葉を紡ぐ。
「今日の服装も似合っていて可愛いよ」
「……ありがとう!」
彼女は控えめにそう言って僕の渡したマグカップに顔を近づけちびちびと飲みだしていた。その頬は淡いピンク色に染まり彼女が照れていることを僕に教えてくれた。僕も自分の分のアップルティーを片手に彼女の正面へと座った。
その様子を見て彼女は目を細め頬を膨らませながら僕を見ていた。その表情は明らかに不満を抱いているモノで、なぜ彼女がそんな表情をしているのかは理解できなかった。
「アップルティー、好きじゃなかった?」
可能性のあることを一つずつ消去法で消していこうと彼女に質問していく。でも、僕のその質問は検討違いだったらしく彼女の頬はエサを蓄えたリスのように膨らんだままだった。
「……キミは本当鈍いな〜」
「僕が鈍い?」
「もういいよ……キミはそーゆー人だもん」
「話が見えないかなぁ」
うるさいと一蹴され、おまけに舌を出しておちょくってくる彼女の表情を見て赤い感情の中に柔らかい緑がある事を知って、心の底から怒ってるわけではないんだろうなと一安心する。すると、彼女はアップルティーの入ったマグカップを両手で持ちながらソファーから立ったと思えば、その足で僕の隣へとやってきた。
そして、ほぼ間の無いように0距離まで詰めて座ってくる。そしてソッと優しく頭を僕の右肩に乗せてくる。
「……今日はやけに甘えるじゃん」
「今日は急に誰かが入ってくるコトもないでしょ?」
「確かに、そうだね」
「だから、キミにもっと触れて、もっと感じたいんだ」
彼女も何だかんだで僕に惚れていて、それでいて甘えたがりなんだなって改めて実感する。そんな彼女の背中を通して右肩に僕の右手を回した。彼女特有の甘いパッションフルーツの香りが僕の鼻腔をくすぐってきて、彼女とこうやって寄り添える時間がたまらなく愛おしく感じる。
ただ彼女が僕の肩に頭を乗せて、僕が彼女の肩に腕を回してる、ただそれだけの事なのにソレがものすごく嬉しく感じていた。こんな当たり前の様で当たり前じゃない日常に感謝をしながら、僕を変えてくれた彼女に感謝しながら特別な休日を過ごす。
「……ごめんね。普段はこんなことできないから」
暫くの沈黙の後に彼女がそんな謝罪の言葉を零してきた。別に、それは謝る事ではないと言おうとしたが、僕より先に彼女が言葉を紡いだ。
「本当はもっとたくさん恋人らしいことして、イチャイチャしたくてね。でも、分かってるんだ。そんなこと無理だって、望んじゃいけないんだって」
僕も、もっと彼女といろんな事をしていろんな所に行きたくて、時間も場所も装いも気にせず接したいなって思いは当然ある。でも、それは僕だけが抱いていて、我慢しているものだと思っていたが、それは彼女も同じだったのだ。
「その気持ちは分からなくもないけど、無理でもないし望んじゃいけないモノでもないと思うよ」
「……え?」
「確かに人目を気にしなきゃいけないのはこれから先も続くと思う。けど、時と場合はわきまえなきゃいけないけど、今なら恋人らしい事もできるし、今ならそれを望んでいいと思うよ」
彼女に落ち込んでる姿は似合わないと思った。
彼女に青色は似合わないと思った。
彼女に黒色は似合わないと思った。
だから、そんな彼女が明るく笑顔になれるように僕は励まして、支えてあげられる言葉を優しくかける。
彼女の痛みも苦しみも憤りも想いもちゃんと分かって伝わってるから、それが爆発しないように、こうやってたまには人目を気にせず会える環境は必要なのだろう。
彼女が僕を助けてくれた分僕も彼女を助ける義務がある。義務と言うよりは僕がしたいからするってイメージの方が強いかな。そうやって僕は彼女を特別扱いしたいのだ。だから、今日はたくさん、とことん甘えて欲しいんだ。まだ、今日という一日は始まったばかりなのだから。