彩へ 作:ゆめの
「近づいても、いいかな?」
「僕が断ると思うのかい?」
「ふふふ、それもそうだねっ!」
「第一、僕と彩は恋人同士なんだから」
彼女からの返答はなかったけど、近づく体温と甘いパッションフルーツの香りが彼女の存在がすぐ傍にいることを教えてくれた。
今は同級生としてじゃなくて、アイドルとファンでもなくて、恋人として、彼女の隣に僕がいて、僕の隣にも彼女がいてくれた。
「手、繋いでもいい?」
「いいよ」
「うん、ありがとう!」
繋がれる手は、指と指がキスするように、絡み合うように触れてくる。触れた冷たさが段々と同じ温もりに変わるのが嬉しかった。ただ近づいて手を繋いだだけでも、楽しいねと言って満開の花を咲かす彼女の瞳に釘付けになる。
「どうかしたの?」
「ううん……なんでもないよ」
「あやし〜」
「可愛いからさ、見惚れちゃって……」
「はっ……」
先程までの温かさが嘘かのように冷めていくのが分かる。オレンジ色から寒色へと変わりゆく彼女のパレットの色は、僕にもどうすることもできない。
「ねぇ、目瞑ってよ」
「なんで?」
「それは……聞かないで欲しいかな……」
いまだ青色の表情を浮かべている彼女の機嫌をこれ以上損ねてはいけないと思い瞳を瞑るが、訪れたのは甘い匂いと味に魅せられる時間だった。
触れた赤はしっとりとして柔らかく、ほんのりとリンゴの味がして、優しかった。
「急にどうしたの?」
「キミが可愛いから、ついね!」
「おかわりは、してもいいの?」
そう言って僕は彼女に顔を近づけていくが、そんな僕の唇に触れたのは、彼女の白くて細い、繊細な人差し指だった。
「また、あとでね!」
お預けにされてしまったもどかしさと、また次があるんだって喜びが頭の中を駆け巡る。
隣に座っていた彼女はおもむろに席を立ち、僕の机の傍まで歩み寄っていく。そして、そこに置かれていたイーゼルに彼女は触れていた。
「これって、キャンバスとか立てかけるやつだよね?」
「そう、イーゼルって言うんだよ」
「いーぜるか! なんかかっこいいね!」
心に染みる言葉をくれるのは例外なく、いつも彼女だった。
今まで、イーゼルを見てカッコイイだなんて言葉を口にした人なんかいなかったから、今も尚、彼女はこうして僕を驚かせていた。
満たされる心と、彼女を好きと思う気持ちが強まっていく最中に、一言だけ彼女が呟いた。
「私も絵、書いてみたいな!」
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「こう?」
「うん。そうやって物の大きさを測るんだよ。両目だと全部が同じ距離で焦点が絞れないから、片眼をつぶると見やすいよ」
「あ、本当だ!」
片眼で部分的に焦点を絞って、それがどの位置にあってどのくらいの高さかなど、鉛筆を定規がわりに使って測ることは、絵描きにとっては一般的なことだった。
絵を描いてみたいと言う彼女の為に、スケッチブックを用意してイーゼルの上に乗せ、自己流に染まった書き方を教えはじめた。
「なんかさ、ベレー帽被って丸いメガネとかしてさ、こうやったら本当の絵描きさんっぽくなるよね!?」
「うん、そうだね。見た目だけはそうかもしれないね」
そう言って楽しそうに笑う彼女。キャンバスにペンを立てて眺めるだけで広がる幸せは僕の心をしっかり掴んで離さない。僕の好きな事を好きな人と共有出来ることが嬉しくて、共有してくれようとする彼女の事を大切に想った。
一本一本描かれるその線は彼女のリズムで、彼女のタイミングで右往左往して、僕とは違う表現をしていた。
僕は一本一本が短く、細かく描いていくのに対して彼女は長く大胆に書いていて、その違いに思わず頬が緩む。
「ねぇ、葉っぱってどうかくの? あんなに生い茂ってると書き方分からないよぉ」
「こうやって描けばいいんだよ」
彼女のペンを持つ右手にソっと触れて、僕の意思でペンを走らせる。彼女がペンを握り、僕が動かす共同作業。
一通り教え終えた所で彼女を見たら、開いた口は塞がっておらず、顔もなんだか赤かった。
「今の、聞いてた?」
「え? あ、ごめん……聞いてなかった」
「ちゃんと聞いててよ」
「ごめんね、キミの横顔がね……カッコよくてね……ー」
「そ、そっか……」
思ってもいなかった言葉に、不意打ちの言葉に息が詰まるのを感じた。彼女のうっすらピンク色の頬と鮮やかな赤色をした唇に視線を奪われる。
きっと、彼女よりも恋人らしいことをしたいと思っているのは僕の方なのかもしれないと思い始める。
唇に触れると、その赤が消えて白が見えて、唇から手を離すとまたじんわりと赤が広がっていく。
「いい……かな?」
「我慢、できない?」
「ごめん……」
「ううん。じゃあ、しょうがないねっ!」
目を細め、唇を少し前に突きだす彼女の仕草に心のキャンバスは幸せの色で満たされていく。また触れた唇の赤は、やっぱりほんのりとリンゴの味がした。
今はまだ触れるだけのソレだったけど、僕も彼女もそれで満たされてるから、それで幸せと感じられるから。
窓から差し込む夕陽のオレンジが僕らを優しく、温かく包み込む。彩られた彼女の頬に、ソっと優しくキスをして、僕らは恋人気分を味わった。