月が香る夜の海。久しぶりに家に帰ってきた娘と共に、光の浮かぶ水面を眺めていた。
「ありがと、お父さん。今住んでる家の近くには海なんてないから、これを見るだけで懐かしい気分になれる」
「そうか。今度引っ越す先はどうなんだ? 景色は綺麗か?」
聞くと、マルゼンスキーは黙りこくった。……理由はわからなくもない。まだ父親に未来の夫の話をつつかれるのは嫌なのかもしれないと思った。
「……すまない」
「いいのよ、お父さん」
私の娘がトゥインクル・シリーズで輝かしい成績を挙げた暫くあと、彼女は一人の男を連れて家にやってきた。お互い緊張していたが、男同士の話し合いで彼の誠意は伝わった。彼は今、マルゼンスキーを輝かせている根本にある。そう感じた。彼ならば娘を任せられる、そう思ったのだが……。
「何か不安か、マルゼンスキー」
「……そうかも。否定はしない」
ゆっくりと、彼女は溜め込んだ気持ちを吐き出してゆく。
「あたし、あたしに自信がないの。自分が楽しむのは得意だけど、トレーナー君といればずっと楽しい自信はあるけれど。……トレーナー君を、楽しませられる自信がないの」
「……そうか」
「彼と一緒にいなきゃあたしはダメだけど、彼はあたしじゃない方が幸せかもしれない。そう思ったら、あたし、あたし……」
長年娘を見てきたけれど、弱音を吐く姿を見るのは新鮮だと思った。これも、彼が引き出してくれたものなのかもしれない。
「……あくまで、父親でなく。妻を持つ一人の男としてアドバイスだ。乙女心はわからないが、彼の気持ちならわかるとも。いいかい、マルゼンスキー。彼の幸せは、君が幸せであることだよ」
そう言って僕は、手近な石を海面に投げ込む。ぽちゃん。水飛沫が立ち、光の粒が散らばる。
「こうやって、誰かが動けば。それがどんなに小さくとも、大きな海すら動かせる。大事なのは、怖気付かずに立ち向かうことだ。君の存在が誰の幸せも生まないなんて、そんなことあるはずない。自慢の娘だ。他ならぬ君の親が保証しよう」
「……でも」
「……確かに、結婚は重大だ。勢いで決めてしまうべきではない。けどね、不安に従う必要もない。結婚は人生の墓場だなんて言うけど、僕は墓に入って良かったと思うよ。お母さんにも会えたし、それに」
「……それに?」
「君にも会えた、マルゼンスキー。そして、君の選んだ素敵な男性にも会えた。みんなで一緒に、一緒の墓に入るんだ。こんな素敵なことはない」
水面が揺れて波紋を描くように、人の繋がりはずっとずっと繋がっていく。だから僕たちは繋がりを求め、作り出す。独りぼっちは寂しいから。
「もちろん僕だって、親として。娘の結婚に不安がないわけじゃない。けど、一人のかつて結婚を選択した人として。君が幸せに結ばれることを願うよ。
何も考えなくていい。君は、君の幸せを考えればいい。それが別の幸せを呼び、みんなが幸せになれる。きっとそうなる」
気がつけば、娘は少し涙を流していた。
「ありがとう。……そうね、あたしは間違いなく幸せ」
「なら、今更迷うことはない。……結婚式、楽しみにしてるよ」
「ドレス、似合うかしら」
「もちろん」
少し空気が緩むのを感じた。彼女は親の手の届かないところへ旅立っていく。それは確かに寂しいけれど、子供は巣立つものだ。一人暮らしを始めた時より、もっと上へと羽ばたく。親として、君の幸せが待ち遠しい。
「ねえ、お父さん。ドライブに行かない? ……今から」
「今からか。それは気持ちよさそうだ。どっちが運転する?」
「うーん、タッちゃんはもう私の子だしなぁ……」
おいおい、と苦笑する。もうすっかり運転にも慣れたのだろうか。自分たちから生まれた子供に、知らないことが増えてゆく。それはきっと喜ばしいことだ。
そうやって、まだまだ君は大人になれるということだから。