大切な人というのは家族のことであり、仲間のことであり、友達のことである。ならばトレーナーさんはいったいどれに属するのだろうか?
家族。私の両親は常に私を大事にしてくれた。その恩に報いるには時間がいくらあっても足りないだろう。だから私は走る。スピードとスピードを追い求めて走る! 模範的学級委員長であることこそ、全ての家族のためだから! ならばトレーナーさんは家族なのだろうか? その二つをつなげて口にすると、なんだかくすぐったかった。それは心地よかったけれど、合ってはいないということだろう。学級委員長たる自分の感覚を信じて、次なる選択肢に当たる。
仲間。仲間というのは辞書によれば、立場が同じで、同じことを一緒にして……例えばフラワーさん。共に走り、競い合う存在といえば彼女だろう。競い合いに勝つために必要なのはスピードであり、だから私は走る。スピードとスピードを超えて走る! 模範的学級委員長こそ、最速最高の存在であるべきだから! ならばトレーナーさんは仲間なのだろうか? 言葉の意味としては二人で一緒にスピードを追い求めているトレーナーさんは、仲間と言うのに相応しいかも知れない。けれど私たちは同じものを見ていても、同じ立場であるわけではない。トレーナーさんはトレーナーだし、私は学級委員長だ。もう一つの選択肢も考えてみよう。
友達。例えば辛いことを分け合う存在。例えば楽しいことを分かち合う存在。この学園にいるウマ娘全てと友達になるのが私の目標の一つだが、それにはまだまだ足りないものも多い。まずスピード。次にスピード。更にスピード。だから私は走る。スピードとスピードを重ねて走る! 模範的学級委員長は、全ての生徒と友達であるべきだから! ならばトレーナーさんは友達なのだろうか? トレーナーさんはいつも私のそばにいてくれるのは間違いない。いつも私を心配してくれるのも間違いない。でも友達という言葉は、私たちの距離と比べるとあまりに近くて遠いような気もした。他の選択肢に当たってみよう。
……おっと。家族でも仲間でも友達でもない、そうなると他には思いつかない。ならばトレーナーさんは大切な人のカテゴリーからは外れてしまうのだろうか。大切な存在ではないということだろうか。悩む、悩む。学級委員長を悩ませるとは、やはりトレーナーさんは侮れない。親愛や友愛と云われる所謂愛する人の中に、トレーナーさんは入っていないとしたら。なんだか自分がとても冷たい人のような気がした。いやいや。私は全生徒の模範として、全てに愛を注ぐはずである。道端の石にさえ慈愛を注ぐ……と、これではトレーナーさんが道端の石ころのようではないか。反省しなくては。
思う。トレーナーさんを大切な人だと思うのは間違いない。そうでなくては自分を許せないと、第六感が告げている。けれどトレーナーさんとの関係を言葉にするのはとても難しい。私たちにあるのは親愛であり、信頼であり、友愛である。紛れもなく愛する人の一人なのだけれど、そこに適切な言葉を思い付けなかった。
……ふと、恋愛という言葉を思い出す。言葉でしか知らないそれは、もしかするとここにぴったりと当てはまるのかも知れない。けれどそれは曖昧で、吹けば飛ぶようなものだとも聞く。ならば、そうでない方がいい。そう思った。私たちの間にあるのは、強固で揺るがせない何かであって欲しい。言葉として表せないのはもどかしいが、複雑でおいそれとは離れないものであって欲しい。
私の優秀な頭脳とスピードを以ってしても考えはまとまらず、トレーナーさんは私にとってのなんなのかという答えは出ずじまいだった。こんなことは初めてだ。いつもならばどんな問題でも「わかる」か「わからない」の答えがあっという間に出るというのに。けれど、もう少し。不思議とその命題に対する嫌悪感はなかった。心の中でこの感情を食んでいたいと思った。どうしてもわからないことならトレーナーさんに聞けばいいし、それでもわからないなら二人で考えれば良い。何人寄ればなんとやら、というやつだ。全力で走る必要はあれど、焦る必要はない。
私とトレーナーさんなら、いつか。答えを導き出せるに決まっているのだから。