誰でも怖いことはあって、怖いことからは逃げたいと思う。私の場合はトレーナーさんが怖い。何を考えているかはわかる。だから怖い。のらりくらりと逃げることだけが、私に許された抵抗なのかもしれない。私の気持ち。私の秘密。そこに手を触れられなければ、怒られたって幸せだ。
でも、いつかは。そう思ってしまうのは、私のわがままなのだろうな。
7月に入って、夏合宿が始まった。海辺で遊ぶのが楽しみだ。トレーニングもしっかりするけれど、楽しみではないかも。でも疲れた後にあなたがお疲れ様と言ってくれるのは、少し楽しみ。
スイッチを入れる。心の跳ね橋を上げる。今からは真面目モードで、目指せ菊花賞制覇。そんな目標をトレーナーさんに伝えたら、少し驚いたような顔をされた。心外……ではないか。日々驚きを与えるために精進しているわけだから。
私の気持ち。私の秘密。それは、まだ言語化できていないものだ。私が触れられたくない理由は単純で、そこにまだ弱さしかないから。弱みを強みに転じれる作戦が、思い付いていないから。だからそれを伝えてもあなたを驚かせるどころかぽかんとさせてしまうだろう。
たとえばこの心がカタチになれば、胸を張ってトレーナーさんと向き合えるだろうか? それは魅力的だけど、ちょっと恐ろしい。自分が何を考えているのかわからないのは初めてだから。何を考えているのかわからないのは、相手に見せる顔であって。本当の私は色々なことを純朴に考えているのだ。それを覆い隠すために複雑そうなお面があって、けれどそのお面は皆との距離を取ってしまうものでもあって。
トレーナーさんは私のお面を透かして見るようなことをあまりしない。当たり前のように罠に引っかかり、当たり前のように直球で話しかけてくる。そうなると私のお面は透かされるより容易く粉々になる。物理攻撃には弱いのだ。
だから私はトレーナーさんが怖いのかもしれない。いつか、私の全てを捕まえてしまうような。そんな気配。それなのに、私はあなたから離れられない。
たとえば。私の全てがトレーナーさんのものになったとして、それは私にとってバッドエンドなのだろうか? 考えてみても、ピンとこない。どんな風になるのかが、想像できない。それも恐ろしいのかもしれないけれど、心に浮かんだ感情は恐怖ではなかった。説明することもできないけど。
でも、と思う。だから、と思う。私は今のトレーナーさんが、心地よい。クラシックを超えて、シニアを超えて。それでも走れるとしたら、あなたのそばにいる時だけ。純然たる信頼が、すでに築かれている。この気持ちはそういうものだと、そういうことにしておこう。
青雲の芽吹きはまだ若く。真夏の入道雲のように、これから大きくなっていく。