ウマ娘の某所に載せた短編集   作:春華ゆが

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ドトウ!ドトウ!


メイショウドトウはネガティブシンデレラ

 人生という物語の主役は自分自身だと聞いたことがある。けれど私の人生を振り返っても、自分が主役になれたことがある気がしない。

 オペラオーさんやアヤベさんにこんなことを言ったら怒られてしまうかもしれないけど。トレーナーさんになら、言ってもいいのだろうか。

 幾度の闘いを超えても、私は。

 私に似ている物語があったりしないだろうか。その主人公の心を読み取れば、私もそれを真似できるかもしれない。

 ……そう思って、少し恥じる。誰かの真似じゃない、私には私の長所があるのだとトレーナーさんは言ってくれた。アヤベさんの代わりではなくなった。オペラオーさんに憧れていただけの私ではなくなった。

 貴方は言ってくれた。だから貴方を拠り所にするというのは、それこそ間違っているのだろうけど。

 私の勇気。勇気というものは限界が高くなるほど更に越えようとする気持ちであって、今の満ち足りてしまった私には不釣り合いかもしれない。

 ただ、今の私に満足できないことがあるとしたら。

 貴方の心を惹きつけたい。育った心は春を知り、初めての恋を呼ぶ。

 

「はあ……今日は、今日こそ」

 

 目を覚ましてベッドから上体を起こす。意識がはっきりする前に独り言が漏れる。今日こそ、なんなのか。いつもドジをしないようにと思っているうちに、これが口癖になっていた。

 けれど今の私は昔とは違う。確かに強くなったと、自分ですら思える。

 今の私が今日こそ、と言うことがあるとしたら。なんとなく、最近になって思うこと。少しだけ、もやもやが膨らんでいること。

 トレーナーさんにとっての私はなんなのだろう。私にとってのトレーナーさんはなんなのだろう。そんな高邁な問いが頭をよぎり、すぐに吹き抜けていく。

 今日こそ、その問いの答えを見つけたい。そんな気持ちさえ、まだ吹けば飛ぶようにか細く。

 

「……よし」

 

 チェック完了、全部をカバンに詰め込んだはず。手の届かない想いを除いて。まだ寝ているシャカールさんに小さくおじぎをして、部屋を出る。

 巡る想いは怒涛の如く、手に取るには未だ荒々しい。

 

 *

 

「おはようございます、トレーナーさ〜ん」

「おはよう、ドトウ。……しかしドトウはほんとに変わったな」

「えへへ〜、そうかもですねぇ〜」

 ここで以前の私なら、条件反射でそんなことはない、と返していた気がする。その変化こそが私の成長を如実に表している。

「よし、じゃあ今日もトレーニングだ。オペラオーに完勝する! これが次の目標だ」

「はい!」

 ぎゅっと拳を握り、次の目標を見据える。次の目標。私のそれは、トレーナーさんとは少し違う。今まではずっと同じものを見てきた。それはそれで幸せだけど。

 互いと互いで見つめ合いたい。そう思ってしまうのは、成長なのか否か。

 コースを周回する間、遠くに貴方を見てしまう。トレーニングの最中、ついつい余所見をしてしまうほどの余裕がある。……それでこけてしまうこともまだあるのだが。

 ちらり、ちらり。どうしても、視界の端に貴方を捉えてしまう。今までだって居たはずの存在が、とても大きく輝いて見えるような。まるで、魔法にかけられたような。

 トレーナーさんが私の手の届かない場所に行ってしまわないか、少し不安になる時もある。

 なんだかんだと言ったって、トレーナーさんが居なければ私はここまでの成績を残せなかった。

 だから例えばトレーナーさんが居なくなれば、私は元のドジでグズなウマ娘に逆戻り。そこまで極端ではないかもしれないけど、やはり貴方が居なくてはダメだ。

 ……まだまだ私が子供で、駄々っ子のように親離れできないというだけなのかもしれないけど。それでも子供でも、絵本くらいは読める。灰被りの少女が、素敵な王子様と結ばれるお話。私でも読んだことがある。

 彼女はきっと、そのお話の中で成長した。王子様が落ちぶれたから結ばれたのではなく、少女が勇気を出したから結ばれたのだ。

 天井にあるものを超え、成長できたのは彼女自身の力なのだ。

 それが、物語の主役というものであって。私とは違う。そう思わずには居られないけど、そう思いたくない気持ちもある。

 ……勇気を出して、手を伸ばす。私も、私だって。

 だって諦めが悪いのが、私の長所なのだから。

 

 *

 

「はぁ、はぁ……」

「よし、お疲れ様ドトウ! ……んー」

「ひぃっ! なにか不満がありましたでしょうか、トレーナーさぁん……」

 

 夕を超えた空に、いつものように不安が浮かぶ。返ってきた返答は予想外のものだった。

 

「今度、久しぶりにどこかへ出かけようか」

「……へ?」

「いやなに、タイムは申し分ない。ドジだって昔に比べたら随分と減ってきた。だけど……君の顔がな」

 

 そう言って、トレーナーさんは己の口元を指さす。

 

「それなりにドトウと一緒にいて、君の気分とかが読み取れるようになってきたんだ。口元で、君の調子は大体わかる。今は少ししょぼくれてるんだ。他のところに問題はないのに、な」

 

 そうだったのか。トレーナーさんが自分をしっかり見てくれていたという事実が、僅かに心を暖めてくれる。

 

「……だから、リフレッシュが必要なのかなと思ったんだけど。……どうかな、ドトウ。嫌なら──」

「ぜ、ぜんっぜん! 嫌じゃないですぅぅぅ!!」

 

 嫌じゃない、ということを全力で表現する。それ以上さえ伝えられるように。

 

「そうか、よかった。ならとりあえず、今日はここまでだ。また連絡するよ」

「……はい! 楽しみにしてますから!」

 

 トレーナーさんとお出かけ。その事実が、心の隅まで染み渡る。今の私が求めるものは、ここにある。

 広がる想いは怒涛の如く。限りなく波打ち限りなく深まる。

 

 *

 

 足を跳ねさせながら帰路につく。少し転んだくらいじゃ今の気持ちに傷はつかない。貴方と私、私、私……。

 

「はぁ、やっぱり私でいいんでしょうか〜……?」

 

 前言撤回。私の不安は期待と同じくらいに大きいようだ。もちろん貴方にそんな意図はないだろう。いつものように、二人でいるだけ。でも、私にとっては初めての。

 二人の時間が何事もなく終わることを望んでしまうけれど、本当に望むべきはもっと上にあって。いつも志の低い私には、高望みは難しい相談だ。

 

「……はあ、ただいま……」

「……どうした、ドトウ」

 

 寮に帰ってきてシャカールさんに挨拶すると、いつもはなかった返事が返ってきた。結構この人は優しい……と思う。

 

「……じ、実は──」

 

 話す。初めてのこと、初めての気持ち。それを初めて、誰かに話す。

 

「……なあ、ドトウ」

 

 そのはずだったのだが。

 

「それって本当にただのリフレッシュじゃねえか?」

 

 あれ。

 

「……そ、そんなことは……! ある、かも……」

 

 考えてみると、全ての気持ちは私が勝手に抱えているもので。それを抜いたら、特別な要素なんて何もないんじゃないか──?

 

「……ふう、生憎とオレもそういうことには疎いからな……だがまあ……」

 

 シャカールさんにとっても苦手分野だろうな、こういうの……。それでも考えてくれるのは少し嬉しい。

 

「……よし、デートはいつだ? 明日か? 明後日か? ちょっと知り合いに色々掛け合ってくる」

「でででで、デートぉぉぉ!? そ、そんな大それたものじゃ……」

「何言ってんだ、バカ。大それた目標だとしても、目印を立てなきゃそこへの道筋は見えねえぞ。……ほら、いつなんだ」

「1週間後、日曜日です……」

 

 気弱にただ従うだけ。本当にこれでなんとかなるのだろうか。知り合いに掛け合うというのは何のことなのだろうか。

 

「……まあそれくらいあれば、アイツなら何とかしてくれるだろ。オレは気休めを言うのは苦手だが、アイツなら。……待ってろ」

「……はい。ありがとう、ございます。……いつも」

 

 シャカールさんが同室でよかった。そこまで言ったら怒られてしまいそう。

 

「……フン」

 

 そこまで。いつもぶっきらぼうに会話を区切るけど、本当に得難い友達、だと思う。

 だから私も頑張ろう。誰にとっても、得難い存在と思われるように。

 そして、その日はやってくる。あっという間に、とても長い夜の後に。待ち望むものは日が進むほどに時を永く感じさせる。最後の夜なんて、やっぱり殆ど眠れなかった。

 

「……んー……」

「起きたか……今日だぞ」

「はっ、はいい! もちろん、昨日のうちに準備は……ふわぁ」

「おいおい、準備にかまけて寝てなかったら本末転倒じゃねえか」

「はい、すみませぇ〜ん……」

「謝るならオマエのトレーナーに謝りな。楽しみすぎて寝れなかったですってな」

 

 そんな恥ずかしいこと言えるわけがない。私はいつも臆病で、ネガティブで……。きっと今日もそんなことしか口にできないのだ。

 

「……と。オレも約束のモンを調達してきた。……これだ」

 

 シャカールさんが差し出したのは、一つの瓶。中には透明な液体が入っている。

 

「これは……?」

「コイツは知り合いから貰ってきた、『ネガティブな感情をいいコンディションに変換する薬』だ。オマエにぴったり。とんだマクガフィンだろ」

「……まくが、ふぃん」

「……まあそこはいい。要はこいつを飲んでりゃ、ネガティブ思考が出るたびに逆に身体の調子が良くなるってシロモノだ。……ただし、逆も然りらしいがな」

 

 つまりポジティブな考えをすればするほど、私の身体にダメージがあるというわけか。……私に限って、そんなことはなさそうだが。

 

「つーわけで、用法適量を守って使うんだな、ほら」

「ありがとうございます。……よし」

 

 意を決して蓋を開け、中身をぐいっと飲み干した。……味はしない。まるで水のようだ。

 

「よし、じゃあ行ってこいドトウ。態度がネガティブなら、見た目を磨けばいい。その薬が今日いっぱい効いてるから、日が落ちる頃には見違えるようになってるだろうさ。……そこを、こう……」

「……こう?」

「……後は自分で考えやがれ!」

 

 シャカールさんに追い出されるように、私は寮を出る。天気は曇り、仕方ない。そう考えると少し元気が出てきた気がする。矛盾しているようだが、これが薬の効果なのだろう。

 なら、私に負けはない。ネガティブならお手の物だ。

 来たる想いは怒涛の如く。乾いた陸地が海で潤う。

 

 *

 

 いまだ早朝。シャッターの閉まった小さなお店が立ち並ぶ商店街で、私とトレーナーさんは待ち合わせをする。いつもは私がどこかでドジを踏んでしまうから、貴方を待たせてしまうけど。

 今日は、今日こそは。貴方より早く、貴方を待とう。

 

「よし、よし、よし……。ここだ」

 

 間違いない。この通り、このお店。今日はちゃんと、間に合った。……早過ぎるかもしれないけど。

 心がウキウキしそうになるのを、必死に堪える。きっと、それでは足元を掬われる。だっていつもそうだった。だから期待しないようにした。今日だって、きっと。でも。

 今日こそはと思ってしまうのは、私のわがままなのだろうか。

 

「おはよう! 今日は早いな、すごいぞドトウ」

 

 貴方が来た。

 

「……おはようございます、トレーナーさん」

 

 貴方を見た。

 

「……こんな早くに来ても、どこも開いてないぞ?」

 

 ならば、貴方に勝とう。

 

「……また、ドジ踏んじゃいましたか……?」

「……実はそう思って早く来たんだが、杞憂だったな。今日のドトウは元気だ」

「えへへ、そうですか?」

 

 私の名前はメイショウドトウ。類稀なる怒涛王なのだから。

 

「……で、どうする? 散歩かな……そんなのでいいか?」

「いいですよ〜……きっと楽しいですから」

「そうか、それなら良かった」

 

 貴方となら。

 少し冷えた風が吹き抜ける、人通りのない商店街。電灯もようやく仕事を終えたばかりで、まだ虫が張り付いている。普段なら寂しいと思ってしまうだろうけど、今は人の少なさが幸せだ。

 とん、とん、とん。二人の足音が鈍く響く。本当ならロマンチックかもしれないけれど、まだまだ私たちはそこには至らない。

 ただ、隣を歩くだけ。手も繋がず、心も微かに触れ合う程度。

 

「……なあドトウ、これでいいのか?」

「いいですよー、これで。何も起こらない……うわっ!?」

 

 どしーん。転けてしまって、少し心がしょぼくれる。……でも、その分幸せになれるのだっけ。例の薬のことを思い出し、気持ちを立て直す。

 

「大丈夫か?」

「……はい、慣れっこですし」

「それでもいつもヒヤヒヤするよ。……ほら」

 

 貴方の手がこちらに伸びる。それを掴んで、握って。

 

「……ドトウ?」

「転ばないように、手。……お願いしてもいいですか?」

 

 私にしては上手い言い訳だ。

 

「……ああ」

 

 このまま、ずっと朝でもいい。

 

 *

 

 早朝は儚く、短くて。くるくると鳴く鳩の声を合図にしたかのように、次々と商店街のシャッターが開いていく。同時に人通りも僅かずつ、確かに増えてゆく。まるで川の流れのように。

 最初から川に溜まっていた私たちは、そろそろどこかへ流れていくべきなのかもしれない。

 

「トレーナーさん、どうしますか?」

 

 少し、手に力を入れて。

 

「……うーん、公園の方にでも行ってみるか。たまにはドトウの話が聞きたい」

 

 握り返される手が、嬉しくて。

 

「そういえばトレーナーさんは、朝何を食べたんですか?」

「バターを塗った食パンだな。あとはヨーグルト。ドトウは?」

「……私は、大したものは……」

「俺だって大したものは食べてないじゃないか。聞かせてくれ」

「……今朝は早かったので、何も」

「それは本当に食べてないやつだな」

 

 本当は勇気の出る薬だけ飲んだのだけど。公園に向かって、着いた後も。私たちはずっとお喋りしていた。なんでもないことだけど、滅多にないことだ。

 そして、時は巡る。不安はまだある。でも、それが最後に花開くらしいから。シャカールさんから貰った薬は、確かに私に勇気をくれている。

 

「……ドトウ」

「……はい?」

「……なんだか見違えた気がするな。いつも成長してるけど、今日は特に」

 

 もう薬の効果が出てきたのだろうか。ネガティブな私には本当にぴったりだ。こんなに幸せなはずなのに、私はまだ不安を捨て去れていない。未来は私にあるのだろうか。誰にもない何かが、私にあるのだろうか。

 

「ありがとうございます……。今日はリフレッシュ、ですし……。できてるのかもしれませんね」

「そうか、それなら良かった」

 

 リフレッシュ。建前にしてしまいたいけど、まだできない。何か次に取れる手はあるだろうか。そう思った時、不意に。

 ぐう。

 

「あうう……すみません、お腹空いてきた、みたいです……」

 

 恥ずかしい。しゅんとなってしまう。すると貴方は少し考えた後、素敵な提案をしてくれる。

 

「よし、ご飯食べに行こうか」

「……はい!」

 

 お腹が鳴ったことさえ、今日は幸運に変えられる。ひょっとして、救いはあるのかも。

 浮き立つ想いは怒涛の如く。まだ、まだまだ終わらない刹那がある。

 

 *

 

 二人手を取って、向かうは小さな洋食屋。なんだか私たちの小さな幸せを表しているみたいで、これからを示してくれているみたいで。

 店内にはオレンジ色のランプが灯り、ピアノの音が流れる。静かで落ち着いた雰囲気が私に似合っている、というのは傲慢だろうか。

 

「……さ、今日は俺の奢りだ」

「……いいんですか?」

 

 そうは言ったが、断る理由はない。

 

「そりゃ、レディーファーストだからな」

 

 そう、これはデートなのだから。

 

「ハンバーグを一つ」

「じゃあ私は、このスパイシーカレーを」

「かしこまりました」

 

 店員さんは丁寧で礼儀正しく、まるでお姫様に仕える従者のよう。だから私たちはお姫様と王子様。……トレーナーさんはともかく、私は違うか。また少しネガティブ。

 

「ドトウって、辛いの本当に好きだよな」

 

 暫く料理を待つ間、トレーナーさんが話しかけてくる。今日はたくさん話せて、本当に嬉しい。後で揺り戻しが来たらどうしよう。

 

「はい、大好きです」

 

 そう、軽く口にした後。

 私の頬が燃えるように赤くなったのに、トレーナーさんは気づいていただろうか。

 料理が来て、お互いゆっくりと口に運ぶ。舌を迸る辛さがちょうどいい。美味しいカレーだ。貴方の方をちらりと見ると、目があいそうになって思わず逸らしてしまう。気づかれなかっただろうか。いやいや気づかれるべきだっただろうか。

 そんな悩みをもやもやと抱え、結局あまり進めない。私が目下頼れるものは、シャカールさんに貰った薬と自分の諦めの悪さ。

 

「ふう、美味しかったな」

「……はい」

 

 お腹いっぱい。心もいっぱい。ああ、このまま何もなければいいな。自然とそう思う心はまだ臆病で、踏み込むことをよしとしない。

 ご飯を食べて、少し眠くなってきた。寝ている間はドジを踏まないので、私にとっては幸せな時間だ。近くにベッドがあったなら、すぐにでも寝てしまいそう。

 

「……ふわ〜ぁ……」

「……確かに眠いな」

「あっ、いえ、すみません!」

「いやいやいいんだ、存分に気を抜いてくれ」

 

 まるで貴方との時間が退屈なみたい。そうではなくて、どきどきしすぎて疲れてしまっただけなのに。

 

「そうだな……近くのベンチで休むか」

 

 ベッドにするには足りないけど。眠気というか、疲労というか。もう限界だ。

 

「……そう、ですねぇ……」

 

 それに貴方になら、寝てる姿を見せても構わないかも。

 揺蕩う想いは怒涛の如く。大きく湧き上がり、滑らかに滴る。

 

 *

 

 そこからどうやってベンチに着いて、いつの間に眠ったのかは覚えていない。

 ただ、夢の内容は僅かに覚えている。灰被りの少女が魔法にかけられ、憧れの王子様へと会いに行くのだ。夢の中の私は少女の役で、王子様が貴方。目が覚めない方がいいとさえ私は願うけど、12時を迎えると魔法と共に夢は醒めてしまった。

 

「……おはようございます……あれ」

 

 目を覚ますと、肩に重みが。ゆっくりとそちらを向くと、貴方の頭が寝息を立てていた。

 

「……ふふっ」

 

 疲れていたのはお互い様か。貴方もどきどきしていたからなら、いいな。少しだけ貴方の頭を撫でると、髪についたワックスの存在に気づいた。……もしかして、ほんとに貴方もデートのつもり? ……ありえないけど、絶対偶然だけど。

 そうだったら、いいな。

 貴方が起きる頃には、少し日も翳ってきた。貴方に悪いと謝られるのは、なんだかいつもとあべこべだった。

 このままずっと、変わらず歩き続ける。変わったのは、手を繋いでいること。その繋がりが、心にまで染み渡っていること。

 

「……えへへ」

「……上機嫌だな」

 

 そうかもしれない。すると心臓がどきりとする。……そういえば、薬のもう一つの効果。ポジティブになると、体調が悪くなるとか……。でも、私がポジティブになることなどあるだろうか。グズで、ドジで……。そう考えるだけで心臓の揺れは治り、また調子が戻ってくる。

 ああ、ならこれでいい。これはあくまでやはりリフレッシュなのだ。

 

「いつも休みは何してるんだ?」

「トレーナーさんは、なにしてるんですか?」

「そういえば、前──」

「オペラオーさんが──」

 

 ひとつひとつは取るに足りない、一枚の紙に収まるような会話たち。けれどそれが積み重なれば、大きな大きな山ができるような気がして。

 たった一人で、天頂まで射抜くことはできないけど。見上げるほどに高いこの山は、私たちが組み上げたものなのだ。

 気がつけば、空は茜色。蛍の光が浮かび上がって、みんながお家に帰る時間。でも、シンデレラの時間はこれからだ。

 刻む想いは怒涛の如く。しなやかに語る胸の内、密やかに辿る心の奥。

 

 *

 

「さて、そろそろ」

 

 そう、時は来る。

 

「……今日は楽しかったです」

「すまないな、もっと面白い話ができたら良かったんだが」

 

 最後に、終わる前に。魔法が解けるその前に。はち切れそうなほど心臓が痛い。でも、痛いのは怖くない。今怖いのは、貴方がどこかへ行ってしまうこと。不安、不安。不安を力に変える薬、それが今日の私に掛けられた魔法。

 

「……あの、トレーナーさん」

 

 漸く分かる、この薬の本当の使い道。

 

「……?」

 

 口を開くたびに、身体が悲鳴を上げていた。

 

「私、綺麗ですか?」

 

 本当はずっと、幸せの絶頂へと向かっていた。

 

「……ああ」

 

 陽光を受けて、軋む身体を揺らす。

 

「綺麗だな……」

 

 幸せを痛みでさえ計り取るのが、本当の使い道。

 我が身を投げてでも感じ取るものが、最も重要な幸せの在り方。

 

「ありが、と──」

「……! ドトウ!」

 

 白く、光が世界を包んでいった時。駆け寄ってくる貴方が目に焼き付いた。

 

 *

 

「おい、結局あの薬はなんなんだ? まさかあんな都合の良い性質の薬、あるわけねえだろ。……ふん、オマエを信頼してて悪かったな。信頼を裏切るオマエだとは思ってないが。

 ……内容はミネラルウォーターとプラシーボ効果……って、ハハッ。

 いやいや、オレでも出来るがオレには思いつかないな。コロンブスの卵ってやつだ。……助かったよ。今回切りだがな。

 ん? 当のドトウ本人なら──」

 

 *

 

 知っている場所。この天井には見覚えがある。

 

「……ドトウ!」

 

 そうか、私は。

 

「……ごめんなさい、トレーナーさん……」

 

 病室にいた。また、迷惑をかけてしまった。最後の最後で、結局花開けなかった。

 

「……綺麗だった」

「……え?」

「夕陽を背にしたドトウは、とっても綺麗だったよ。君しかいないって、また思えた」

「……そんな、勿体ない……」

 

 私なんか。やっぱり今日も、勝手に舞い上がっていただけだ。

 

「いや、違うよ。君しかいないんだ。勿体ないなんてありえない。誰かの代わりなんかじゃない。君しか」

 

 ふと、灰被りの少女の結末を思い出す。魔法が解けた少女は、ぴったりのガラス靴を履くことで王子様に見つけてもらえる。

 

「……私、しか」

 

 大きく力強い覇王でも、小さく輝く一番星でもない。私の存在が、貴方にはぴったりなんだ。

 

「……そうだ。だから、君を選んだ。当然じゃないか」

「……うぅ」

 

 ぽつ、ぽつ。すぐに滝のように流れ出した涙は、まさに怒涛の勢い。私が嬉し涙を流すなんて、本当に珍しい。ネガティブもポジティブもぐちゃぐちゃだけど、幸せなことだけは分かる。

 

「……大丈夫か、ドトウ」

「えへ、えへへ」

 

 まさしく泣き笑い。戸惑う貴方も私は好き。

 やっと、抱いた感情を言葉にできる。ずっと昔から知ってはいたけど、私には縁がないと思っていたもの。けれどわかった。この気持ちに理屈はない。どれほどの存在でも貶めて、丸裸にする恐ろしい感情。

 

「……ねえ、トレーナーさん」

 

 誰でも抱くことができる感情の極み。

 

「……どうした」

 

 甘酸っぱい、人に魔法をかけるもの。

 

「今、私は何を考えてるでしょう……?」

 

 この気持ちを、恋と呼ぶ。

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