ウマ娘の某所に載せた短編集   作:春華ゆが

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アグネスタキオンがタキオンの話をします


アグネスタキオンが超高速の架空粒子タキオンの話をする話

「おはよう、モルモット君」

 

 階段を降りると、彼は既に朝食の支度を終えてくれていた。ハムエッグに紅茶。いつも通りだけど、"悪くない"。

 

「おはよう、タキオン」

 

 朝の挨拶が返ってくる。このやりとりも、慣れたものだ。

 

「いただきます」

 

 二人でテーブルを囲い、朝食をつまむ。……砂糖が少ないな。そう思い、席を立って砂糖を取りに行こうとすると。

 

「ああ俺がやるよ、タキオン」

 

 そう言って、彼は私を制止し砂糖を代わりに取りに行った。……この距離感には、未だ慣れない。

 

「はい、どうぞ。砂糖はこれくらいだよな?」

 

 もう、何度も過ごした朝なのに。

 

「ああ、ありがとう」

 

 私が走れなくなってから。

 

「よかった、そろそろ覚えてきたぞ」

 

 何故君は、私のそばに居続けるのだろう。

 かちゃり。とん、とん。食器の金音が、静かに食卓に響く。この関係は、いつまで続いてしまうのだろう。何が、君を私に縛りつけてしまったのだろう。

 幾度目かわからない思考の堂々巡り。私の探求も、彼の未来も。時間が止まってしまったように、動かないでいた。

 

「……時にモルモット君。君は相対性理論についてどれくらい知っているかな」

 

 なんとなく、或いは単に沈黙を破るべく話題を振る。

 

「全然知らない。タキオンが教えてくれたら嬉しいな」

 

 頼られて、すこし緊張の糸がほぐれる。

 

「いいだろう。……まあ今回の本題は相対性理論そのものではないし……そうだね、相対性理論の活用について話そう」

 

 こうしてずっと話していれば、ずっと何も変わらないのだろうか。それとも会話によって、歩み寄れるだろうか。

 

「そもそも相対性理論というものは、いや、理論というものは活用するために存在するのさ。全く内容を知らなくても、どこかでその恩恵に預かっている……ということは非常に多い。相対性理論も然りだ」

 

 彼はまっすぐこちらを向いて、話を聞いてくれている。それ以外に興味はないと言わんばかりに。

 

「極めて乱雑に言えば。相対性理論とはその名の通り、個々の物体は固有の時間を、相対的な時間の流れを持っている。……例えば君と私も、微細だけれど違う時を歩んでいる。その時間の差は、基本的には互いの速度に差があればあるほど遠くなる。……長くなった。ここまではいいかな?」

「違う時間を進んでいる、か。タキオンがレースに出ていた間、俺は同じ速度では走れなかった。隣にいたつもりだったけど、いられない」

「……そういうことじゃ……」

 

 ぐっと掌を握りしめてしまう。誰が、彼をこうしたのか。わかっているくせに。

 

「……安心して欲しい。ウマ娘がレース中トップスピードを常に維持したとしても、わずか1秒の差を生むことすら難しい。結局のところ、基本的には。私たちは皆、同じ時を過ごせるんだ」

「……話が逸れたね。この理論が一般的に活用されているのは……皆が持っているスマートフォンなどに搭載されているGPSだ。GPSの情報は地球上空を秒速数kmで航行する人工衛星から送られている。そしてそれが地球上の私たちに情報として送られるまで。大体1秒間に20億分の1秒ほど、差が起こってしまう。もちろん私たちが気づくには、20億秒かかってようやく1秒体感できるかできないかだが。GPSに頼る電波時計などでは、この差を無視することはできないんだ」

 

 彼はいたって平静に見えた。心の距離も、変わってしまったのだろうか。

 

「この差を見つけ出したのが相対性理論であり、この差を計算して時計データに修正を加えるのも相対性理論、というわけだ……さて、いよいよ本題に入ろう」

「とりあえず、なんとなく理解できたよ。ありがとうタキオン」

 

 その言葉は、嘘か真か。どちらにせよ、心からのものだろうと思った。信じられていると、信じた。

 

「さて。物体が速ければ速いほど、遅い物体に比べてその時間は相対的にゆっくり進む。つまり理論上は、速さに応じて時間の流れは変わるんだよ。

 そしてその速度がもし光の速さに限りなく近づいたとしたら……時間の流れはゼロに等しくなる。そこまで速い存在は現代の科学では極小単位でしか実現できていないけれどね」

 

 仮定の話。もしもの話。あったらいいな、の話。茶飲み話には十分だけれど、本当は。

 

「この話には更なる可能性が含まれている。光の速さで進み続ければ、他の物体よりも時間経過を少なく過ごせる。ゼロにさえできる。未来に往ける。ならば。

 "光の速さを超えたなら、どうなるのか"?」

「……超光速、か……。君の名前が意味するところも、超光速の粒子だったな」

 

 そう。なんの因果だろうか。今の自分が一番求めるものは、己の名に刻まれている。

 

「……理解が早くて助かるよ。超光速の粒子。アメリカの物理学者ファインバーグによって命名された『架空の粒子』。それが、タキオンだ。

 タキオンが仮に存在し、利用できた場合。その時間の歩みはゼロよりも小さくなる。つまり……マイナス。タイムトラベルが可能になる」

「原理の説明に行こう。まず前提として、すべての物体は相対的な時間を持っているだろう?

 そして、光速で移動する物体は時間の進みがほぼゼロに近くなる。

 さらに、光の速さを超える超光速であれば……光速よりも速く、たとえ後から出発したとしても光の速さに追いつくことができる。つまり、つまりだよ」

 

 楽しそうに喋っている自分がいる。本当は必死に絞り出しているのに。

 興味深そうに聞く君がいる。本当はあり得ないとわかっているのに。

 

「光速で進む物体に向けてタキオンを用いて情報を伝達すれば。自分よりも時間の流れが遅く、50年かけて1年しか変わらない光へと伝達を行なった場合。

 その情報は光の速さの側では10年も経っていない、新鮮どころか生まれていない情報になるのさ。

 ……少しわかりづらかったね。語弊を恐れずに言えば、タキオンは時間を逆行できる。そのタキオンに何かを載せれば、載せたものも時間を逆行できる、というわけさ」

「……それで。過去に戻れる」

「その通り。タキオンを利用して移動できる乗り物があれば、それはタイムマシンと言えるだろうね。そこまで出来なくてもいい。情報さえ過去に送れればいい。タキオンを利用して今の私が光の速さで移動する物体へと情報を撃ち出し、その物体からまたタキオンでこちら側に情報を撃ち返せば。

 過去の私は、未来の私からの情報を仕入れられる。そうすれば」

 

 そうすれば。もし、そんな理想が叶うなら。

 

「……まだ気にしてるのか」

「……っ! 当たり前だろう! プランBを遂行できなくなる、だからそいつを選ぶな!

 そう! そう伝えられるなら、伝えられるなら……!」

 

 声を荒げてしまう。……講義は終わりだ。戯れのつもりで始めたのに、本気になってしまった。そんな、そんな。そんなことあり得るはずがないと、わかっていたのに。仮定上の空想。無意味なもしも。

 ……アグネスタキオンというウマ娘が、走り続けられなくなった時。私が、スピードの向こう側にたどり着けなくなった時。

 私には万全のバックアッププランがあった。誰か他のウマ娘に望みを託して、研究の成果全てを注ぎ込む。そのつもりだった。

 だのに。彼は私を縛ってしまった。否、私が彼をとうの昔に縛っていたのだ。自らの身体には細心の注意を払っていたのに、他人の心には気づけなかった。

 彼は言った。私を見捨てることなどできない、私の幸せを一番に考えてくれ──。そんな甘言に、必死の訴えに。私は彼の言葉の通り、レースから身を引き。彼は今まで通り、私をサポートしてくれた。

 嬉しくなかったと言えば嘘になる。嬉しかったから、私は立ち止まってしまった。思いの外、私は彼から離れられなくなっていた。

 でも、その結果が。二人で死ぬまで一緒にいるという選択。そんなのは、あまりにも残酷だと。理屈ではわかっているのに。昔の私なら、避けられたのに。今の私には、彼がいなくなってしまうことは。

 耐えられない。

 

「……なあ、タキオン。わかってるんだ」

 

 彼が口を開く。

 

「俺が君を引き止めたのは、俺のわがままだって。いつのまにか、俺は君の弱みになっていた。それを利用した。君のためにならなくても、君の力になりたかった」

「……そんなことはないよ。君がいなければ、私は走り始めることすらできなかっただろう」

 

 互いに互いを否定する。互いに互いを想うが為。なんて、なんて。

 

「……でも、後悔しているんだろう? 俺のために。俺をトレーナーに選ばなければ、こんな風にはならなかったと」

「……その言い方は卑怯だよ。肯定すれば、私は君のためなら走れなくてもいいということになる。それなのに、こうして今も君と共に過ごしてしまっている。……否定もできないけど」

 

 口を噤む。でも、言葉を止めてはいけない気がした。止まれば、彼が消えてしまいそうな。

 

「……タキオンが実在するならば、本当にやり直すよう、過去の自分に言ってしまえるのに」

「……どうやり直したいんだ?」

 

 話題が戻る。もしもの話をし続ければ、本当になる気がした。

 

「そうだねぇ、まず君にはもっといいウマ娘を見繕ってあげよう。私は脚のことを知って、走るのではなくサポートに徹する。君と君の担当ウマ娘のサポートだってさせてもらうよ」

「……」

「そうして君は優秀なトレーナーとして、キャリアを積むんだ。何年も、何レースも……見届ける」

「それは、確かにいいな」

「だろう? 別に私たちが仲違いするわけじゃない。仲良くする前に、そもそも深く関係を結ばないのさ。それに──」

「でも俺は、タキオンのトレーナーだから」

 

 彼は、そう言って。

 私は、言葉を返せなくなって。

 瞬間。景色が歪み。幾星霜の果ての果て。羽ばたきが舞う、舞う、舞う。

 蝶の残像が最後、頭にくっきりと痕を残した。

 

「おはよう、タキオン」

 

 朝が来て、学園で彼に出会う。

 

「おはよう、トレーナー君」

 

 夢。あれは夢で、私は今日もトレーニングができる。

 でも。夢の中、最後に舞った蝶の翅。

 バタフライエフェクト。胡蝶の夢。本当の"もしも"。

 こちらが現実であることに感謝する。

 

「……どうした? タキオン。調子が良さそうだな」

 

 ……顔に出ていただろうか。まあ、でも。

 

「なんでもないよ、モルモット君! さあ、今日も研究を始めよう!」

 

 いつも通りだけど、"悪くない"。

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