大変すみません
「むかしむかし、あるところに」
幼い頃、私の世界を形作ってくれたものの一つが物語だった。アイルランドに伝わる伝説は全て……とは言えないだろうけれど、あの箱庭で手に取れるものはあらかた読んでいると思う。
「ひとりのじょおうさまがいました」
そして、その中で特に私の印象に残っているお話。きっと未来永劫、初めて読んだあの日からずっと。ドルイドの呪いのように刻み込まれた、原初の『思い出』。
「じょおうさまはわがままで、よくばりで」
傲慢で強欲な、悪女を体現したかのような或る女王のお話と。
「そんなわるいじょおうさまは、やがてせんそうをおこして」
そうして迎えた、悪に相応しい因果応報の末路まで。
「さいごはあたまにチーズをぶつけられて、しんでしまったのでした──」
※
「で、そんな話をオレに聞かせてどうなンだよ」
「別に? ただちょっとは反省してくれないかなーって」
「はァ?」
少しお昼からは外れた時間の食堂で、2人でテーブルを囲んでいるのは私ファインモーションと、その素敵な友達のエアシャカール。今はなんのことはないとりとめのない会話をしているところ。
「だってシャカール、いつも私のことを好き放題言ってるじゃない。わがままでよくばりだとか、その他諸々」
「好き放題やってンのはオマエだろ……その評価も適切ってやつだ」
「それならシャカールは、私がチーズで死んで当然の悪いやつだって言いたいの? おとぎ話に出てくるような、わがままよくばり女王様だって」
「前半はともかく、後半はその通りだろ。女王様なところまで全部事実だ……だがな」
だが。こういう突き放すような物言いの後、彼女は少なからずそれをフォローしがちだ。それは単なる癖なのか、それなりの思いやりなのか。どちらであっても私にとっては救いになるだろう。
「まァ結局、フィクションの悪役、それも今じゃ型落ちの価値観で書かれたような古臭い話だろ? ガキの頃に読んだおとぎ話を思い出として取っとくのは結構なコトだがな……」
「もちろんわかってるよ、心配してくれてありがとう」
心配してもらえた事実が重要なのだ。ロジック……理屈はとうの昔に自分自身で解っているのだから。それでも言いようのない不安があるから、放出することでもがくというだけで。……一瞬の間の後、スマホの振動音が対面から聞こえる。
「……悪りィなファイン、オレのトレーナーからの呼び出しだ」
「ううん、いってらっしゃい」
そんな、そんな顔をしないでほしい。その程度のことで申し訳なさそうな顔をされると、却って意識してしまうじゃないか。手に入れようとはしてはいけないものまで、手に入れたくなってしまうじゃないか。私からキミを奪うその人を、憎むべき敵だと認定したくなってしまうじゃないか。
強欲に、傲慢に。かの女王が暴走した果てを思い出しながら、今の私は同じ場所へと突き進んでいる。
ああ、キミが欲しい。
※
「じょおうさまは、にくいにくいてきをころすため、たくさんのしかくをさしむけました」
シャカールとそのトレーナーを引き離したい。その欲求が明確に浮かび上がったの自体はついさっきのことだったかもしれない。きっとその気持ちの源泉を辿れば、純粋無垢でちっぽけで。
けれど一度そう思ってしまった以上、次に自分の中に浮かんだものは不純の極み。素敵な人、特別な人。それの中でも一番なのは、私であって欲しいということ。傲慢かつ強欲、そんなことはわかっているけれど。けれど、シャカールもそんな私を肯定したのだから。それをどんなに突き詰めても、貴女は私を貫けないはずなのだ。私を否定することは、出来ないはずなのだ。
「おはよう、ファイン」
「おはよう、トレーナー♪」
私のトレーナー。『ファインモーション』という存在を、普段よりもうちょっとわがままにさせてくれる人。私独りでは運命を越えられなくても、彼となら。そう思わせてくれる人。
「……で、何の用かな」
「流石。トレーナーは私の悩みも、なんでもお見通しかな〜?」
「流石にそこまでじゃないけど、訳ありなことくらいはわかるよ」
あの物語の女王様は、目的の為ならどんな刺客でも差し向けた。家族、親友。それすら成し遂げる非情さと、それでも叶えたい願いがあった。
「……トレーナーって、シャカールのトレーナーさんとお話できたりする──?」
なら私もそれに倣おう。きっとその女王様と私は、どこまで行っても似たもの同士だから。何も手に入れられない末路さえ、そっくりそのままだとしても。
※
「こんにちは、ファインがいつもお世話になってるみたいで」
「こちらこそ、シャカールはよくファインモーションさんの話をしていますよ」
無人のトレーナー室で、私はイヤホンを嵌めてその会話を聞く。今日は先日トレーナーにお願いした作戦の決行日だ。一つ、シャカールのトレーナーさんとトレーナーで、二人きりで話をしてもらうこと。一つ、その会話の内容をこっそり私に聞かせること。
気になっていることを端的に言えば、シャカールとそのトレーナーさんはどのような信頼関係を築いているのか。それを別に崩すつもりはないし、崩したくもない。ただ私がシャカールにとって一番特別なものになるためには、それを超える必要がある。そんな焦燥感がひたすらに全身を駆け巡っていた。結論が欲しくてたまらなかった。たとえどちらに転んだとしても、終わるのは私だけだというのに。
「それで、今日はどういったご用件で」
「ああ、大したことはないんです。ただファインがエアシャカールさんと仲良くしているようなので、その縁で俺たちも親睦を深められたらと」
……自分自身の独断で、という体裁を申し出てきたのはトレーナーからだ。私はそれに甘えてしまったのか、逆らえなかったのか。自分の力で決断できない王は、王たる器を持つのか。それすら今の私にはわからない。わかりたくさえないと、思っているような。
「じゃあ、何から話しましょうか。担当のアピール合戦でもします?」
……っと。少し考え込んでいたうちに、沈黙が破られていた。トレーナーは、私の思う通りに動いてくれる。女王様の仰せのままに、そういう立ち回りなのかもしれない。キミが手足となってくれるなら、愚かな女王も何かを成せるだろうか? それが、取り返しのつかない過ちだとしても。
「そうですねえ、シャカールはいい子ですよ……いえ、トレセン学園に通うウマ娘はみんなそうなんですけどね」
そこからシャカールのトレーナーさんが話し始めたのは、二人が契約を結ぶに至る話。二人だけの、思い出。多分、あるべき『ファインモーション』はその思い出に対してそんな感情を抱いてはいけないのだろう。底なしの強欲。それは浅ましくて醜くて、他者の思い出を汚してしまう最もおぞましいものだ。そんなこと、内心ですら許されない。
それなのに。私はそれなのに、そこに踏み入ろうとしている。それなのに、他人を操って世界を侵略しようとしている。それなのに、自分はまだ清純を気取ろうとしている。それなのに、もう。それなのに、どうしても。それなのに──。
「……エアシャカールさんのこと、お互いに大切に思ってらっしゃるんですね」
私のトレーナーの言葉で、我に返る。大切という言葉が、耳の中で響いたから。その声音から、微かに彼の想いを汲み取れたから。だから、その続きに聞き入れた。
「俺も同じ……ではないかもしれないですけど。ファインモーションという存在にとって、大切な人というのは数えきれないほどいます。エアシャカールさんたちトレセン学園のウマ娘。そしていつか帰るべき、アイルランドの人たちみんな。彼女にとって、俺はそのうちの一人です」
そこからの私は。トレーナーがする『ファインモーション』の話。シャカールとそのトレーナーさんの話とは、きっととても違うその話。その話に、聞き惚れていた。初めての話だった。
「でも、ちょっと心配なこともあったんです。こっちにいる間、彼女の指導者は俺です。けど俺は何か彼女に与えられるんだろうか、って。もちろんレースに関しては力になれたと思います。自分は彼女のトレーナーとして相応しい働きをした……でも」
「わかります。芯が強い子の担当って、こちらが教わることばかりで」
きっとトレーナーは、私がこの話を聞いていることを忘れてしまっている。だって。
……そんな話、普段は絶対しないから。
今日だってわがままでよくばりな私の言いつけを、当たり前のように受け入れている。この態度が当然だって、私にはその裏を見せようともしない。そんな自分の不安なんて、どこにもないふりをして。『ファインモーション』が当たり前のようにかけてしまっているであろう重圧と責任に、弱さを見せず振る舞うなんて。そう、キミだって。私の思い通りになってなんかいない。
「でも、最近いいことがあったんです。本人には良かったねなんてとても言えないんですが」
ダメだ。そんな話聞き逃すわけにはいかない。私には見せてくれない裏の話、そんなの誰のでも気になってしまう。私は、全てを思い通りにしたいから。ああ、でも。
「……実は彼女、あなたに嫉妬してるみたいなんです」
「私にですか!?」
嫉妬、かあ。そう一言で乙女心を説明してしまうのは、確かに正面から言われたら傷ついてしまうかもしれない。独り占めしたいとか、理想と思考が一致しないとか。王家の崇高な悩みなんかじゃなく、思春期のありがちな悩み、だなんて。
最早最初のお約束ごとなどそっちのけで、トレーナーは事の顛末を喋り始めた。シャカールを独り占めしたくて私がやきもきしていたこと、私がシャカールとそのトレーナーさんの仲を調べるようにお願いしてきたこと。……詳しく言ってないはずのことまで直接聞いたように喋るのだから、やっぱりトレーナーは私の悩みなんてお見通しだったんじゃないか。そんな素振り、やっぱり見せてくれてなかったくせに。
そしてそれを一通り聞いて、シャカールのトレーナーさんが一言。
「ああ、それは確かに良かったというか、安心してしまいますね」
酷い話もあったものだ。私についての赤裸々な話を聞いてすっかり意気投合している。とはいえ他人の口から私のやってきたことを具に語られると、自分自身も冷静にそれを見つめ直してしまうものがあり。そういう意味では、きっと聞いていてよかったのだろう。
「……ああ、まだちゃんと子供なんだなって。なんだか失礼な物言いですけどね」
……つまりは、そういうことで。きっと簡単。このうえなくシンプル。だからこそ、誰にでも起こりうること。
「あたくしのそばにいるおとこは、あたくしよりもすばらしくないといけない」
私そっくりの女王様は、本の中でそんなことを言っていたっけ。彼女は完璧だけれど、それすらも受け入れられる存在を求めた。誰かに甘えて、わがままを聞いて欲しかった。
彼女は求婚を断り続け、終ぞ本当の理解者を得ることはできなかったけど。
私にはいるじゃないか。普段よりもうちょっとわがままな『ファインモーション』を、存在させてくれる人が。
降って沸いた嫉妬の正体は、シャカールがトレーナーさんと築いている関係そのものへの羨望。あるいは単に、それをダシにしてキミにわがままを言いたかったか。あるいはその両方か、もっといろんなことが混じった言葉にできないもの。……いずれにせよ、ちょっと反省しなくては。私らしからぬ態度だったかも。反省から、私らしさそのものだって。きっと見つめ直すことができるだろう。
「多分、ファイン本人は後で今回のことを反省したり後悔したりすると思うんです……でも」
それもお見通しか。ずるい。
「でもそういうのは大人になる上で大事だし、タイミング的にも……あ」
「どうしました?」
「しまった。この会話ファインに筒抜けだった」
さらにずるい。今更気づくな〜。
「……と、こういうタイミングでしたので」
「なるほど」
その後二人は大事な部分を筆談か何かで済ませてしまうので、聞いてるこちらはもやもやが募るばかりだった。もやもやして、本当に居ても立っても居られなくて。先程までのもやもやとは、随分と彩りを変えたものだったけど。
「多分早く帰ってファインにお叱りを受けなければいけないので、これで……」
「なんだかこちらばかり話を聞かせてもらってしまいましたね」
「いえいえ、また会いましょう」
「はい、また」
……またの機会があるなら、今度はちゃんと内緒話させたいな。私も流石に恥ずかしいもの。まあ、でも。
今日は、聞けてよかったな。それはきっと、一つ目の贈り物だ。
※
「つーん」
「悪かったよ、ファイン」
「女王の命令だったんだよ〜?」
「命だけはご勘弁を」
「……なら、条件が二つ」
帰ってきたらとりあえず説教タイム。ちょっと御機嫌斜めなふうを装っていたら、すかさず謝られた。許すには一つじゃ足りないし、もしかしたら二つでも足りないかも。まあでも、情状酌量の余地はあるよね、うん。
「一つ」
「はい」
「さっきから後ろ手に持ってるものを大人しく出しなさい」
そう言うと、堪忍したようにトレーナーは一つの袋を開けた。そーっと、丁寧に。大切なものを扱うように。
「貢物とは殊勝な心掛けだねトレーナー、その心は」
「もちろん、誕生日ケーキ」
……日付くらい覚えていても、たとえ未来の結末に近づく一歩だとしても。
顔が綻んでしまうのは、仕方ない。だってそれは、大切な人が私をわかってくれているってことだから。
「誕生日おめでとう、ファイン」
「……チーズケーキでちょい減点だけど、ギリギリセーフ」
「あれ、チーズケーキ嫌いだった!?」
「そんなことないよ? でも今回は乙女の複雑な心とかアイルランドの由緒正しい伝説とか、諸々に引っかかるよ」
私のトレーナーともあろうものがまだまだアイルランド文化への造詣が浅いとは、由々しき事態である。多分チーズと女王様の取り合わせに反応するのは私くらいだけど。私のことなら尚更知って欲しいものである。全く遺憾だ。いかんいかん。
「そしてもう一つ」
「はい」
「こほん」
咳払いをして、一回転。さっと鼻先に顔を近づければ、キミはもう私の虜。
「これからも、ファインモーションをよろしくね?」
「……もちろん」
「嫉妬するし、お子様な時もあるけど」
「大歓迎だよ」
「よろしい」
また一つ、キミがわかった。これが多分、一番の贈り物。この先がどんな色でも。未来や運命に、何があろうとも。まだ見ぬ世界も、キミとなら。
ねえ、連れていって!
※
次の日になってまず思い立ったのは、シャカールになんと謝るべきか、そもそも何をどう説明するべきか。勝手に嫉妬してシャカールの大事なトレーナーさんにまで牙を剥こうとしたのだから、なんとかしなくちゃいけない。そう思って放課後シャカールを呼び出すと、なんと開口一番に述べられたのは謝罪だった。あのシャカールが。
「いや、悪い。呼び出した理由はわかる。マジで知らなかったんだ」
「むう。シャカールも私の考えがお見通しだったんだ」
つくづく私は幸せ者だ。誰一人として手放したくない。
「その、アレだ。……誕生日、おめでとう」
「……え?」
「いや昨日なのは分かってる! トレーナーから、正確にはオマエのトレーナーからの又聞きだけど聞いたんだよ」
「……ぷっ、あははっ!」
嬉しいのとおかしいので、堰を切ったように笑いが止まらない。シャカールって、そんなこと気にしてくれるんだあ。これも新しい発見。私の周りは、まだまだ知らないことでいっぱいだ。
「オレだって知り合いの誕生日をスルーするほど薄情じゃねェよ」
「知り合い? 友達でしょ、酷いなあシャカールは」
「……分かった。今日はオレに落ち度がある。今日一日はそれを認めてやるよ」
「ありがとう、シャカール! そうだそうだ、誕生日プレゼント代わりに今から付き合ってよ」
「……今日はな」
「これからも、だよ」
「フン」
その日一日中シャカールを連れ回して、また一日が終わる。誕生日の次の日は本来なんの記念日でもないけれど、記念日にしか特別な思い出を重ねられないわけじゃない。特別なことは少なくなきゃいけないなんて、誰も決めてなんかない。じゃあ私は、昨日も今日も、明日からも。そうして大切な人たちの思い出を、まだ知らない世界とすべてのキミを、何もかもを見つけたいんだ。
一日一日。一瞬一瞬。過ぎゆく時全部を抱きしめたいってわがままを、私は欲する。
だって私は、わがままでよくばりな女王様なのだから。