対峙する。何度も相見える。決闘のように、逢引きのように。夜にただ二人、人気のない道先で会うのが私たちの日課になっていた。姿を見せて、立ち止まって。君がまた明日と言う。それだけの関係。その先には至らない。永遠に至れないとしたら、それはまた退屈なはずなのに。私は今日もここに来ている。
ねえ、早く連れて行って。
「あっ……」
彼は私を目ざとく見つける。変装している私に気づく人間など一握りだ。女優のベールを外せば、私と言う存在は虚空に等しい。それなのに。
「こんばんは、カフェ」
「……こんばんは。毎日飽きませんね」
こうして僅かな会話を交わすようになるまで、それなりの日をかけた。本当によく飽きないものだ。私というつまらない存在に、君は何を見ているのだろう。
「……なあ」
「……では、さようなら」
それで終わり。いつものことだ。わざわざこの会話をするために、彼は何分待っていたのだろう。
「また明日」
「……はい」
そうして私は。何度向かうのだろう。
「明日も夜は空けておいて下さい。では」
マネージャーに何度目かの連絡をしてベッドに入る。灯りのない暗い闇の中に私はいて、それは本当に退屈な世界だ。私は誰も顧みないし、誰からも顧みられない。たとえば主役となる登場人物には、何かしらの深い人間関係が欠かせない。私にはそれがない。どれもがきっと薄っぺらくて、女優の仕事は私を物語を語るための道具として使うのみだ。
飢えるような感覚。明日が待ち遠しいと、自然に思ってしまう。ねえ、早く。時間が早く進んで欲しいと乞い願う。時間の流れは永遠ではなく、どこかにゴールがあるのだと。そんな、あり得ないモノを幻視する。……まずは眠ろう。眠れば、明日は来るのだから。
「ねえ、カフェさん。今夜お茶しませんか」
「……先約があるので。失礼します」
次の日、ルーティンと化した仕事を終える。社交辞令を切り払い、またいつもの場所へ一人で向かう。足早に、振り向くこともなく。君を迎えに私は征く。こつ、こつ。己の靴音だけが耳の中に残る。他は全て雑音で、あの空間での会話だけが価値を持つ。ねえ、早く。
「……おや」
その日、いくら待っても。君は来なかった。
マンハッタンカフェというウマ娘がいる。女優としても名高く、けれどプライベート等について多くを語らない。彼女は言う。私はただの鏡だと。物語を映しとる鏡。それ以外に価値はないと言わんばかりの口ぶりが、ひどく印象に残っていた。
「なあ」
俺の担当ウマ娘にならないか。その一言が言えない。彼女はやはり俺にとっては高嶺の花で、どうしても合わないと思ってしまう。けれど彼女に会い続けているのは、最初の会話があるから。
ねえ、早く連れて行って。
彼女は確か、そう独り言のように言っていた。祈るようなその言葉は、彼女に妙に噛み合っていた。もちろんマンハッタンカフェからすればただの演技の練習だったかもしれない。その真意はわからない。だけど、真意というのは得てして本人の与り知らぬところにあるものだ。自身にもわからない本当の気持ちが、どこかで顔を出すかもしれない。なんとなく彼女から目を離せずに、そんなことを思っていた。
「……っ」
その日、俺は熱を出し。望まずして彼女との約束を破った。
「昨日は連絡遅かったですね、どこに行っていたんですか?」
「……別に」
「……今日も夜、予定は入れてないですよ」
「……ありがとう」
「そろそろトレーナーさんが見つかるといいですけどね!」
マネージャーは私がトレーナー探しのために毎晩出歩いているのだと思っているらしい。とんだ勘違いだ、と思ったが。もしかしたら彼はトレーナーかもしれないのか。あの時の言葉。彼は、私の言葉に対してこう返した。
俺が君を連れていく。
ともすればスカウトのようにも聞こえる言葉だ。自分は彼のことを何も知らない。同じように、彼も私のことを何も知らない。それなのに、毎日のように会っていた。……昨日で、その連続記録は途切れたのだが。今日も私は行くのだろうか。今までは毎日約束をしていた。それがないのだから、会う理由もないのではないか。そうして永遠に、再び会うことはない。それでいいはずだ。
ぽつり。雨が降ってきて、ますます会える可能性は低くなる。君はまだ来ていない。まだ、来ていない。永遠ではないと信じる。だって、そうでなければ。退屈すぎるのだから。
傘を持っていなかったので、いつのまにかコートがずぶ濡れになっていた。これでは風邪をひいてしまうかも。それでも、待つ。待つことは渇くが如し。されど、渇くは求めるが故に。どうしても得られなかったものを、私はようやく得られるのだ。
「……はぁ、はぁ」
いくら待ったかは忘れてしまった。その姿を見てからの時間の方が、圧倒的に長く感じられた。自分でも自分の行動が理解できなかった。声のする方へ、獰猛な猟犬のように飛びかかる。抱き締めて、離さない。
「……ちょっ、カフェ……!」
「……ああ、よかった」
また会えた。それだけのことが、ひどく幸せ。
なんとなく、予感がした。俺と彼女は住む世界が違うと思っていたけれど。この予想が当たっていたら、案外俺たちは同じ思考を持てているのかもしれない。だから、もしまた会えるなら。今度はしっかり、伝えよう。
「……なあ、カフェ」
「……はい」
「……俺が、君を連れて行くよ」
「……はい」
「……俺の担当ウマ娘になってくれないか」
「……はい」
その返答はとても不器用で。スターダムにいる少女とは思えなかった。声の代わりに、身体を締め付ける力が強く強くなる。……柔らかいものが上半身に当たって、こそばゆい。でも離れてくれとは言えなかった。今度こそ、離してはいけない気がしたから。
「……それでは、マネージャーに連絡いたしますので。今日からよろしくお願いします……トレーナーさん?」
力を一気に抜いて解放した後、事もなげに彼女は言う。返答は一つだ。
「よろしく、マンハッタンカフェ」
契約は成立した。楽園への道筋は、遂に方角を定める。黒い光条が今、飛び立つ。