「そういえば、カフェはどれくらいの数服を持っているんだ?」
「……服、ですか?」
「ああいや、女優はやっぱりたくさん持ってるのかなって、なんとなく」
そう聞くと、彼女は少し笑みを浮かべて。
「……見に、来ますか?」
乗り気にさせたからには、断るわけにはいかない。
「……服はだいたい部屋一個に収まる程度です。ドラマで着る衣装は借り物ですし、私自身が持っているのはこれくらいで。大した数ではありませんね……ですが」
十分多いと思ったが、カフェは言葉を続ける。
「服装には理由があります。別の服を着れば別人になるというのは比喩ではありません。私たちは服と共に、ペルソナを付け替えるのです……勝負服もそう、ですね」
そう言って、一つ服を手に取る。
「例えばこの服。愛らしい少女が着るべきもので、普段の私には合いません」
確かにその明るい色は、彼女のイメージとは違っている。
「……でも」
その服を手前に持って、彼女がくるりと一回転する。顔を伏せ、また持ち上げる。
起き上がった顔に浮かんでいたのは、満面の笑み。不意を突かれてどきりとしてしまう。
「……と、このように。服を変えれば気分は変わり、人は変わります。……今のは変えすぎですが」
「……さすがだな」
「私はただの鏡。普段が無色で無感情故に、これを天職としているだけです」
「……うーん、そうかなあ」
「カフェは結構感情あると思うけどな。……ほら、今ちょっと笑った」
かぷり。返答の代わりに、首元に甘い痺れが走る。
「……んっ。もう」
「そんなことを言ってくれるのは、トレーナーさんだけですね」
「……む」
ある日のこと。トレーナー室にやってきたカフェは少しご機嫌斜めのようだった。
「……どうしたんだ?」
「……いえ、メールが五月蝿くて。知っていますか? ──、という方なのですが」
その名前を聞いて驚く。
「知ってるも何も、最近売り出し中の人気俳優じゃないか。その人がどうしたんだ?」
「……社交辞令だと思って連絡先を伝えたのですが。何度も何度も暇な日を聞いてきます。この方は暇なのでしょうか?」
ああ、それは。芸能界ともなればそういうこともあるだろう。カフェはピンときていないのだろうか。
「多分あれだ。口説こうとしてるんだよ。俺も男だからわかるぞ、カフェは美人だからな」
「……私をですか」
その表情はなんだか感情が入り混じっていて、少し奇妙に歪んでいた。
「そうそう、まあ人付き合いだからな。断るにしても穏便に……」
「興味はない、さようなら、と」
遅かった。
「ちょっとカフェ、それは流石に身も蓋もなさすぎないか……?」
「もう送信してしまいましたし。それに」
少し向き直って。
「私にはトレーナーさんがいるじゃないですか」
「それは少し語弊があるような」
「私が美人だと、俺も男だからわかると。言いましたよね」
「まあ」
「言いましたよね?」
今日のカフェは先程までのメールで苛立っているのだろうか。語気が強い。
「そうだな……もちろんだ。でも俺は君のトレーナーだ。だから、男である以前にわかることがあるぞ。君の魅力はそんなもんじゃないとも。君のひたむきさ、ストイックさ。俺は知ってる。それに意外と寂しがり屋だ。そこだって可愛い、素敵なところだと思う。だから」
誰かいい人が見つかるといいな、と言う前に。
幾度目かの古傷に噛み跡をつけられ、言葉は遮られた。
今日は雨が降っていて、トレーニングはお流れだ。トレーナー室でカフェと二人で雨宿りをしている。彼女はずっと外を見ていて動かない。コーヒーを啜る音と雨音が部屋で混じり合う。
「何を見てるんだ?」
「もちろん、雨ですよ」
振り向かずに彼女は答える。そんなに気に入ったのだろうか。
「……ああ、動かないでください」
「……なんで?」
「なんでもです」
窓の外を見ているのに俺が移動するのがわかったのか。不思議だなと思いつつも、問い詰めるような内容ではない。
「……ふわぁ」
「……くすっ」
すっかり気を抜いて欠伸をしていると、カフェが笑うのが聞こえた。そんなに外の雨は面白いのだろうか?
窓に映る君の姿。まるで四角い箱に閉じ込めたようで、すこしぞくぞくする。普段の君は私の前では油断してくれない。だから、もう少し。雨が続くといいな。
「ねえ、前から気になっていたのだけど」
「どうした、タキオン」
カフェの指導について、タキオンと会話をしていた時。藪から棒にタキオンが問う。
「キミ、カフェについてどう思ってるんだい? いやあんまり私もトレーナーとウマ娘の関係について詳しいわけではないけど、君たちの距離感が正直よく分からなくてね……」
「ああ、それなら」
それなら答えは簡単だ。
「俺は彼女と約束したんだよ。彼女を、連れて行く」
だから、例えるなら。
「そうだな……俺はカフェが羽ばたくための翼の一部になれたらいいと思ってる」
付かず離れず、己の身体のように扱って欲しい。
「俺の意思はいらない。彼女が思うように動くために、俺はいる」
「……なるほどねえ」
飛び立つための翼。それは白だとすれば、彼女の黒とは普通なら決して相容れない。でも。俺がその継ぎ接ぎを担えば。彼女に翼を与えられる。
「……身体の一部、か。それで満足なのかな」
「ああ、もちろん」
「ふゥん……果たしてそのスタンスはどうなるのか……興味深いと言っては少し失礼かな」
「だから、そのためならなんでもするさ」
彼女が目指す楽園へは、まだまだ程遠いのだから。
「まあ私としても協力は惜しまないとも。カフェは優秀だ。そして君も、優秀だと思っている」
「俺はカフェのためにいる唯一のトレーナーだ。俺に優秀なところがあるとしたらそれだけで、あとはへっぽこの半人前だよ」
「……なるほど。……私も久しぶりにモルモット君の様子でも見に行くかな……。じゃあね」
そう言って、アグネスタキオンは部屋から出ていった。
「トレーナーと担当ウマ娘の関係、か」
元はといえば、俺とマンハッタンカフェは全く別の世界の人間だ。少し前まで俺はトレーナーですらなかったし、彼女は芸能界で輝くスターだった。それが何の因果か、こうして契約を結んでいる。途方もない存在である彼女に対して、俺ができることは何か。それを考えて、考え尽くして。きっといつか、彼女を楽園へと連れて行く。そして、辿り着ければ。
役目を失った羽根は焼け落ち、朽ち果てても構わない。