ただ黒い夜。私はコーヒーを一杯飲み下す。一杯、また一杯。勘違いしないで欲しいのだが、コーヒーを飲んでいるから眠れないのではなく、眠れないからコーヒーを飲んでいる。
今日も蒸し暑い。外は雨が降っていて、せっかくの星も見えはしない。眠れない夜ほど退屈なものはないのに、僅かな星見の楽しみさえ奪われてしまっている。
すこし、少し考えて。私はぽつりと独り言を発する。
「……外を歩いてみましょうか」
雨の中を歩むそれは、或いは狂人の歩みに近い。それならば上等だ。何もなくてつまらないなら、芝居の糧にでもしてやればいい。
真黒の傘を刺し、真黒の私は真黒の空へと歩みを進める。木々は影しか見えなくて、黒に塗り潰されているかのように錯覚する。
ぽつ、ぽつ。雨音は少しまばらだったが、決して無視できない程度。傘を持ってきていたのは正解だろう。そうして、夜の道を歩み出す。
私の別荘はトレセン学園とは離れたところにあって、当然門限などもこちらにはない。最近は寮で過ごすことが多かったので夜に出歩くのは久しぶりだ。
いつぶりだったか──逡巡し、思い当たる。
ねえ、早く連れて行って。
あの時。
まだトレーナーになっていないトレーナーさんが来るのを一晩待ったあの日。そうだ、と思い当たる。あれから少し月日は流れた。私たちの関係は順調に堅く強いものになった……とはとても言えない。私の罪。君を愛する傲慢の大罪。それは時間が経つごとに、根深く太くなっていく。
雨の中、ふと傘を閉じてみる。冷たい水滴はそう、あの日のようで。
あの、二人の契約が始まった日のようで。傘も差さずに抱きついて、どうしようもないくらいに言語化できない感情を溢れさせた。あの日確かに見えたなにかが、私たちを引っ張っているのか、それとも。縛っているのか。
答えはまだ、見つからない。楽園に行かなければ、全ての正答はわからない。
私の中には心が二つ。それは一つに混ざりながら分かたれている。
君と共に楽園へ。使命感か、私の本質か。羽ばたく天使の如く、私に翼は生えているのか。それとも。
君と共に奈落の底へ。諦観か、私の願望か。囁く悪魔の如く、私は君を永遠に縛ろうとしているのか。
ここで走るのをやめて仕舞えば。私はきっと、永遠に君と。でも。永遠は退屈で、もしかしたら君にすら飽きてしまうのかもしれない。己の飢えが、君すら無価値と断じてしまうのかもしれない。それも怖い。なにもかも、怖い。
私は、私は。君と離れたくないから走るというのなら。そこに楽園の実在性は必要なのか?
或いは、君と離れたくないという感情自体に過ちがあるのか? 優先すべき信仰は一つのみで、残りの異端は廃するべきか?
私は、私は。
虚数空間に浮かぶ虹を幻視して、私の旅路はひとまず終わった。
血に飢えた猟犬には、己の血すら通っていなかった。信ずる人と心を通わせ、通った心を喰らい燃やして。漸く一人の生きたいのちへと変わっていった。そうでなくては生きていけない、無機質で無感動な無色の少女。
今、迷う。それは彼女の心の存在証明。願いは理想を目指すものか、欲望を目指すものか。
失楽園の漆黒は、闇の空に虹光を視る。