「マスター。夢を見ました」
今朝。ミホノブルボンが唐突に、そう話しかけてきた。
彼女がそんな話をするなんて、珍しい。
「いい夢だったの?」
聞いてみる。
「……記録メモリには、何も残っていません。何も、殆ど。覚えていません。
ただ。マスターが出てきたことは、覚えています。
そして、多幸感を得た記憶もあります。ですから感謝を。……プロセスは遂行されました。退出します」
「待って、ブルボン」
呼び止める。問題があったわけじゃない。ただ、彼女の見た夢について。
……自分が出てきた、というのが少し気になった。そしてそれが彼女にとって、幸せだったと。
有り体に言えば。このまま帰られると恥ずかしい。なんだかこちらだけ、幸せな勘違いをしてしまっている気がする。
「あー、そうだ。夢に私が出てきた。それは間違いない?」
「はい。それだけは、強く覚えています」
「そして、夢を見て幸せな気分になった。それも間違いない」
「はい。感覚は既に失われていますが。そういう記憶は残っています」
「……じゃあ、私が出てきたから幸せになった……とは限らない。忘れてる夢の内容が、幸せだったのかも」
何を説き伏せているのかわからない。ただ、自分がブルボンの夢に出てきたというのが恥ずかしい。
「……その可能性は否定できません。ですが」
ブルボンの薄い表情が、少し寂しそうに変わる。
ああ、そんなつもりじゃないのに。
なんと言い訳しよう。
「ああ、私が言いたいのはね、ブルボン。
その忘れてる幸せな夢を思い出せたら、貴女にとって素敵じゃないかなーって」
そうだ、その通り。
「了解しました、マスター。ですが。一度ロストした記録を思い出すことは困難かと」
それはその通りだ。何か方法はないものか。
「あー、もう一回寝てみるとか」
「オペレーション:眠気取得を実行。1.2.3.失敗です、マスター……」
「あはは、そりゃそうだよ、ブルボン。まずよく眠るための準備をしなきゃ」
「準備、とは一体」
「そうだね、うん。今日はトレーニングもお休みの日だし、気持ちよく昼寝するには……」
一つ案が浮かんだ。これだ。
「……一緒にお風呂入ろっか、ブルボン」
「マスター。ここは機械ばかりで、私には向いてないのでは……」
「大丈夫大丈夫!」
そう言って、手を引く。
ブルボンを連れ立って、近くのスーパー銭湯へやってきた。
周りの視線はまあそれなりに。"三冠ウマ娘"のブルボンは有名人だ。
でも、有名人だって出かける権利がある。ウマ娘だって年頃の女の子なんだからと、私は思う。
「さあ、こっちこっち! お風呂で血行を良くしたら、身体があったまってよく眠れるんだから!」
コインロッカーから何まで機械だらけのスーパー銭湯で、未知の光景に目を白黒させているブルボン。
その手を取って、リードして。服を脱いで、湯船へと向かう。
ミホノブルボンの身体を洗う。別にそこまでする必要はないけど、それが不審に思われている様子はない。
素晴らしく均整の取れた身体。しかし傷の痕はなく。彼女のトレーニングの成果と、恐れ多くも私の管理能力。その真髄が、彼女の肢体には詰まっていた。
「……マスター。すこし、くすぐったい感覚があります」
「ごめんごめん、ブルボン。優しく洗わなきゃと思うと、手が震えちゃって」
「……優しくしていただきありがとうございます、マスター」
律儀にお礼を言われる。すこし、にやけてしまった。
でも、見えていないから問題ない。
じゃばー。お湯を背中からかけて、彼女の身体を洗い終える。
……これ以上触れるのは、蛮勇だ。
「さ、背中はこれで綺麗になったよ。あとは自分で─」
「お待ちください、マスター」
へ?
「私はマスターに背中を洗っていただき、"幸せ"でした。
ならば。マスターの背中を洗えば、マスターを幸せにできると考えます」
ぐい。確かに掴まれて、逃れる術はなかった。
そういえば、幸せな夢を思い出すために銭湯に来たんだっけ。
「……ありがとう、ブルボン」
ブルボンの背中に比べたら、私の背中は貧相だ。それを見せるのすら、恥ずかしい。
「マスターの背中は、問題ないと思いますが」
「……声に出てた?」
「マスターの口から言葉が出ていたという意味なら、はい」
恥ずかしい。耳まで真っ赤になる。
私には、もったいない言葉だ。
肉体美を褒められるべきは、ウマ娘の役割で。
"私は、ウマ娘にはなれなかった"。
憧れた。遠い、遠い過去の夢。彼女達には耳が生えていることに気づかなかった。自分には尾が生えていないことに気づかなかった。
確かに見たその夢は、今も私を導いていて。縛っていて。
トレーナーという仕事にまで就かせた。
そしてミホノブルボンに出会い、彼女の夢を支えた。
夢。今は彼女が、私の夢だ。
それを見続けている限り、私は幸せだ。
ああ、そうか。だから恥ずかしかったんだ。私が貴女を見ていて、貴女も私を見ていたら。
それは、まるで。
「……ありがとう、ブルボン。あとは自分で洗うよ。ブルボンも自分の身体を洗っておいで」
そう言って、離れる。
いつかは、離れるのだから。
**
「いい湯だね」
「はい、マスター」
「上がったら、眠れそう?」
「……体温の上昇を感知。意識にも眠気が混濁しています」
「それはよかった」
ざぱん。
「……そろそろ上がろうか」
「はい、マスター」
そうして、湯船から上がって、浴衣に着替えて。
……ブルボンがうっかり触ったコインロッカーが、故障してしまったのは割愛しよう。
「……マスター。ねむ、けが」
休憩室。私とブルボンは、折り重なってうつらうつら。
「……うんうん、よーく眠りー……」
予定通り、ばっちり眠くなった。私も含めて。
視界が閉じられ。ゆっくりと互いに互いを沈め。
眠っていく。2人とも。
白い世界。意識が白に染まって、私は夢の中にいることに気づく。
ああ、なんて。素晴らしい。
気づく。夢を見るだけで、私は幸せなのだ。
それはどんな夢でも変わらない。私がかつて見た夢も。私が彼女に見た夢も。眠る私が見る夢も。
その側には、この世界は。ウマ娘がいつも、夢を見せてくれるから。
ごとん。頭を打って、強制的に目が覚める。……おかげさまで、夢の内容を忘れずに起きれた。
ブルボンを見ると、まだすやすやと。小さく寝言が、聞こえた。
「……マス……ター……」
ふふっ。ほんとに私の夢を見てる。彼女は私のことを、どう思っているのだろう。マスター。その言葉に、どれほどの親愛を込めてくれているのだろう。
「ねえ、ブルボン。こっそり教えてあげるけど。
私は貴女の夢を見れて、幸せだったよ。
頑張り屋さんなところも、ちょっと天然なところも。大好き」
そう、今のうちに吐き出しておく。返事の代わりに寝息が返ってくる。
最初の三年間を乗り越えて。これから先、ミホノブルボンはきっと走り続ける。
……そしていつかは。引退して、家庭を持って。彼女は優しい子だ。きっとみんなに愛される。私がいなくなっても。
「おはようございます、マスター」
ぱちっ。ブルボンは目を覚ますと、すらすらと挨拶を述べた。
「……夢の内容は、覚えていません……。失敗です、マスター……」
そう申し訳なさそうに述べるブルボンに向けて、違うよ、と首を横に振る。
「貴女の夢は、私が見てあげるから」
「それは、どういう」
自分でも言語化できないけど。ミホノブルボンというウマ娘のことを、私はよく知っている。それなら、当たり前のことだったのだ。
「だから、大丈夫だってこと!」
なんとなく、根拠はない。だけど当たり前。
「……はい、マスター」
彼女はいつも私を信じてくれていた。理屈がなくても、心が戸惑っても、いつも。
なら、これからも。
貴女の競争生命の最後まで。
「よし、帰ろうか」
そしてその終りの時。貴女がもう、1人で立てるようになった時。
私の愛は、鉄の如く燃え尽きる。