ウマ娘の某所に載せた短編集   作:春華ゆが

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です


初期設定のマンハッタンカフェとパリ最後の日

 一つ、やはり夢を見て。わかりきった内容なのに、何度目覚めても忘れられない。マンハッタンカフェという存在は、凱旋門賞で敗北する。架空の記憶に過ぎないそれは、パリにやって来てから更に現実に近づいた気がする。

 1週間の滞在はあっという間。こちらの馬場にもある程度慣れて、体調も悪くない。何もかもが順調なはずだ。だから、私の心臓に起こる迷いはきっと誤りで。

 凱旋門賞を明日に控え、今日は一人での休息の日。だけど、君に会いたい。君と会えば心臓の迷いは取り払える気がする。君と会えばまだ進める気がする。君となら、楽園へ。運命の先へ。

 そう、想うだけ。そうやって断頭台へ連れられるのをただ待つだけだった私を、誰かがどこか別のところへ連れて行ってくれるとしたら。その誰かは、君しかいないのだろう。

 

「……もしもし、トレーナーさん。寂しくなりましたか? ……冗談ですよ、おはようございます」

 

 トレーナーさんからのモーニングコール。トレーナーさんから言い出してくれたことだけど、私が密かに望んでいたことだ。君は私のことを日に日に理解してくれている気がする。思い遣ってくれている気がする。

 

「明日に向けて、今日はお休みの日ですから。……え? ……ええ、もちろん」

 

 リラックスできているか。そんな質問に、当然だと返す。嘘を吐く。君の声を聞くまで、不安ではち切れそうだった。君の声を聞いてから、疼きが止まらない。

 

「……えっと。……おっと、いえ。トレーナーさんから、どうぞ。……はい、はい。エッフェル塔に9時……? それって」

 

 それって。逢引きという言葉が口を突いて出そうになる。だって、今日はトレーニングではない。リフレッシュのためのお出かけの日でもない。本当の、休息の日。かけがえのない休息を、誰かと過ごすなら。

 

「いえ、なんでもありません。……もちろん行きます。部屋に居たって何にもならないというのは同感ですから。……では」

 

 電話を切る。素っ気なすぎただろうか。君からのデートの誘いだというのに。わからない。私が愛しているほどに君が愛してくれる保証はどこにもない。何度も演じた愛の告白は、その時になって私の口から飛び出していけるだろうか。わからない。

 わからないけど、わからないからこそ。私は君を追い求めよう。

 寝間着を脱いで、装いを吟味して。まるで少女のように、私の心臓は高鳴る。否、今はきっと本当に少女なのだ。運命に縛られた哀れな道化ではなくなるのだ。

 たとえ、明日私の競争生命が終わるとしても。明日までは、私は生きていられるのだ。

 さあ、行こう。

 

 

 冷たい朝。……急に呼び出して、よくなかっただろうか。待ち合わせの時間が近づいて、俺の不安はどんどん大きくなる。

 

「……まったく」

 

 しっかりしなければ。これくらいの不安、マンハッタンカフェは何度も何度も経験してきただろう。撮影を目の前にして、レースを目の前にして。俺には見えないものを見ていただろう。

 ならば、それを和らげること。それだけが、俺に可能なことなのだ。

 今日の待ち合わせは、トレーナーとしては越権行為に近い。アンタッチャブルな担当ウマ娘のオフの日を、レースの前振りとして使ってしまっている。それだけなら到底許されない。

 けれど、一人の人間として。彼女に夢を見る存在として。力になろうとするならば、許されるのではないだろうか。

 無論、許されなくても構わない。それが彼女のためになるのなら、俺は喜んで劫火に身を投げよう。

 そして、時間は進み。

 遠くに、彼女の姿を見た。

 

「……トレーナーさん、お待たせしました」

 

 薄い桃色のセーターに、黒いロングスカート。落ち着いた格好のマンハッタンカフェが、此方に向かって駆けてきた。

 

「おお、おはようカフェ」

 

 しゃなり。彼女は薄く笑う。レース場の彼女は煮えたぎるほどの黒を背負っているのに、今の彼女は柔和な雰囲気を漂わせている。演技ではなく、本当に安らいでいるのだと思う。

 

「……エッフェル塔で、と言われて。それだけではどこで待ち合わせるのかわかりませんでした」

「ああ、それはごめん!」

「……もう、それくらいで怒りませんよ」

 

 パリの街を周るコースは考えたのだが、実際に見てみると全く勝手が違う。

 今自分たちの横に聳え立つエッフェル塔は、とてもとても高く大きくて。これを人が作ったなんて信じられない。

 

「……こうして見ると、さながらバベルの塔ですね」

「……バベルの塔?」

「そうです」

 

 バベルの塔。聖書に出てくる大きな塔……だったか。それ以上の知識がなくピンと来ていない俺を察したのか、カフェは説明を始める。

 

「かつて人は皆、一つの言語で繋がっていました。団結し、協力する。それができていました。そうして大勢の人達が一緒になって造り上げた塔の名前が……バベルの塔」

 

 あくまで宗教上の伝説ですがね、と彼女は付け足す。

 

「この塔の目的は、神のいる場所まで到達することだったのですが……それに神は怒りました。神の怒りで全ての人は言語を分たれ、塔は未完成のまま。……傲慢なお話ですよね」

 

 傲慢。おそらくこれは、人が神へと到達しようとする傲慢を罰する説話なのだろうが。

 

「なるほど、確かに傲慢な神様だな」

「ご名答。我々は信徒ではないですからね」

 

 神の傲慢。全てを掌に乗せようとすること。運命に逆らうことを許さないこと。その傲慢に対する怒りを、確かにマンハッタンカフェから感じ取った。

 

「……大丈夫。俺も君と同じ気持ちだ」

「……ありがとうございます」

 

 カフェが何処へと行くのか。何を射抜くのか。それがどのような大それたことであっても、俺の役目は彼女をその先へ連れて行くことなのだから。

 

「……さあ、じゃあ行こうか。意外と時間はないんだ」

 

 そう言うと、彼女は無言で此方へ手を伸ばす。……甘え上手になったものだ。

 

「……よし、行こう」

 

 手を取って、ゆっくりと。パリの10月は寒い。温まりながら行くことは間違いじゃない。

 

 

 

「ここが、ノートルダム大聖堂だ」

「……写真で見たことはありますが、やはり肉眼では違いますね」

 

 小一時間歩いて、最初の目的地であるノートルダム大聖堂に着く。煌びやかなバロック建築に、カフェは目をキラキラさせている。

 

「曰く、この建物は様々の苦難に遭ったそうです。芸術品である以前に、政治的、宗教的立ち位置も持っていた。それ故にここまで偉大な建造物となったはずですが、それ故に何度も破壊と略奪に見舞われた」

「……よく知ってるな、カフェは」

「パリに来るのが楽しみで、沢山調べていました。……冗談ですよ」

 

 くすりと笑い、彼女は話を続ける。ステンドグラスの下を歩く少女は、その舞台と一体化したようだった。

 

「……それでも、立ち直る。何度壊れても、焼かれても。もしこの大聖堂が現代において再び大規模な破壊に遭ったとしても、きっと立ち直るのでしょう……真の強さとは、そういうことかもしれませんね」

「……君は、そうじゃないのかな」

 

 なんとなく、羨むような口調。けれど俺は、目の前の彼女にだって立ち直る強さがあると思う。あの超光速の名を持つウマ娘が、立ち直らんとしているように。

 

「……私は立ち直れたと思いますか? 弥生賞の時から、ずっと闇の底に沈んでいると。そうは思いませんか?」

 

 失楽。彼女の強さが飢えと渇望にあるのだとしたら、ずっと足りないものを求めて苦しんでいるというのは間違いではないかもしれない。

 けれど。

 

「君は、間違いなく成長してるよ。俺が保証する。……俺じゃ足りないかもしれないけど」

 

 俺の全身を懸けて、君の存在を保証する。闇に沈むというのなら、そこから這い上がるための踏み台となろう。

 

「……いいえ。トレーナーさんが言うなら間違いないのでしょう。私自身よりも、私を一番見ている人なのですから」

 

 厳かな雰囲気の下、二人の繋がりを確かめ合う。相手が沈むなら、代わりに己が沈む。そういう繋がり。

 まだ、二人の時間は終わらない。永遠ではないとしても、今は時間を忘れよう。

 失楽園の漆黒は、闇と光を溶かし合わせる。

 

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