2話
26歳男性、会社員。
スーツを来て、会社に行って、帰って来て一人で夕飯を作って、アニメでも見ながら食べて、風呂に入って、寝る。
そんな生活を続けていた男は、自他共に認める平凡な会社員だった。
中肉中背、見てくれは悪くないと自分では思うが、決して良いとは思っていない。年収は大凡320万円、就職した会社は中小企業で稼ぎは特別良くはないが、友人の話を聞く限り薄給でも残業の無い今の会社に満足していた。
いつもの如く用意出来た夕食を前に何を見ようかなとネットを眺めていると、あるひとつの動画が目に止まった。
『小森こずえTSガチ勢発覚動画』
何の気なしに再生してみると、画面に映っているのはセーラー服の少女が、講義をするかのように指揮棒で黒板を指している様子であった。
あぁ、これが最近話題になり始めたVtuberというものか。ランキングに上がって来ているのは知っていたけれど、ちゃんと見た事が無かったなぁ、などと考える。
それにしても3Dモデルの出来が良い。白衣に黒髪、そして白衣の下は黒いセーラー服だろうか、カラーに巻かれた赤いリボンがアクセントとなっている。学生時代物理演算などの授業を受けた経験もありつい厳しめに見てしまうが、肩口ほどまであるだろう髪の毛が3Dの表現上破綻せずに靡いているのは大したものだと思う。
『ばびにく……? バーチャル、美少女、受肉。……なるほど。略してバ美肉と呼んでいるのですね』
そして何より、声が良かった。
どこか機械然としていて、若いアニメキャラのように高くないニュースキャスターのような声。
『トランスセクシャル願望のある男性が、バーチャルの世界に女性の体を持って降り立ち、女性になりたいとまでは行かなくても、可愛くなった自分を見て貰いたいと思う。どう思うか、と言われましても、同じバーチャルの世界に住まう者としては仲間が増えるというのは喜ばしい事だと思います』
顎に手を添えて少し考える素振りを見せると、授業の途中で脱線して申し訳御座いませんが、と黒板消しで書いてあった文字をタッチする事で黒板の状態をリセットさせた。
流石にそこまでリアルにはしてないんだなぁ、なんて考えながらスラスラと言葉が出てくる様子に男は感心していた。どうやらこの動画では授業、という形式で行っていた生放送中に起きた事柄を抜き出しているようだが、自分が他社への説明をする時なんかは予定外の質問が来るとあたふたしてしまう事を考えると、やっぱりランキングに載ってくるだけ喋りが上手いのだろうと思う。
『転生して生まれ変われば良い? なるほど、それが流行りであると』
まず軽々しく生き死にの事を口にするのはあまり好ましくありませんが、と前置きをして、白衣の少女は黒板に指を走らせた。
『これはあくまでも私の意見ではありますが、皆様の言うTS転生というものはあまりTSというジャンルと同じものだと捉えたくはありません。……ここまで言った事によりお察しの方がいらっしゃるかもしれませんが、私はトランスセクシャルというジャンルを好んでおります』
『いえ、昨年公開されたあの映画は拝見しましたが、トランスセクシャルもの、というよりは入れ替わりものという認識でいます。何が違うのか、ですか。言語化するのが難しいですね。恐らく元々あった器に意識が入るという事より、変わってしまった、又は変わっていく自らの身体に戸惑いを覚える姿に興味を惹かれているのかもしれません。結局同じではないか、という意見もありましたが……』
『無垢なものが可愛い、というコメントが見受けられました。段々畑様のご意見ですね、大変興味深いです。慣れない女性の体に振り回され、苦悩する姿というのが成長期を一気に経験させているというご意見もありますね。これは真面目に考える、というよりも個人の趣向によるものがあるとは思いますが……』
よくもまぁスラスラと言葉が出てくるものである。コメントが読まれたハンドルネーム段々畑くんなぞ、名前が呼ばれたと文字列でも分かるぐらい舞い上がって喜んでいる。
時折早送りの編集が挟まれながら、ノーカットなら40分近く喋りっぱなしであったと注釈で出た後。
『……失礼致しました。本来の授業を放り出してお話をしてしまいましたね』
そう言ってはにかんだ笑みを浮かべたその姿を、とても可愛いと男は思った。
何より3Dを動かす、という事はえらく大変だというのに随分破綻もなく動いている事に驚いていた。
それこそ大手のゲームなんかには負けるが、興味を持った際にフリーソフトで自分もやってみようとダウンロードした結果2日で投げた経験のある男はいたく感心して、ちょっと調べて見ようかなと興味を持っていた。
「……あぁ、飯冷めちゃった」
つい溢れた独り言により手を止めて動画を見ていた事に気付く。
都合良く『初心者向け小森こずえ切り抜き動画』がリンクにあったので、改めて夕食を取りつつ再生ボタンを押すのであった。
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24歳男性、フリーター。
ハンドルネームは段々畑。
彼は大学卒業時の就職活動に真面目に取り組まず失敗をして、現在アルバイトで日々の戸口を凌いでいた。
「お疲れ様です」
「お疲れですー。来月のシフト印刷したんだけど持って帰ってね」
「あーもう貰ってます。じゃぁお先しますー」
そんな彼にも楽しみがある。
『今週もこの時間がやって参りました! ワタクシ桂木ギャラ子がお送りする報道番組! Vtuber最前前前線!』
『いや、この企画不定期開催でしょ。それにどこが報道番組……? って動画のコメントに書かれるよ』
『いきなり厳しい事言わないでよ……』
『感情の浮き沈み激し過ぎで引く。……えー、という訳でいつものようにゲストとして招かれてしまった私芥川マルミです』
『えーこの動画は今をときめくVtuberの方々へのインタビューを敢行する動画です』
『急に真面目になるな』
『ちなみに動画の頭マルミちゃんが噛みまくってこのくだり3回目です』
『言うな!!』
彼はオタクであった。
『……という訳で今回事務所の圧力で無理矢理コラボしてもらった被害者はコチラの方です!』
Vtuberオタクだった。
『リスナーの皆様、おはようございます。小森こずえと申します』
とりわけ彼は、小森こずえが大好きであった。
彼女の動画を切り抜いて色んな人に知ってもらおうと動画を投稿したり、SNS上での布教活動を細々と行なっていた。
『――ってココ切り抜きポイントですよ! こずえちゃん可愛い!』
『ありがとうございます。そうですね、私もいつも切り抜き動画を作って頂けているのは嬉しいです。特に面倒なガイドラインを設定したのにちゃんと守って頂いていて……』
心臓が高鳴る。
『段々畑さん、いつもありがとうございます』
この時、彼の好意は恋へと変わった。