かなり匂いフェチをこじらせている、うちのヨハネさんのお話。
(あくまで「うちの」だからね!)
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「今日お天気いいから洗濯したいんだけど、私の部屋にある洗濯物の回収頼んでもいーい?」
そんなことを言われて、ボクは寝汚い布団が残ったままの、彼女の寝室を見渡す。
そのへんに脱ぎっぱなしになっている、彼女のパジャマとズボン。いつも畳みもしないでぐちゃぐちゃのくせに、置く場所だけは布団か衣装だんすの上、ときっちり決まっていて、見つけるのにそんなに苦労はしない。
他にも何日か着回した服がなかったか、ハンガーラックを確認していたボクはふと、足元に落ちていた腹巻に気が付く。
「あ。折角だしそれも洗っちゃおうか。あんまり汗で汚れてるわけでもないから、ついつい忘れちゃうんだけどさ。そろそろ洗った方がいいよね~」
廊下の先にある洗濯機の前から、ひょい、と顔を覗かせたメロが、また台所のタオルや旦那のバスタオルを回収しに、ばたばたと戻っていくのを追って、ボクは視線を落とす。
何も変わったところがない、二重にされた綿の白い腹巻。
夏の間、薄着で体を壊しやすいメロが寝る前に必ず使っていて、シャツ越しに、時には直接、彼女の素肌に触れていたもの。
(……そんなに臭わないでしょ)
きょろ、と周囲を見渡し、誰もいないのを確認してから、そっと腹巻を鼻に当てる。
布に包まれる柔らかな感触と同時に、彼女の匂いがした。汗臭いとか、そういうのとはまた別の、なんとなく染み渡って安心するような、彼女自身の匂い。長期に渡って着ていたものだからか、普段着よりももっと、蓄積された何とも言えない香りがする。
(って、これじゃ変態みたいじゃないか)
慌てて放り投げたくなったけど、他の洗濯物はためらいなく洗濯機に放り込む右腕は、僕の意志に反して動いてくれない。
しばらくその前にいたボクは、タオルやワイシャツを抱えて戻って来た彼女に道を空けるフリをしながら、こっそり手の中の腹巻を後ろ手に隠してしまった。
(……どうしよう)
誰もいない寝室に引っ込んで、ボクは考える。
入れ忘れた、って言えば怒られないかもしれないけど、そう何度も通用する手じゃない。
何より、理由を絶対に知られたくない。
もうちょっとだけ。あと少し、手元に置いてから洗濯機の蓋を開けて入れよう。
そう思って、部屋の面積の大部分を占めている、彼女の布団に転がった。あんまり言わないけど、下に敷いてあるシーツや夏用タオルケットや、枕カバー代わりのバスタオルからも、やっぱり仄かに香りが漂っていて、彼女の匂いに包まれることのできるこの場所が、本当はボクは好きだ。
夜寝る時以外でも、寝転がっていたらなんとなく心地いい。
その中にあって、この手の腹巻は、やっぱり格段にいい匂いがする。多分、他の人にはあんまり分かってもらえないと思うけど。特段、芳しいとかアロマみたいな香りがするとか、そういうわけじゃない。ただ、落ち着くんだよね。悔しいけど。
なんでこんなに、手放せないんだろう。
思いっきり腹巻にくっつけた自分の顔が、誰にも見せられないくらい、幸せで緩んでいるんじゃないかって気がして、ボクは誰も部屋に入って来ませんように、と密かに祈った。
こんなとこ、メロにも見られたくない。小さく体を丸めて、目をつぶり――それが失敗だった。
目を閉じてしまったせいで、洗濯機に入れるどころか、目を覚ましていることさえすっかり忘れていた。ボクは昼前の太陽が差し心地よく風が吹いて来る部屋で、いつの間にか眠り込んでしまっていたのだった。
*
それから、約三十分後。
洗濯機が止まり、中身を干そうと籠に移していた私は、あれ、と気付いてヨハネさんの姿を探していた。
「ね~ヨハネさん、入れてくれたはずの腹巻がないんだけど、どこか知らな……」
い、と言おうとして、寝室にしている和室を覗き込んだ私は、言葉を飲み込んでしまった。
ここらへんの物もそのうち洗わなきゃなぁ……とついつい後回しにしがちな、自分のピンクのシーツと布団の上で、ヨハネさんが眠っているところだった。
最初は、うっかり起こしてしまわないようにと思って慌てて口を噤んだのだが、その手に握り締められているものを凝視して、やっぱり起こさなくてよかったかも、と思う。
ほっそりした長身を犬のように丸め、両手に掴んだ布に――私の腹巻に鼻先をくっつけ、お気に入りの巣材を見つけた動物さながらに、すよすよ寝息を立てて眠っている。
(あ、あれ、やっぱり洗ってなかったんだ……)
単純に入れ忘れかな、とも思ったのだが、まさかここまで気に入られているとは。
意外すぎて呆然と眺めていると、私の後ろからひょいと顔を覗かせた愛理が、面白そうな顔で小さく口笛を吹いた。
「あるじゃん、腹巻。剥ぎ取っちゃえば?」
「洗濯機回し終わってるんだから、意味ないでしょ。ていうか、こんな可愛いことされて、取り上げるなんて残酷な行いは私にはとてもとても……」
「ふーん? ヨハネは匂いフェチか。確かにメロって、匂いするもんね」
「え、うそ!? 私そんなに臭い!?」
小声で言い交わしながら、慌ててTシャツの脇や首元を匂ってみるけど、愛理は笑いながら首を振る。
「そうじゃないって。どちらかというと、いい匂いだと思うよ? 汗で濡れたところは汗臭いだろうけど、そういう露骨なんじゃなくて、体臭というか」
「それ言うなら、愛理さんだってあると思うけど……」
「好きな人の匂いってのは、心地よく感じるものだからね。それに、人間の五感の中で、一番記憶に残りやすいものって、匂いらしいよ。なんか本能的に、メロの匂いを刻みつけておきたいっていう執着があるのかも」
小さくウインクし、私の肩を抱いて、すん、とこめかみに鼻を当てる愛理さんからも、森っぽい爽やかな香りがする。これは多分香水だと思うけど。
なんかその話を聞いたら、ますます可愛く思えてくるしますます起こしづらい。
けど、いくら本人にとってはいい匂いでも、汚れが溜まっていることは確かだろうから、いずれは洗濯しなければならないし……
その時、犬のようにぴくぴくと鼻を動かしたヨハネさんが、うっすらと目を開けた。褐色の瞼から、眠そうな青色の瞳が覗く。
「あ。起きた」
「……。……!」
「あ……お、落ち着いて。別に怒ってないから! 引いてないし、気にしてもないし! 好きならそれ、持っててくれていいんだよ。むしろ持ってて。ね」
絶対に茶化すな、絶対に茶化すなよという私の視線の圧力を察し、愛理ははいはいと笑って肩をすくめながら、席を外してくれた。
身を起こして真っ赤になったヨハネさんが意地を張って何か言う前に、と思いつく限り先回りした答えで封じると、私の様子を見て平気そうだと判断したらしいヨハネさんは、警戒しながらも徐々にその緊張を解いた。
「あの……ごめん、ボク……」
「謝るようなことじゃないんだから。でも、それ多分かなり長い間洗濯してないし、できたら一回洗いたいんだ。そしたら私、また着るから。いくらでもヨハネさんに貸したげるよ。っていうか、貸すまでもなくそのへんに転がってるでしょ、いつも」
「……あんた、イヤじゃないの? こんな事されて」
「ううん? ヨハネさんなら、別に。私に見られたくないところ見られちゃって、むしろそっちがイヤなんじゃないかな、って心配した」
黙って隣に腰を下ろすと、体育座りで横並びのまま肩をくっつけてくる。
原作方面じゃあまり見られない姿だろうけど、私の前だから何だっていい。
べったり甘えられない分、こういう隠れた部分で甘えん坊ぶりが炸裂しているしているように感じられて、可愛いなぁと思いながらも、私は口を開いた。
「それにしても、私ってそんなにいい匂いなの? 全然自覚ないんだけど。嗅いでもわかんないし」
「ボクには、そう感じる。いいっていうか……何みたいな匂いってはっきり言えるワケじゃないけど、あんたがここにいる、ってわかる香りがする」
まだ少し眠そうな瞳で、目を閉じていた。
その頭をよしよしと撫でながら、引き剥がす時にはやっぱりちょっと悲し気な顔をされたけど、私は結局、後で出た洗い物と一緒に、その腹巻を洗濯したのだった。
*
白い腹巻を干し、乾いたそれをピンチハンガーから、取り込んだ日のこと。
ボクはそれを、また誰にも見られないうちに、こっそり鼻に押し当ててみた。
……洗い立ての洗濯物の匂いだ。
わかっていたけど、もう何の匂いもしない。
これはこれで、清潔感のあるいい匂いなんだろうけど。今までこっそり楽しみに取っておいたものが、丸きりどこかへ行ってしまったみたいで、心の中に木枯らしが吹いたみたいな感覚が残る。
ふと、傍を通りかかったメロに、落とした肩が見られないよう慌てて振り返ると、彼女は寝室のクロゼットへ洗濯物を片付けると同時に、ごそごそその中を漁ると、手にピンク色の腹巻を持ってやって来た。
「はいっ。これが洗い替え用。今度からは、こっちを使うからね」
「……それ、わざわざボクに言う必要ある?」
「言っておいた方が、なんか安心感あるでしょ。別に、何に使うなんて言ってないんだし」
にか、と笑ってから、彼女がそれをパジャマの傍に置く。
「これから多分、どんどん寒くなるから腹巻必須だよ。もうこれがないと寝れなくなっちゃうなぁ」
それは嘘ではなく本当だろうけど、広げた腹巻にわざとらしくそう言って、暗に毎日使うことを示唆しながら、彼女はリビングに戻っていった。
……出したばかりのそれは、まだ箪笥の中の香り。でも、これからきっと、また少しずつ彼女の香りに染まっていくんだろう。
寒がりの彼女には悪いけど、少しだけ冬が待ち遠しい。そう思いながら、ボクは手の中の腹巻を綺麗に畳み直した。