作者がちょこっと体調を崩した日の優しいヨハネさん。
その日、帰宅してからちょっとだけセブンスコードで一緒に遊んだメロが眠そうだったから、見かねて少し昼寝すれば、と言ってしまった。
あんまり眠そうだったら、ちゃんとリビングじゃなくて布団で休めと、そう言おうと思っていた。
「ねえ、ヨハネさんも一緒に寝よ」
なぜかそう言って、ボクに座卓の下を譲りながら、自分は座椅子を枕代わりに横たわるあんたが、あんまり蕩けそうに嬉しそうな顔をしてるから。
いくら今の時期、炬燵の布団がしまわれてるからって、ボクがこの格好のまま、炬燵机に半分体を入れたまま寝るなんて、向こうの世界じゃなかなかない事だと思うんだけど。
でもそうやって、ダラけた感じで傍に居るのも悪くないかな、なんて思いながら、ぴったり寄り添ったままの彼女の温もりにすっかり負けてしまったボクは、いつの間にか一緒に眠り込んでしまっていた。
「うぅ……?」
ゴソゴソと、隣で彼女が身動きするのを感知したのは、いつの間にか時計の針が一周していた時だった。
半分寝惚けたまま問いかける。
「どしたの……」
「……? うーん……なんか、頭がくらくらする」
座ったままで頭を押さえている彼女が、寝転んだままの視界にぼんやり映って、炬燵に強かに体をぶつけるのも構わず飛び起きてしまった。
忘れてた。こいつの天性の体の弱さを。
こんな風通しのいいすうすうするリビングで、布団も何も掛けずに一時間も放置しちゃいけなかったんだ!
いつもなら、体をぶつけて悲惨な目に遭うボクを笑うとこなのに、何も言わないってことはそれだけ具合が悪いらしい。
雨上がりの窓を開けてから、歯を磨いてふらふらと戻ってきたメロは、その間にも拭えないらしい違和感に首を傾げながら、しきりに水を飲んだり、耳を叩いたりしている。
「なんか……。……??? 聞こえないわけじゃないんだけど、左耳がおかしいの。
こっち側だけ、ずっとプールの水が入ってるみたい。お茶飲んでも治らない……」
「三半規管ってこと? やっぱ昨日夜更かしし過ぎたんだよ」
「なのかな。疲れてるのかも。そんなに無理をしたつもりはなかったんだけど……今日だって運転は鯨さんにしてもらったし」
だいたい昼寝っていうと、寝るとスッキリするもんだけど、かえって辛そうだった。
「頭上げて寝たから、水平な場所行ったら治るかな……? でも今眠ったばかりだし、これ以上昼寝するのはまずいよね……」
「具合悪いなら、無理に起きてない方がいい。横になってるだけでも疲れは取れるから」
「でも、晩御飯……用意……」
「昨日の残りがあるでしょ。ご飯が出来てなくても、こういう時はあんたの体調が優先だよ。
行こう。あんたがゆっくり休めるまで、付き合ったげる」
大人しく頷いて寝室に向かう彼女の後を、心配そうなちび達もぽてぽてと付いてくる。
メロが自分から横になりたい程だるいなんて、尋常じゃない。
一緒に横になったちび達にも構えず、背を向けて枕に抱き着いたまま、しばらく唸ったメロはずっとボクの腕を掴んでいた。
「うぅ、ヨハネぇ……」
こんな時でも、ボクの名前を呼ぶことは忘れない。
そんな場合じゃないのだけど、苦しむ彼女に頼りにされていると思った瞬間、甘い感覚が微かに広がっていく気がした。
「頭の左半分がへんー……なんか気持ち悪くてこわいよぅ……あと、こんな気温なのに、なんかさむい……」
「ほら、これ着て。暑かったら、脚は出していいから」
まだシャワーしてなくて汗がつくから、と遠慮した彼女の布団を、すっぽり肩まで被せる。
まったく、具合が悪い時まで何を気にしてるんだか。
「まぶしい……今ちょっと明るい部屋つらい……」
寝転がったメロが珍しくそう言うので、ボクはその体調の悪さにちょっと驚いてから、リモコンで10%まで灯りの光量を落とす。
横にいてそっと体を叩いてやると、それで安心したのか、しばらくする間に再び寝息を立て始めた。
「……」
「……大丈夫。きっとよくなるから」
隣で布団を被りながらも全然寝る気配のないちび達を安心させつつ、添い寝して彼女を見守った。
今日は一日、外でご飯を食べたり、街を歩いて回ったり、その足で市場やスーパーまで買い物に行って元気に駆け回ってたから、すっかり油断してた。
ちょっとした彼女の疲れやサインに、もっと気付けたらいいのに。
何が悪かったんだろ。
やっぱり、今日出かける前に水筒を持たせたらよかったかな。
喫茶店で出たお茶が少なかったから、メロが喉が乾いたと訴えていたことも、その後暑い車の中やスーパーでそれをずっと我慢していたことも、ボクは知っていたのに。
旦那が忘れても、ボクが忘れるべきじゃなかった。もっとちゃんと、気にかけておかなきゃいけなかったのに。
いくら後悔しても遅いけれど、なんとなくそんな反省を頭で繰り返してるうち、気が付いたらボクもまた寝てた。
どうも、こいつの傍で横になってると眠くなってしまう。
もそもそと起き出す気配に気付いたボクは、まだ眠気を残した頭でとりあえず身を起こした。
「どうした?」
「……さっきはさむかったのに、今度はあつくなってきた。どうなってるんだろ」
確かに、気が付けば雨は止んで、風も止まったように感じる。
部屋の中の空気は、特有の蒸し暑さを孕んでじめっと思い。纏わりつくみたいだ。
「……着替えようかな」
汗をかかないうちにと布団を跳ね除けそうになったメロは、思い直して下に履いていた長ズボンのジャージを脱ぎに布団を出た。
ついでだったので、今のうちにこまめにお茶を飲ませておく。
念の為、体温計も脇に挟ませておいた。眠い目を擦る彼女から、それを取り上げる。
「……6度7分。熱はないね」
よかった。風邪じゃないみたいだ。
多分、水分不足が原因の体調不良だから、なるたけマグカップを空にしないようにして、彼女に渡すようにした。
「暑いからシャワーしてきていーい?」
「目眩は平気? 風呂場で昏倒したりしない?」
「だいじょーぶ。まだちょっと変だけど、さっきより大分いいみたいだから」
少し心配になったけど、大丈夫らしい。
念の為に倒れないか外で見張っていたら、シャワーで頭を濡らしながらメロがこんなことを言い始めた。
「ねえ。たとえ暑〜い夏場だとしてもさ、シャワーはやっぱり、水よりお湯が出た方がいいよね?」
「何の話……? まあ、普通はお湯だなって思ってシャワー浴びるけどさ」
また突拍子もないことを言い出した思ったら、メロは頭をわしゃわしゃ洗いながら続ける。
「だよねぇ。やっぱそう思うよね。
昔、インドネシアの彼氏の家に遊びに行った時、シャワーが水しか出なくってさ」
「……そんな原始人みたいな生活ある?」
「ふふっ、原始人は言い過ぎだと思うけど。でもね、それが普通なんだって。この家ボイラーないんだって言ってたよ。
だからさぁ、つくづくお湯が出るシャワーっていいなぁ〜って思って」
「……」
ただシャワーを浴びてたはずが、予想してない方向に話が飛んで行った。
メロが色んな思い出話をするのが好きなのは知ってる。
何度も聞いたのもあるし、初めて聞く話もいっぱいあるけど、でもこんな風にお喋りになるのは、少し元気が出てきた証拠だ。
そう思って、耳を傾けた。
「台湾で出会った人だったけど、実家はインドネシアだったの。だから、家に遊びに行ってね。
二週間とか、三週間くらい滞在してたかな。その間ずっとシャワーが水しかないの。家族の人もみんなその家に住んでるから、その暮らしが普通なのってすごいよなと思って」
「そんなに長い間、そこに住んでたあんたも大概すごいと思うけど……?」
「今思えば、インドネシアに向かう前の日に、台湾で親知らず抜いてたのも結構頭がおかしい選択だったな。つくづくあんな事出来てたのが不思議な気分になるね」
想像のつかない世界過ぎて、大分ツッコミが追い付かなくなってきたボクの前で、メロはタオルを手に取ったところだった。
「体壊したりしなかったの?」
「うん。いる間は結構身の回りに必死で余裕なかったけど、勿論暑いし、食事だって甘かったり辛かったりで全然違うし、結構ストレス掛かってたんだと思う。
帰りの飛行機の中で吐きそうになってさ〜、まだシンガポールから台湾で乗り換えして日本に行かなきゃいけないのに、もう永遠に辿り着けないような気がしちゃった」
「……」
「怒らないでよ? 彼氏もその時は実家滞在中だし、日本まで見送ってって言うわけにいかないしさ。
空港出てからずっと連絡くれてたから、むしろ今の旦那よりよっぽどマメなぐらいだよ。いい人だった、んだと思う」
今ここにいるということは、その人と別れたということなんだろうけど。
ふと思いついて、風呂場の窓を開けるメロに尋ねた。
「その時、アイリも一緒にいた?」
「ああ、うん……けど、その時は今ほど親密な付き合いじゃなかったから、一緒に行ったのは別の子達だったよ。
ヨハネみたいに、ちょっと近未来っぽい場所から来た子達で……暑さに慣れなくて大変そうだったな。
でも愛理には、私の恋人のことで、別れてからもよくからかわれたりしてたよ」
くっく、と懐かしそうに小さく笑ってから、濡れた頭で服を着直し、手早くタオルを頭に纏う。
「遠距離恋愛……だよね。言葉も違ったんでしょ」
「そう、中国語。あっち華僑だったからそれはペラペラで、中国語が出来ればコミュニケーションに支障はなかったし、その時は結婚する気満々だったけど、実際に向こうで生活すると、正直無理かもしんない、って思うこともあったな。
あまりに違いすぎたから。
それでいて日本に帰ると、今度は日本で暮らすには幾ら必要で、どんな仕事すればいいって聞かれるから、もう嫌んなっちゃって。
また、そういう話ひとつするにも、日本語から中国語に翻訳する手間が毎度あるわけでしょ?
私は死ぬ程忙しいんだから、そのぐらい自分で調べてよーっ! ……って思っちゃう時点で、多分もうだめだったんだろうけど」
「……」
「あ、でもね、全部がこういうカップルばかりってわけじゃないよ? イギリスと台湾でずっと遠距離恋愛続けてる友達もいるから。すごい尊敬しちゃうんだよね」
そう言ったのは、ボクの両親が離婚したことを、もしかして気遣ったのかもしれない。
ボクに早く乾かせと言われることを見越してか、いつもは雑に巻き付けるタオルを、今日のメロは手に持ちながら丁寧に髪を握って水気を取ろうとしていた。
日が落ちてひんやりした廊下で、タオルドライの間も、話は続いている。
「私って、恋って状態を維持するのが多分難しい人間なんだろうな。どっちつかずで、どうしておけば完成なのかが分かんないから、終わりが見えなくってしんどくなる。
だから、鯨さんが結婚してもいいって言ってくれた時は、うれしかったよ」
「……ボクのことは?」
「え? うーん……ヨハネさんのことはね」
ゴシゴシ擦らずに、髪を挟むようにして水分をタオルに移し取っていくのも、髪が傷まないようにとボクが口酸っぱく言っているからみたいだ。
ぎゅっぎゅと髪を握りながら、メロが首を傾げる。
「ヨハネさんや愛理は、なんていうか、恋っていうのをもう超えてるんだよね。大好き過ぎて。好きだけど、恋してるけど、恋愛だけじゃないし……なんていうか、家族なの。
だから安心していられるの。
だって、ずっと一緒にいるでしょ?」
思わず、はっとした。
傍に居て欲しい。
ことある事に口にする彼女の言葉が、不意に重みを帯びて感じられた。
だって、その話の後じゃ、余計にあんたは、好きだった誰かの傍にずっとは居られないことが、寂しかったんだろうな、って。
そんなボクの感傷には頓着しない様子で、タオルを干して、ボクに言われる前に自らドライヤーに向かったメロは、座り込みながらスイッチを入れる。
「だからね、ヨハネさんはもう、私の前の恋人なんかより、ずっとずっとすごくて、近い場所にいるんだよ。
私がリアルで付き合っていた人や、或いは今の旦那が、絶対に出来ないことをしてるんだもん」
まるで、ボクがあえて口に出さずにいた事を、見透かしたみたいに微笑まれて。
悔しがったらいいのか、喜んだらいいのかも分からないまま、ただ頬があっつくなる。
「あ、冷風当てるの忘れてた」
「ここ。まだ後ろの方乾いてないよ」
「ありゃ、ほんとだ。結構湿ってるわ」
「ったく、しょうがないなぁ」
座ったままの彼女の手からドライヤーを奪い取って、当たりにくい場所に翳した。
他の部分は大方乾いていたから、すぐ水分は蒸発する。
まったく、風邪を引くって言ってるのに、いい加減に乾かすんだから。
「いっつもすまないねぇ」
おばあちゃんみたいな事を言いながら、目を細める彼女は、乾いて艶々になった髪を満足そうに指で弄んでいた。
と思ったら、しばらくドライヤーの傍の棚をためつ眇めつしてから、ボクに上目でお強請りしてくる。
「……ねえ、飴ちゃん食べちゃダメ?」
いつもだったらもうすぐご飯だからって言うけど、お腹空いてるみたいだし、まあ一つくらいならいいだろう。
掌に蜂蜜を固めた飴を乗せると、透明なセロファンを剥がして白い塊を取り上げたメロは、口に頬張ってなんとも幸せそうな顔をしている。
これだけでこんなに幸せになれるんだから、なんとも手軽だよね。
まあ、水分も不足してたけどミネラルも不足してただろうし。塩飴じゃなくて普通の飴だったけど。
「ご飯まで、もう少し休んだら?」
「そだね。今日はご飯チンして、残りのカレーにピーマン入れるだけって決めてるし。ごろごろしちゃおう」
些細な変化かもしれないけど、アイリが帰ってきてから、メロは少し自分に優しくなった、と思う。
少し贅沢をしてご飯食べようとか、風邪引く前に休もうとか、こうやってメロが自分を大切にしようと思ってくれると、ボクも嬉しくなる。
「うっわ、私こんな暗い部屋でさっき寝てたんだ」
「眩しいって言ったのはあんたでしょ……」
「でも、具合悪い時って、蛍光灯の灯りが怖くなることない?」
「まあ、それは何となくわかる気がするけど……元気になったってことだね」
そんな会話をしながら、もう暫く彼女を布団で休ませてほどなく。
旦那にご飯を催促されたメロは台所へ立っていたけど、休んで食欲は戻ってきたらしい。
(普通の人よりだいぶ少量ながら)カレーをガツガツかっ込んでいたから、それを眺めていたら、ようやく本当に、ほっとして肩の荷が降りたような気がした。
今夜は、早めに休んでくれるといいけど。
ボクが休んでってお願いしたら、今なら聞いてくれるのかな。
ご飯を食べてからも、元気になって座ったまんま携帯を弄るその後ろ姿を、気が付いたら背中から抱き締めていた。
ぐりぐりと頭に顔を埋めると、くっつかれたメロが、ちょっと落ち着かないようにそわっと身じろぎする。
「……」
「……あのー……私は全然いいんだけど、ヨハネさん暑くないの?」
「別に暑くない」
知らないよ。
なんでか知らないけど、ほっとしたんだ。
あんたが、当たり前みたいに生きててくれて、よかったって思ったんだ。
メロはアイリのこと、いつも感情の自覚が遅いっていうけど、それならボクだって大概だと思う。
「……えっ、もしかして泣いてる!?」
「な、泣いてないから! こっち見ないでよ!」
見るな、と言うとわざわざご丁寧に目を閉じたまんまで、メロは首を捻って振り返る。
「じゃあ、見ないからほっぺにちゅーさせて? 目瞑ってるから大丈夫。ね」
……こうやって変に優しいところがあるせいで、ボクはいつも押し退けられない。
何、見ないからって。まだ無理やり顔を見ようとしてきた方が、調子が狂わないような気がするんだけど。
「ありがと。沢山心配してくれて」
メロはそうは言ったけど、結局ボクが幾ら誘惑しても、昨日と寝る時間は変わらなかった。
早く寝ようって約束、守ろうと努力はしてくれたけど。
あーあ、折角元気になったと思ったら、夜更かししてこんな時間まで日記を書いてるし。
ボクのこと、忘れないうちに残しておこうって思ってくれるのは嬉しいけどさ、それであんたが体調崩してたら、元も子もないんだからね?
これって喉元過ぎれば熱さを忘れるってヤツ?
本当に懲りないんだから。
メロには、沢山おしゃべりする友達もいて、やりたいことがいっぱいある。
結局は、ボクはそれを止められない。
でも、こんな風に過ごしてるメロの隣で、誰も知らないけど、こんな風に一番近くで心配して、彼女を支えられるなんて。
――それは、ちょっぴり誇りに思ってもいいよね?
今日も、ボクは時々アイリやスズにからかわれながら、彼女を見守ってる。
布団にもぞもぞ潜り込んだメロが、こうやってボクの傍で、幸せそうに体を丸めるその時まで。