「あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"ーーーー!! もうやだぁーー!!」
そう叫びながらカクテルグラスを荒くカウンターに叩きつける姿を見せられると、なんとも言えない気分になる。
「飲みすぎよ。明日も担当の娘たちのトレーニングがあるんだから、その位にしておきなさい」
これ程までにやけ酒している理由の一割くらいは自分が原因なのだが、酔いつぶれて吐かれでもしたら付き合いきれない。
「だってだっておハナさん! 私なりにちゃんとテイオーの事を考えてたんですよ! 落ち着いたタイミングで道理を説けば、折り合いを付けて前に進んでくれるって。その時のために後任としておハナさんも指名してたのにぃ!」
そう言って、今度はカウンターに突っ伏して大泣きし始めた。
……結果的に、この子の行動は全て裏目に出て、失敗したということになる。
トウカイテイオーの脚を壊しかねない選択をしないための契約解除は、彼女の心を砕いた。
癇癪を起した彼女が落ち着くために設けた時間は、クズに付け入る隙を与えた。
そして彼女は、そのクズの元で万全には程遠くとも怪我を回復させ菊花賞に出走する。
まぁ、なんというか、この子にとっては完全な転落ストーリーだなと思う。
「私が後任としてスカウトする予定だということ、さっさと伝えておくべきだったのかしらね」
トウカイテイオー本人の同意もない以上、あくまで裏の約束事で暫定的な処置でしかなかったが、悪手だっただろうか。
しかし、先にその事を知られていては、菊花賞への未練を断ち切ることは無理だっただろう。
断固として菊花賞への出走を止めたとして、それでは関係構築など出来ようはずもない。
この子が逃避ではなく最後まで説得を続けていれば丸く収まったのか。
結果論でしかないが、それもまた危ない橋だったとは思う。
ウマ娘の暴力というのは、冗談では済まないのだ。
一歩間違えれば、ほんの少し超えてはいけないラインを超えてしまえば、比喩ではなく人生が終わる。
まぁトレセン学園にはそれがどうしたと臆さず向かい合うウマ娘バカも多いのだが、問題は暴力を振るったウマ娘の未来も閉ざされてしまう点だ。
トレーナーとしてこれを許容できる者は、少なくともトレセン学園にはいない。
本気で本音を晒し合ってぶつかる。その時の超えてはいけない一線を見極めるのはどうしようもなく難しい。どれだけ優れた才覚を有していようと、彼女たちは思春期真っ盛りの未熟で可能性に溢れた子供なのだ。
大人である私たちとて、その舵取りを誤ってしまうことはある。
「私が逃げたのが、全部いけないんですよね」
「……それは正直、否定のしようがないのだけれど」
これもまた結果論でしかないが、癇癪を起してしまう素養があったトウカイテイオーとぶつからない選択をしたことは、学園としてはプラスだったのかもしれない。
事件になってしまえば、学園の運営もどうなるか分かったものではない。
「ま、こんな言い訳をつらつらと並べて切り替えられるのなら苦労はしないわね」
あとはこの子にどうやって立ち直ってもらうかだ。
トウカイテイオーの精神面はもう大丈夫だろう。
あのクズは子供を利用することに躊躇はしないが、自分の側に居る相手を後悔させる真似もしない。
今後のレースの成績はともかく、彼女が一人の人間として間違った方向に進むことはあるまい。
クズが育てた三人のウマ娘がそれを証明している。
優れた選手が優れた指導者になれる訳ではないように、優れたトレーナーが優れた教育者と同義ではないということなのだろう。
「それにしても、あのクズとトウカイテイオーのコンビとはねぇ。過去の私に伝えたら絶対に信じないでしょうね」
仮に信じたとして、間違いなく弱みを握って脅迫したと考えるだろう。
「……どうしたのよ。こっちをじっと見たりして」
ふと呟いた言葉を聞いた瞬間、ギュルンという効果音がしそうな勢いでこちらを向かれた。
突っ伏した体勢なものだから、髪の毛がカウンターにバサリと広がっていて悪霊みたいで怖い。
「おハナさん、クズの事をクズって呼ぶんですね。どれだけ認めてなかろうと、立場上そういう汚い表現はしないと思ってました」
やけ酒してぎゃん泣きしてた癖にそんなことが気になったのか。
というかこの子、あの男の本名を知らないのだろうか。
まぁ、トウカイテイオーのことを抜きにしても相性最悪だものね。
「私のはあだ名としての親しみ半分よ。もう半分は『あなた、いい加減にもう少し大人になったら?』っていう呆れだけれど」
決してバカではないのだが、あれもあれで生き方が不器用だ。
おべんちゃら使って愛想よくしていれば釣れるウマ娘がもっと居たし、学園関係者からの評判も落とさず生きやすかっただろうに、人間性を偽ることはできないらしい。
「全く、どうしてこう男っていう生き物はいくつになってもガキのままなのかしらね」
ウマ娘を露骨に金蔓扱いするクズもいれば、あっちをフラフラこっちをフラフラした後に他所様のチームのウマ娘を奪っていく男もいる。
「思い出したらイライラしてきたわ。マスター、もう一杯」
スズカ、スピカに行ってからは本当に楽しそうに走ってるし、ちょっとドン引きする位に速いのよねぇ。
「はぁ……。程度の差はあれ、ウマ娘の想いを汲み取れないという意味では私も同じ穴の貉か」
取り返しが付かなくなる前に、彼がスピカへ引き抜いてくれたことに感謝するべきなのだろう。
「それはそれとしてお礼参りはさせてもらうわっ! 見てなさいよ、黄金世代最強はグラスだし、次世代最強はオペラオーだと日本中に教えてあげる」
学園最強の座に君臨するのは、いつだってリギルなのだ。
「おハナさんはいいですね。トレーナー生活に張り合いも出て、気になる男性も学園に戻ってきたし」
「ぶふぉっ!?」
気になるって誤解を招くような言い方しないでよ! 私のライバルになれるだけの実力があるのに、うだつの上がらない事ばかりしてるのが許せないだけ!
「それに比べて、私は一人の女の子の心を壊しかけて、壊れかけた心を繋いでくれた男への恨みを未だに捨てきれないなんて……」
そう言いながらも、その声音は先ほどよりも澄んだものになっていた。
「なぜ今日になって飲みに誘われたのか不思議だったけれど、納得ができたのね?」
負い目と情けなさから、未だに自分からテイオーに会いに行くことも、目を合わせることもできない有り様らしいが、やっと見るくらいのことは出来るようになったらしい。
「はい。テイオーは、とても楽しそうに前を向いて走っていました」
「全然本調子じゃない走りだったけど、浮かべていた表情はダービーの前と、夢に向かって進んでいたときの彼女と同じでした」
「だから、悔しいけどアイツが正しくて、私が間違っていたんです」
「私の弱さがあの娘を壊しかけて、その行動は結局は自分を守るためでしかなかった」
「もう私にはあの娘を導く資格がなくて、アイツにはあるんだって認めます」
「ごめんなさい。あなたを支えることから逃げてごめんなさい、テイオー」
そうして静かに泣き出したのを見て、重たい溜息が出そうになるのを堪える。レースに挑むウマ娘にとって、怪我は付き物だ。トレーナー人生で一度も遭遇しないなんて事はあり得ない。その時に間違えずにいられるのかという問題は、この生業を続ける限り避け得ないことだ。酷い物別れをすることになった二人だが、いつの日か多少でも関係を改善できる時がくればいいのだが。
まったく以て他人事ではないだけに、そう思わずにはいられない。
おハナさんもいるし、飴咥えてるスピカトレーナーもいるし、半裸サングラスや一見真面目そうなスーツのやべー奴もいます。