サンセット・サンライズ   作:ゆーり

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菊花賞のお話です。


天秤

『おおっと! トウカイテイオー、これは出遅れたか!』

『ペースが乱れていますね。出遅れを取り戻そうと掛かり気味になっています』

『レースは終盤、第四コーナーを超え最終直線へ! しかし、トウカイテイオー伸びない! この差を詰めるのはもう無理か!』

『トウカイテイオー、十一着! 無敗の三冠の夢、ここに敗れました!』

 

 菊花賞の推移を簡潔にまとめると、こんな感じだろうか。

 可能性としては十分にあり得た話だ。

 想いと努力に嘘がなかろうと、それは周りも同じこと。

 力及ばぬ者が運だけで他の十七人を超えられるほど、世の中は都合良く出来てはいない。

 

「それにしても、もう少し見栄えの良い負け方をさせてくれよなあ」

 

 どうやら、三女神とやらは悲劇の類を楽しめるタイプらしい。

 ある程度でも自分の走りをして負けたのなら、きちんと納得することができただろうに。

 

「走る事と勝つ事を本能に刻ませて競わせてるような神様なんざ、碌なもんじゃなくて当然か」

 

 喜ぶのは一着の一人だけ。多少は判定を甘くしても三着くらいまでだろう。

 観客の一喜一憂はともかく、ターフに目を移せば大半のやつは負けて湿気た面してる。

 勝てた経験が少ないからかもしれないが、正直あんまり楽しくない。

 楽に儲けられなかったら絶対に職として選ばなかったわ。

 

「そんなことよりテイオーだな。流石にこの結果は落ち込んでるよな」

 

 本当に、どうしようかね。

 

 結果は出た。どれだけ辛かろうが変えることはできない。

 たった二人のウマ娘しか成し遂げていない、クラシック三冠制覇。

 トウカイテイオーという天才もまた、成し得なかった側になった。

 

 レースを終え、息が上がったまま膝に手をつくテイオーの表情には、悔しさがにじみ出ていた。テイオーの最終目標であるシンボリルドルフとの対決に影響があるわけではない。しかし、途中目標の達成すら出来ない有り様で"絶対"を超えられるのかという疑念は自分の中に生まれるだろう。今後の走りにも無関係とはいかない。

 それでも、絶望や諦観は感じられない辺りダメージとしては許容範囲か。

 

「体の状態を鑑みれば負けて元々だ。悔しさをバネに奮起できるのなら、それでいいか」

 

 俺個人の想いとしてはその程度である。

 勝ってほしいと思ってはいたが、負けたからどうということもない。

 

 息を整え、踏ん切りを付けるかのように一度目を閉じたテイオーは、地下道へと脚を向けた。

 

 負けたのも初めて。

 ライブのセンターでないのも初めて。

 けれど、夢が破れたのは初めてではない。

 だからだろうか、ダービーの後よりは余裕がありそうだ。

 

 はてさて、案外と大丈夫そうではあるが、これなら慰めの言葉は要らないか。

 そんなことを考えながら、自身も地下道へと足を向けたとき。

 

 ふと視線を感じて振り向くと、テイオーがこちらを見ていた。

 

「……おいおい、なんでそんな酷い面してるんだよ」

 

 悔しさは大いにあるだろうが、それでも一応の納得をしたように見えた。

 どれだけ尾を引こうとも、アイツならまた前を向いて走り出すだろうと考えていた。

 

 なのに、なぜそんなにも俺に対して申し訳なさそうな顔をしているんだ。

 

 テイオーの表情はクシャリと歪み、握った手と肩が震えているのが見て取れた。

 歯を食いしばって耐えているが、それでも涙がこぼれそうになっている。

 

 まさかアイツ、俺に悪いことしたなんて思ってるんじゃねえだろうな。

 

「……全く、病み上がりがなにをいっちょ前に他人のこと気遣ってるんだか」

 

 アイツの歪んだ表情を見て、心がざわついた。

 

 言っただろう。このレースにかかっているのはお前の夢だけで、俺にとっては数あるGⅠレースの一つでしかないんだよ。

 お前が菊花賞に出られるのはリハビリを頑張って偶然怪我の治りが早かったからで、俺が居たかどうかなんて関係ないんだよ。

 

 だから、俺のためにそんな顔をする必要はないんだ。

 そもそも……。

 

「大人の期待に応えられなくて子供が泣くなんてこと、あって良い訳ないだろ」

 

 そんなもん背負おうと考えるなんて、五年は早いんだよマセガキ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下道でテイオーを待っていると、相変わらず泣きそうな顔のまま歩いてきた。

 

 やれやれ、しょうがない奴である。

 ここは、俺が金蔓になるウマ娘をスカウトするために磨いてきた口説きテクでさくっと慰めてやるしかないだろう。

 

「よぉ、テイオー。悪いレース展開の見本市みたいな走りだったな! ……あっ」

 

 いかん、昔の担当連中と同じノリでやっちまった。

 

「……フンッ!!」

 

「痛ってええぇぇぇぇっ!!」

 

 おま、蹄鉄で脛を蹴るのは反則だろうっ……!

 

「どうせ無様で情けない走りだったですよーだ!」

 

 お、おう。意外と威勢よく反抗できるじゃねーか。そこまで心配するほどの事じゃなかったか?

 

 左脚の脛からじわりと広がる鈍い痛みを抑えるように蹲り、額に脂汗を流しながらも安堵の息を吐く。

 

「……ねぇ、トレーナー。ボクに愛想尽かしちゃってない?」

 

 あ、やっぱり大丈夫じゃないやつだこれ。

 

「愛想尽かす理由がなにかあったか? 俺には負けて失うものがあった訳じゃないんだぜ」

 

 スカウトした時点では菊花賞に出走できないと予想していたんだ。奇跡的に出られたからと言って、勝ちに勘定しておけるもんではない。負けて失ったのはテイオーが掲げる無敗の三冠だけで、俺にはなんの痛みもありはしない。

 

「だってさ、あんなにボクのために尽くしてくれたんじゃん。夢に挑む権利をくれて、絶望視されてた怪我を回復させてくれた。あれだけ先行投資したウマ娘がこんな走りしかできないだなんて、ボクだったら嫌になっちゃうよ」

 

 そう絞り出すように話すテイオーの唇は震えていて、声は今にも消えてしまいそうなほど、か細いものだった。

 

 先行投資。テイオーと食事をしたり買い物することを、そう表現したこともあったな。

 

「ボク、やっと少しだけ恩返しができると思ったのに、ぜんぜん良いとこなしで負けちゃった。トレーナーがボクにくれたものを全部無駄にしちゃった……」

 

 そこまで重いものだと捉えていたのか。

 

 確かに、俺がテイオーに向ける期待は大きい。

 かつての三人とは比べものにならない才能が齎す利益は見過ごせないモノだ。

 だから、俺も金の出し惜しみやケチな真似はしなかった。

 

 だが、そこになにか特別なことなど、一つもなかったんだ。

 中央のトレーナーとしては並以下でしかない俺がコイツに与えたものなんて、恩に感じるほどのことじゃないんだ。

 

「無駄なんかじゃねーよ。菊花賞で負けても、お前はまだ走れるだろう。GⅠなんてこれから何回でも出られる。今日の負けが霞むくらいに勝てばいいだけだ」

 

 無敗よりも、一回くらいは大コケしてた方が可愛げもあるってものだ。

 

 ……それに、俺にとってはこれが良い機会だったのかもしれない。

 少しだけ、自分の心と向き合うことができたから。

 

「本当にそう思ってくれてる? 期待に応えられなかったボクは、まだトレーナーのウマ娘で居ていいの?」

 

 傷心のコイツを半ば騙す形で始まった、この関係。

 きっと、変わっていかなければいけないのは俺の方だ。

 

「俺のウマ娘でいいのかって? むしろ、やっと釣り合いが取れたところだ」

 

「……釣り合い?」

 

「碌に重賞ウマ娘も育てられないトレーナーと無敗の二冠ウマ娘じゃ、誰が見たって不釣り合いだったろ。美女と野獣。いや、豚に真珠か?」

 

 そうだ、今日の敗北で俺はなにも失っていない。

 だから、平気なはずなのだ。

 

 なのに、こんなにもテイオーを勝たせられなかったことに苛立ちを感じている。

 自分でも驚くほどに、負けて泣きそうになっているテイオーを見て、勝たせてやることが出来なかった己の不甲斐なさに苛ついていた。

 

「今日の大負けで多少はバランスが取れた。負けたウマ娘に気の利いた言葉の一つもかけられない無能トレーナーと、情けない走りをしたレース下手なウマ娘。お似合いだろ?」

 

 ちょうど、お互い左脚に大ダメージを負った仲でもあるしな。

 そう言って、まだ脛の痛みで涙目な状態で笑いかけると、テイオーもまた泣き笑いのような表情を浮かべた。

 

「あはは、なにそれ。でも、そうだね。底辺同士でお似合いかもしれない」

 

 いや、菊花賞十一着は負けではあるが、世代全体で見ると相当に上辺だぞ。

 

「それにドン底まで沈んじゃったら、後は昇っていくだけだよね」

 

 目元の涙を拭い、大きく息を吐いたテイオーは少しだけ普段の快活さを取り戻せたようだった。

 

「ああ、ここから這い上がればいいさ」

 

 そうだ。

 きっとコイツは今日の敗北と夢破れたという辛い現実すら、強さへと変えていくだろう。

 だが、俺は違う。

 釣り合いが取れたとしても、それはほんの一時の間だけのことだ。

 あっという間に俺達の差は広がり、また釣り合いは取れなくなる。

 

 それでもコイツが勝ってくれれば、なんの問題もないのだろう。

 しかし、もしも負けるようなことがあれば、俺はまた今日と同じ不甲斐なさと苛立ちを感じることになる。

 

 俺がもっとしっかりしていれば、コイツは勝てたのではないかと。

 

「それはちょっと、楽しくなさそうだよな」

 

「……?」

 

 俺の呟きに首を傾げるテイオーを見ながら、告げる。

 

「なぁ、テイオー。ライブが終わったらさ、次を勝つための作戦会議ついでに、にんじんハンバーグでも食べに行くか」

 

「……うんっ!」

 

 金を稼ぐだけなら、必ずしも一着である必要はない。二着でも三着でも遊んで行くには十分な額が手に入る。

 だが、コイツはそれで満足するだろうか。自分の前を走るウマ娘を見て、今日のような見当違いな不安を抱え、笑顔を曇らせはしないだろうか。

 それを近くで見せられるのは、全然楽しくない。

 

 なら、手放すか?そんな訳もない。

 テイオーより才能があるウマ娘を探すだけでも困難極まるだろうに、契約に漕ぎ着けるだなんて奇跡が起きてもまだ足りない。

 

 ならば、やるしかない。金も稼いで俺も楽しい思いをする。そうするには、コイツを一着にして勝たせるしかない。

 

 そのためなら、俺が楽しい思いをするためならば、俺は今までよりも少しだけ熱くなれる。

 

「他のトレーナー連中、なにが悲しくてガキの子守を仕事にしてんのかと思ってたんだがな」

 

 なんてことはない。あの連中も楽しみたいだけのことなんだろう。自分のウマ娘が勝つのが楽しくて、勝たせられるように鍛えるのが楽しいのだ。

 

 ならばきっと、俺とテイオーが勝つために過ごす時間も楽しいものになる。

 そう考え、自然と笑みがこぼれた俺をテイオーが訝しげに見てくる。

 

「なんでもねーよ。控室行ってライブの準備するぞ」

 

 この先は、努力も時間も意志もプライドも、俺の持てる全てコイツのために使おう。

 

 それがあの日、コイツを騙したクズな大人としての責任ってやつで、トウカイテイオーのトレーナーだと名乗っていくのに必要な資格なんだと思う。




問、「『トレーナーのウマ娘で居ていいのか?』という質問に対して、安易にYESと答える愚かな専属トレーナーたちの末路を述べよ」(配点:終身雇用) 

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