途中で一回休むなら、レースが開始したとこの視点変更が区切りとしては良いかと。
ボス No.Ⅰ『名優 メジロマックイーン』
コツリ、コツリと蹄鉄の鳴らす音が京都レース場の地下道に響く。
やれるだけのことをやってきた。
新しい勝負服もよく馴染んでいる。
調子は万全で、だからこそ勝敗に言い訳は効かない。
「今日のレースに勝利し、もう一度春の盾をメジロ家に」
幼い時分、邸宅の敷地内を駆け回り遊んでいた頃が懐かしい。
ステイヤーとしての素質があることが分かってからは、常に期待が付いて回った。
自分だけではない。
メジロに連なる家系にウマ娘として生まれ、才能が見初められたのなら誰であっても同様だ。
ライアンならばクラシック三冠。
ドーベルならばティアラ路線。
それぞれに期待された役割があった。
それがただ重荷であったのかと言えば、そうでもない。
元より私たちはウマ娘。
走りたい。速く、より速く、誰よりも速く。
そういう本能を最初から備えた生き物だ。
期待は圧し掛かる重荷であると同時に、勝利を彩る装飾品でもあった。
全身全霊で挑み勝利を飾った昨年の天皇賞。
盾を持ち帰った私を一族総出で祝ってくれたあの時間は、人生で最も幸せなひと時だった。
あの時間をもう一度。私とメジロ家に祝福と誇りを。
絶対に勝ち取ってみせるという、揺らがぬ決意をさらに固く胸に宿して歩みを進める。
そうして歩いていくうち、響く足音に自分以外のモノが混じっていることに気付いた。
「……テイオー」
ターフへと続く交差路。
炎を想起させる赤いウマ娘がそこに居た。
揺らめく陽炎のように立ち昇る闘志。
烈火の如く燃える瞳。
腹に力を込めて踏ん張らなければ、たたそれだけで道を譲ってしまいそうなほどの覇気を
「調子は良さそうだねマックイーン」
「そう言うあなたも、万全に仕上げて来たようですわね」
間違いなく、私が戦ってきた中で最強のウマ娘。
前人未踏の偉業を前にして立ちはだかる存在は、どこまでも強大だ。
だからこそ、価値がある。
「もし、負けても泣かないでくださいます」
「それは約束するよ。悔し涙は去年のうちに全部出し尽くしちゃったからね」
そう笑うテイオーの表情からは、過去への未練は感じられなかった。
大阪杯を見て分かっていたことだが、無敗の三冠という夢は振り切れたようだ。
「……ところで、どっちが先にターフに出ていこっか」
別にどっちでもいいことなのだが、そう言われると後から出たくなってしまう。
「МT対決らしいから、マックイーンお先にどうぞ」
「いえ、真打というのは遅れて登場するものでしょう?」
いやいや、いえいえと下らないやり取りをしていると、ここが勝負の場ではないような気さえした。
「試しに、二人同時に出て行ってみようか」
「……係員の方に迷惑を掛けるわけには参りません。じゃんけんで決めますわよ、テイオー」
どちらが勝ったかは、聞かないでほしい。
■
『唯一無二、
『一番人気は変わらずメジロマックイーンでした。トウカイテイオーは二番人気。やはり、菊花賞の敗北が要因でしょうか』
共に世代屈指の強者。
片やクラシック二冠を勝ち取り、"皇帝"の後継と目される天才。
片や菊花賞、春の天皇賞と長距離においては歴代有数の成績を叩き出している怪物ステイヤー。
確信を持って勝敗を予測できる者など何処にもおらず、それ故に数万人の観衆がもたらす熱気は、春の陽気を吹き飛ばしてしまう程だった。
もっとも、ターフに立つ十四人から放たれる戦意はそれすら遥かに凌駕するが。
『さぁ、前回の有馬記念を制したダイサンゲンがターフに現れました』
『同じく、ターフには逃げ宣言をしたメジロパーマーもいますね』
誰も彼もがGⅠ勝者、あるいはそれを成せるだけの実力者たち。
相手がどれだけ隔絶した天才であろうとも、一瞬でも隙を見せれば喰らいつく。
そういう気概を持った戦士たちだ。
「……しっかりと目に焼き付けましょう」
そして、戦意を
「うん、そうだね。キラキラウマ娘同士の真剣勝負。たっぷりと拝見させていただくとしますか」
次、ぶつかり合う時に勝利するために。
今は観客の一人でしかなくとも、負けっぱなしではいられない。
一つでも多くの情報を得て、いずれ来る戦いに備えるために多くのウマ娘が牙を研いでいた。
「できれば、ネイチャさんとしてはテイオーに勝ってほしいんだよねー」
「それは同期のライバルだからですか? それとも菊花賞の件で負い目があるから?」
イクノディクタスの問いかけは
本人としても、大阪杯で完敗を喫したトウカイテイオーの負けは想像できない。
「んー? 違うよ。勝って勝って勝ちまくってさ。もう誰にも負けないって自分も世間も思ったとき、パッとしない三番手が似合いそうなウマ娘に負かされたらさ、良い音が鳴ると思わない?」
そう言いながら浮かべたニコリとした笑み。
その裏に見え隠れする黒く粘度の高い感情を感じ取ってしまい、イクノディクタスは顔を
「憑き物が取れたのは大変結構なのですが、こちらに向けてくるのは止めてください。正直、付き合いきれません」
チームメイトの劇的な変化をどう受け止めればいいのか答えは出ないが、自分まで巻き込むことだけは勘弁して欲しい。
「警戒しなくても、チームメイトを対象外にする分別位はネイチャさんにだってありますよ?」
「よく言いますね。トウカイテイオーとの勝負で一番邪魔になるのが逃げウマ娘だからと、ターボ相手に逃げ潰しのトレーニングをしまくっているくせに」
そのイクノディクタスの反論を聞いた瞬間、一緒に居たツインターボの体が震えた。
「ネイチャ、すんごい意地悪になった」
トレーニングを思い出してしまったのだろう。涙声になってしまっている。
「ほらほらターボ、泣かないで。もうコツは掴んだから、しばらくはやらないからさ」
「(なんて言ってますが、
あっさり騙されて機嫌を直しているツインターボと
イクノディクタスは半ば現実逃避気味に、これが二人の美点なのだろうと思考を打ち切った。
「皆さん、主役の登場ですよ。雑談はそこまでにして集中してください。ネイチャさん、分かっていますね?」
南坂の核心を省いた問いかけに、ナイスネイチャはニヤリと笑いながら答えた。
「もちろん分かっていますとも。このレースで見るべきはテイオーだけじゃない。
「その通りです。あなたが見るべきは二人より速く走る方法ではありません。あの二人も含めて、レースを走る全てのウマ娘をどうコントロールするかイメージすることです」
ナイスネイチャが黒く澄んだ決意を固めたあの日から、南坂もまた"帝王"の戴く冠を
この天皇賞は、その重要な
『やってきました! 史上初の天皇賞連覇に挑む一番人気メジロマックイーン! 会場に詰め掛けたファンが歓声で出迎えます!』
『白い勝負服、素敵ですね。トウカイテイオーの赤と並ぶとよく映えそうです』
大本命。その登場に数万の視線と期待が突き刺さって尚、王者に毛ほどの動揺もありはしなかった。
……なぜか耳はぺたりと垂れていたが。
『さぁ、もう一人の主役が登場です! ここまで八戦七勝! トウカイテイオー!』
『両者ともに気合い十分といった表情ですね。良い勝負が期待できそうです』
『さぁ、全てのウマ娘がゲートに入りました。勝つのは一体誰なのか? 十四人がそれぞれのプライドを賭けて、いまスタートしました!』
■
十四人の優駿たちは、誰一人遅れることなくスタートを切った。
会場の熱狂と比較すると静かな立ち上がり。
綺麗に縦に並ぶかのような位置取りだ。
『これは……逃げ宣言をしていたメジロパーマーをメジロマックイーンが追う展開! トウカイテイオーはその二つ後ろ!』
『ラップタイムもかなり速いですね。後続も着いていくのか抑えるのか判断に迷っているように見えます。三千二百あるレースのまだ序盤。掛かっているのか作戦の一環なのか。どちらにしろ、メジロパーマーにとっては非常にやりづらい展開になりました』
逃げという脚質を持つウマ娘の特徴は何か。
諸説も例外もあるだろうが、メジャーな見解としては『頭からっぽで走ることが大好きな奴』だろう。
頭が悪いとか考えなしという意味ではない。
己の全てを速く走るという一点にのみ注げるウマ娘ということだ。
事前の読み、レース展開の調整、駆け引き。
そんな些末ごとに意識は割かない。
誰よりも速く、誰よりも短いタイムでターフを駆けて勝つ。
最強のウマ娘とは即ち最速のウマ娘のことだ。
そんな、ある意味真理とも言える無謀を真顔で言い放つ連中が逃げウマ娘だ。
では、そんな彼女達が最も嫌がることは何か。
速く走る以外のことを考えさせられることである。
少なくともメジロパーマーは、このレースの先頭は終盤まで自分だという前提で臨んでいた。
他の逃げウマ娘とも先頭争いなど起こさせない。
そういうつもりだった。
だが、現実はそうはならなかった。
少しでも脚を溜めるとかスタミナを温存するなんて事を考えてしまえば、追い抜かれてしまう。
それほどの勢いでメジロマックイーンが
大逃げしている自分に追い付こうとしている。
それは同じく大逃げしているか、最低でも逃げを作戦として採用したということだ。
メジロマックイーンというウマ娘はそういった奇策を好まない。
自制心が強く、常に誇れる己を示さんとする在り方はレースにも如実に
なのに、なぜ彼女にとって一番重要と断言してよい春の天皇賞でそれを曲げてきたのか。
そんな余計を考えさせられている時点で、メジロパーマーは本領を発揮できているとは言い難い状態だった。
もっとも、当のメジロマックイーンにメジロパーマーを牽制しようなどという意図は全くなく、本当に
■
甘かった。浅慮だった。勘違いしていた。
ここまで苛烈だとは、想像もしていなかった。
見せつけるような存在感を放ちながら自分を追うテイオーが何を考えているのか、すぐに分かった。
「私に着いていけば勝てると、そういうことですか……」
出走経験自体が少なく、その数少ない経験も敗北に終わっている天才が
実にシンプルだ。
最も長距離レースへの出走経験があって強いウマ娘に着いていく。
ただそれだけ。
「(マークされるのは事前の想定通り。想定外なのは……)」
己に降り掛かる、プレッシャーの大きさである。
体が圧し潰され、ターフに沈むと錯覚するほどの圧力。
肌をチリチリと焼け焦がすような気配。
一挙手一投足はおろか、呼吸や視線の動きすら捉えられていると思わせる針のような視線。
いつも通りの走りをする。それがこんなにも難しいと感じたのは初めてだった。
このペースはマズい。
残り距離に対して明らかにスタミナの配分を間違えている。
最終盤でパーマーと一緒に逆噴射する未来がありありと予想できた。
だが、それは後ろを走るテイオーも同じことではないのか?
すでに三番手まで上がってきたテイオーと後続の間にすら数バ身の差が生まれている。
そして恐らく、テイオーは自分がプレッシャーに当てられて掛かっていることを見抜いている。
ならば、自分はペースを抑えて終盤に抜き去るのが最良ではないのか。
そうしない理由があるとすれば。
「(あの娘は、このペースでも最後まで走り切れる自信があるということ)」
そして、徹底的に自分を叩き潰す気でいるということ。
ならば、自分もペースを落とすことをしてはならない。
速度を抑えて走りを取り戻したとしても、待っている結果は変わらず敗北だ。
勝ちたいのならば、自分が上だと示したいのならば。
――超えていくしかない。
後ろから迫る炎を振り切り、持つはずのないスタミナを持たせる。
その無理を押し通す必要がある。
たとえ、なにを犠牲にすることになったとしても。
メジロマックイーンは覚悟を決めた。
幾度となく決めてきたが、まだ足りていなかった。
もしかすると、今日が己の終着点になるかもしれない。
心に浮かんだ嫌な想像を受け入れ、僅かに笑みを浮かべたメジロマックイーンは。
歯が剥き出しになるほど強く食いしばり、微笑を獰猛な笑みに変えて脚に力を込めた。
■
大方の予想を覆す展開となった春の天皇賞。
大逃げが成立しなかったメジロパーマー。
明らかに過去のレースと異なる走りで逃げるメジロマックイーン。
掛かってしまっていると勘違いするようなスピードで前の二人を追うトウカイテイオー。
レースが後半に入ろうかという段階でも後続との差が詰まることはなく、四バ身近い。
対して先頭集団の三人が走る距離はそれぞれに一バ身程度の差。
ここまで必死に先頭を維持していたメジロパーマーだが、そのスタミナはもう何時尽きてもおかしくない状態。
逃げさせて貰えなかったこともそうだが、彼女もまた後ろから迫ってくるプレッシャーに晒され続けていた。
しかも、途中からは一人ではなく、二人のウマ娘から放たれるプレッシャーに。
最序盤はマックイーンが自分を追ってきているのだと思っていた。
序盤から中盤に入る辺りで、自分と同じく後ろから逃げているのだと気付いた。
そして中盤に入ってから。
追われて逃げていたはずのマックイーンからも、とんでもない圧が放たれ始めた。
自分を抜き去り、追ってくる存在を置き去りにする。
メジロ家最強のステイヤーがその覚悟を決めたのだと分かった。
そうして迎えた二周目の第三コーナー。
大逃げに当たり前のように付いてきた二人は、さらにスピードを上げて二人だけの世界へと突入していった。
……せめてもの救いは、先を行った二人の顔になんの余裕もありはせず、自分と同じ死に物狂いであることが見て取れたことだろうか。
■
「(マズい……っ!)」
春の天皇賞。その終盤に至ってトウカイテイオーが抱いたのは焦燥だった。
メジロパーマーを追い抜いて迎えた、メジロマックイーンとの一騎打ち。
徹底的にマークした。嫌がらせと言ってもいい位に圧を掛けた。
それが最善だと考えたからだし、効果はあったはずだ。
重圧から逃れるための走りをして、普段通りの消耗で済むはずもない。
メジロマックイーンのスタミナは最後までは持たない。
スタミナが持たないのは自分も似たようなモノだが、自覚してのそれと相手に強いられたモノでは心構えの面で大きな違いがでる。
こっちは最初から気合と根性も全部使い切ること前提だ。
それでもメジロマックイーンに届くかは微妙だったが、自分の走りを貫けなかった彼女ならばなんの問題もない。
そう考えていて、実際そうなっていて。
ここに来て、その思惑を超えられた。
レースは最終局面。
ゴールまで残り距離二百を切ろうとしている。
それでもまだ、トウカイテイオーとマックイーンの間に差が一バ身。
しかし、トウカイテイオーの焦燥の理由は差が詰め切れないからではない。
「(これ以上は、脚が壊れるっ!)」
まだスタミナはある。脚も前に出る。振り絞れば勝ち得るだけのモノが残っている。
だが
下地と基礎。
時間を掛けて組み上げるしかないそれらが、足りない。
デビュー以降、初めてとも言える好敵手との激戦。
己の全てを出し切って尚、届かないかもしれない相手。
それはきっと、前を走るメジロマックイーンにとっても同様だったのだろう。
互いに勝利を掴まんとした必死の走りは、限界という壁にぶち当たった。
才能の限界にではない。今までに積み上げてきたモノで到達できる限界だ。
本来ならば、そこで終わる話。
どちらが勝つにしろ、限界を尽くし切った結果が出るだけのはずだった。
この二人の闘いでなければ。
――最強の名を懸けて。
――絶対を示すために。
譲れぬ理由を胸に抱いた極めて近しいレベルの天才同士による激突は、限界という壁に容易く罅を入れた。
尽きぬスタミナ、際限なく上昇するスピード。
天に昇るまで翔け、地の果てにすら届きそうな疾走。
無論、全て
精神の高まりと周りの状況が噛み合ったことで、ほんの一時的に起きた偶然による超越。
歴史に名を遺すであろう二人のウマ娘をして、必然で至るにはまだ遠い境地。
自身の高すぎるスペックを行使したが故の怪我を経験しているトウカイテイオーには見えていた。
消耗品である脚の越えてはいけない一線。
「(なのに、マックイーンのスピードが落ちないっ!)」
まだ超えられる限界でないのは相手も同じはず。
脚に掛かる負担は無視してよいものではない。
それでも、先を行く好敵手の上昇は止まらない。
それどころか、追う背中から迸る力はさらに膨れ上がり爆ぜる寸前なのが分かった。
「(勝つにはボクも超えるしかない! けどそれは――)」
脚が壊れることを許容するのと同義だ。
もう誰にも負けたくないって、そう思った。
だが敗北と故障を天秤にかけたとき、今の自分はどちらを取るべきなのか。
まだ出せる力が残っているのに、勝ちを捨てるのか。
この先、出走できるはずだったレースを諦めてでも勝利に手を伸ばすのか。
怖い。
あの日々に戻るのが。
ただ漫然と大切なヒトから与えてもらい続けるだけの、あの日々。
大好きな時間だった。幸せな時間だった。
それでも、支えて助けてもらうだけでしかない時間は辛かった。
やっと対等に、並び立てるようになったのに。
まだ一度しか、たった一度のレースでしか勝利を捧げられていないのに。
「(トレーナー、ボクは……っ!)」
きっとあのヒトは、またボクの脚が折れたとしても傍に居てくれるだろう。
それでも、もしかしたらという恐怖は拭えないのだ。
与えられるだけの存在では、もしもの時にあのヒトを引き止められない。
二着でも賞金は出るんだ。
次に繋げて沢山のレースに出るほうが、折れるのに比べればずっとマシだ。
そうやって自分の心に言い訳を重ね、ゴールまでの距離が百を切ろうかという時、応援席に居る大切なヒトが視界に入った。
大阪杯のときはよく分からない偉そうな態度で頷いていただけだったのに、今は腕を振り上げてコチラに向けて叫んでいた。
『負けるな、がんばれ』と。
恥も外聞もなく応援するその姿は、己の勝利を願ってくれている事の何よりの証だった。
「(一体なにを考えていたんだボクはっ! レースで手を抜いて帰って、あのヒトにどんな顔をして胸を張れるって言うんだ!)」
自分がするべきは負けてもいい理由探しなどではない。
どれだけの迷惑を掛けることになったとしても、面倒を見る価値があるウマ娘だと示すことだ。
トウカイテイオーは俺のウマ娘なんだと声高に自慢できる存在になることだ。
なればこそ、恥ずべき真似はしてはいけない。
「(たとえこの先がどうなるのだとしても、今に全力を出し切る!)」
そうしてトウカイテイオーが心を決めた
純白の翼がターフを舞った。
■
『レースは最終直線! 後続を大きく引き離しての一騎打ち! だがトウカイテイオー、ジリジリと詰まっていた差がここに来て縮まらない! メジロマックイーンが粘る!』
観衆の大歓声を浴びながら走る両者。その好走に決着が付こうとしていた。
最終コーナーを超え、直線に入った時点であった一バ身の差。
徐々に、しかし確実に詰められていた差は振り出しに戻された。
強大なプレッシャーに晒されて三千の距離を走っていたメジロマックイーンは限界だったはず。
だが残り距離二百を切ったとき、観衆は確かに見た。
ターフを舞う白い羽。
そして、これまでの疲労が消えたかのように翔けるメジロマックイーンの姿を。
『メジロマックイーン突き放す! トウカイテイオー伸びない! ここが限界か!』
その実況は半分間違っていて、半分合っていた。
トウカイテイオーが伸びていないのではない。
伸びを相殺するどころから離されるほどに、メジロマックイーンが速いのだ。
そしてそれは、限界を超えた者と
『残り百を切った! 差は変わらず! このまま終わるのか!』
舞う羽は、限界の壁を越え先へと至った証。
赤のスーパーカー。
タブー破りの三冠馬。
七冠の皇帝。
世代最強ではなく、日本レース界史上の最強を争う天上の怪物たち。
彼女たちには、よりはっきりと
「(天翔ける白翼、か……)」
己の轟雷とも、隣に立つウマ娘の吼えるエンジンとも違う。
彼女の、メジロマックイーンだけの到達点。
「(いや、彼女は昨年の時点で既に片鱗を見せていたはず。だが、私がいま見ているのは別モノだ)」
根差す本質。魂の発露。
メジロマックイーンのそれは、貴顕としてのプライドと使命を象徴したモノだったはず。
ならば、目の前に広がる大翼はどこから生じたのか。
誇張なく、日本レース界の頂点と称してよいはずの者たちですら見たことのないそれ。
一人のウマ娘から生み出される、異なる二つの到達点。
その源泉は――。
「
ウマ娘が望む全てを手中に収めたと言っても過言ではない"皇帝"をして、得ることの出来なかった存在。
強すぎたが故に、自分たちは知らぬまま此処まで来てしまった。
メジロマックイーンは、ただレースに勝ちたいのではない。
他の誰よりも何よりも、
その執着こそが、あの翼なのだろう。
自分たちには持ち得ないはずだ。
「羨ましいわね。本当に……」
隣から聞こえた声に混じる悲哀と憧憬は、普段の彼女からは想像も付かないものだった。
誰もが認める強さを持っていても、その来歴からクラシックの冠を戴くことはなかった怪物。
「我々を倒してくれる勇者は、結局は現れてくれなかったからな」
"皇帝"と"怪物"。どちらも並び立つ者が居ないからこその異名だ。
勝利に喜びながらも、何時の日か玉座を追われる時が、打ち倒される時が来ると信じていた。
まさかそれが、レースに勝つよりも難しい願いだとは思いもよらなかったが。
「ともあれ、称えようじゃないか。新たな時代を駆けるウマ娘たちの好走を」
『いま一着でゴール! 前人未踏! 春の天皇賞連覇を成し遂げました、メジロマックイーン!』
「それもそうね。幸いにも、アタシたちにはまだ戦える機会があるんだものね」
偉業の達成を目の当たりにして沸くレース場。その喝采は会場を揺らさんばかりだった。
「けど彼女、大丈夫なのかしら。アレはタダじゃ済まないと思うんだけど」
彼女の至った限界の先。
言葉にすれば陳腐だが、齎される強さと対価はどこまでもシビアだ。
メジロマックイーンは明らかに無理を通していた。
現にゴールした今も脚元が覚束ない状態だ。
「……そうだな。相応の代償を支払うことになるだろう」
見る限り折れてはいないようだが、下手をすれば脚の寿命を大きく縮めかねない。
そしてテイオーの抱えた歪さもまた、垣間見えた。
「怪我を恐れる気持ちは理解できる。だが、一着でなくてもいいか等という想いはターフに立つ者が抱いてよいものではない」
それに、今のテイオーはレースを楽しんでいるのだろうか。
目的を果たす手段としか考えていないのではないだろうか。
その原因は、間違いなくあのトレーナーになる。
救ってくれた故の、救えてしまった故の歪み。
「今の二人は、良くも悪くも互いしか見えてない」
共有すべき夢、目指すべき具体的な目標。
それら、二人で共に歩んでいくべき先が曖昧だ。
恐らくは、菊花賞に敗れたとき。
そして大阪杯に勝利したとき。
テイオーは夢と一緒に多くのモノを捨て去り、前を向いて立ち上がった。
その負の側面が鎌首を
勝ちたい理由を他者だけに委ねてしまえば、最後の最後で競り負ける。
「アタシはそういうラブロマンスみたいな関係も好きだけれどね。まぁ、折角ターフでご一緒するんだものね。邪魔者としか思われないのは悲しいし、楽しみたいとも思うけれど」
そう顎に指先を添えてなにやら思案している"怪物"。
……また変なことを考えていなければいいのだが。
「メジロマックイーンとの激闘が、かつてターフに求めていたモノを思い出させてくれればいいのだがな」
などとお節介なことを考えてしまったが、そこまで心配している訳ではない。
ダービー後の絶望に比べれば小石に躓いた程度の話だ。
なによりも、あの娘は私たちとは違う。
レースの世界がどれほど残酷であったとしても乗り越えて行くだろう。
なぜなら。
「テイオー、君は独りではないのだから」
会場を包む喝采にかき消された呟き。
眩しい光景を見るかのように目を細めるシンボリルドルフの視線の先には。
なにやらテイオーに向けて叫んでいるトレーナーの姿と、ウィナーズ・サークルに立つ
次回「春の天皇賞 後編」(仮題)
本作のお気に入り数が五千を超え、評価をしてくれた方も三百を超えていました。
何時も見ていただき、ありがとうございます。
書きたいことは色々とあるのですが、プロットとして固まってないところが多いため投稿間隔が開くことも増えそうです。
これからも楽しんでもらえるよう書いていきたいと思いますのでよろしくお願いします。