皆が真面目な話しているとクズが無言になるのが困りどころ。
「マックイーン、脚は大丈夫?」
届かなかった。
あと一歩。コンマ数秒。ほんの数メートル。
その猶予があれば勝てたかもしれないのに。
「大丈夫……とは言えませんね。折れてはいないようですが、脚に力が入りません」
レース終盤に感じた限界の壁は、変わらず壁として
対して目の前の
レース中に感じた力の膨張。それが爆ぜたあとに幻視した白い翼。
そこからはもう一方的だった。
詰め切れるはずだった一バ身の差は縮まることはなく、二バ身まで広がった。
思わず見惚れてしまうような綺麗で力強い翼だった。
「天皇賞連覇、すごいよ」
自分が壁を越えていたなら、一体なにが現れていたのだろうか。
どんな景色が見えていただろうか。
あのヒトになにを与えてあげられただろうか。
この胸の内から湧き上がる後悔を感じずに済んだのだろうか。
「ありがとうございます、テイオー。あなたが居たから今の私になれました」
負けたくなかった。
怪我はしたくなかった。
あのヒトに勝利を捧げたかった。
あのヒトの重荷にはなりたくなかった。
マックイーンにだけは負けたくなかった。
マックイーンにだから勝てなくても納得できそうだった。
「……悔しいなぁ」
足りない。
なにもかも足りない。
勝つにはもっともっと要る。
怪我を天秤に掛けることなく勝っていくならば、力が必要だ。
自分の前に立ちはだかる邪魔者の中には、まだまだ強者がいる。
立ち止まってはいられない。
ボクのしたいことは、あのヒトと一緒に勝つことなんだから。
今はひとまず認めることにしよう。
ボクはまだ弱い。
けれど、ここが行き止まりでもない。
進んでいける先がある。
必ず超えられる。あのヒトと一緒なら。
「ふぅ……。うん、悪くないね。やる気出てきた」
無理のない
けれど、やっぱり負けるのは嫌だ。
「どうかしましたか、テイオー」
「なんでもないよ。次は負けないぞって思っただけ」
「あら、次も勝つのは私です。あなたには負けません」
負けちゃったから大口叩くつもりはないけど、その様でよく言ってくれるなぁ。
「そんなこと言うなら肩を貸すのはもう止めよっかなー。そのガクガク状態の脚じゃライブも満足にできないんじゃない? ライブのセンター変わってあげてもいいよ?」
菊花賞に負けて、春の天皇賞で負けた。
ボクの長距離適性は少なくとも中距離には劣る。
ここからはその事実を受け止めて戦いの場を選ぶ必要がある。
ましてや相手がこの突き刺さる視線の先に居るウマ娘たちなら。
ここはシニア級。
先達に挑まねばならない戦場であると同時に、向こうから襲い掛かってくる戦場でもある。
観察、挑発、興奮。
読み取れるものはそれぞれに異なっている。
確実なのは、そう遠くない未来にぶつかり合うだろうということ。
なんの目的があってコチラを意識しているのか分からないが、ボクの前に立つならやることは変わらない。
それがなんであろうとも、叩き潰していくだけだ。
■
「まさか、あのトウカイテイオーでも勝てないだなんて」
抱いた感情は
大阪杯で私を歯牙にもかけない強さで圧倒したウマ娘よりも、さらに上が居る。
その事実はGⅠ勝利という壁の高さを感じさせ、ともすれば絶望感すら漂う。
この先、努力を重ねたとして勝てるのか。
どれほどの努力をすれば勝利に手が届くのか。
道は暗く、明かりは見えない。
この結果には、彼女の打倒を目的とするチームメイトも心穏やかではいられないだろう。
そう考えて横に視線を向けると、ネイチャさんは難しい顔をしてターフを見つめていた。
「へぇー。ふーん、そうきますかー。天才は本当になにをさせても天才ってやつですかねー」
喜色と渋面。その両方を同時に浮かべようとして出来上がったような歪んだ表情。
発する言葉は嫉妬のようにも聞こえるが、感情の色が感じられない。
「大いに実りはあった。しかし懸念すべき点もあった。トータルで見ればイーブンと言ったところでしょうか」
それに反して南坂は淡々と手元のファイルになにかを書き込みながら、所感を述べていた。
「そうだね。レース中のウマ娘に精神的な負荷を掛けるにはどうすればいいか、実践して見せてくれちゃいましたもんね。見せてくれたのがプレッシャー掛けたい相手だってのは癪ですけど」
なるほど。普通に走って勝てないのなら、如何に相手に本調子を出させないかが肝要。
「確かにマックイーンさんは終始走りづらそうでしたね。トウカイテイオーから放たれる圧は此処からでも感じ取れるほどでした」
しかし、あの化物じみた強さを持つウマ娘たちが簡単に圧に屈してくれるだろうか。
化物同士だからこそ意味があるだけで、私たち程度が圧を掛けたところでそよ風ほどの影響しか与えられないのではないか。
そう考え、再度ネイチャさんに目を向けた瞬間、無意識に体が後退った。
「今、後ろに下がったでしょ? 普通に
レース開始前に見せられた、へばりつくような黒い感情。
それを遥かに上回るなにかが向けられている。
蛇に睨まれた蛙のように、体が動かない。
「タイミング、緩急、ポジション。効果の大小も重要ですが、上手く使えば小さい力でも大きな影響を与えられますからね。となると、やはりどのレースで仕掛けるかが肝になりますか」
金縛りにあったように動けない自分に対して、南坂はなにも感じていないようだった。
いや、ターボもタンホイザも首を傾げて私を見ている。
体が動かなくなっているのは自分だけなのか。
「一人にだけ集中させたり、周り全体に圧掛けたり、色々とバリエーションがある訳ですよ。あとは意表を突くとかね。どうだった、イクノ。怖かった?」
「……こほん。それで、その嫌がらせでトウカイテイオーに勝てるのですか?」
意趣返しも兼ねたとは言え、この聞き方は少し意地が悪かっただろうか。
「いやー、アタシはそこまで優秀なウマ娘じゃないんですわ。タイマン勝負ならどれだけ策を弄したところで完敗でしょ」
自分だけでは勝てないと、ネイチャさんは当然のこととして断言した。
「なら、どうするのですか? 待っていてもトウカイテイオーが弱くなってくれるなんて事はありませんよ」
恐ろしい事だが、今日がトウカイテイオーの上限だとは思えなかった。
今ですら届くか分からないというのに、まだ先があるだなんて。
「簡単簡単。用意すればいいんですよ。トウカイテイオーを倒してくれるウマ娘を」
言われたことの意味が、いまいち理解できなかった。
「正確には、いい感じにギリギリまでトウカイテイオーを追い詰めてくれるウマ娘かな」
つまり、漁夫の利を狙うということだろうか。しかし、それは……。
「ネイチャさんは、それでトウカイテイオーに勝ったと思えるんですか?」
反則という訳ではない。
陸上競技のセパレートコースではないのだから、全体の駆け引きはあって当然の要素だ。
だが、ネイチャさんは自分でトウカイテイオーの心を折りたいと物騒なことを言っていたはず。
「もちろん勝手に共倒れされちゃうだけじゃダメだよ。アタシが狙って全員共倒れさせて、一着でゴールする。そして負けたテイオーに手を差し伸べてあげるの。『いい勝負だったね』って」
……考えていることが性悪すぎやしないだろうか。
「役者がどうこう言っていたのはそういう事ですか。マックイーンさんなら、トウカイテイオーを消耗させられると」
実際に勝っているのだから相手としては適任なのだろう。
「うん。だけど先行型の強いウマ娘ばかりだと展開が早くなりすぎてアタシが付いていけなくなりそうなんだよね。だから理想は差しと追い込みのウマ娘。それにマックイーンは休養するって可能性もありそうだし」
ターフから引き上げるマックイーンさんを見ていると、十分に考えられる話だ。
怪我はなくとも、その兆候や出走するのが危険な位に疲労が溜まっていることはあり得る。
秋まで、あるいは年内のレースを避けることになるかもしれない。
「まあ人選は頼れるトレーナーに任せてるので。さてと、名勝負も見れてやる気も漲ってきたことですし、アタシは学園に帰ってトレーニングすることにしましょうかね」
「ですね。私も負けてはいられません。お付き合いしますよネイチャさん」
変な性癖に目覚めてしまった友人だが、勝利への貪欲さが増したことも間違いない。
見習えるところは真似させてもらうとしよう。
「おっ、やる気満々ですねぇ。ちょうどアタシもお願いしようと思ってたんだよね。ほら、ターボはしばらく使わないって言っちゃったし」
……は?
「やっぱり今日のパーマーを見てるとさ、逃げウマ娘は邪魔なんだよね。しかも干渉できるタイミングがスタート直後しかないでしょ? だから入念に練習しておかないとね。潰し方。いやー、チームメイトに逃げができるウマ娘が二人もいてくれてネイチャさんは幸せものだよ」
なにを無害そうな顔して畜生発言してるんだこの女は。
「泣くまでやるから覚悟しておいてね。というか泣かせてからが本番だから」
……口は災いの元。
それが今日、私ことイクノディクタスが学んだ最大の知見だった。
■
「やっ、中々いいレースだったね」
メジロマックイーンの応援に来ていたらしい後輩と話をするためにマルゼンスキーが去った後、レース場までは同道していたもう一人のウマ娘が戻ってきた。
「おかえり。……毎回思うのだが、なぜレース場までは一緒に来るのに中に入ると一人でどこかに行ってしまうんだい? 同じモノを見ながら君の意見も聞きたかったんだが」
相変わらず自由というか、破天荒というか。
「レースを見る時はね、誰にも邪魔されず自由でなんというか、救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……」
なにやら含蓄があるのかないのか分からない事を言い出したが、私が聞きたいのは観戦の作法ではなくレースの所感だ。
「ドリームトロフィー・リーグに登録されていないウマ娘としては最高峰のレースだったはずだが、君にはどう見えたか教えてもらえないだろうか」
彼女の持つ視点は私と大きく異なる。
マルゼンスキーとは近いところがあるが、果たしてなにを感じ取ったのか。
「ある意味ではルドルフに似ているんじゃないかな。レース自体の楽しさよりも、その先にある何かのために走る。楽しさよりも実利と言えばいいのかな」
やはり、そう見えるか。
「興味の湧き具合としてはそれなりかな。いずれ上がってきた時を楽しみにしておくよ。アタシよりも君はどうなのさ。トウカイテイオーの事は気に掛けていただろう。今の彼女をどう思っているんだい?」
今のテイオーをどう思うか。
強さについては申し分ない。
メジロマックイーンにこそ負けたが、同じ条件で勝てるウマ娘は歴代でもそうは居ない。
これからの成長も考えると、中距離ならシニア級最強と言えるかもしれない。
内面については以前の明るく
この一年ほどの間、彼女が置かれていた環境を
彼女の人生で、あれほどに他者の悪意や人の汚い部分を直視させられた事はなかっただろう。
それ故にトレーナーに対して依存に近い信頼をしてしまっていることも道理なのだろう。
だが、それでは困るのだ。
「トレーナー君と
私のように、私と同じ夢を抱いてくれる存在に。
「おや、なんだか悪い顔をしてないかい? とても自分の事を目標としてくれていたウマ娘に向ける表情だとは思えないのだけれど」
二冠を獲ったとき、頂点に立つに相応しい才能だと思った。
菊花賞に向けて立ち上がったとき、他者の痛みと弱さを理解できる強さを得たと思った。
数奇な運命のように悪い噂の付き纏うトレーナーと組んだとき、トレセン学園に新しい風を吹かせられると思った。
「無敗の七冠を無邪気に目指していただけなら笑顔で見守っていたさ。けれどね、もうそんな他人事ではなくなってしまったんだ」
全てのウマ娘の幸福という
それを成すには多くの力が要る。
多様な人材が要る。
あの二人は、彼と彼女は私の夢を叶えるために必要だ。
だから、困るのさ。
お互いだけを見て満足なんてされてはね。
「"皇帝"の後継者と目されている"帝王"。そうなってくれるんじゃないかと思うとね、我慢が利かなくなった。どうしても二人まとめて手元に収めたくなった」
そうすればより多くのウマ娘に与えられる。
活躍の場を、未来を、新しい夢という名の幸福を。
「手元に収めるって、具体的にはどうするんだい? シンボリの家に招き入れるという意味かな」
そういった手段もいずれは考えなければいけない。
ウマ娘の幸福を目指すのなら、学園内だけではなくURAに対する働きかけも必要だ。
だが、まずは。
「生徒会で囲うとしよう」
悩める全てのウマ娘に手を差し伸べることは不可能。
だが、あの二人が居れば差し伸べることができる手の数は増える。
「立派なこと言ってる風だけど、ちょっと悪の"皇帝"っぽいよ?」
そう言って笑うミスターシービーはなんとも愉快そうだった。
「タブー破りが代名詞になっている君に"悪"呼ばわりされるとは心外だな」
「タブーと言っても周りが勝手に言っていただけのことさ。破ったところで誰も迷惑は
「むしろトレーナー君の方が扱いは簡単だよ。会って話してみてはっきりと分かった。彼は
その支え方がトレセン学園の気風に合わないことが問題視されていたが、生徒会でバックアップすればいい。そうやって物事を綺麗なように見せるのは、不本意ながら得意な方だ。
「問題はテイオーだな。トレーナー君を貸してくれと言っても首を縦に振らないだろうし、生徒会活動にも今は興味を示さないだろう。はてさて、どうすればコチラ側に来てくれるかな」
恋は盲目……で合っているのか分からないが、今のテイオーにとって最優先事項なのは彼と二人で過ごす時間。
他のコミュニティと積極的に関わってその時間を削ろうとはしないだろう。
もう少し時間を経て落ち着けばすんなり協力してくれるかもしれないが、引き込むのが早いほど手を差し伸べられる数も増える。あまり待ちたくはないな。
「ルドルフの夢を否定はしないけれど、それってトウカイテイオーの幸福を無視してないかい?」
……耳の痛いセリフだ。
普段は何を考えている分からないのに、こういう時は核心を突いてくるから
「なにも問題はないよシービー。私は"皇帝"シンボリルドルフ。トレセン学園の生徒会長で七冠を達成した唯一のウマ娘なんだ」
「とてもよく知っているけれど、それがなにか関係あるのかい?」
関係あるのかって?
もちろんあるさ。
なぜなら……。
「私のやる事こそが"絶対"だ」
そう言った私を呆れたようなジト目で見やるシービーをしり目に、言葉を重ねる。
「それにね、私も少しだけ拗ねているのさ。あんなに私を目指すと言っていたのに、今のテイオーはトレーナー君に夢中だろう? 可愛い後輩にまたこっちを振り向いてほしいなー、なんて幼稚な考えもあったりする」
だから、ちょっとだけ強引な手段で。
まずはトレーナー君から手に入れるとしようか。
ルドルフ
「トレセン学園を婚活マッチング場と勘違いして寿退職とかされると困るんだよ。いや本当に」
CB
「そんなやつおらんやろ」
カフェの育成に忙しくなるので次回の投稿は未定です。